2012年2月3日午後8時。
新日本風土「大阪 生野コリアタウン」と言うドキュメンタリーを見た。
場所は大阪、鶴橋から歩いて10分ぐらいあるコリアタウン。
色んな方々をメインにしてドキュメンタリーをしていた。
朝鮮半島の済州島から来た方が多く住むコリアタウン。
上の写真は済州島と大阪を結ぶ「阪済航路」「済阪航路」の「君が代丸」
この船に乗って、済州島の方々は大阪へとやって来た。
年配の方は「君が代丸」の事を「クンデワン」ってよく言う。韓国語で「君=クン 代=デ 丸ーワン」なので。
その船に乗って大阪に来て、済州島の同じ村出身である同郷出身者のコミュニティーを形成。
この方々の集まりに取材していたら、このコミュニティーの中での最高齢のハルモニ(=おばあさん)が車いすに乗って来られた。
103歳のハルモニだった。
間違いなく済州島から渡って来られた1世のハルモニであろう。
私の父方のハルモニが生きていたら103歳頃なので、色んな思いにかられる。(正直、見ながら泣いた)
そして、この様なコミュニティーは、私にもある。
私のハラボジ、ハルモニは済州島の禾北と言う邑から大阪へやってきた。
私が小学生の時、観光バスを数台借りて、「禾北親睦会」と言うのをやって、見ず知らずの方々達と神戸の須磨へ行ったのを覚えている。
同じ門中会の人やったかも?思い出して見たら…(^_^;)
私が記憶しているので、2回くらい行ったかなぁ~。
まぁ~何にせよ、済州島から大阪に渡った1世ハラボジ、ハルモニ達は、身よりもなく、互いに寄せ合うのは同郷と言う一つの共通性。
ドキュメントでは、老舗の焼肉屋さんも紹介。
済州島の人達が良く食べた「スエ」も紹介してくれた。
「スンデ」ちゃうよ!「スエ」やで!(*^_^*)
「スエ」見て、メッチャ食べたくなった私。
やっぱ、私の「口」は、間違いなく済州の「口」やねんなぁ~って実感(*^_^*)
テレビで言っていた名言「ブタで食べる事が出来ないのは「鳴き声」や」と(*^_^*)
御高齢でおられながら、キムチを売っているハルモニも紹介。
ヘップを作っている工場も紹介。
ヘップを経営している2代目社長(在日2世)が話していた。
先代社長が、大阪で仕事をしていて…、
邑(=故郷済州島の邑)でぼんやり過ごしている親戚達が居てると、ぼぉーっとせずに大阪に来て一緒に仕事手伝え!
邑(=故郷済州島の邑)に居ててもカネにはならん!大阪に来い!って言って、呼び寄せて縁故者で固める。
大体が、こんな感じで済州島から呼んだとも言われている。(もしくは大阪の身寄りを頼って済州島から行くパターン)
キムチを売っているハルモニの周りで働いているのも長女、孫たちで親戚で固めている。
こうしながら、一族を守っていったかも知れない。
あと、日本人女性と結婚し、日本国籍に帰化した在日3世の事も。
ドキュメンタリーを見ていたら、
テレビで出ていた1960年代初めの生野が放映されていた。
1960年の生野ってまだこんな生活状態やったんやと改めて知って、驚いた私。
その後、このコリアタウンを長年撮影しているカメラマンも紹介。
そのカメラマンが撮影した写真を紹介してくれた。
路地裏などを撮影したのを見た。
洗濯物を干して、いかにも下町。
奥に見えるポスターは多分、総連系のポスターであろうと予測している私。(そこに目が行った)
そして、コリアタウンの情景を撮影したのを数枚紹介。
(当時やから、コリアタウンって言うより「朝鮮市場」って言う方がエエな)
(最後のこの写真は棒の先に磁石をつけて、川の中に有る鉄屑を取って生業としている方々を撮影)
コリアタウンって響きエエけど、昔から知っている人間からすれば、「朝鮮市場」
地名で言えば「猪飼野」だ。
ブタを飼う野原で「猪飼野」、今は行政的に名称変更して「中川」となっているが、年配の方、そして私でも「猪飼野」って言えばすぐに「朝鮮市場」を連想する。
韓流ブームのお陰で「朝鮮市場」は「コリアタウン」って名前になってガラリと様変わりなったけど、数年前なんかはこんな観光客でごった返す事無かったと思う。
ドキュメンタリーでも言っていたが、「キタナイ」、「クサイ」、「近寄ったらダメ」とまで言われていた場所。
その「コリアタウン(=朝鮮市場)」で昔に撮影した写真で、見た事があるのだが鮮烈的な記憶になった写真がある。
韓国と日本が国交を結び、在日の国籍が朝鮮から韓国に変更出来る事に関して反対する横断幕。
(横断幕の内容は傀儡国籍の韓国籍を朝鮮籍に戻そう!的な内容)
いつやったかな、在日の玄さんって言うドキュメンタリーを見た時にこの写真を見た事があった。
(調べて見て分かったのだが、正式名称は「そして僕は日本で生まれ育った~在日コリアン・家族の100年~」)
この写真を最初見た時、本当に鮮烈的と言うか恐かった。(見た当時、34~35歳の私だがビビった)
なので、この写真は記憶していた。
そして、もう一度この写真を機会が有れば見てみたい!!!とも思っていた私なので、今回の「大阪 生野コリアタウン」で見る事が出来てちょっと喜んだ(*^_^*)
「そして僕は日本で生まれ育った~在日コリアン・家族の100年~」って言うドキュメンタリーの中で、上にある写真を数年前に見たのだが、
私がこのドキュメンタリーを一緒に見ていた長兄(1965年生まれ)に一言言った。
私:「へぇ~、昔ってこんな横断幕が堂々と掲げられてたんやね~」って言ったら、長兄が一言。
長兄:「昔、お兄ちゃんが小学生とか中学生の時の朝鮮市場は(総連系の在日が)行って良い所と、悪い所があってん。どこそこの店から向こう側は民団の人達がいっぱい住んでいるから行ったらアカン、近寄ったら危ない」って。
そんな話しを聞いて、「へぇ~」って思う私。
朝鮮市場にそんな歴史が有ったなんて知らなかったから、結構驚いた。
でも、そうやわな。
昔、総連と民団ってホンマに仲悪かったもんな。
小学生だった俺かて、民団の人見ると、同じ民族の人やのに敵対心が結構有ったもんな。
....................
なんかね…。
このドキュメンタリーを見て、色々思うんですよ。
済州島から渡ってきた1世ハラボジ、ハルモニの孫である私なので、共感するのが多いんっすよ。
そして「在日」であるが故の悩み。
「在日」としてのこれからの「未来」
色んな思いに耽けました。
2011年に亡くなった母方のハルモニ、そして今現在ご健在なら103歳くらいであろう父方のハルモニとドキュメンタリーに出ているハルモニがダブってしまって、よぉ~~~泣きました(^_^;)
キムチチャンサ(商売)をしているハルモニ見たら、昨年(2011年)に亡くなった母方のハルモニとダブってしまって泣いた私。
ドキュメンタリーやのに、よぉ~泣いたってアリ?
まぁ~それくらい感情移入したってっちゅうこっちゃかな(^_^;)
生まれ故郷の大阪。
その中でも生野区は私にとっても別格に親しみがある町。
そして在日コリアン。
見ていて共感する所が多かったです(*^_^*)
とごまの葉(ケイッパリ)を買ってきました!(#^_^#)
明日の法事用です。
あいにく、ハンメはデイサービスの日だったので会えなくて残念でした(^。^;)
テレビに出た方と会えると、一般の方であっても、なんか有名人と会えた様な気がする私です。
法事の食材でコリアンタウンまで本当にお疲れ様で御座います~m(_ _)m