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巨樹に魅せられて

巨樹巡りを趣味としていますが、気がつくと神社巡り。その周辺の話題もココに書き留めています。

2022年春の近隣桜巡り(北関東)

2022-04-05 06:48:06 | 巨樹・巨木
新型コロナの第6波はピークアウトするも減りきらない状況の中、
今年も春が到来しました。

通勤路では3月末から桜が咲き始め、
連日、ちょっと車を止めて写真を撮りました。

カメラは最近購入した「gopro HERO 10」。
強力な手ぶれ防止を備えた“アクションカメラ”“ウエアブルカメラ”を牽引するモデルで、
広角&軽量&防水も特徴です。

2022.3.29 龍興寺(群馬県館林市)


シダレザクラが道路に並行に何本か横並びになり、
朝日を浴びて華やかな雰囲気です。

2022.3.30 多々良沼公園


人出がそれなりに多く、駐車場は混雑していました。
皆さんマスクをしながらも春を楽しんでいる様子。

2022.3.30 渡良瀬川土手の菜の花畑


桜ではありませんが、毎年春になると一面黄色に染まり、
目を楽しませてくれる場所です。

2022.3.31 尾曳稲荷神社(群馬県館林市)


境内に見事な桜の古木があります。
その生命力は強く、空に向かって枝を伸ばし、
今春も花をたくさんつけていました。

2022.3.31 両社神社(栃木県足利市)


地元の鎮守さま。
派手ではありませんが、この季節になると境内の桜が咲き誇ります。

2022.3.31 岡崎山(栃木県足利市)


近所の古墳のある丘(〜小山)。
満開の時に散策すると“桃源郷”のようです。

2022.4.1 多々良沼公園:松並木にある桜群


以前は桜並木として並んでいたのですが、
寄る年波でソメイヨシノも弱ってきたのか、
あちこちで間伐されて、“並木”ではなくなってきたのが、
少しさみしいです。

でも松並木では以下のようないろんな風景が楽しめます。




2022.4.1 茂林寺(群馬県館林市)


“分福茶釜”伝説で有名なお寺の境内に、
大きな枝垂れ桜があります。
残念ながらピークアウト。
他の桜より1週間ほど早いようです。

2022.4.2 満願寺(栃木県佐野市)


枝垂れ桜の古木が山門の近くに門番的に偉容を見せています。
満身創痍状態ではありますが、
今年も元気に花をつけてくれました。

2022.4.2 崇見寺(栃木県佐野市)


大きな枝垂れ桜。
よく管理された見事な桜で、枝垂れた花は地面につくほど。

2022.4.2 某神社(栃木県佐野市)



誰にも教えてくない秘密の場所なので、
“某神社”と記しておきます(^^)。
巨樹巡り・鎮守の森巡りをしている際に、
偶然出会った桜の古木。
「どんな花を咲かせるんだろう」
と春になるたびに10年来、通っています。
2022年はピーク直前に参拝できました。
午後の陽光を浴びた姿が神々しく、
至福のひととき。

この日は桜守りのおじさんと少し話ができました。
桜の管理は大変であるがやりがいがあり、
将来は天然記念物指定を目指している、
と熱く語ってくれました。

2022.4.2 慈眼寺(栃木県佐野市)


山寺の一本桜。
午後の陰になった山肌をバックに、
浮かび上がる姿が美しいのですが、
手元に望遠レンズがなくて諦めました。

2022.4.2 大鳥篭守神社(栃木県佐野市)


春になるとこの桜の巨木に会いに行き、
至福のひとときを過ごすのが私のルーチンです。
10年来通っていますが、
他の参拝客(カメラマン)に遭遇したのは1回だけです。

2022.4.2 鞍掛神社(栃木県佐野市)



巨木・銘木はありませんが、
神社全体で“春”という雰囲気を醸し出している、
お気に入りの鎮守の森です。

2022.4.2 尾曳稲荷神社


前回参拝時は午後遅くの曇りだったので、
晴れたこの日に再訪。
光に満ちあふれて、桜の古木も生き生きしていました。

この後は曇り〜雨の天気になり、
北関東の“近隣の桜巡り”はひとまず終了。


今、4月中旬に福島県の桜巡りを計画中です。
一本桜を中心に下調べをしていますが、
その膨大な数に驚き、
整理できずに混乱しています。
どうなることやら・・・。

街から消えていく御神木

2019-12-22 08:21:56 | 巨樹・巨木
 街中で大きな樹木を見かけると、
「ああ、あの木はいつまで切られずにいるだろう」
 と心配してしまいます。

 数百年生きてきた樹木が、人間の生活の邪魔になるという理由で切られていきます。
 一番多いのは「電線に近いから危ない」でしょうか。
 
 街中で生き残ることが可能な場所は、神社やお寺の境内くらいでしょう。
 しかしその神域・聖域でさえ、安全な場所でなくなってきています。
 そんな記事を紹介します;

信号機も隠す危ない「ご神木」 撤去しない神社の言い分
2019年9月25日 朝日新聞デジタル
 東京都八王子市にある「天満社」。学問の神様・菅原道真をまつり、北野天満社とも呼ばれ、地名の北野町の由来ともされる。その歴史ある神社が、樹木の枝葉を境内からはみ出させており、車や歩行者に接触する危険があるなどとして、国土交通省相武国道事務所と市から2017年以降計11回、文書で行政指導されていることがわかった。
 神社側は根本的に改善する気配がなく、地元の町会などは「越境樹木を放置すれば、重大な交通事故につながりかねない」と困惑している。
 天満社は京王線北野駅から徒歩3分の場所にある。現場を訪れると、北西角にある大木の枝葉が国道の上におおいかぶさるように伸び、大型トラックの荷台の上部に接触しそうになっている。信号機も枝葉に覆われて見にくい。枝葉が市道をまたいで児童館に達している場所もある。
 相武国道事務所によると、2017年に通報をきっかけに越境を確認し、18年5月に宮司に口頭で改善を求めた。今年2月、住民の訴えで再び越境を確認し、道路の構造や交通に支障を及ぼすおそれのある行為を禁じた道路法43条に抵触しているとして、2、5月に計3回、「道路占用指導書」を宮司の家族とみられる人に渡したり、宮司の自宅に投函(とうかん)したりしたが、反応はないという。
 市も17年以降、今年7月までに6回、神社側に文書でせんていを要請した。だが、市によると、宮司は3月に「樹木医に管理させているから大丈夫。境内の樹木はご神木だ」と主張し、すぐにせんていするとは明言しなかった。市側がせんていするという申し出も受け入れなかった。


 思い出すのは、日光の太郎杉。
 道路に面したスギの巨樹を残すために話し合い、人間側が譲歩して残されました(日光太郎杉事件)。

 しかし都会ではそのような雰囲気はないらしい。
 第一次産業中心で自然を恐れ感謝する地方と、
 自然と接することを忘れた都会では異なるようですね。
 もっとも、自然の驚異(地震・台風など)は場所に関係なく襲ってくる昨今ですが。

 さて、上記記事の続報です。
 この争い(?)、どのような結末を迎えるのでしょう。


はみ出すご神木「年内撤去を」 指導17回、初の期限
2019/12/21 朝日新聞デジタル
 八王子市北野町の神社「天満社」の樹木の枝葉が境内からはみ出している問題で、国土交通省相武国道事務所と東京都八王子市は、天満社に対し、12月中に越境部分を取り除くようそれぞれ文書で指導した。期限を設けずに指導してきたが、改善が見られないと判断し、初めて期限を設けた。


【写真】神社の境内(左側)から南側の市道に樹木の枝葉がおおいかぶさり、トンネルのようになっている

 相武国道事務所は、12月中の撤去を求める11月13日付の勧告書を宮司の自宅に届けた。回答がないため、12月2日に催告書を内容証明郵便で送った。
 市は12月中の撤去を求める指示書を11月27日に宮司の自宅に届けた。翌日、宮司から担当課に電話があり、「ご神木なので撤去できない」という趣旨の主張をしたという。
 天満社の越境樹木をめぐっては、相武国道事務所と市が、道路の構造や交通に支障を及ぼすおそれのある行為を禁じた道路法に抵触しているとして、2017年以降、行政指導を繰り返してきた。12月中の撤去を求める文書を含め計17回になった。
 相武国道事務所は「引き続き理解を求め、他の方策も検討していく」、市は「粘り強く指導していく。次の段階についても検討している」としている。



 神社の神域に対する日本人の心情は、昔々、西行が伊勢神宮を参拝したときに残した言葉;
なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる
 に象徴されます。

 最近、道路脇の空き地に小さな赤い簡易鳥居が立っているのを見かけますが、あれは「ゴミ捨て対策」だそうです。
 鳥居があると、日本人はゴミをポイ捨てできない、罰が当たりそう、という意識を利用した措置ですね。

 しかし、そのような意識も最近は薄れてきたようです。
 それを感じた記事を紹介します;

陸自隊員、神社の鳥居壊して不申告か 山形県警が捜査
2019/12/16 朝日新聞デジタル
 陸上自衛隊神町駐屯地(山形県東根市)の男性隊員の運転する車が今月上旬、同市内の神社の鳥居を壊す事故を起こし、警察に申告せずに立ち去ったとして、山形県警が道路交通法違反(事故不申告)の疑いで捜査していることがわかった。駐屯地は「調査中のためコメントは差し控える」としている。


【写真】柱が根元から折れ、倒れかかった木造の鳥居=山形県東根市神町東2丁目、住民提供

 神社周辺の住民らによると、4日午後10時ごろ、神社の境内に進入した車が木造の鳥居に衝突して、鳥居の柱を折った。運転していたのは第6施設大隊に所属する男性隊員で、ほかにも複数の隊員が乗っており、警察に事故を申告せず、車でその場を離れた可能性があるという。神社は駐屯地北側約500メートルにある。
 翌5日早朝、鳥居が壊れて倒れかけているのを近くの住民が発見し、110番通報した。その後、運転していたとみられる男性隊員が上司に付き添われ、地区の住民宅に謝罪に訪れたという。
 駐屯地関係者によると、男性隊員らは4日午後6時から午後9時ごろまで駐屯地外で懇親会に参加していたという。駐屯地は隊員らが事故を起こした状況やその後の経緯のほか、隊員らの飲酒の有無を調べているという。


 まあおそらく、アルコールが入っていて逃げたのだと思われますが・・・残念なエピソードです。

第32回「巨木を語ろう全国フォーラム」 in 福岡(2019.10.19/20)

2019-10-09 07:02:53 | 巨樹・巨木
 何年か前に群馬でも開催されたフォーラム。
 車で向かったものの、途中トラブルに遭遇して断念。
 それ以後も気にはなっているものの、開催地が遠いのでいまだ参加できずにいます。
 今年は九州かあ・・・無理だなあ。

巨木の魅力見つめ直す 宇美町で全国フォーラム 2019.10.19/20
2019/10/8:西日本新聞) ふくおか都市圏版 後藤 潔貴
 「巨木を語ろう全国フォーラム」が19、20の両日、宇美町立中央公民館で開かれる。環境省が1988年に実施した巨樹・巨木林調査をきっかけに、愛好者や研究者らでつくる「全国巨樹・巨木林の会」が同年から毎年各地で開いている。地域のシンボルとして親しまれたり、「パワースポット」として各地から多くの人が訪れたりする巨木の魅力とは何か。同会福岡県支部会長の佐野義明さん(81)に話を聞いた。
 「前に見たときは、上もあったんですけれどね」
 待ち合わせ場所の福岡市の中央区役所前で、佐野さんが指さした。その先に立っていたのが、巨大なイチョウの木「飯田屋敷の大銀杏(おおいちょう)」。市指定の保存樹で樹齢約400年とされる巨木だが、幹の高さ約5メートルより上部がなくなり、無数のひこばえが茂っていた。
 案内板を見ると、「枯れかかっていたため数年前から再生治療中」とのこと。50~60年後には「ひこばえが成長して、元の巨木がよみがえるはず」という説明書きも。「そのころにはもう私はおらんですなあ」。佐野さんが力なく笑った。
     ◆   ◆
 佐野さんによると、県内は温暖な気候から、クスの巨木が多いのが特徴とか。
 宇美町の宇美八幡宮には、樹齢2千年を超えるとされるクスノキの「湯蓋(ゆふた)の森」(樹高30メートル、幹回り15・7メートル)と、「衣掛(きぬかけ)の森」(樹高20メートル、幹回り20メートル)がそびえる。どちらも国指定天然記念物だ。見ているだけで圧倒されそうになる存在感。大人気のアニメ映画「となりのトトロ」で描かれた大クスのようだ。
 今回のフォーラムは32回目で、県内開催は初めて。この2本の巨木があることなどから宇美町が候補地に浮上し、来年の町制施行100周年のプレイベントとして開くことになった。
 「今も残っている巨木は先人たちが大事に守ってきたものも多く、その関わりを想像するのもおもしろい」と佐野さん。一方で、「巨木は遠い将来も立ち続けるように思われるが、意外とそうではないのです」。
 佐野さんは県内の巨木115本を紹介した「福岡県の巨樹・巨木ガイド」(梓書院)を2012年に出版。その中には、掲載後の数年間で姿を消したものもある。最近も、糸島市指定保存樹の樹齢千年超とされるイチイガシが台風の影響で倒れたばかりだ。
 永遠に続く命のように思えるが、実際は飯田屋敷の大銀杏のように力強さとはかなさを併せ持つ。それも巨木の魅力の一つだろう。佐野さんは「大会をきっかけに大勢の人に身近な巨木への関心を持ってもらえれば」と期待している。
 (後藤潔貴)
    ◇      ◇
 第32回巨木を語ろう全国フォーラムのテーマは「歴史をつなぎ、次世代につなぐ、巨木の魅力を『うみ』だそう!」。19日は午後1時からフォーラムがあり、福岡県林業技術者連絡会の福島敏彦会長が講演する。その後、パネルディスカッションがあり、佐野さんらが巨木の魅力を語り合う。農林中央金庫、福岡県森林組合連合会のベンチ寄贈などもある。20日は近郊の巨木を巡る見学会(有料)がある。問い合わせは宇美町社会教育課内実行委員会事務局=092(933)2600。

2019年9月:矢板・塩谷・大田原市の巨樹巡り

2019-10-04 06:15:24 | 巨樹・巨木
 2019年9月、夏休みに回りきれなかった栃木県中北部の巨樹巡りをしてきました。
 矢板市、塩谷町、大田原市など。
 巨樹の他に、北関東の里山の自然も十分に堪能してきました。
 回ったリストはこちら;



① 八坂神社(佐野市)
 旧葛生町の街中にある神社で、ケヤキと銀杏の巨木があるので過去にも何回か参拝したことがあります。
 今回は本堂の彫刻を目的に参拝。



② 久我神社(鹿沼市)
 里山の奥、狭い農道を入っていくと隠されたような場所にありました。
 参道にはスギの巨木が立ち並び、その最後に広く根を張るスギの巨樹。
 近づこうとしましたが、スズメバチの巣があると書いてあり、遠巻きにこわごわ写真を撮りました。
 苔生す境内は神域を感じさせ、二つある本殿の彫刻も見事でしたが、金網で保護されているので写真写りはちょっと・・・。







③ 岩戸別(いわとわけ)神社(塩谷町)
 大切にされている村の鎮守さま。
 鎮守の森は、樹齢100-200年くらいの杉林ですが、その中に何本か目立つ樹木があり、名前がついています。干支巡りもありましたね。
 一番大きなスギは、参道石段途中にあるものでした。





④ 船生(ふにゅう)のヒイラギ(塩谷町
 民家の軒先にあります。
 ヒイラギの葉はとがっているイメージがありますが、樹齢を重ねると丸い葉になります。





⑤ 伯耆根(ほうきね)神社
 高台にあり、さらに石段を200段以上登り、息が切れました。
 境内全体の鎮守の森が文化財に指定されています。
 鳥居の前にある公園は、使われていない様子で、雑草が生え放題。
 ・・・ラピュタを思い出しました。



⑥ サイカチの木(塩谷町)

⑦ 八坂神社(矢板市)
 田んぼの真ん中に大きな一本杉。
 その根元にある小さな祠が八坂神社です。境内はほとんどありません。
 ふつう、一本だけの巨木は雷に打たれて焼けてしまうことが多いのですが、このスギは生き抜いてきました。





⑧ 箒根(ほうきね)神社(矢板市)
 ⑦の八坂神社に参拝しているとき、集落の方に大きな木が見えました。根元には鳥居が見えるので神社とわかり、予定外ですが、それを目指して向かいました。
 すると、鳥居の前に対のスギの巨木が並んでいました。
 参道には石灯籠が連なり、石畳は苔生していて“神域”を感じさせる空間でした。









⑨ 大田原神社(大田原市)
 大田原市の大田原神社ですから、歴史のある立派な神社です。
 夫婦スギに会うために参拝しましたが、気づいたのはたくさんの狛犬達。
 中でも「授乳狛犬」を二つ見つけました。オオカミの眷属もいました。









⑩ 賀茂神社(大田原市)
 糸魚(いとよ)の住む清流のほとりにある鎮守の森。
 夕刻に近づき、斜めから入る光が参道をキレイに照らしていました。
 本殿裏にスギとヒノキの巨木がありました。







⑪ 大日堂(大田原市)
 街中にあるお寺の一部に樹齢800年のケヤキの古木がありました。
 ひとこと、巨大です。
 満身創痍で、長い命を終えようとしていました。



⑫ 谷中の大ケヤキ(矢板市)
 民家の軒先にある、一対のケヤキの巨樹。
 樹齢は600年ですが、伸び伸びと根と枝を伸ばして気持ちよさそう。
 よい環境に恵まれました。


現代の花咲かじいさん、和田博幸(樹木医)

2019-10-01 13:41:56 | 巨樹・巨木
プロフェッショナル仕事の流儀「桜咲く、人で咲く〜樹木医・和田博幸」(2017.6.5放送)



日本の三大桜の一つに数えられる、「山高神代桜」。
樹齢2000年ともいわれる老樹です。
瀕死状態だったこの巨樹を治療して救ったのが、樹木医の和田博幸氏。
彼を紹介する番組を見ました。

山高神代桜は、その根が寄生虫による病気に冒されていました。
また巨樹にありがちですが、観光目的で周囲を固めたり、よかれと思って行う人の処置が、かえって樹勢を衰えさせることも判明。
例えば、日光杉並木もコンクリートの側溝を造ったために、土を介した田んぼからの水の供給が絶たれ、杉が枯れていったという経緯があります。

おしなべて、樹木は根っこの周りを硬く固めてはダメなんです。

和田氏は、周囲の土をすべて入れ替える、という大胆な処置を3年かけて行いました。
そんな処置、初めて聞きました。
入れ替えた土はなんと230トン。
彼は重い責任を抱えながら実行し、その結果老樹は樹勢を取り戻したのでした。

和田氏は全国あちこちの桜に関する悩みの相談を受けたり、公園の管理プランを提案したりしているそうです。

また、たくさんの種類の桜(350種類!)を栽培しています。
咲き始めは白くて、時間がたつとピンク色に変わる樹種もあるのですね。

番組を見ていて、ソメイヨシノは大きく育つ樹木であることを知りました。
なので、街路樹として植えると、ときに大きくなりすぎて問題となってしまう例が紹介されていました。

神奈川県座間市の桜並木に面した住民が「桜害」と町にクレームを発します。
相談を受けた和田氏は、ソメイヨシノではなく、大きくならない複数の種類の桜に植え替えることを提案しました。
もちろん、ソメイヨシノもできるだけ残して。
すると、桜並木は3〜5月まで次々と花を咲かせ、住民に愛される名物の桜並木が残されました。

まさに現代の「花咲かじいさん(おじさん)」ですね。

もし私が生まれ変わって仕事を選ぶとしたら・・・
樹木医になって、全国の鎮守の森を守る仕事をしたい。


<番組内容>

百年先を、思い描く
 和田が人生をかけて向き合った桜がある。山梨県北杜市に立つ山高神代桜だ。一説に「樹齢二千年」とも語り継がれ、古くから地元の人々からあがめられてきた。しかし一時は樹勢が衰え、枯れてしまうことが危ぶまれた。16年前、復活に向けての調査と工事の施行管理などを託されたのが、和田だった。ほどなく見えてきたのは、人が「よかれ」と行ったことが、桜に大きなダメージを与えていたこと。桜を飾り立てるように囲んだ石積みは根を広げるための障害になり、巨大な幹を守るように設置した屋根は新しい根の水分補給をさまたげていた。復活させる唯一の術は、木の周囲の土をすべて入れ替えるという前代未聞の工事だけ。しかも復活の保証はない。和田は腹をくくって仕事に臨んだ。入れ替えた土の量は230トン、4年におよぶ大工事となった。
 それから11年。山高神代桜は、ひと春ごとに花の数を増やしている。百年先まで大丈夫なように土作りをしたという和田。確実な復活に向けて、これから先も気が長い取り組みが続いていく。

人と桜を、つなぐ
 大学で化学を専攻した和田は、製薬か食品関係への就職を考えていた。桜を専門とする樹木医の道に進むことになったのは、まったくの偶然。草むしりのアルバイトがきっかけだった。和田は「草むしりはとても奥深い」という。取り除く草と残す草をより分けて、丁寧に作業を続けていくうちに、山野草が咲き誇る美しい庭が出来上がる。そんな和田の仕事ぶりが目にとまり、桜の名所づくりを行う財団法人の研究員になるよう誘われた。和田はたちまち桜に魅了された。日本にある野生の桜は10品種。これを元に日本人は、じつに850品種ものさまざまな桜を作り出してきた(現存するのは350品種)。人によって作り出された桜は、人の世話なしには生きられない。そうしたことから、和田はつねに「人と桜をつなぐ」ということを意識する。桜の名所づくりを依頼されたときには、世話をするボランティアの育成もプランに入れる。樹木医が一人でできることは限られる。多くの人が関われば関わるほど、より美しい桜の名所ができると和田は言う。


もう一つ、番組内容に沿った記述も見つけました。

番組概要
 東京・赤坂。その男は誰より早く出勤し掃除などを済ませる。彼が樹木医の和田博幸。山高神代桜を和田博幸が蘇らせた。高遠城址公園には和田博幸の知恵が詰まっている。また新たな名所も生み出した。今夜は桜を巡る4つの物語。
 東京・赤坂にある和田博幸のオフィス。樹木の再生などを専門とする財団法人。研究員は6人。これまで2000箇所の桜の名所づくりに携わってきた。彼が人生をかけた桜は山梨・北斗市の山高神代桜。16年前に瀕死の状態にあった桜を復活させた。しかし山高神代桜の治療はまだ続いている。地元の樹木医の小林稔蔵との付き合いも16年になる。この春、今後に関わる重要な仕事があった。
 4月20日。3年の治療の成果を確かめる。しかし木の回復がわかる不定根を確認出来なかった。和田博幸は百年先を、思い描く信念をもって木と向き合う。山高神代桜は大正11年に国の天然記念物に指定されたが、昭和20年代に衰え始めた。復活を託された和田博幸は徹底的な調査で屋根が水分補給を妨げていたことなどを発見した。根っこが寄生虫に侵され、蘇らせる手立ては新しい環境を整えるしかなかった。間違えれば命を絶つことになる。和田博幸は覚悟を決めた。
 前代未聞の工事が始まった。細心の注意を払いながら土を取り除き、土を入れ替えた。4年に及ぶ工事となった。それから11年が経った。山高神代桜は年を追うごとに花の数を増やしてきた。100年先を見据えた和田博幸の挑戦は続く。
 樹木医・和田博幸のしごとは木を見るだけではない。この日は公園の整備プランを検討していた。彼が30年関わる名所が長野・伊那市の高遠城址公園の桜。どうやってこの絶景は守られているのか。3月下旬、開花を前に和田博幸は高遠城址公園を訪ねた。植えられるのは高遠小彼岸桜という品種。状態を注意深く観察しながら育てている。地元の桜守・稲邊謙次郎は和田博幸と桜を世話してきた。観光客が増えることで新たな問題も生まれる。
 和田博幸は通路の整備などで知恵を絞ってきた。観光客と桜の共存のプランニングを進める。4月17日。例年より遅れて高遠の桜は満開になった。例年通りの賑わい。和田博幸は観光客の動きを確認しプランを考え、将来の風景を見据える。答えが出るのは常に数十年後。
 桜を守る重要な要素は地元の人を巻き込むこと。和田博幸は横浜三ツ池公園で正しい知識を持つボランティアの育成を行った。地元の人の関わりが桜を守り、育てる。和田博幸は桜は人なしには生きられないと言う。
 今、全国各地でソメイヨシノが倒れている。樹木医の和田博幸はソメイヨシノは大きくなるが根が張れる範囲が狭いと強風などがきっかけで倒れることがあると話す。こうした事態に和田博幸は様々な策を講じてきた。その一つが日本に現存する桜の苗を育てる農場。千原桜など数にして350品種にのぼる。和田博幸は多様な桜を多様なニーズに合わせて使うのも一つだと語った。
 神奈川・座間市に桜の並木道がある。今年も恒例の桜祭りが開かれた。和田博幸がこの桜並木と関わるようになったのは10年前。地元の天白さんからのSOSがきっかけ。当時、桜並木をめぐり住民同士がギスギスしていた。かつて大きなソメイヨシノが並んでいた並木道。近所で育った岡本さんは桜並木が自慢だったと語る。しかしソメイヨシノは倒木する状態が続いた。
 幹を切ると中は空洞に。また桜に対する住民たちの不満も吹き出した。そこで住民たちは和田博幸を頼った。和田には腹案があった。並木道に植える品種を変えることを決めた。さらに開花時期の異なる品種で構成した。そして最も力を注いだのが手入れをする人材の確保だった。
 和田博幸は桜の専門家として、人と桜をつなぐことを大切にしている。4年の月日をかけ新しい緑道が完成した。植樹したのは64品種、220本。2月から5月まで必ずどこかで桜が花を咲かせている。ベンチを並べ憩いの場も作った。それは住民が納得の行く並木道となった。ソメイヨシノをあえて残したのが和田博幸のこだわり。岡本さんも家族と一緒に笑顔をこぼす。
 和田博幸は屋上庭園で、ハコベやヒメリュウキンカなどを紹介。樹木医を目指したのは大学時代に草むしりのバイトで、抜くものと残すものを判断していたことが快感だったとした。和田はすぐに全国の桜を見て回り、花を咲かせるひたむきなものがいいとし、桜は自分に喜びを与えてくれたと話した。
 長野県小布施町で、和田博幸は20年かけてつくりあげた風景があった。35歳の時に依頼され、一葉530本を4キロに渡って植えた。この桜には持ち主がいる。当時は珍しく、桜のオーナーを1口5000円で募り、地元果樹園の小林保幸さん・春代さん夫婦は子どものために真っ先にオーナーとなった。毎年3人の子どもと花見に出かけた。4月の終わりに、和田は木の状態を確認にきた。和田は桜は咲いてみて喜ばれるのが到達地点だとした。小林さんの長女は今年、社会人となったが、家族の思い出は色あせない。あゆみさんは自分の木であるのは少しうれしいとした。
 和田博幸はみんながそれぞれ思うことを集めて、まとめて形にすることだと話した。

さくら巡り2019

2019-04-07 16:57:19 | 巨樹・巨木
2019年春、近隣のさくら巡りをしてきました。
主に一本桜です。
今シーズンは咲き始めは例年より早めだったものの、寒い日が多くて桜花が長持ちした年でした。
撮影期間:2019.3.30〜4.7

⇩太山寺(栃木県栃木市)のしだれ桜
 樹齢400年の老樹ですが、とても元気で風格のある姿でした。




⇩大鳥篭守神社(栃木県佐野市)のしだれ桜
 毎年会いに行く里山奥の一本桜。ガイドブックに載っておらず、「人に教えたくない秘密の場所」のひとつです。午後の陽光に桜花が輝き、我を忘れてシャッターを押し続けました。至福の時間。


⇩龍興寺(群馬県館林市)のしだれ桜
 通勤途中にある桜で、日々の変化を楽しんでいます。


⇩西光院(栃木県佐野市)のしだれ桜
 大きなしだれ桜が2本あります。境内には樹齢400年の老木、門前にも大きなしだれ桜があり、咲くタイミングが違うんです。



⇩満願寺(栃木県佐野市)のしだれ桜
 樹齢200年の古木で、樹高15mありますが、てっぺんの当たりは花が付いていません。でも、今年は昨年より多く花を付けている印象があり、まだまだ元気そう。
 3枚目の写真は駐車場脇にあるまだ若い桜ですが、立て札には「三春の滝桜の子」と書かれていました。






⇩崇見寺(栃木県佐野市)のしだれ桜
 昨年偶然見つけた桜。樹影の美しい名木です。
 お堂に対面する枝は、しだれがカーテン状というか、すだれの様に見えます。




⇩関場(栃木県佐野市)のしだれ桜
 里山の奥の奥にある有名な桜です。何回か会いに行きましたが、なかなか満開のタイミングに会えません。


⇩佐柄見(栃木県佐野市)の桜並木
 一見、ふつうの桜並木なので、なぜみんな三脚を構えて写真を撮っているんだろう、と疑問を持ちカメラマンに話しかけて聞いてみました。
 すると、「午後遅くになると背景の山が黒く沈んで桜が明るく浮き上がるからきれいなんです、とくに桜吹雪のときは幽玄な雰囲気を醸し出します」との返答。なるほど、スポットライトを当てる舞台装置が優秀なのですねえ。


⇩頼母子薬師堂(群馬県板倉町)のしだれ桜
 幹周2.5m、樹高16m、樹齢250年。この桜が一番見物客がいました。




⇩雷電神社(群馬県館林市)の桜
 一本桜ではありませんが、桜並木と渡良瀬川土手の菜の花畑のコラボがきれいだったので・・・。








⇩西方(栃木県栃木市)のしだれ桜
 民家の庭にある風格のあるしだれ桜の古木。そのお宅がまた立派です。



茨城県北部の巨樹巡り2018

2018-07-29 11:00:33 | 巨樹・巨木
2018.7.26〜27に茨城県北部の巨樹巡りをしてきました。

旅のお供は新規購入した「Canon EOS Kiss M」(前項参照)。
EOS 80D」と同レベルの機能を持ちながら、ミラーレスというシステムのおかげでより軽く、一日中持ち歩いてもストレスになりませんでした。
私にとって究極の“旅カメラ”になりそうな気配。

雑誌「家電批評」で“神レンズ”と言われた広角レンズ(EF-M11-22mm F4-5.6 IS STM)で巨樹を撮影しまくりました。

一つ気づいたメリット。
このカメラ、“白飛び”しません!
神社の境内は暗めで、拝殿の屋根は太陽で光ってしまい、コントラストが強く“黒つぶれ&白飛び”しやすい撮影環境にもかかわらず、です。
これは「オートライティングオプティマイザ機能」のおかげと思われます。

訪問・参拝したリストは以下の通り;




1.安良川八幡宮の爺杉(高萩市)
常磐自動車道の高萩ICで降りて、まず向かったのは安良川(あらかわ)八幡宮。
ここには「爺杉」と呼ばれる巨樹(樹高40m/幹周10m/樹齢1000年、国指定天然記念物)があります。

スギの巨木に囲まれた参道は日陰でいと涼し。



到着して気がついたのは、風鈴の音。
ガラスの風鈴がたくさん鳴り響いていました。
「願い風鈴」と書かれていました。



正面へ進み、拝殿で参拝。本殿も立派です。





目的の爺杉を探すと、それは拝殿の左奥にありました。
巨大な樹影、圧倒的な存在感。
しばし見とれていました。
事前情報では「満身創痍で樹医の手が入っている」だったのですが、想像より元気そうで安心しました。






2.松岩寺の山桜(高萩市)
次の目的地である大塚神社に向かう途中で見つけた桜の巨樹。
停車して看板を読むと「松岩寺(しょうがんじ)のヤマザクラ」とありました。
ネットで検索すると「樹高25m/幹周5m/樹齢350年、県指定天然記念物」とのこと。
花が咲く春はさぞかし美しいことでしょう。






3.大塚神社のスギとモミ(高萩市)
この神社は道路に面する急峻な小山の上に鎮座しています。
地方の神社ではよくあることですが、駐車場がなくて困りました。



急峻な石段を登っていくとまず目に入るのは、参道を両側から挟み込むように屹立する2本の杉の大木です。このスギが成長すると、いずれ通れなくなってしまいそうなほど狭い。





そこを通り過ぎて振り返り、上から見下ろすと、2本の杉の枝振りがすばらしい。



境内まで登ると、モミの巨樹(樹高40m/幹周5m/樹齢500年、県指定天然記念物)が目に入りました。
空に向かって迷うことなく真っ直ぐ伸びていて気持ちいい。
ここまで育ったモミの大木に出会うことは滅多にありません。









拝殿で参拝を済まし、スギの巨樹(樹高45m/幹周6.8m/樹齢500年)を探すと、それは拝殿・本殿の裏にありました。







こちらも太い幹が空に向かって真っ直ぐ伸びていています。
スギは樹齢500年を越えると自分の重さに耐えかねて寿命を全うしますが、この巨樹はとっても元気そうです。
樹皮をペタペタと叩いてエネルギーをたっぷりいただきました。


4.猿喰のケヤキ(常陸太田市)
次に向かったのは昔の街道沿いにあるらしいケヤキの巨樹(樹高23m/幹周8.8m/樹齢550年)。
“猿喰のケヤキ”という変わった名前で、“猿喰”とは地名だそうです。
が、行けども行けどもなかなか見つかりません。
あきらめかけた頃、小さな看板を見つけました。
それも進行方向からは裏しか見えず、振り返ってはじめてわかる片面看板。
なんだか「教えたくない秘密の・・・」という雰囲気を感じ、ワクワクしながら林道を車で進むこと約5分、巨樹が悠然たる姿で迎えてくれました。
その神々しい姿に思わず息をのみました。











巨樹巡りをしていると、1回の行程でひとつくらい、このような“邂逅”を経験します。
それは下調べの段階では予想がつきません。
現地に行って、見て触って初めて体感できること。

車を降りて、写真を撮りまくり、樹皮をペタペタ触りまくりました。
巨樹のそばに「山神」と彫られた石碑がありました。



なんというか・・・いつまでもそこにいたい、という気持ちになりました。
連れ合いも同じ気持ちになったようで、「ここから離れたくないね」と二人で頷き合いました。


5.武生神社の太郎杉(常陸太田市)
「たけお」ではなく「たきゅう」と読みます。
曲がりくねった細い山道をひたすら進んでようやくたどり着ける山の神社。
1人で来るには勇気が必要な林道です。

到着し、急な石段を登ると楼門や梵鐘がありました。
神仏習合の名残でしょうか。













拝殿で参拝を済ませ、目的の巨樹を探すと、それは拝殿・本殿の裏にありました。
愛称は太郎杉(樹高35m/幹周5m/樹齢700年)。





幹の太さは樹齢に比して細身と感じましたが、枝振りが勇壮です。
それも不思議なことに、北西側だけに延びているのです。
あ、説明板に理由が書いてありましたね。
昔ここには同レベルのスギの巨木が林立しており、その一番端にあったので外側にしか枝を張れなかったようです。なるほど。








6.御岩山神社の三本スギ(日立市)
三本スギ(樹高60m/幹周8.4m/樹齢500年、県指定天然記念物)は「森の巨人たち100選」に茨城県で唯一選ばれている名木です。

「御岩山三本杉」という看板に導かれて到着したのは午後6時。
「カナカナカナ・・・」というヒグラシの鳴き声が響き渡っていました。
その巨樹は参道脇にありました。
美しい樹形。
樹高60m・・・見上げても樹冠がよく分かりませんでした。

ここでタイムリミット。
宿泊先の「水戸プラザホテル」に向かいました。
部屋が広く、街中にあってリゾートホテルのような、よい雰囲気のホテルでした。

さて2日目は、水戸市・那珂市周辺〜常陸太田市の「三浦杉」を回って帰路につく予定。


7.水戸八幡宮のオハツキイチョウ(水戸市)
本殿は国指定重要文化財だそうです。
水戸市内にありながら、境内の広さと、摂社・末社の数の多さに驚かされました。
オハツキイチョウ(樹高35m/幹周9.5m/樹齢600〜800年、国指定天然記念物)は「右近の桜」の奥、拝殿・本殿の向かって左側にありました。
生命力に溢れた威風堂々たる御神木です。
老木ですが、とくに傷んだ部位は見当たりません。

参道の脇道の先に大きな樹影を見つけ、誘われるようにそちらに向かうと「烈公御涼所」と名付けられた場所に大きなケヤキ(樹齢300年?)がありました。
「茨城百景」の一つであり、「朝日御来迎の御聖地」とのこと。


8.笠原神社のスダジイ(水戸市)
茨城大学の南に接するくらい近くにある小さな神社。
御神木であるスダジイ(樹高30m/幹周7m/樹齢500年)が大きな木陰をつくっていました。


9.清水寺のスギ(那珂市)
「きよみずでら」ではなく「しみずじ」と読むそうです。
公園内にある巨大な杉(樹高30m/幹周5.2m/樹齢500年)ですが、所属は高台にある小さなお寺のようです。
枝振りが猛々しい。
安全のためか、いくつかの枝は切られていますが、それでも迫力があります。

昔訪ねた栃木県鹿沼市の「ツボ小杉」に似ているな、と思い出しました。


10.不動院のカヤとイチョウ(那珂市)
カヤ(樹高30m/幹周5.5m/樹齢650年)は均整のとれた美しい樹形です。
葉の付き方が少し薄いかな(群馬県の「横室の大カヤ」と比べると)。
ただ、周囲に電線があるのでそれを避けての写真撮影が困難なのが玉に瑕。
イチョウ(樹高20m/幹周4.6m/樹齢300年)は枝打ちされてシンプルな形になっており、巨樹としての魅力はまだまだ・・・今後の成長に期待しましょう。


11.菅谷のカヤ(那珂市)
民家の庭の中なので、許可をいただくべく呼び鈴を鳴らしたのですが、不在のようでした。
なので写真は遠景のみ。


12.鷲神社の大杉(那珂市)
「わしじんじゃ」と読みますが、地元では親しみを込めて「おおとりさん」と呼ばれているようです。
御神木のスギ(樹高23m/幹周5.2m/樹齢500年)は境内の端、道路に近いところにありました。枝が電信柱に引っかかりそう。


13.三嶋神社のスダジイ(那珂市)
小山の上に鎮座する神社で、御神木のスダジイ(樹高19m/幹周10m/樹齢800年)は鳥居のすぐ左奥にあり、鳥居に覆い被さっています。
枝振りが複雑怪奇で、800年の歳月は樹木を別物に変化(へんげ)させてしまうようです。
鎮守の杜は広く深い印象でした。


14.若宮八幡宮のケヤキ(常陸太田市)
開けた山の中腹にある神社。
参道脇にはケヤキの巨樹がボン、ボンと林立しており圧巻です。
一番大きなケヤキ(樹高30m/幹周8.4m/樹齢500年)は、鳥居のすぐ右奥。
私が見てきたケヤキの中でも幹周が半端なく大きく、樹齢表示の500年より古いのではないでしょうか。
常陸太田市街を見渡せる、眺めのよい境内でした。


15.香仙寺のスダジイ(常陸太田市)
このスダジイ(樹高29m/幹周8.2m/樹齢不明)は葉が濃いため、樹形は確認できても枝振りが分かりません。幹周は8mもなさそうですが・・・。
このお寺には「直牒洞」(じきてつどう)という、岩をくりぬいた奥に仏様が描いてある穴が3つあります。名前の由来は了誉聖冏上人という僧侶がここで書き綴った「決疑鈔直牒」という書籍だそうです。


16.静神社のヒノキ(那珂市)
「常陸国二ノ宮」として期待して参拝したのですが・・・境内は草が生え放題で手入れが行き届かない印象でした。
ちょっと寂しい。

そして目的のヒノキの巨樹は既に枯れて切り株になっていました。
その前の御神木であった杉の巨樹は、痕跡としての樹皮が小屋に保存されていました。

境内でひとり作業をしていた庭師さんが話をしてくれました。
「自分が子どもの頃は何本か大きな御神木があったが、みんな枯れてしまった」
「大きな木が見たいのなら、すぐ近くの桂木稲荷神社へ行くといい」


17.桂木稲荷神社のムクノキ(那珂市)
庭師さんに教えてもらうまでもなく、下調べを尽くした私はこの神社を次に参拝する予定でした(^^)。
静神社のすぐ東側、畑の中にポツンと緑の塊となっており、わかりやすい。

ただ、駐車場がありません。
まあ、地方の小さな神社には基本的に駐車場はありませんが。

それから、鳥居が崩れていました。
これもちょっと寂しい。

大きな樹木が2つあり、背の高い木は目的の巨樹ではなく、背が低くて幹が太く枝がクネクネしている方が目的のムクノキ(樹高30m/幹周7.25m/樹齢900年)でした。
樹皮は枯れ気味で容易に剥がせそうな雰囲気ですが、枝の先にはたくさんの緑の葉を付けており、900年という歳月を経てもなお生命力を感じます。


18.紅畔寺のイチョウ(常陸大宮市)
桂木稲荷神社と吉田八幡神社は距離があるので、その間に差し込んだ感のあるお寺です。
ここのイチョウ(樹高35m/幹周5.6m/樹齢320年)も、枝打ちされているのかシンプルな形。


19.吉田八幡神社の三浦杉(常陸大宮市)
最後の参拝先です。
三浦杉(樹高59m/幹周10m/樹齢800年)は杉野巨木に囲まれた参道の石段を登っていくと、拝殿の手前にあります。
いや〜、よい雰囲気です。
同レベルの太さのスギの巨樹が2本、真っ直ぐ空に向かって伸びており、800年という歳月を経ても樹形が全く崩れていない名木です。
ただ、枝が落ちて危険なのか、立ち入り禁止になっていて近くまで寄れませんでした(T_T)。

巨樹撮影 = 広角 + バリアングル + 軽量 → EOS Kiss M

2018-07-29 06:10:07 | 巨樹・巨木
 私の趣味は“巨樹巡り”。
 大きな樹木は神社のご神木として残っていることが多く、言い換えると“鎮守の森巡り”ですね。
 数百年間、人間の営みを見守ってきた巨樹の側に立つと、その存在感に圧倒され、自分の悩みの小ささを知るのです。

 その巨樹を撮影するためには、広角レンズが必要です。
 標準レンズではその大きな姿が収まりきらない。
 私の希望する“広角レンズ”は24mm未満を意味します。
 コンデジで“広角”を謳っている場合、たいてい24mm相当で、それ未満は限られた機種しか存在しないのが現状です。

 それから、巨樹の存在感を伝えるには、下から見上げるアングルが適しています。
 チルト液晶は上下しか動かないので、縦長で撮りたいときは役に立ちません。
 バリアングル液晶ならこれが可能です。

 ということで、「広角レンズ+バリアングル液晶」を満たすデジカメを使用してきました。
 当時のコンデジではそのようなモデルが見つからず、デジ一眼に手を出した理由です。

 その変遷は、
Nikon D7000(2010年発売)
Canon EOS 70D(2013年発売)
Canon EOS 80D(2016年発売)
 すべてセンサーはAPS-Cですね。

 バリアングルではなくチルトですが、雨の日用のサブカメラとして、オリンパスTG850/860/870も使ってきました。
 このシリーズの売りは強力な防水機能ですが、私にとっての魅力はコンデジながら21mmからの広角レンズを装備していること。
 残念ながら2018年現在は生産終了となっています。が、Amazon価格は高騰しプレミア価格、人気があった証拠ですね。

 近年は寄る年波と運動不足のため、80Dを抱えて何時間も撮影するのが体力的にきつくなってきました。
 私は1回の撮影行で300〜500枚撮ります。
 下から見上げるアングルはしゃがむ必要があり、つまりスクワットを数百回していることになり、膝がガクガクしてきます。
 1kgを超えるカメラの重さで手首が痛くなり、集中力が落ちてくるのが自分でもわかります。

 実は今月末に遠方に出張する予定があり、半分楽しみで、半分心配。
 EOS80Dを携帯していくと“苦行”になりそうです。
 このタイミングで思い切って「+軽量」を視野に入れたデジカメを探すことにしました。

 すると、一眼レフではなくコンデジですが「Canon PowerShot SX60 HS」を見つけました。
 2014年発売のモデルですが、超望遠に人気があるらしく、あまり値崩れしていません。
 ほかにも候補になるデジカメがいくつかあったのですが、「広角レンズ+バリアングル液晶+軽量」の2つまでは満たしても、3つすべて満たすモデルはSX60 HS(650g)のみ。
 


 早速、家電量販店へ出かけ、SX60HSを探しました・・・が、見当たりません。
 店員さんを捕まえて聞くと「置いていないので取り寄せになる」とのこと。
 取り寄せ可能かどうか確認してもらうと、「メーカーはSX60HSより、最近発売されたEOS Kiss Mがお勧めだそうです」とのコメント。
 なぜかというと、「お客さんはAPS-Cのデジカメを持っているので、SX60HSの1/2.3型センサーの写真では満足できないでしょう」という読みらしい。

 EOS Kiss M ?

 頭になかったモデルです。
 「Kiss」は子どもの写真を撮るママさん達をターゲットにしたシリーズというイメージがあり、対象から無意識のうちに外していたのでした。
 展示品がありましたので手に取ってみたところ、軽い!
 ちょっとプラスチッキーですが、この軽さは感動的でした。

 帰宅して EOS Kiss M についてネットで調べてみました。
 手元にあった「家電批評」も読んでみました。

 すると、「ママさんがターゲットのミラーレス一眼入門機だけど、その機能は結構本気モード」という紹介のされ方でした。
 デジ一眼でも軽量なのは「ミラーレス」がポイントです。
 同じAPS-Cセンサーですが、EOS 80D:650g、EOS Kiss M:354g、と300gも軽い。
 記事の中で私の目を釘付けにしたのは、広角レンズ「EF-M 11-22mm F4-5.6 IS STM」の評価。
 「サイズ、値段、画質どれをとっても素晴らしい、いわゆる神レンズといえるだろう」と記載されていたのです。

 実際にこのレンズが展示してある店を探して手に取ってみると、現在使用中の広角レンズより「小さくて軽い」(220g)。
 EOS Kiss M に装着しても600g弱で、現在の1kg超え(650+385=1035g)よりとても軽く、手首負担は確実に軽減されますね。



 気がついたら、購入していました。
 希望は「EOS Kiss M ボディ+ EF-M 11-22mm」で、10万円くらいに抑えたかったのですが、「+EF-M18-150 IS STM」のズームレンズセットを買ってしまいました。
 店員さんから「“ボディのみ”は在庫がなく取り寄せになる」と言われ、すると出張に間に合わない・・・困った。
 しかたなく、望遠レンズセット+EF-M 11-22mmという内容となり、思わぬ出費となりました。

 「フルサイズセンサー+広角レンズ+バリアングル液晶」も考えましたが、これを満たす「Canon EOS 6D Mark II」は685gもあり、80Dよりさらに重い。
 将来、「フルサイズセンサー+ミラーレス」かつバリアングル液晶を満たす製品が出れば、それが私の理想のデジカメになるかもしれません。
 NikonとCanonがそれを開発中で、そろそろ発表されるのではないかという噂も・・・。
 ただ、フルサイズセンサー対応レンズは重く大きいのがふつうです。
 すると、この EOS Kiss M が私の希望を満たす究極のカメラになるのかな。

 はて、80Dの出番は?
 それなりにレンズを買い揃えてきたので、使わないわけにはいかない。
 いや、EOS Kiss M にレンズアダプターを装着すれば、すべてのキヤノン製レンズを使用できるということを知りました。
 そうか、いずれフルサイズのEOS6DⅡを手に入れればいいんだ。
 重くなるけど、三脚を使うという手もあるし。

 というわけで、結論は;

巨樹撮影 = 広角 + バリアングル + 軽量
→ EOS Kiss M

“東国三社”鎮守の杜巡り

2018-05-21 07:02:41 | 巨樹・巨木
2018.5.19-20に一泊二日で“東国三社”巡りをしてきました。
“東国三社”とは、茨城県・千葉県の境界に存在する3つの古社で「鹿島神宮」「香取神宮」「息栖神社」のこと。
その昔、お伊勢参りに行った東北の人たちが、その帰りに寄った神社だそうです。
昨今、パワースポットとして若い人の参拝者も増えてきたようですが、私の目的は鎮守の杜と御神木です。

1.鹿島神宮
潮来インターを降りて最初に向かったのが「鹿島神宮」。
本殿・拝殿のある境内にスギの巨樹が数本。
御神木で一番大きなスギは本殿裏にあり近づけませんでした。
そこから奥宮へ向かう参道にもスギの巨樹が林立し、“神域”を形成していました。
奥宮は木造の鳥居と茅葺きの拝殿からなり、「これぞ日本の神社」という雰囲気をまとっていました。
途中に鹿園もありましたね。
奥宮のさらに奥には要石があります。
予想したよりも、とってもとっても小さい。

2.息栖神社
「いきす」と読みます。
他の二つと比べると知名度は今ひとつで、境内もこぢんまりしています。
でも、私の印象はここが一番強く残りました。
参道の巨木、御神木の大きさはほかの二社にやや劣りますが、息栖神社の魅力は“鎮守の杜”を散策できることです。
緑と陽光が溢れる聖域の雰囲気をたっぷり堪能してきました。
神域なので樹木の伐採は許されず、朽ちて折れた樹木も放置され、土に帰っていくのを待っているかのよう。

3.香取神宮
駐車場から境内へ向かう途中に参道の商店街が迎えてくれます。
「歓迎」という大きな看板がちょっと・・・(^^;)。
鳥居をくぐると、参道はゆるやかな登り坂。
ちょっときつい。
それでも巨木が迎えてくれるので写真を撮りながら(=休み休み)拝殿・本殿へ向かいました。
途中、立派な門がありましたね。
仏教の影響なのでしょう。
その門をくぐると、神前結婚式を控えた花嫁さんがいました。
境内にもスギの巨木が林立し、どれが御神木なのか・・・いや全部かな。
帰りはメインの参道を外れて要石のある道を下りました。
要石は鹿島神社のそれよりちょっと大きめ。

<三社を巡って>
古くから日本人の祈りの場であった神社は、樹木も大切にされ特別な空間であることをあらためて実感しました。
私にとって一番印象に残ったのは、前述通り息栖神社です。
同行した妻は香取神宮がよかったといってます。

以上、三社巡りの速報でした。
写真が整理できたら追加掲載する予定です。

また、三社の他にも周辺の鎮守の杜巡りをし(合計20箇所)、すてきな神社にいくつも巡り会うことができました。
こちらも追って「番外編」として記載するつもりです。

屋久島“伝説の超巨大杉”

2017-08-16 08:02:55 | 巨樹・巨木
大捜索ドキュメント! 屋久島“伝説の超巨大杉”
2017年8月15日放送、NHK





<内容>
世界遺産・屋久島の象徴といえば樹齢2千年を超える縄文杉。だが、さらなる未発見の杉が存在するという『超巨大杉伝説』が密かに語り継がれている。取材班は、最新科学を駆使し大捜索に挑んだ。まずは空からレーザーを発射。森をスキャンし、巨大杉のありかを示す“宝の地図”を完成させた。続いて地元山岳ガイドと捜索隊を結成。島・最奥部の秘境へと分け入っていく。次々出現する巨大杉。最後には驚くべき巨大杉が待っていた!


屋久島には昔から地元民の間に「巨大杉伝説」が存在しました。
その一つが「縄文杉」です。
発見されたのは50年前で、古老の聞き取り調査から歩いて探した役人が見出したのでした。

すると、他にもあるのではないか?
と考えたくなります。

現代科学技術を駆使して大まかな見当をつけ、フィールドワークで突き止めるという作業が始まりました。
しかし過去に人が立ち入った地域では、大きくて形のよい巨樹は材木として伐採され尽くしていました。
その昔、屋久島の島民は年貢として杉を納め、代わりにコメをもらっていたという歴史があるのです。

杉は水分が多くなくては育たないため、尾根よりも谷を好みます。
番組スタッフは未踏の谷に焦点を当て、沢登りをして探しました。
ここはホントに日本?
と思わせる厳しい自然が行く手を阻みます。

そしてついに、縄文杉に匹敵する巨大杉にたどり着きました。
名付けて「天空杉」。
幹周12m(第2位)、樹高45m(第1位)。
多分、ボリュームでは一番。

ああ、私も現場に行ってみたい!

屋久島にはまだ未踏の地域があります。
きっと他にも巨大杉が存在し、そこでは悠久の時間がゆっくりと流れていることでしょう。