巨樹に魅せられて

巨樹巡りを趣味としていますが、気がつくと神社巡り。その周辺の話題もココに書き留めています。

第32回「巨木を語ろう全国フォーラム」 in 福岡(2019.10.19/20)

2019-10-09 07:02:53 | 巨樹・巨木
 何年か前に群馬でも開催されたフォーラム。
 車で向かったものの、途中トラブルに遭遇して断念。
 それ以後も気にはなっているものの、開催地が遠いのでいまだ参加できずにいます。
 今年は九州かあ・・・無理だなあ。

巨木の魅力見つめ直す 宇美町で全国フォーラム 2019.10.19/20
2019/10/8:西日本新聞) ふくおか都市圏版 後藤 潔貴
 「巨木を語ろう全国フォーラム」が19、20の両日、宇美町立中央公民館で開かれる。環境省が1988年に実施した巨樹・巨木林調査をきっかけに、愛好者や研究者らでつくる「全国巨樹・巨木林の会」が同年から毎年各地で開いている。地域のシンボルとして親しまれたり、「パワースポット」として各地から多くの人が訪れたりする巨木の魅力とは何か。同会福岡県支部会長の佐野義明さん(81)に話を聞いた。
 「前に見たときは、上もあったんですけれどね」
 待ち合わせ場所の福岡市の中央区役所前で、佐野さんが指さした。その先に立っていたのが、巨大なイチョウの木「飯田屋敷の大銀杏(おおいちょう)」。市指定の保存樹で樹齢約400年とされる巨木だが、幹の高さ約5メートルより上部がなくなり、無数のひこばえが茂っていた。
 案内板を見ると、「枯れかかっていたため数年前から再生治療中」とのこと。50~60年後には「ひこばえが成長して、元の巨木がよみがえるはず」という説明書きも。「そのころにはもう私はおらんですなあ」。佐野さんが力なく笑った。
     ◆   ◆
 佐野さんによると、県内は温暖な気候から、クスの巨木が多いのが特徴とか。
 宇美町の宇美八幡宮には、樹齢2千年を超えるとされるクスノキの「湯蓋(ゆふた)の森」(樹高30メートル、幹回り15・7メートル)と、「衣掛(きぬかけ)の森」(樹高20メートル、幹回り20メートル)がそびえる。どちらも国指定天然記念物だ。見ているだけで圧倒されそうになる存在感。大人気のアニメ映画「となりのトトロ」で描かれた大クスのようだ。
 今回のフォーラムは32回目で、県内開催は初めて。この2本の巨木があることなどから宇美町が候補地に浮上し、来年の町制施行100周年のプレイベントとして開くことになった。
 「今も残っている巨木は先人たちが大事に守ってきたものも多く、その関わりを想像するのもおもしろい」と佐野さん。一方で、「巨木は遠い将来も立ち続けるように思われるが、意外とそうではないのです」。
 佐野さんは県内の巨木115本を紹介した「福岡県の巨樹・巨木ガイド」(梓書院)を2012年に出版。その中には、掲載後の数年間で姿を消したものもある。最近も、糸島市指定保存樹の樹齢千年超とされるイチイガシが台風の影響で倒れたばかりだ。
 永遠に続く命のように思えるが、実際は飯田屋敷の大銀杏のように力強さとはかなさを併せ持つ。それも巨木の魅力の一つだろう。佐野さんは「大会をきっかけに大勢の人に身近な巨木への関心を持ってもらえれば」と期待している。
 (後藤潔貴)
    ◇      ◇
 第32回巨木を語ろう全国フォーラムのテーマは「歴史をつなぎ、次世代につなぐ、巨木の魅力を『うみ』だそう!」。19日は午後1時からフォーラムがあり、福岡県林業技術者連絡会の福島敏彦会長が講演する。その後、パネルディスカッションがあり、佐野さんらが巨木の魅力を語り合う。農林中央金庫、福岡県森林組合連合会のベンチ寄贈などもある。20日は近郊の巨木を巡る見学会(有料)がある。問い合わせは宇美町社会教育課内実行委員会事務局=092(933)2600。

2019年9月:矢板・塩谷・大田原市の巨樹巡り

2019-10-04 06:15:24 | 巨樹・巨木
 2019年9月、夏休みに回りきれなかった栃木県中北部の巨樹巡りをしてきました。
 矢板市、塩谷町、大田原市など。
 巨樹の他に、北関東の里山の自然も十分に堪能してきました。
 回ったリストはこちら;



① 八坂神社(佐野市)
 旧葛生町の街中にある神社で、ケヤキと銀杏の巨木があるので過去にも何回か参拝したことがあります。
 今回は本堂の彫刻を目的に参拝。



② 久我神社(鹿沼市)
 里山の奥、狭い農道を入っていくと隠されたような場所にありました。
 参道にはスギの巨木が立ち並び、その最後に広く根を張るスギの巨樹。
 近づこうとしましたが、スズメバチの巣があると書いてあり、遠巻きにこわごわ写真を撮りました。
 苔生す境内は神域を感じさせ、二つある本殿の彫刻も見事でしたが、金網で保護されているので写真写りはちょっと・・・。







③ 岩戸別(いわとわけ)神社(塩谷町)
 大切にされている村の鎮守さま。
 鎮守の森は、樹齢100-200年くらいの杉林ですが、その中に何本か目立つ樹木があり、名前がついています。干支巡りもありましたね。
 一番大きなスギは、参道石段途中にあるものでした。





④ 船生(ふにゅう)のヒイラギ(塩谷町
 民家の軒先にあります。
 ヒイラギの葉はとがっているイメージがありますが、樹齢を重ねると丸い葉になります。





⑤ 伯耆根(ほうきね)神社
 高台にあり、さらに石段を200段以上登り、息が切れました。
 境内全体の鎮守の森が文化財に指定されています。
 鳥居の前にある公園は、使われていない様子で、雑草が生え放題。
 ・・・ラピュタを思い出しました。



⑥ サイカチの木(塩谷町)

⑦ 八坂神社(矢板市)
 田んぼの真ん中に大きな一本杉。
 その根元にある小さな祠が八坂神社です。境内はほとんどありません。
 ふつう、一本だけの巨木は雷に打たれて焼けてしまうことが多いのですが、このスギは生き抜いてきました。





⑧ 箒根(ほうきね)神社(矢板市)
 ⑦の八坂神社に参拝しているとき、集落の方に大きな木が見えました。根元には鳥居が見えるので神社とわかり、予定外ですが、それを目指して向かいました。
 すると、鳥居の前に対のスギの巨木が並んでいました。
 参道には石灯籠が連なり、石畳は苔生していて“神域”を感じさせる空間でした。









⑨ 大田原神社(大田原市)
 大田原市の大田原神社ですから、歴史のある立派な神社です。
 夫婦スギに会うために参拝しましたが、気づいたのはたくさんの狛犬達。
 中でも「授乳狛犬」を二つ見つけました。オオカミの眷属もいました。









⑩ 賀茂神社(大田原市)
 糸魚(いとよ)の住む清流のほとりにある鎮守の森。
 夕刻に近づき、斜めから入る光が参道をキレイに照らしていました。
 本殿裏にスギとヒノキの巨木がありました。







⑪ 大日堂(大田原市)
 街中にあるお寺の一部に樹齢800年のケヤキの古木がありました。
 ひとこと、巨大です。
 満身創痍で、長い命を終えようとしていました。



⑫ 谷中の大ケヤキ(矢板市)
 民家の軒先にある、一対のケヤキの巨樹。
 樹齢は600年ですが、伸び伸びと根と枝を伸ばして気持ちよさそう。
 よい環境に恵まれました。


現代の花咲かじいさん、和田博幸(樹木医)

2019-10-01 13:41:56 | 巨樹・巨木
プロフェッショナル仕事の流儀「桜咲く、人で咲く〜樹木医・和田博幸」(2017.6.5放送)



日本の三大桜の一つに数えられる、「山高神代桜」。
樹齢2000年ともいわれる老樹です。
瀕死状態だったこの巨樹を治療して救ったのが、樹木医の和田博幸氏。
彼を紹介する番組を見ました。

山高神代桜は、その根が寄生虫による病気に冒されていました。
また巨樹にありがちですが、観光目的で周囲を固めたり、よかれと思って行う人の処置が、かえって樹勢を衰えさせることも判明。
例えば、日光杉並木もコンクリートの側溝を造ったために、土を介した田んぼからの水の供給が絶たれ、杉が枯れていったという経緯があります。

おしなべて、樹木は根っこの周りを硬く固めてはダメなんです。

和田氏は、周囲の土をすべて入れ替える、という大胆な処置を3年かけて行いました。
そんな処置、初めて聞きました。
入れ替えた土はなんと230トン。
彼は重い責任を抱えながら実行し、その結果老樹は樹勢を取り戻したのでした。

和田氏は全国あちこちの桜に関する悩みの相談を受けたり、公園の管理プランを提案したりしているそうです。

また、たくさんの種類の桜(350種類!)を栽培しています。
咲き始めは白くて、時間がたつとピンク色に変わる樹種もあるのですね。

番組を見ていて、ソメイヨシノは大きく育つ樹木であることを知りました。
なので、街路樹として植えると、ときに大きくなりすぎて問題となってしまう例が紹介されていました。

神奈川県座間市の桜並木に面した住民が「桜害」と町にクレームを発します。
相談を受けた和田氏は、ソメイヨシノではなく、大きくならない複数の種類の桜に植え替えることを提案しました。
もちろん、ソメイヨシノもできるだけ残して。
すると、桜並木は3〜5月まで次々と花を咲かせ、住民に愛される名物の桜並木が残されました。

まさに現代の「花咲かじいさん(おじさん)」ですね。

もし私が生まれ変わって仕事を選ぶとしたら・・・
樹木医になって、全国の鎮守の森を守る仕事をしたい。


<番組内容>

百年先を、思い描く
 和田が人生をかけて向き合った桜がある。山梨県北杜市に立つ山高神代桜だ。一説に「樹齢二千年」とも語り継がれ、古くから地元の人々からあがめられてきた。しかし一時は樹勢が衰え、枯れてしまうことが危ぶまれた。16年前、復活に向けての調査と工事の施行管理などを託されたのが、和田だった。ほどなく見えてきたのは、人が「よかれ」と行ったことが、桜に大きなダメージを与えていたこと。桜を飾り立てるように囲んだ石積みは根を広げるための障害になり、巨大な幹を守るように設置した屋根は新しい根の水分補給をさまたげていた。復活させる唯一の術は、木の周囲の土をすべて入れ替えるという前代未聞の工事だけ。しかも復活の保証はない。和田は腹をくくって仕事に臨んだ。入れ替えた土の量は230トン、4年におよぶ大工事となった。
 それから11年。山高神代桜は、ひと春ごとに花の数を増やしている。百年先まで大丈夫なように土作りをしたという和田。確実な復活に向けて、これから先も気が長い取り組みが続いていく。

人と桜を、つなぐ
 大学で化学を専攻した和田は、製薬か食品関係への就職を考えていた。桜を専門とする樹木医の道に進むことになったのは、まったくの偶然。草むしりのアルバイトがきっかけだった。和田は「草むしりはとても奥深い」という。取り除く草と残す草をより分けて、丁寧に作業を続けていくうちに、山野草が咲き誇る美しい庭が出来上がる。そんな和田の仕事ぶりが目にとまり、桜の名所づくりを行う財団法人の研究員になるよう誘われた。和田はたちまち桜に魅了された。日本にある野生の桜は10品種。これを元に日本人は、じつに850品種ものさまざまな桜を作り出してきた(現存するのは350品種)。人によって作り出された桜は、人の世話なしには生きられない。そうしたことから、和田はつねに「人と桜をつなぐ」ということを意識する。桜の名所づくりを依頼されたときには、世話をするボランティアの育成もプランに入れる。樹木医が一人でできることは限られる。多くの人が関われば関わるほど、より美しい桜の名所ができると和田は言う。


もう一つ、番組内容に沿った記述も見つけました。

番組概要
 東京・赤坂。その男は誰より早く出勤し掃除などを済ませる。彼が樹木医の和田博幸。山高神代桜を和田博幸が蘇らせた。高遠城址公園には和田博幸の知恵が詰まっている。また新たな名所も生み出した。今夜は桜を巡る4つの物語。
 東京・赤坂にある和田博幸のオフィス。樹木の再生などを専門とする財団法人。研究員は6人。これまで2000箇所の桜の名所づくりに携わってきた。彼が人生をかけた桜は山梨・北斗市の山高神代桜。16年前に瀕死の状態にあった桜を復活させた。しかし山高神代桜の治療はまだ続いている。地元の樹木医の小林稔蔵との付き合いも16年になる。この春、今後に関わる重要な仕事があった。
 4月20日。3年の治療の成果を確かめる。しかし木の回復がわかる不定根を確認出来なかった。和田博幸は百年先を、思い描く信念をもって木と向き合う。山高神代桜は大正11年に国の天然記念物に指定されたが、昭和20年代に衰え始めた。復活を託された和田博幸は徹底的な調査で屋根が水分補給を妨げていたことなどを発見した。根っこが寄生虫に侵され、蘇らせる手立ては新しい環境を整えるしかなかった。間違えれば命を絶つことになる。和田博幸は覚悟を決めた。
 前代未聞の工事が始まった。細心の注意を払いながら土を取り除き、土を入れ替えた。4年に及ぶ工事となった。それから11年が経った。山高神代桜は年を追うごとに花の数を増やしてきた。100年先を見据えた和田博幸の挑戦は続く。
 樹木医・和田博幸のしごとは木を見るだけではない。この日は公園の整備プランを検討していた。彼が30年関わる名所が長野・伊那市の高遠城址公園の桜。どうやってこの絶景は守られているのか。3月下旬、開花を前に和田博幸は高遠城址公園を訪ねた。植えられるのは高遠小彼岸桜という品種。状態を注意深く観察しながら育てている。地元の桜守・稲邊謙次郎は和田博幸と桜を世話してきた。観光客が増えることで新たな問題も生まれる。
 和田博幸は通路の整備などで知恵を絞ってきた。観光客と桜の共存のプランニングを進める。4月17日。例年より遅れて高遠の桜は満開になった。例年通りの賑わい。和田博幸は観光客の動きを確認しプランを考え、将来の風景を見据える。答えが出るのは常に数十年後。
 桜を守る重要な要素は地元の人を巻き込むこと。和田博幸は横浜三ツ池公園で正しい知識を持つボランティアの育成を行った。地元の人の関わりが桜を守り、育てる。和田博幸は桜は人なしには生きられないと言う。
 今、全国各地でソメイヨシノが倒れている。樹木医の和田博幸はソメイヨシノは大きくなるが根が張れる範囲が狭いと強風などがきっかけで倒れることがあると話す。こうした事態に和田博幸は様々な策を講じてきた。その一つが日本に現存する桜の苗を育てる農場。千原桜など数にして350品種にのぼる。和田博幸は多様な桜を多様なニーズに合わせて使うのも一つだと語った。
 神奈川・座間市に桜の並木道がある。今年も恒例の桜祭りが開かれた。和田博幸がこの桜並木と関わるようになったのは10年前。地元の天白さんからのSOSがきっかけ。当時、桜並木をめぐり住民同士がギスギスしていた。かつて大きなソメイヨシノが並んでいた並木道。近所で育った岡本さんは桜並木が自慢だったと語る。しかしソメイヨシノは倒木する状態が続いた。
 幹を切ると中は空洞に。また桜に対する住民たちの不満も吹き出した。そこで住民たちは和田博幸を頼った。和田には腹案があった。並木道に植える品種を変えることを決めた。さらに開花時期の異なる品種で構成した。そして最も力を注いだのが手入れをする人材の確保だった。
 和田博幸は桜の専門家として、人と桜をつなぐことを大切にしている。4年の月日をかけ新しい緑道が完成した。植樹したのは64品種、220本。2月から5月まで必ずどこかで桜が花を咲かせている。ベンチを並べ憩いの場も作った。それは住民が納得の行く並木道となった。ソメイヨシノをあえて残したのが和田博幸のこだわり。岡本さんも家族と一緒に笑顔をこぼす。
 和田博幸は屋上庭園で、ハコベやヒメリュウキンカなどを紹介。樹木医を目指したのは大学時代に草むしりのバイトで、抜くものと残すものを判断していたことが快感だったとした。和田はすぐに全国の桜を見て回り、花を咲かせるひたむきなものがいいとし、桜は自分に喜びを与えてくれたと話した。
 長野県小布施町で、和田博幸は20年かけてつくりあげた風景があった。35歳の時に依頼され、一葉530本を4キロに渡って植えた。この桜には持ち主がいる。当時は珍しく、桜のオーナーを1口5000円で募り、地元果樹園の小林保幸さん・春代さん夫婦は子どものために真っ先にオーナーとなった。毎年3人の子どもと花見に出かけた。4月の終わりに、和田は木の状態を確認にきた。和田は桜は咲いてみて喜ばれるのが到達地点だとした。小林さんの長女は今年、社会人となったが、家族の思い出は色あせない。あゆみさんは自分の木であるのは少しうれしいとした。
 和田博幸はみんながそれぞれ思うことを集めて、まとめて形にすることだと話した。