巨樹に魅せられて

巨樹巡りを趣味としていますが、気がつくと神社巡り。その周辺の話題もココに書き留めています。

「日本の凄い神木」(本田不二雄著, 2022年)

2023-03-17 07:46:38 | 
という本が昨年発行されました。

「地球の歩き方」シリーズの一冊です。
こんな風に近年、巨樹の本が出版されたり、
テレビで巨樹特集番組が組まれたり、
巨樹ファンとしてはうれしいことです。

ひとつには、
SNS(Instagram、FB、Twitter)の影響があると思います。
実数としては少ない巨樹ファンがこぞって投稿し、
知り合いになれるのです。

日本の凄い神木」(Gakken)に掲載された写真にも、
私がインスタで知り合いになった巨樹マニアの作品が入っていますし。

著者の本田氏を取材した記事が目に留まりました。
神木探偵」の著者でもあります。

気になる「木」 命感じて
 人々が神聖視 災禍生き抜いた巨樹を巡る
 ガイド本「地球の歩き方」シリーズで、全都道府県の神木や巨樹を秘話や歴史とともに紹介する「日本の凄(すご)い神木」(Gakken)が昨秋、出版された。東京23区内にも震災や戦災をくぐり抜けた巨樹はあちこちにある。この本の著者で、寺社や仏像のミステリーを探究する神仏探偵の本田不二雄さん(59)に案内され、本に収録された木を巡った。
 都営三田線白金高輪駅から徒歩五分。かつて熊本藩細川家の下屋敷があった港区高輪地区総合支所裏手の高台に「旧細川邸のシイ」(同区高輪一)はそびえ立つ。「いい。幹囲が八メートル以上あるのは相当大きいね」。本田さんは見上げながら目を細めた。
 主幹は切断されているものの、樹高は十メートル以上。一部の根が土から浮き出て、ところどころ表面の木皮も剥がれている。本田さんは「それでも周囲に若木を張り巡らせる。知られざる都心の主だ」と力を込める。意識してみると、度重なる震災、火災を乗り越えた命の力強さを、確かに感じる。だが、近隣住民らしき人は見向きもせずに、通り過ぎていった。
 本田さんによると、東京の神社や寺の境内で見かけるのはイチョウの巨木。他の木に比べ、葉や幹に水分が多く含まれるため燃えにくく、防火のために植えられたという。
 なかでも善福寺(港区元麻布一)のイチョウは圧巻。寺のホームページによると樹齢は推定七百五十年以上、都内最古の古木で、国の天然記念物の指定を受けている。根がせり上がり、乳と呼ばれる大きな気根が垂れている。
 寺によると、訪れた親鸞が立ち寄った記念に、持っていたつえを地に差したところ、枝葉が繁茂したと伝わる。一九四五年の東京大空襲で本堂が全焼した際、イチョウにもかなりの被害があったが見事に再生した。秋には見事な黄金色に輝き、見物に訪れる人も少なくない。
 東急大井町線等々力駅から徒歩十五分。閑静な住宅街の中にある善養寺(世田谷区野毛二)には、優美な大カヤがたたずんでいた。環境省のデータベースによると、樹高約二十メートル、幹回り五・四メートル。地面近くに、緑の葉をつけた枝がしだれ、幹がせりあがる。大きなうろの中には石造りの五輪の塔が奉安されていた。
 カヤには伝説がある。寺の長老真保龍敞(しんぽりゅうしょう)さん(89)の話では、寺近くの野毛大塚古墳に眠る姫が、多摩川べりのサワガニの親子を助けた際、お礼にもらったカヤの実が成長したという。
 樹齢は相当古く、高齢の大樹を枯らすまいと、年に二、三回、土を掘って栄養剤を与えている。「歴史を見てきたカヤは寺の象徴。これからも保護していかなくては」と話した。
 この本では、人々から神聖視されている全国の巨樹、神木約二百五十柱を紹介。東京二十三区内にある巨樹として、ほかに「新田神社の御神木」(大田区矢口一)も収録されている。この四柱はいずれも、災害や空襲を乗り越え、人々が何らかの形でかかわり、生き延びてきた。
 だからこそ、本田さんは言う。「身近なところに巨樹はあるし、どの木も見れば、圧倒的な命の力強さを感じられるはず。本を通じ、自分の町の、自分だけのご神木を見つけてもらえたら」
 文・山下葉月/写真・由木直子、中西祥子

なぜ人類が悠久を生きる巨樹に充足感や幸福感などを感じるのか?

2023-03-17 07:02:40 | 
という研究がなされたとの情報が耳に入りました。

「悠久巨樹と人とのつながり 環境研研究員がDB用いて世界初解明」

ポイントと感じた個所を抜粋します。

・環境研生物多様性センターが提供する「巨樹・巨木林データベース」に集積された日本列島全域の巨樹約3.9万本の大規模データを解析し、人と巨樹のつながりと駆動要因を解明。人が太さや推定樹齢といった巨樹の特性、さらにその背後に存在する気候・地理要因により駆動されている可能性を世界で初めて明らかにした。 

<仮説>
・太く、樹齢が長い巨樹ほど、信仰の対象となりやすく、固有名称を持ちやすくなる(巨樹の特性が精神的な生態系サービスに影響する)。
・気温が低く、降水量が多い地域の巨樹ほど、太く、樹齢は長くなる(マクロ生態学的プロセスが巨樹の性質に影響を与える)。
・分布する緯度や標高、年平均気温や降水量の違いが、巨樹の信仰の対象となりやすさと固有名称の持ちやすさに影響を与える(マクロ生態学的プロセスが精神的な生態系サービスに影響を与える)。 

<分析結果>
・幹周囲長は推定樹齢と年間降水量から正の影響、緯度・標高と年平均気温に負の影響を受け、また、推定樹齢は年平均気温から負の影響を受けていた。
・信仰の対象となる確率と固有名称を持つ確率は、いずれも幹周囲長と巨樹の樹齢の両方と正の相関があり、「太く、推定樹齢が長いほど、名前を持ちやすく、信仰の対象となりやすい」ことがわかった。
・信仰の対象となる確率は、緯度と正の相関があり、年平均気温と年降水量と負の相関が確認され、「気温が低く、雨が少なく、より北に分布するほど、信仰されやすい」ことが判明。
・固有名称を持つ確率は、緯度、標高、年平均気温と正の相関、年降水量と負の相関が示されたことから、「気温が暖かく、雨が少なく、標高が高く、より北に分布するほど、名前を持ちやすい」といったことも明らかとなった。  

まあ、巨樹巡りをして居て実感される結果ですね。

2022年春の近隣桜巡り(北関東)

2022-04-05 06:48:06 | 巨樹・巨木
新型コロナの第6波はピークアウトするも減りきらない状況の中、
今年も春が到来しました。

通勤路では3月末から桜が咲き始め、
連日、ちょっと車を止めて写真を撮りました。

カメラは最近購入した「gopro HERO 10」。
強力な手ぶれ防止を備えた“アクションカメラ”“ウエアブルカメラ”を牽引するモデルで、
広角&軽量&防水も特徴です。

2022.3.29 龍興寺(群馬県館林市)


シダレザクラが道路に並行に何本か横並びになり、
朝日を浴びて華やかな雰囲気です。

2022.3.30 多々良沼公園


人出がそれなりに多く、駐車場は混雑していました。
皆さんマスクをしながらも春を楽しんでいる様子。

2022.3.30 渡良瀬川土手の菜の花畑


桜ではありませんが、毎年春になると一面黄色に染まり、
目を楽しませてくれる場所です。

2022.3.31 尾曳稲荷神社(群馬県館林市)


境内に見事な桜の古木があります。
その生命力は強く、空に向かって枝を伸ばし、
今春も花をたくさんつけていました。

2022.3.31 両社神社(栃木県足利市)


地元の鎮守さま。
派手ではありませんが、この季節になると境内の桜が咲き誇ります。

2022.3.31 岡崎山(栃木県足利市)


近所の古墳のある丘(〜小山)。
満開の時に散策すると“桃源郷”のようです。

2022.4.1 多々良沼公園:松並木にある桜群


以前は桜並木として並んでいたのですが、
寄る年波でソメイヨシノも弱ってきたのか、
あちこちで間伐されて、“並木”ではなくなってきたのが、
少しさみしいです。

でも松並木では以下のようないろんな風景が楽しめます。




2022.4.1 茂林寺(群馬県館林市)


“分福茶釜”伝説で有名なお寺の境内に、
大きな枝垂れ桜があります。
残念ながらピークアウト。
他の桜より1週間ほど早いようです。

2022.4.2 満願寺(栃木県佐野市)


枝垂れ桜の古木が山門の近くに門番的に偉容を見せています。
満身創痍状態ではありますが、
今年も元気に花をつけてくれました。

2022.4.2 崇見寺(栃木県佐野市)


大きな枝垂れ桜。
よく管理された見事な桜で、枝垂れた花は地面につくほど。

2022.4.2 某神社(栃木県佐野市)



誰にも教えてくない秘密の場所なので、
“某神社”と記しておきます(^^)。
巨樹巡り・鎮守の森巡りをしている際に、
偶然出会った桜の古木。
「どんな花を咲かせるんだろう」
と春になるたびに10年来、通っています。
2022年はピーク直前に参拝できました。
午後の陽光を浴びた姿が神々しく、
至福のひととき。

この日は桜守りのおじさんと少し話ができました。
桜の管理は大変であるがやりがいがあり、
将来は天然記念物指定を目指している、
と熱く語ってくれました。

2022.4.2 慈眼寺(栃木県佐野市)


山寺の一本桜。
午後の陰になった山肌をバックに、
浮かび上がる姿が美しいのですが、
手元に望遠レンズがなくて諦めました。

2022.4.2 大鳥篭守神社(栃木県佐野市)


春になるとこの桜の巨木に会いに行き、
至福のひとときを過ごすのが私のルーチンです。
10年来通っていますが、
他の参拝客(カメラマン)に遭遇したのは1回だけです。

2022.4.2 鞍掛神社(栃木県佐野市)



巨木・銘木はありませんが、
神社全体で“春”という雰囲気を醸し出している、
お気に入りの鎮守の森です。

2022.4.2 尾曳稲荷神社


前回参拝時は午後遅くの曇りだったので、
晴れたこの日に再訪。
光に満ちあふれて、桜の古木も生き生きしていました。

この後は曇り〜雨の天気になり、
北関東の“近隣の桜巡り”はひとまず終了。


今、4月中旬に福島県の桜巡りを計画中です。
一本桜を中心に下調べをしていますが、
その膨大な数に驚き、
整理できずに混乱しています。
どうなることやら・・・。

防水&広角&軽量カメラを突き詰めて、たどり着いたのは・・・GoPro10

2022-03-06 06:34:38 | 
巨樹巡りを趣味とする私がカメラに求める性能は・・・
□ 広角
□ バリアングル
□ 防水
がベスト3。アラ還の私には、
□ 軽量
も重要です。

大きな木を目の前にしたときの迫力感は、
ふつうのレンズ・画角では捉えきれません。

なので、巨樹撮影のためのカメラ探しは、
広角カメラ探しの旅でもありました。

コンデジでは限界がありますが、
昔のオリンパスの防水コンデジがこの目的に合いました。

■ オリンパス STYLUS TG-870 Tough


広角側で焦点距離が21mm(35mmカメラ換算)とコンデジでは最高レベル、
かつ防水という条件も満たしています。
唯一、液晶モニタがバリアングルではなくチルト式なのが残念。
2016年の発売なので画質はそれなり、
現在は販売終了し、新品は手に入りません。

最近は雨の時は出かけなくなりましたが、
以前まだアクティブだった頃は“雨天決行”でときどき出番がありました。

それ以降は、一眼レフカメラに触手を伸ばしました。

■ ニコン D5100(2011年発売)
■ キャノン 80D(2016年発売)

という入門機・初級者向けカメラから始まり、
寄る年波でカメラを重く感じ始めたため、一時期コンデジ(ネオ一眼?)の

■ キャノン PowerShot SX70 HS

に寄り道したものの画質に満足できず、
ミラーレス一眼&バリアングルの、

■ キャノンEOS Kiss M

にたどり着きました。
これで一件落着と思われたのですが・・・
しかしキャノンは色のりが今ひとつで、
ネットにアップするには加工が必要なため、
発色が鮮やで“撮って出し”が可能な

■ フジ X-S10(2020年発売)

に変更。
フジの“Velvia”画質には満足したものの、
別売りの広角レンズを装着するとちょっと重い(^^;)。

そして唯一の弱点“防水”という課題が残りました。
一眼レフで防水機能を求めると、
どうしても重くなってしまうジレンマがあり、
なかなか私の理想のカメラに出会うことができません。

以上、巨樹用カメラを捜す旅は10年以上続いています。

さて、2022年4月に福島県の桜巡りを計画中です。
日程が決まると、心配なのがやはり天気。
雨天のことも考えて、やはり防水カメラが欲しい・・・

そんなタイミングで、
インスタにアップされていた印象的な巨樹写真が目にとまりました。
発色が鮮やか、かつ広角でダイナミックに巨樹の姿を捉えています。
撮影機種を見ると「gopro9」とあります。

gopro?

初めて聞く機種名。
調べてみると、私の守備範囲外の“アクションカメラ”という分野でした。
スポーツ時に身につけて(ウェラブル)動画を撮ることに特化したカメラで、
「小型・防水・強力な手ぶれ機能」
が特徴です。
かつ、基本的に広角。
GoProの画角(対角)は約170°に広がり、
焦点距離を35mmフイルムカメラに換算すると16mm程度に相当、
とのこと。

んんっ!
これって私がカメラに求めている機能に一致するではありませんか!

「gopro」について調べたところ、
手のひらに収まる小ささのため、さすがにバリアングルモニタはありません。
でも、gopro9 から前面モニタが装着されています。
かつ、スマホとの wifi 連携が標準の使用法なので、
手元のスマホ画面を見てシャッターを切ることも可能のようです。

知れば知るほど欲しくなり、
とうとう2022年3月1日にカトー電機で「gopro10」を購入。



結構値が張るので併売している前モデルの「gopro8」「gopro9」と迷いました。
静止画の画素数が徐々に上がってきているので、最新モデルを選びました。

しかし私はスギ花粉症なので、しばらく外で活動できません。
現在屋内で撮影の練習中です(^^;)。


目撃!にっぽん「空師〜吉野の山に生かされて」

2020-12-07 13:53:45 | 
林業は山の樹木を切る仕事。
第二次世界大戦後に外国材が安く輸入されるようになり、
材木の価格は1/4に、
林業従事者は1/5に減ってしまったといいます。
衰退の一途と言わざるを得ません。

そんな厳しい状況下、
現在も木を切ることを生業にしている人たちがいます。

中でも巨木・大木の伐採を専門とするのが「空師」と呼ばれる職人たちです。
樹高数十mの巨木に登り、
木材としての価値を落とさぬよう計算して効率よく伐採するスキルは、
江戸時代から伝わる伝統術。

そんな彼らを取材したNHKの番組を見つけましたので紹介します。


そびえ立つ木に登り伐採する「空師」。ロープを巧みに操りさまざまな体勢でチェーンソーを扱う職人だ。奈良県吉野地方の空師・中平武さんに密着。山奥に眠る巨木に挑む。 日本屈指の林業の地、奈良吉野で一目置かれる空師・中平武さん43歳。そびえ立つ木に登り伐採する職人だ。技術を極めることで廃れゆく林業を活性化したいと空師を志した中平さん、この秋挑んだのは空師の技を用いなければ切ることのできない山奥の樹齢200年を越える巨大なとちの木。共に伐採に立ち向かったのは背中を追い続けてきた父。予想もしない試練の連続。空師の誇りをかけた挑戦の結末は。知られざる大和の空師の物語。



現代の「空師」はロープを巧みに操り、
チェーンソーを駆使して巨木を伐採します。

そのバリエーションと言っていいのかわかりませんが、
枝打ち師」という職人もいます。

京都の北山杉は真っ直ぐな材木です。
その樹形を整えるために不必要な枝を伐採(枝打ち)する必要があります。

それを担うのが「枝打ち師」。
こちらは命綱たるロープを使いません。
下に降りてまた登ると仕事の効率が悪いので、
木から木へ、樹上を飛び移ります。
木を自ら揺らして隣の木に飛び移る様は、
サーカスレベルの職人芸。

今から30年前、
とあるマンガにこの「枝打ち師」が描かれており、
その時初めて知りました。
その民話の世界のようなストーリーと絵に惹かれましたが、
今となってはマンガの名前も作者も忘却の彼方。
ああ、また読んでみたいなあ。


<番組ディレクターから>
【この番組を企画したきっかけは】
  以前、別の番組で取材をさせていただいたことがきっかけでした。ひとつの木を植えてから、商品として切りだすまでにかかる時間は100年以上。自分の代だけでなく、自分の前の世代、そして後の世代にも思いをはせながら仕事をする、林業ならではの仕事観に感銘を受け、より深く取材したいと思っていました。そんな折に、中平さんからお聞きしたのが、「空師」の仕事の話。地上での伐採でも大迫力なのに、木の上での伐採はいったいどんなものなのか。再びの取材をお願いし、番組の企画に至りました。

 【制作でこだわった点、もしくは、苦労した点】 
 制作で一番大変だったのは、ロケで中平さんたちについていくことです(笑)普段から山で仕事をする彼らはどんな傾斜でもやすやすと歩きますが、我々クルー(特に私)はついていくのに精一杯。筋肉痛と日々戦いながらも、中平さんたちから手厚くフォローいただき、なんとかロケを完遂できました。山奥で初めてのテント泊をしたことは、個人的にも一生忘れられない思い出になりました。 

【取材をする中で印象に残った言葉】 
「俺らは吉野の歴史の中のほんの一部分やから」、その言葉が深く印象に残りました。自分自身、これまでの人生で自分の人生と何かの歴史が紐付いていると感じたことは全くなかったので、木や山を通してその土地の歴史の一部分に自分がいるという感覚をもつ中平さんたちの生き方に非常に心惹かれるものがありました。普段生活していると、自分のことでいっぱいいっぱいになってしまうのですが、もっと大きなものに目を向けたら(それが自分にとって何なのかはまだ分かりませんが)違う世界が見えるのかもしれないと考えさせられました。

街から消えていく御神木

2019-12-22 08:21:56 | 巨樹・巨木
 街中で大きな樹木を見かけると、
「ああ、あの木はいつまで切られずにいるだろう」
 と心配してしまいます。

 数百年生きてきた樹木が、人間の生活の邪魔になるという理由で切られていきます。
 一番多いのは「電線に近いから危ない」でしょうか。
 
 街中で生き残ることが可能な場所は、神社やお寺の境内くらいでしょう。
 しかしその神域・聖域でさえ、安全な場所でなくなってきています。
 そんな記事を紹介します;

信号機も隠す危ない「ご神木」 撤去しない神社の言い分
2019年9月25日 朝日新聞デジタル
 東京都八王子市にある「天満社」。学問の神様・菅原道真をまつり、北野天満社とも呼ばれ、地名の北野町の由来ともされる。その歴史ある神社が、樹木の枝葉を境内からはみ出させており、車や歩行者に接触する危険があるなどとして、国土交通省相武国道事務所と市から2017年以降計11回、文書で行政指導されていることがわかった。
 神社側は根本的に改善する気配がなく、地元の町会などは「越境樹木を放置すれば、重大な交通事故につながりかねない」と困惑している。
 天満社は京王線北野駅から徒歩3分の場所にある。現場を訪れると、北西角にある大木の枝葉が国道の上におおいかぶさるように伸び、大型トラックの荷台の上部に接触しそうになっている。信号機も枝葉に覆われて見にくい。枝葉が市道をまたいで児童館に達している場所もある。
 相武国道事務所によると、2017年に通報をきっかけに越境を確認し、18年5月に宮司に口頭で改善を求めた。今年2月、住民の訴えで再び越境を確認し、道路の構造や交通に支障を及ぼすおそれのある行為を禁じた道路法43条に抵触しているとして、2、5月に計3回、「道路占用指導書」を宮司の家族とみられる人に渡したり、宮司の自宅に投函(とうかん)したりしたが、反応はないという。
 市も17年以降、今年7月までに6回、神社側に文書でせんていを要請した。だが、市によると、宮司は3月に「樹木医に管理させているから大丈夫。境内の樹木はご神木だ」と主張し、すぐにせんていするとは明言しなかった。市側がせんていするという申し出も受け入れなかった。


 思い出すのは、日光の太郎杉。
 道路に面したスギの巨樹を残すために話し合い、人間側が譲歩して残されました(日光太郎杉事件)。

 しかし都会ではそのような雰囲気はないらしい。
 第一次産業中心で自然を恐れ感謝する地方と、
 自然と接することを忘れた都会では異なるようですね。
 もっとも、自然の驚異(地震・台風など)は場所に関係なく襲ってくる昨今ですが。

 さて、上記記事の続報です。
 この争い(?)、どのような結末を迎えるのでしょう。


はみ出すご神木「年内撤去を」 指導17回、初の期限
2019/12/21 朝日新聞デジタル
 八王子市北野町の神社「天満社」の樹木の枝葉が境内からはみ出している問題で、国土交通省相武国道事務所と東京都八王子市は、天満社に対し、12月中に越境部分を取り除くようそれぞれ文書で指導した。期限を設けずに指導してきたが、改善が見られないと判断し、初めて期限を設けた。


【写真】神社の境内(左側)から南側の市道に樹木の枝葉がおおいかぶさり、トンネルのようになっている

 相武国道事務所は、12月中の撤去を求める11月13日付の勧告書を宮司の自宅に届けた。回答がないため、12月2日に催告書を内容証明郵便で送った。
 市は12月中の撤去を求める指示書を11月27日に宮司の自宅に届けた。翌日、宮司から担当課に電話があり、「ご神木なので撤去できない」という趣旨の主張をしたという。
 天満社の越境樹木をめぐっては、相武国道事務所と市が、道路の構造や交通に支障を及ぼすおそれのある行為を禁じた道路法に抵触しているとして、2017年以降、行政指導を繰り返してきた。12月中の撤去を求める文書を含め計17回になった。
 相武国道事務所は「引き続き理解を求め、他の方策も検討していく」、市は「粘り強く指導していく。次の段階についても検討している」としている。



 神社の神域に対する日本人の心情は、昔々、西行が伊勢神宮を参拝したときに残した言葉;
なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる
 に象徴されます。

 最近、道路脇の空き地に小さな赤い簡易鳥居が立っているのを見かけますが、あれは「ゴミ捨て対策」だそうです。
 鳥居があると、日本人はゴミをポイ捨てできない、罰が当たりそう、という意識を利用した措置ですね。

 しかし、そのような意識も最近は薄れてきたようです。
 それを感じた記事を紹介します;

陸自隊員、神社の鳥居壊して不申告か 山形県警が捜査
2019/12/16 朝日新聞デジタル
 陸上自衛隊神町駐屯地(山形県東根市)の男性隊員の運転する車が今月上旬、同市内の神社の鳥居を壊す事故を起こし、警察に申告せずに立ち去ったとして、山形県警が道路交通法違反(事故不申告)の疑いで捜査していることがわかった。駐屯地は「調査中のためコメントは差し控える」としている。


【写真】柱が根元から折れ、倒れかかった木造の鳥居=山形県東根市神町東2丁目、住民提供

 神社周辺の住民らによると、4日午後10時ごろ、神社の境内に進入した車が木造の鳥居に衝突して、鳥居の柱を折った。運転していたのは第6施設大隊に所属する男性隊員で、ほかにも複数の隊員が乗っており、警察に事故を申告せず、車でその場を離れた可能性があるという。神社は駐屯地北側約500メートルにある。
 翌5日早朝、鳥居が壊れて倒れかけているのを近くの住民が発見し、110番通報した。その後、運転していたとみられる男性隊員が上司に付き添われ、地区の住民宅に謝罪に訪れたという。
 駐屯地関係者によると、男性隊員らは4日午後6時から午後9時ごろまで駐屯地外で懇親会に参加していたという。駐屯地は隊員らが事故を起こした状況やその後の経緯のほか、隊員らの飲酒の有無を調べているという。


 まあおそらく、アルコールが入っていて逃げたのだと思われますが・・・残念なエピソードです。

第32回「巨木を語ろう全国フォーラム」 in 福岡(2019.10.19/20)

2019-10-09 07:02:53 | 巨樹・巨木
 何年か前に群馬でも開催されたフォーラム。
 車で向かったものの、途中トラブルに遭遇して断念。
 それ以後も気にはなっているものの、開催地が遠いのでいまだ参加できずにいます。
 今年は九州かあ・・・無理だなあ。

巨木の魅力見つめ直す 宇美町で全国フォーラム 2019.10.19/20
2019/10/8:西日本新聞) ふくおか都市圏版 後藤 潔貴
 「巨木を語ろう全国フォーラム」が19、20の両日、宇美町立中央公民館で開かれる。環境省が1988年に実施した巨樹・巨木林調査をきっかけに、愛好者や研究者らでつくる「全国巨樹・巨木林の会」が同年から毎年各地で開いている。地域のシンボルとして親しまれたり、「パワースポット」として各地から多くの人が訪れたりする巨木の魅力とは何か。同会福岡県支部会長の佐野義明さん(81)に話を聞いた。
 「前に見たときは、上もあったんですけれどね」
 待ち合わせ場所の福岡市の中央区役所前で、佐野さんが指さした。その先に立っていたのが、巨大なイチョウの木「飯田屋敷の大銀杏(おおいちょう)」。市指定の保存樹で樹齢約400年とされる巨木だが、幹の高さ約5メートルより上部がなくなり、無数のひこばえが茂っていた。
 案内板を見ると、「枯れかかっていたため数年前から再生治療中」とのこと。50~60年後には「ひこばえが成長して、元の巨木がよみがえるはず」という説明書きも。「そのころにはもう私はおらんですなあ」。佐野さんが力なく笑った。
     ◆   ◆
 佐野さんによると、県内は温暖な気候から、クスの巨木が多いのが特徴とか。
 宇美町の宇美八幡宮には、樹齢2千年を超えるとされるクスノキの「湯蓋(ゆふた)の森」(樹高30メートル、幹回り15・7メートル)と、「衣掛(きぬかけ)の森」(樹高20メートル、幹回り20メートル)がそびえる。どちらも国指定天然記念物だ。見ているだけで圧倒されそうになる存在感。大人気のアニメ映画「となりのトトロ」で描かれた大クスのようだ。
 今回のフォーラムは32回目で、県内開催は初めて。この2本の巨木があることなどから宇美町が候補地に浮上し、来年の町制施行100周年のプレイベントとして開くことになった。
 「今も残っている巨木は先人たちが大事に守ってきたものも多く、その関わりを想像するのもおもしろい」と佐野さん。一方で、「巨木は遠い将来も立ち続けるように思われるが、意外とそうではないのです」。
 佐野さんは県内の巨木115本を紹介した「福岡県の巨樹・巨木ガイド」(梓書院)を2012年に出版。その中には、掲載後の数年間で姿を消したものもある。最近も、糸島市指定保存樹の樹齢千年超とされるイチイガシが台風の影響で倒れたばかりだ。
 永遠に続く命のように思えるが、実際は飯田屋敷の大銀杏のように力強さとはかなさを併せ持つ。それも巨木の魅力の一つだろう。佐野さんは「大会をきっかけに大勢の人に身近な巨木への関心を持ってもらえれば」と期待している。
 (後藤潔貴)
    ◇      ◇
 第32回巨木を語ろう全国フォーラムのテーマは「歴史をつなぎ、次世代につなぐ、巨木の魅力を『うみ』だそう!」。19日は午後1時からフォーラムがあり、福岡県林業技術者連絡会の福島敏彦会長が講演する。その後、パネルディスカッションがあり、佐野さんらが巨木の魅力を語り合う。農林中央金庫、福岡県森林組合連合会のベンチ寄贈などもある。20日は近郊の巨木を巡る見学会(有料)がある。問い合わせは宇美町社会教育課内実行委員会事務局=092(933)2600。

2019年9月:矢板・塩谷・大田原市の巨樹巡り

2019-10-04 06:15:24 | 巨樹・巨木
 2019年9月、夏休みに回りきれなかった栃木県中北部の巨樹巡りをしてきました。
 矢板市、塩谷町、大田原市など。
 巨樹の他に、北関東の里山の自然も十分に堪能してきました。
 回ったリストはこちら;



① 八坂神社(佐野市)
 旧葛生町の街中にある神社で、ケヤキと銀杏の巨木があるので過去にも何回か参拝したことがあります。
 今回は本堂の彫刻を目的に参拝。



② 久我神社(鹿沼市)
 里山の奥、狭い農道を入っていくと隠されたような場所にありました。
 参道にはスギの巨木が立ち並び、その最後に広く根を張るスギの巨樹。
 近づこうとしましたが、スズメバチの巣があると書いてあり、遠巻きにこわごわ写真を撮りました。
 苔生す境内は神域を感じさせ、二つある本殿の彫刻も見事でしたが、金網で保護されているので写真写りはちょっと・・・。







③ 岩戸別(いわとわけ)神社(塩谷町)
 大切にされている村の鎮守さま。
 鎮守の森は、樹齢100-200年くらいの杉林ですが、その中に何本か目立つ樹木があり、名前がついています。干支巡りもありましたね。
 一番大きなスギは、参道石段途中にあるものでした。





④ 船生(ふにゅう)のヒイラギ(塩谷町
 民家の軒先にあります。
 ヒイラギの葉はとがっているイメージがありますが、樹齢を重ねると丸い葉になります。





⑤ 伯耆根(ほうきね)神社
 高台にあり、さらに石段を200段以上登り、息が切れました。
 境内全体の鎮守の森が文化財に指定されています。
 鳥居の前にある公園は、使われていない様子で、雑草が生え放題。
 ・・・ラピュタを思い出しました。



⑥ サイカチの木(塩谷町)

⑦ 八坂神社(矢板市)
 田んぼの真ん中に大きな一本杉。
 その根元にある小さな祠が八坂神社です。境内はほとんどありません。
 ふつう、一本だけの巨木は雷に打たれて焼けてしまうことが多いのですが、このスギは生き抜いてきました。





⑧ 箒根(ほうきね)神社(矢板市)
 ⑦の八坂神社に参拝しているとき、集落の方に大きな木が見えました。根元には鳥居が見えるので神社とわかり、予定外ですが、それを目指して向かいました。
 すると、鳥居の前に対のスギの巨木が並んでいました。
 参道には石灯籠が連なり、石畳は苔生していて“神域”を感じさせる空間でした。









⑨ 大田原神社(大田原市)
 大田原市の大田原神社ですから、歴史のある立派な神社です。
 夫婦スギに会うために参拝しましたが、気づいたのはたくさんの狛犬達。
 中でも「授乳狛犬」を二つ見つけました。オオカミの眷属もいました。









⑩ 賀茂神社(大田原市)
 糸魚(いとよ)の住む清流のほとりにある鎮守の森。
 夕刻に近づき、斜めから入る光が参道をキレイに照らしていました。
 本殿裏にスギとヒノキの巨木がありました。







⑪ 大日堂(大田原市)
 街中にあるお寺の一部に樹齢800年のケヤキの古木がありました。
 ひとこと、巨大です。
 満身創痍で、長い命を終えようとしていました。



⑫ 谷中の大ケヤキ(矢板市)
 民家の軒先にある、一対のケヤキの巨樹。
 樹齢は600年ですが、伸び伸びと根と枝を伸ばして気持ちよさそう。
 よい環境に恵まれました。


現代の花咲かじいさん、和田博幸(樹木医)

2019-10-01 13:41:56 | 巨樹・巨木
プロフェッショナル仕事の流儀「桜咲く、人で咲く〜樹木医・和田博幸」(2017.6.5放送)



日本の三大桜の一つに数えられる、「山高神代桜」。
樹齢2000年ともいわれる老樹です。
瀕死状態だったこの巨樹を治療して救ったのが、樹木医の和田博幸氏。
彼を紹介する番組を見ました。

山高神代桜は、その根が寄生虫による病気に冒されていました。
また巨樹にありがちですが、観光目的で周囲を固めたり、よかれと思って行う人の処置が、かえって樹勢を衰えさせることも判明。
例えば、日光杉並木もコンクリートの側溝を造ったために、土を介した田んぼからの水の供給が絶たれ、杉が枯れていったという経緯があります。

おしなべて、樹木は根っこの周りを硬く固めてはダメなんです。

和田氏は、周囲の土をすべて入れ替える、という大胆な処置を3年かけて行いました。
そんな処置、初めて聞きました。
入れ替えた土はなんと230トン。
彼は重い責任を抱えながら実行し、その結果老樹は樹勢を取り戻したのでした。

和田氏は全国あちこちの桜に関する悩みの相談を受けたり、公園の管理プランを提案したりしているそうです。

また、たくさんの種類の桜(350種類!)を栽培しています。
咲き始めは白くて、時間がたつとピンク色に変わる樹種もあるのですね。

番組を見ていて、ソメイヨシノは大きく育つ樹木であることを知りました。
なので、街路樹として植えると、ときに大きくなりすぎて問題となってしまう例が紹介されていました。

神奈川県座間市の桜並木に面した住民が「桜害」と町にクレームを発します。
相談を受けた和田氏は、ソメイヨシノではなく、大きくならない複数の種類の桜に植え替えることを提案しました。
もちろん、ソメイヨシノもできるだけ残して。
すると、桜並木は3〜5月まで次々と花を咲かせ、住民に愛される名物の桜並木が残されました。

まさに現代の「花咲かじいさん(おじさん)」ですね。

もし私が生まれ変わって仕事を選ぶとしたら・・・
樹木医になって、全国の鎮守の森を守る仕事をしたい。


<番組内容>

百年先を、思い描く
 和田が人生をかけて向き合った桜がある。山梨県北杜市に立つ山高神代桜だ。一説に「樹齢二千年」とも語り継がれ、古くから地元の人々からあがめられてきた。しかし一時は樹勢が衰え、枯れてしまうことが危ぶまれた。16年前、復活に向けての調査と工事の施行管理などを託されたのが、和田だった。ほどなく見えてきたのは、人が「よかれ」と行ったことが、桜に大きなダメージを与えていたこと。桜を飾り立てるように囲んだ石積みは根を広げるための障害になり、巨大な幹を守るように設置した屋根は新しい根の水分補給をさまたげていた。復活させる唯一の術は、木の周囲の土をすべて入れ替えるという前代未聞の工事だけ。しかも復活の保証はない。和田は腹をくくって仕事に臨んだ。入れ替えた土の量は230トン、4年におよぶ大工事となった。
 それから11年。山高神代桜は、ひと春ごとに花の数を増やしている。百年先まで大丈夫なように土作りをしたという和田。確実な復活に向けて、これから先も気が長い取り組みが続いていく。

人と桜を、つなぐ
 大学で化学を専攻した和田は、製薬か食品関係への就職を考えていた。桜を専門とする樹木医の道に進むことになったのは、まったくの偶然。草むしりのアルバイトがきっかけだった。和田は「草むしりはとても奥深い」という。取り除く草と残す草をより分けて、丁寧に作業を続けていくうちに、山野草が咲き誇る美しい庭が出来上がる。そんな和田の仕事ぶりが目にとまり、桜の名所づくりを行う財団法人の研究員になるよう誘われた。和田はたちまち桜に魅了された。日本にある野生の桜は10品種。これを元に日本人は、じつに850品種ものさまざまな桜を作り出してきた(現存するのは350品種)。人によって作り出された桜は、人の世話なしには生きられない。そうしたことから、和田はつねに「人と桜をつなぐ」ということを意識する。桜の名所づくりを依頼されたときには、世話をするボランティアの育成もプランに入れる。樹木医が一人でできることは限られる。多くの人が関われば関わるほど、より美しい桜の名所ができると和田は言う。


もう一つ、番組内容に沿った記述も見つけました。

番組概要
 東京・赤坂。その男は誰より早く出勤し掃除などを済ませる。彼が樹木医の和田博幸。山高神代桜を和田博幸が蘇らせた。高遠城址公園には和田博幸の知恵が詰まっている。また新たな名所も生み出した。今夜は桜を巡る4つの物語。
 東京・赤坂にある和田博幸のオフィス。樹木の再生などを専門とする財団法人。研究員は6人。これまで2000箇所の桜の名所づくりに携わってきた。彼が人生をかけた桜は山梨・北斗市の山高神代桜。16年前に瀕死の状態にあった桜を復活させた。しかし山高神代桜の治療はまだ続いている。地元の樹木医の小林稔蔵との付き合いも16年になる。この春、今後に関わる重要な仕事があった。
 4月20日。3年の治療の成果を確かめる。しかし木の回復がわかる不定根を確認出来なかった。和田博幸は百年先を、思い描く信念をもって木と向き合う。山高神代桜は大正11年に国の天然記念物に指定されたが、昭和20年代に衰え始めた。復活を託された和田博幸は徹底的な調査で屋根が水分補給を妨げていたことなどを発見した。根っこが寄生虫に侵され、蘇らせる手立ては新しい環境を整えるしかなかった。間違えれば命を絶つことになる。和田博幸は覚悟を決めた。
 前代未聞の工事が始まった。細心の注意を払いながら土を取り除き、土を入れ替えた。4年に及ぶ工事となった。それから11年が経った。山高神代桜は年を追うごとに花の数を増やしてきた。100年先を見据えた和田博幸の挑戦は続く。
 樹木医・和田博幸のしごとは木を見るだけではない。この日は公園の整備プランを検討していた。彼が30年関わる名所が長野・伊那市の高遠城址公園の桜。どうやってこの絶景は守られているのか。3月下旬、開花を前に和田博幸は高遠城址公園を訪ねた。植えられるのは高遠小彼岸桜という品種。状態を注意深く観察しながら育てている。地元の桜守・稲邊謙次郎は和田博幸と桜を世話してきた。観光客が増えることで新たな問題も生まれる。
 和田博幸は通路の整備などで知恵を絞ってきた。観光客と桜の共存のプランニングを進める。4月17日。例年より遅れて高遠の桜は満開になった。例年通りの賑わい。和田博幸は観光客の動きを確認しプランを考え、将来の風景を見据える。答えが出るのは常に数十年後。
 桜を守る重要な要素は地元の人を巻き込むこと。和田博幸は横浜三ツ池公園で正しい知識を持つボランティアの育成を行った。地元の人の関わりが桜を守り、育てる。和田博幸は桜は人なしには生きられないと言う。
 今、全国各地でソメイヨシノが倒れている。樹木医の和田博幸はソメイヨシノは大きくなるが根が張れる範囲が狭いと強風などがきっかけで倒れることがあると話す。こうした事態に和田博幸は様々な策を講じてきた。その一つが日本に現存する桜の苗を育てる農場。千原桜など数にして350品種にのぼる。和田博幸は多様な桜を多様なニーズに合わせて使うのも一つだと語った。
 神奈川・座間市に桜の並木道がある。今年も恒例の桜祭りが開かれた。和田博幸がこの桜並木と関わるようになったのは10年前。地元の天白さんからのSOSがきっかけ。当時、桜並木をめぐり住民同士がギスギスしていた。かつて大きなソメイヨシノが並んでいた並木道。近所で育った岡本さんは桜並木が自慢だったと語る。しかしソメイヨシノは倒木する状態が続いた。
 幹を切ると中は空洞に。また桜に対する住民たちの不満も吹き出した。そこで住民たちは和田博幸を頼った。和田には腹案があった。並木道に植える品種を変えることを決めた。さらに開花時期の異なる品種で構成した。そして最も力を注いだのが手入れをする人材の確保だった。
 和田博幸は桜の専門家として、人と桜をつなぐことを大切にしている。4年の月日をかけ新しい緑道が完成した。植樹したのは64品種、220本。2月から5月まで必ずどこかで桜が花を咲かせている。ベンチを並べ憩いの場も作った。それは住民が納得の行く並木道となった。ソメイヨシノをあえて残したのが和田博幸のこだわり。岡本さんも家族と一緒に笑顔をこぼす。
 和田博幸は屋上庭園で、ハコベやヒメリュウキンカなどを紹介。樹木医を目指したのは大学時代に草むしりのバイトで、抜くものと残すものを判断していたことが快感だったとした。和田はすぐに全国の桜を見て回り、花を咲かせるひたむきなものがいいとし、桜は自分に喜びを与えてくれたと話した。
 長野県小布施町で、和田博幸は20年かけてつくりあげた風景があった。35歳の時に依頼され、一葉530本を4キロに渡って植えた。この桜には持ち主がいる。当時は珍しく、桜のオーナーを1口5000円で募り、地元果樹園の小林保幸さん・春代さん夫婦は子どものために真っ先にオーナーとなった。毎年3人の子どもと花見に出かけた。4月の終わりに、和田は木の状態を確認にきた。和田は桜は咲いてみて喜ばれるのが到達地点だとした。小林さんの長女は今年、社会人となったが、家族の思い出は色あせない。あゆみさんは自分の木であるのは少しうれしいとした。
 和田博幸はみんながそれぞれ思うことを集めて、まとめて形にすることだと話した。

“鳥海マタギ”の現在

2019-05-18 06:27:32 | 
 マタギ=クマを狩猟する、というイメージがあります。
 東北地方を題材に、ドラマや映画が作られてきました。
 前項のクマつながりで、“敵を知る”目的で録画してあったドキュメンタリーを見てみました。



□ 「熊を崇め、熊を撃つ」(2019年2月16日、Eテレ
 太古より雪深い地で狩りをなりわいとしてきた山の民マタギ。東北の名峰・鳥海山のふもとには最後のマタギ集落のひとつとされる「鳥海マタギ」の村がある。熊を“山神様の使い”と崇(あが)め、狩った熊を“授かりもの”として大切に暮らしの糧としてきた。過疎化や環境の変化で狩りで暮らすことが難しくなりマタギは消滅の危機にある現代。それでも熊を狩り続ける、あるマタギの息詰まる熊との闘いと自然と共に生きる暮らしに迫る。


 秋田県と山形県にまたがる東北の名山「鳥海山」。
 この周辺を活動の場とするマタギを“鳥海マタギ”と呼ぶらしい。

 クマを仕留めて、毛皮や胆嚢(“熊胆”)を売ることにより収入を確保した職業を“マタギ”と呼びます。
 しかしそれのみで生計を立てられたのは50年前まで。
 現在は、クマの毛皮はお金にならず、熊胆の売買は政府が厳しく管理しているので自由になりません。
 そのため、現在“マタギ”として活動している人たちは、すべて別の職業を持っています。

 番組の中で「“マタギ”とハンターの違いは何か」「なぜ“マタギ”を続けるのか」と繰り返し問われていました。
 取材に応じた面々は、

 「“マタギ”は山で生活し、クマを捕らえるが、一方でクマを“山の神”として崇め、捉えたものはすべて利用する。」
 「町に住み、クマを射殺するだけで、肉を食べたりしないのがハンターだ。同じにしてもらっちゃ困る。」
 「それでもなぜクマを狩猟するのかと聞かれると、わからない。山に生きる血筋のようなものか。」

 と答えていました。

 実際の狩猟場面も放映されました。
 クマは人の気配を察すると、向かってくるのではなくて逃げていました。
 それでも近づいていくと、反応して向かってくることがある、という雰囲気でしたね。