弁護士ふくふくの今日が出発点

難病がきっかけで始めましたが、今は、出会いを求めて書いてます。足跡歓迎です。但し、ハンドルネームでお願いします。

入院体験談(⑩最終、余談)

2009-02-01 14:52:29 | 入院体験談

 最後に、周りの人たちのこと等。2ヵ月半の入院中、家族はもちろん、職場の人、仕事関係、同級生、親戚、いろいろな人が見舞いに来てくれ、大変励まされました。今まで、あまり使っていなかった携帯電話のメールを使って、病気や入院生活の報告をたくさんの人にして、また、たくさんのメールを毎日のようにいただき、かえって、それまで以上の関係ができました。メールが大きな励みでした。

 そして、何よりも看護師や職員のみなさんと医師のみなさん。雰囲気も暖かく、本当に親身になって世話をしていただきました。特に医師については3名でグループを組んで担当していただき、3人の先生とも、当初は毎日のように、その後もこまめに病室に来ていただきました。対応も集団的に検討されているようで、説明も丁寧でした。また、どの先生も謙虚で上から患者を見るようなところがなく、自分の弁護士としての仕事や事務所のあり方としてもこうありたいと思いました。

 私は、仕事柄、事実をできるだけ客観的に、正確に把握することの重要性を意識しているので、便(下血)の時間や内容等も詳細に記録し、毎回、デジカメで便を撮影、保存し、病院のパソコンに移して看護師や医師に見ていただく等もしました。冒頭の失神後の下血の際トイレ床に流れ出た下血も撮影しました(「普通、そこまでやるか……?」との声)。ただ、デジカメ持参でトイレに行くのは、普通ちょっと怪しいですけど。

 心身ともに辛い入院生活でしたが、上に書きましたメールのやり取りをしたり、ポータブルDVDで「チュモン」という韓国ドラマ(全部で80時間くらいの長編)を見たり、患者会のニュースを見たり、韓国語の勉強を始めたり、料理に興味が湧いて料理のテレビや雑誌を見たり等、前向きに取組むことで何とか、乗り切ることができました。展望が見えず、後悔と不安で思わす涙がこぼれたこともありましたが、今となっては、貴重な体験で(と言っても、二度と味わいたくないですが)、これも全て周りの方々のお陰と感謝しています。

 1月24日には、70日ぶりに、点滴の拘束からも開放され、2月1日に退院しました。いつも点滴に縛られ、点滴のスタンドを押しながら歩く姿がすっかり定着していたため、何もつけずに廊下を歩くと、多くの看護師さんや患者さんからも、「あれっ?どうしたの、何か変……?」と言われました。

 4月1日から、午前中だけ事務所に出始めましたが、しばらくは事務所の中だけでの仕事に限定する計画です。事務所も残った人たちが一生懸命支えてくれました。治療に専念できたのも、事務所のみんなのお陰であり、少しずつ体制を建て直して、必ず恩返しをしていきたいと思っています。妻については、家を支えながら、ずっと見舞いに来て励まし続けてくれ、あらためて有難さを実感しました。これまで、妻が病院に行けと言っても聞かず、健康に気をつけてと言っても、無理をして仕事や付き合いで遅くなったり、飲食が過ぎたり、家の仕事や子育ても妻まかせだった事等、毎日の入院生活の中で反省の数々が頭に浮かんで来ました。

 家族全員がいい人生が送れるように、これまで以上に、妻やこどもともしっかり関わりたいと思うようになりました。大学病院で難病や重病の患者さんたちとも友達になり、病気、病人(患者)、医療ということについて、初めて我が身のこととして考えるようになりました。  

 以上、自分の人生と人生観を変えるような重大かつ貴重な体験でしたので、「入院体験談」としてまとめてみました。

(後日談)なお、以上の原稿の大筋は2008年2月1日の退院後しばらくして書き始め、原稿完成当時の5月頃は、しばらくの間、病状も落ち着き、平穏な日々が続くだろうと思っていました。ところが、その頃から、僅かずつですが再び病状が悪化し始め、7月中旬から休業(自宅療養)開始、10月入院、11月大腸全摘の緊急手術と、あれよ、あれよ、という間に行き着くところまで行ってしまいました。その後の経過等については、別稿「大腸摘出手術体験談」で書いていきます。



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