いしどう大輔後援会 「姫路市政への挑戦」

「一人でも多くの方を笑顔にしたい。」その想い一つで、リクルートを退職し、生まれ育った姫路市で活動しています。

リクルートでの経験Vol.3

2007年03月29日 | リクルート

最近、ブログが長いですね。
申し訳ございません。
ちなみに、本日も長文です。。。

リクルートの営業、私はある部品工場の募集のお手伝い
をさせていただいた事があります。

その時、お客様である担当の課長といろいろお話を
させていただきました。

「工場では、どんな仕事をされるんですか?」という
質問から、この工場で働く人の幸せや動機について
お聞きをします。

この工場で働いていらっしゃる方々は、どんな思いで
仕事をしていらっしゃるのかをお聞きしたところ、

担当者は、一言、「分からんな~(笑)。」

「えっ?御社の社員の事ですよ・・・」

こういった、担当者の方は珍しいかも知れませんが
その時は、驚きと怒りを隠せませんでした。

そこで、
「僕にしばらく仕事を手伝わせてください。作業着と
安全靴の用意をお願いします。」

この一言で、私はお客様の仕事を手伝うようになり
ました。

現場では、誰も私と話をしてくれません。
白い目で誰やこいつ?って感じです。

しかも、最初の紹介では、

「リクルートの石堂さんです。私たちの仕事を
見たいと言われたので、暫く手伝ってもらいます。
何だか、みんなの幸せを知りたいそうです。」

全く、受け入れてもらえていない感じ・・・

しかし、私は、満面の笑みでご挨拶。
とにかくニコニコ。

でも、やっぱりお昼ごはんも一人ぼっち。
途中の休憩時間も一人で自販機のコーヒーを飲んで
いました。

これを3日くらい続けた時、作業中に突然隣の人が

「俺たちの幸せが聞きたいか?」と。

私は、作業の手を止めて「教えてくださいっ!」
と懇願しました。

「休憩時間になったらね。」

私は、きっと
「自分の作った部品が世の中を出回るのが嬉しい。」
という答えが返ってくるのではないか?

それとも、
「自分の作った部品がなければ機械は動かない。重要
な仕事を担っているんだ!。」

などの答えが聞けるのかな?
なんて、勝手に想像しながら仕事をしていました。

休憩時間になった時、その人が言った言葉は、

「俺は、君が得られない幸せを持ってるよ。」と一言。

私は、それが聞きたいのです。

「俺の幸せは、定時に家に帰り、あぐらをかいた片膝に
息子を座らせ、片手にビールを持って一緒に野球の応援
をする事なんだ。
残念ながら、君は夜遅く帰るよね?そしたら、子供は
もう寝ているよ。子供と一緒に過ごす時間が短いはず。
でも、俺には家族と過ごす時間があるんだ。これ以上の
幸せは、俺には無い。」

そう言われたのです。

僕の当ては、完全に外れました。
決して、この方は仕事が嫌だから定時に帰る訳では
ないと思います。
当然、ある程度のお金も無ければ家族と生活する訳には
いきませんし、責任感の強い方だとも思います。

全ての方が同じように考えていらっしゃるとは、思い
ませんが、この方はなんて素敵な幸せを噛み締めてい
らっしゃるんだろう。

そう思うと、私も幸せな気分になり、自然と目に涙が
溢れていました。

こうして、原稿は出来上がりました。
お客様も大変喜んで下さいました。

人ぞれぞれ、様々な価値観の基で生活をしていらっ
しゃいます。
私が、想像をした価値観で募集を行っても決して
成功はしなかったと思います。

現場の方のご意見を直接お聞きし、それを伝えて
いく。

これは、リクルートで学んだことですが、
政治においても一番大切なことだと思います。

これらの経験を基に、私は姫路にお住まいの方々の
思い・お考えが具現化・実現化できる政治を目指して
誠心誠意取り組んでいきたいと思います。

リクルートでの経験Vol.2

2007年03月28日 | リクルート

入社当時、本当に小さなオーナー企業の担当ばかり。
なかなか、売り上げも伸びない。
名古屋で仕事をするからには、トヨタを担当したいっ!

そんな憂鬱とハチャメチャな気持ちでストレスばかり溜めて
いました。


入社半年目のマネージャー面談の時、

「何故、お前が今、オーナー企業を担当しているか分かるか?」
と質問をされました。

「私は、正直分かりません。ただ、経験が浅いため勉強の意味
で小さな企業を担当しているのだと思っています。早く、トヨタ
を担当させてくださいっ!」
と答えました。

マネージャーは、
「お前のお客様は、可哀想だね。しかも、お前はお客様に対して
失礼だ。」
と言われてしまいました。

今、考えれば本当に恥ずかしい限りです。

しばらく沈黙が続き、マネージャーは言葉を続けます。
「お前は、松下電器の創業者は分かるか?本田技研は?
ソニーは?トヨタは?」

全て、有名な方なので私も知っており、次々と答えました。

「じゃ、日産は?」
 当時、日産の業績の芳しくなかった時期です。


私は、答えが出ませんでした。



「日本の企業の中で、世界TOPクラスと言われる企業は、全て
創業者の名前と思い・考えが脈々と受け継がれている企業
なんだ。
残念ながら日産は創業者の思いがどこかで途絶えてしまった。
だから、従来の力を失ったんだ。」
 今では、第2の創業者としてゴーン氏の名前や考えが
  浸透しており、高業績を上げています。

「残念ながら、お前が今、豊田佐吉さん・豊田喜一郎さん・松下
幸之助さんと会うことは出来ない。
しかし、創業者というのは、人生を賭け、家族を賭け、従業員を
賭けて勝負をしている。
将来の佐吉さん・幸之助さんは、今のオーナーさん達なんだ。
その人たちの思いを理解し、その人たちと共感できる力を
持ててこそ、仕事がスタートするんだ。お客様から理解して
頂けるんだ。」

そう、アドバイスをもらったのです。
目から鱗が落ちました。自分の不甲斐無さ、自分の傲慢さ反省
することばかり。

私は、翌日から担当している全てのお客様に
「お詫びをさせていただきたいので、お時間を下さい。」
とアポイントをとって回りました。

人によっては、
「君とはまだ取引ないから、お詫びなんていらないよ。」
と言われます。

それでも、自分が失礼な気持ちでお会いしていた事をお詫び
しなければならないと思い、土下座して回りました。

すると、あるお客様から
「今までのリクルートの営業さんと違うね。君なら任せて
もいいよ。」
と仕事を預けて下さいました。

これが、私の本当の意味での初受注です。
これからが、スタートだと思いました。

このお客様とは、今もお付き合いをさせていただいています。

この経験がなければ、私がMVPを受賞できる程、営業の成績を
上げることは出来なったでしょう。

そして、この経験から、企業の大きさよりも真剣に努力をされ
ている方々との出会いの方が楽しくなったのです。

多くの頑張る方を応援したいと思います。

政治においても、この思いは変わっていません。

リクルートでの経験

2007年03月27日 | リクルート

私の事務所を手伝ってくれている大学生が最近就職
活動に忙しい様です。

まだ、説明会段階が多いようですが、4月に入ると
面接など結構スケジュールが入ってくるでしょうね。

私も21歳の春には、就職活動で東京・大阪へと毎日の
ように出かけていました。

バイト代くらいしか持たない学生時代。
お金がないので、東京へも夜行バスを使っていました。
0泊6日で常にバスで過ごした日もあります。
そんな時期が本当に懐かしく思えます。

その中で、私はリクルートに入社を決めました。

最初は、名古屋で「B-ing」や「とらばーゆ」「リクナビ」
「FromA」「Townwork」といった商品の広告営業から
スタートです。
営業成績も順調に推移しMVPの表彰もして頂きました。

その後は、東京の事業開発室に異動し、新規事業の開発や
企業提携などの担当も行う機会にも恵まれ、様々な勉強
をさせて頂きました。

また、リクルートでは、年に1度「New-Ring」と呼ばれる
新規事業案コンテストが行われます。
任意のコンテストですが、社員の約半数が事業案を提案
します。
私も友人たちと提案を行い、2002年に準グランプリを獲得
しました。

その結果生まれたのが「R25」(http://r25.jp/)です。

現在、首都圏にて発行されているフリーペーパーです。
人気を博し、毎週600万人以上の方に読まれています。
今では、「R25モバイル」という携帯版も出ています。
(http://r25.jp/index.php/m/WB/a/WB000010/tpl/index_00/bkn/mobile/hf/8)
また、「L25」と呼ばれる女性向けにも広がっています。
(http://l25.jp/)


さらに、テクノロジーマネジメント開発室という部署
では、大学の先生の発明された技術を特許化し、
それを企業様にご紹介させて頂き、製品化・商品化する
事業も行いました。
完全な文系人間ではある私にとっては、いろんな意味で
ハードな事業でした。
しかし、「日本の企業の底力をつける」「地域活性
を行う」という大変意義深い事業に携わって参りました。

約7年間のリクルートでの経験は非常に大きな財産と
なっています。
 ・徹底した現場主義
  (全ての答えは現場にしかないという考え方)
 ・皆経営者主義
  (社員全員が経営者として判断をするという考え方)

そして、ネットワーク作り・人間関係づくり。

これらは、どの企業にも政治の世界にも応用できるもの
だと思っています。

これらの経験を通して、この姫路の街を盛り上げる仕組み
作りに取り組んでいきたいと思います。