悲しい・・・

2010年01月27日 | ブログ

最近、新聞を読んでいると、様々な事件や事故が眼に飛び込んできます。。大きな事では、ハイチで起きた大地震や、イラクなどでのテロ事件が報道されていますが、先日私の目に止まったのは、もっと身近で、痛ましい事件でした。東京都で小学校一年生の男の子が、継父の暴力により、気の毒にもその短い生涯を終えさせられてしまったと、報道にはありました。もちろん、地震やテロで亡くなった人々も、気の毒なことには変わりはないし、特に、正義を主張して人が人を殺めてしまう戦争やテロには賛成できないものがあります。が、私が感じたのは、まだ、産まれてから10年にも満たない小さな命に手をかけて、生きてさえいれば数々の、すばらしいできごとにもきっと彩られたであろう人生を、どうしてつみ取ってしまえるのだろう、そんな権利が、いったい誰の何処にあるのだろう、という思いです。

その瞳は、きっともっと多くのものを見る事ができたでしょう。

その手は、きっともっと多くのものに触れることができたでしょう。

その耳は、きっともっと多くのことを聴くことができたでしょうし、その心は、もっともっとたくさんの、本当にたくさんのことを感じ、多くのことを知る事ができたはずなんです。

誰かを愛し、また愛され、生きていることのすばらしさ、苦労することの大切さ、友情や、出会いや、様々な宝を見つけていけたはずなんです。

まだ、年端のいかない子供が、大人を頼るしかない子供が、言うことを聞くしかない立場の子供が、信頼し、頼り、心からすがれるのは、親の、大人の手しかないはずなのに、その手が顧みることのない力の塊となって自分に向けられたとき、無力な存在は、誰が守ってくれるのでしょう。その、一粒の小さな心の中で、誰を思い、誰に助けを求めるのでしょう。どんなにか怖かったろう、どんなにか辛かったろう、どんなにか寂しかったろう。想像してもしきれない、深い深い絶望が、無念な思いがそこにはあったことでしょう。何を根拠に、どんな理由があったとしても、絶対に、無限の可能性の芽を、つみ取る権利は誰にもありはしないのです。

その子が最後に見たものは、いったい何だったのでしょうか。

その子が最後に聞いた言葉は、いったい何だったのでしょうか。

その子が最後に思ったことは、いったい何だったのでしょうか。

その子が最後に呼んだ名前は、いったい、誰の名前だったのでしょうか。

涙で曇ってキーが打てないほどに、私は悲しみを感じています。

戦争も、テロもこのような事件もきっと、根っこは同じ所にあるような気がします。

私は力もない、一介の美容師に過ぎないけれども、心の中の、優しさの砦だけは守り続けたい、そう思っています。

このブログを読まれた方は、どうかぜひ、おうちに帰られたときに、それぞれの愛する存在をぎゅっと抱きしめてあげて欲しい、そう思います。私もそうします。そうすることでしか、守れないものがきっとある、私はそう思います。

失われた小さな灯に、心から哀悼の意と、ご冥福を祈りつつ・・・

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