巨樹に魅せられて

巨樹巡りを趣味としていますが、気がつくと神社巡り。その周辺の話題もココに書き留めています。

「よみがえりの森、千年の村」

2018-04-07 21:12:30 | 里山
よみがえりの森、千年の村〜くにこおババの焼畑物語」(2014.12.11:NHK-BS)
 初回放送は2012.1.28、私が見たのは2014年の再放送です。



 宮崎県の山奥で、平家の落人の村として細々と命をつないできた焼畑農業を生業とする村の物語です。



 くに子おばばは「火と水と塩があれば山で生きていける」と断言しました。
 木を切って山を焼くと、燃えかすの灰は「リン、窒素、カリ」という肥料の三要素を満たす成分になるそうです。

 そこにまず、ソバの種をまきます。
 2年目はアワとヒエ。
 ヒエの種は50年保存可能。
 3年目は小豆。
 4年目は大豆。
 5年目は何も植えず、自然にお返しします。

 そして30年経つと、またそこの木を切り山を焼きます。
 なぜ30年なのか? 
 木は30年以上育つと、切り株から新芽が出にくくなるから。

 キノコは死んだ樹木の養分を吸い取って腐らせます。
 腐った樹木を虫たちが食べ糞として排泄します。
 実はその糞、リンと窒素とカリが豊富。
 つまり森の栄養になるのです。

 キノコと虫が億年の単位で繰り返してきた森の再生作業を、焼畑は一瞬のうちに成し遂げるワザなのです。
 くに子おばばは、なぜかそれを知っている。
 人間なのに・・・。

 くに子おばばは、人間は自然の一部に過ぎないと考えています。
 死んだ人間を土葬した時代、森の木の元に埋めました。
 つまり、人間でさえも樹木の栄養分。
 そうして育った巨木は信仰の対象となったのでした。


<内容>
 秘境と呼ばれる宮崎・椎葉村。森を若返らせる焼き畑農業を続ける最後の一人・椎葉クニ子さんは、土中の生き物と一体となり命を循環させる営みを続ける。その1年の記録。
 宮崎県椎葉村。その最深部の山奥に、今も夏になると山に火を放ち焼き畑を作る「おばば」椎葉クニ子さん(87)が暮らしている。焼き畑と言っても南米や東南アジアの大規模開発に使われている略奪的な焼き畑ではない。毎年焼く場所を変えながら少しずつ畑を作り、4年収穫したら放置して森に返す。そして30年周期で山全体を一巡する。それは森の豊かさを保つ営みであることを、かつては誰もが知っていた。 
 年老いる前に切られた木々は、すぐに新たな芽を出し新たな循環が始まる。人が焼き「かく乱」することで、森は若返り、畑の作物だけでなく、山菜やきのこなどさまざまな恵みを生み出す。かつては日本中が森を再生するための焼き畑を行っていたが、今もそれを続けているのは椎葉クニ子さんただ一人だ。この山で暮らすため、代々伝えられた焼き畑用の「種」を守るため。クニ子おばばは山の神に祈りを捧げて火を放ち、その恵みを日々の糧とする。草木や、土の中の生き物たちと同じように、人間が自然の循環の一部となって暮らす最後の風景がここにある。縄文以来続けられてきたという焼き畑の営みに込められた日本人の知恵を、椎葉の四季の映像と、特殊撮影を駆使して描く。

林業の現況(奈良県十津川村)

2018-04-05 14:58:04 | 林業
NNNドキュメント’18「山が動く~日本一広い村・十津川村の挑戦~」(2018.3.25:BS日テレ

 日本の国土の66%が森林で、その41%がスギ・ヒノキなどの人工林だそうです。
 戦後、国の奨励で盛んに植林が行われましたが、それが育って伐採の時期になった頃に外国からの輸入材が安価で入ってきて、国内の木を切っても採算割れで切れなくなってしまい、林業は衰退しました。
 現在でも、林業の収入の3/4が補助金によるという悲しい事実があります。

 人工林は人間が手入れをしないと荒れて災害を引き起こす危険さえあります。
 土砂崩れはスギ林に多いと聞いたことがあります。
 針葉樹は根の張り方が広葉樹より浅いので、土の把持力が弱い。
 根の張り方が少ないと、水分の保持力も少ない。

 村の96%が森林の奈良県十津川村では、林業の再生が試みられています。
 そのポイントは“機械化”。
 ヨーロッパの林業機械を導入し、作業効率を5倍以上に上げ、少人数でも成り立つようになりました。

 日本に「山とともに、樹木とともに暮らす」生活がこれからも続けることができるのか、試練の時です。
 


<番組内容>
 日本一広い村、奈良県十津川村。面積の96パーセントが山林だ。2011年9月の紀伊半島大水害で山が崩れ、13名の死者行方不明者を出した。
 「山を手入れしていれば防げたのではないか」。村を上げて林業再生の取り組みが始まった。立ち上がったのは地元の若者たち。作業効率を上げるために北欧の機械を導入し、ユーザーと直に結び付くシステムを構築した。山を守り、ともに生きる。100年後を見据えた十津川村の挑戦だ。