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世界のどこかで起きていること。

日本人の日常生活からは想像できない世界を垣間見たときに記しています(本棚11)。

ジャーナリスト、安田純平氏の言い分

2019-06-09 20:08:41 | 日記
2019.6.9のTVタックルに安田氏が出演しました。

番組のレギュラー、ゲストたちが質問を浴びせます。
それに対して、安田氏は丁寧に答えていました。

Q. 2回の拘束&解放のエピソードから“プロの人質”と呼ぶ人もいるが、どう思うか?
A. 中東で活動するジャーナリストにとって、スパイ容疑で拘束されることは珍しくないこと(年間5〜10回)。2004年もスパイ容疑で拘束され、疑いが晴れて解放された。しかし日本のマスコミから“人質”と報道されたので、違和感があった。
 2回目の時も当初スパイ容疑で拘束され、疑いが晴れれば解放されるパターンのはずだったが、1回目の“人質”報道が明るみに出て「日本政府から身代金を奪えるかも知れない」と考え方針が変わってしまい、身代金が払われるまで拘束されることになった。
 
Q. 昨年解放されたときに身代金は払われたのか?
A. それはないと思う。身代金を払う意思が日本政府にあるなら、もっと早く私は解放されたはずだ。おそらく、これ以上拘束していても身代金は手に入らないと判断して手放したのだと考える。

Q. あなたを「自己責任論」で避難する日本人が少なからず存在するが、どう思うか?
A. 現地で活動するジャーナリストは、いつ命を落とすかわからない環境に身を置いているという意味ではすべて自己責任で現地に赴いているので、その批判は的外れだと思う。自己責任論はジャーナリスト本人ではなく、日本国民とメディアが作り上げた概念だ。

彼の意見には賛否両論があると思われますが、私はなるほど、と何回も頷きました。
一般日本人は、現地で何が起きているのか知らないので、その人の認知度により評価が分かれるような気がしました。

ただ、気になったのは安田氏が話し終わらないタイミングで、レギュラーメンバーからどんどん質問とコメントが発せられたこと。
彼がゆっくり話す時間を確保して欲しかった・・・。

番組内容
 2015年にシリアで武装勢力に拉致されたジャーナリスト・安田純平氏は、拘束期間中にいくつかの動画がネットで公開され世間をざわつかせた。2018年10月に3年4か月ぶりに開放された。2015年末、安田純平氏が武装勢力に拉致され身代金を要求されているとの報道がなされた。安田氏を拘束したと見られる「シャーム解放委員会」は外国人人質の扱いには慎重とされており、あくまでも身代金が目的で、過去にも交渉の末人質が開放された事があった。2018年7月末に公開された動画では、武装した男と共に画面に映り「助けてください」と言う安田氏の姿があった。
 安田氏に対し、ネット上では自己責任論の批判が溢れた。 2018年10月24日、安田氏が無事に開放された事が明らかにされた。11月2日には自身が会見を開き、謝罪と感謝を述べた。この被害の14年前にも安田氏はバグダッド近郊を依頼中に武装グループに拉致された後、無事開放されていた。2回目の被害という事で世間では批判が噴出した。


以下は、こちらから;

<シャーム解放委員会>
 イスラム国とは違うシャーム解放委員会に拘束されていたとみられる安田純平氏。本人によると最初はスパイ容疑で拘束されていた。当時は日本のメディアは安田氏を「人質」と報道しており、世界的には「日本が金を払った」という話になった。このことに阿川さんは「日本のメディアの責任じゃないですか」などと述べていた。解放された理由について安田氏は「日本が払うわけないというのは過去のケースからわかっていた。彼らが諦めるしかない」「基本的には身代金がとれないと思われたら帰すということになっていたはず」などと述べた。また、安田氏によれば自身が捕まっている間、家族の元にブローカーがやってきたそうで、安田氏は亡くなったなどと家族へ伝えたこともあったという。

<町田市生涯学習センター>
 3年4ヶ月の間、シリアで拘束されていたジャーナリストの安田純平氏は今何をしているのか。現在は原稿執筆の傍ら講演会で自らの体験やシリア内戦の様子を話す事もしている。パスポートが無い状態で国内に出る事が出来ない。日本での報道では人質となっていたが、最初に拘束された際はスパイ容疑であって身代金の要求はされておらず、拘束から3日間で開放されていた。大手のメディアは紛争地帯への取材をさせておらず、安田のようなジャーナリストがいなければ公式発表しか情報がなく検証がきかないと須田。

<日本記者クラブ>
 安田氏に対し、ネット上では自己責任論の批判が溢れた。 2018年10月24日、安田氏が無事に開放された事が明らかにされた。11月2日には自身が会見を開き、謝罪と感謝を述べた。この被害の14年前にも安田氏はバグダッド近郊を依頼中に武装グループに拉致された後、無事開放されていた。2回目の被害という事で世間では批判が噴出した。

<シャーム解放委員会>
 2015年にシリアで武装勢力に拉致されたジャーナリスト・安田純平氏は、拘束期間中にいくつかの動画がネットで公開され世間をざわつかせた。2018年10月に3年4か月ぶりに開放された。2015年末、安田純平氏が武装勢力に拉致され身代金を要求されているとの報道がなされた。安田氏を拘束したと見られる「シャーム解放委員会」は外国人人質の扱いには慎重とされており、あくまでも身代金が目的で、過去にも交渉の末人質が開放された事があった。2018年7月末に公開された動画では、武装した男と共に画面に映り「助けてください」と言う安田氏の姿があった。

「何かおかしいと感じたら声を上げることを恐れてはいけない」by F. Korematsu

2018-08-18 20:29:22 | 日記
先人たちの底力 知恵泉「勇気を出して声をあげよう 日系人F・コレマツの戦い
2018.8.14 NHK E-テレ
【出演】池上彰,パトリック・ハーラン,敬愛大学教授…村川庸子,【司会】二宮直輝




 第二次世界大戦中の日本人強制収容を「憲法違反である」と訴えた F. Korematsu 氏を扱った内容です。
 彼は日系二世なので、戸籍上は日本人ではなく、“アメリカ人”です。

 日本人はなぜ強制収容されたのか?

1.「敵性人種
 連合国の敵である日独伊三国同盟に基づく「敵性人種」であること。
 しかし後年発見されたアメリカ政府内部の文書には、
「西海岸の日系人は騒動を起こすリスクがない」と報告されていました。
 つまり、この理由は“建前”のようです。

2.「人種差別
 フレッドの恋人であるイタリア人女性は強制収容されませんでした。
 つまり、敵性人種であるまえに、有色人種を対象とした“人種差別”だったということ。

3.日本人に対するアメリカ人の「ねたみ
 当時、経済的に成功している日本人が増えてきたので、アメリカ人はそれを妬むという風潮がありました。
 実力主義のアメリカ社会は、本能むき出しで他人を蹴落とすのですね。


 この番組を見た人は、途中で「現在のトランプのしていることと同じだ」と気づいたことでしょう。トランプ大統領の行動を見ていると、アメリカ人の心の闇(ダークサイド)が垣間見えてくるようです。

 ちょっと脱線しますが、“ダークサイド”とは映画「スターウォーズ」シリーズにも出てくる言葉。
 私は繰り返し出てくるこの単語に、今ひとつぴんときませんでした。

 しかしアメリカの現実を見渡すと、この言葉になぜこだわるのかが深く理解できてきます。心の闇が支配する時代を経験した歴史的反省が込められているのではないか、と。


<内容紹介>
 今アメリカで最も注目される日系人フレッド・コレマツ。「太平洋戦争中の日系人強制収容は人種差別だ」と国を訴え戦った。孤立を恐れず声を上げ、尊敬を集めた感動の勇気。
 「何かおかしいと感じたら、声を上げることを恐れてはいけない。」日系人フレッド・コレマツの言葉が、今アメリカで大注目!彼は、太平洋戦争中の日系人強制収容は人種差別だ、と国を相手に裁判を起こした。「波風を立てるな」と迷惑がる同胞たち。しかしどれほど孤立しようと、国を愛するがゆえに声を上げるのをやめなかった。自由とは?平等とは?差別とは?現代社会の私たち全員の心に刺さる、生きるための重要なメッセージ。


 最近、ふと思ったのですが、生物の世界で「外来種」という言い方がありますよね。
 「外来種」が増えすぎると「日本固有種」の存続が危ぶまれるから、「外来種」を排除し「日本固有種」を保護しなければならない。

 単語を「外来種→ 外国人」「日本固有種→ 日本人」へ入れ替えたらどうなるでしょう。
 日本人の潜在的な差別意識があぶり出されるように感じるのは、私だけでしょうか?

 ま、ヨーロッパではすでに現実化していることは、皆さんご存じですね。
 民族・国に関わらない、人間の本性なのでしょうか。
 これに当てはまらない、例外的な民族・国が存在したら教えていただきたい。

綾瀬はるかの「戦争」を聞く 2018

2018-08-16 08:50:46 | 日記

 “戦争”は相手国・民族より自分達が優れていることを、相手を完膚なきまでに叩きのめして証明し、生き残る戦いです。
 だから私は、「戦争では男は殺され、女はレイプされるのが当たり前」と捉えてきました。

 違いますか?
 殺人が犯罪にならない戦争状態の中で、レイプは犯罪として成り立つのでしょうか?

 そこでさらに気づく矛盾が“戦争犯罪”として非難されるのは“敗者”ばかりで“勝者”は裁かれないという事実。

 人類史上最大の殺戮は、日本に投下された原子爆弾ですが、投下したアメリカは戦勝国なので罪に問わていません。
 被爆者は生活補償をアメリカにではなく日本政府に求めることに、私は矛盾を感じます。
 第二次世界大戦が終戦してからはじまったロシアによる57万人の日本人シベリア抑留も裁かれていません。

 満州の取り残されてロシア兵にレイプされた日本人女性は何人くらいいるのでしょうか?
 〜引き上げ帰国後に二日市保養所で強制的に中絶手術を受けた妊婦は500人だそうです。

 ドイツが敗戦したときに連合国兵士にレイプされたドイツ人女性は200万人いたと耳にしたことがあります。

 日本は韓国から従軍慰安婦の責任を問われています。
 韓国はベトナム戦争中にベトナム人女性をレイプして子どもをたくさん産ませました(ライダイハン)が、その責任はどうなっているのでしょう?

 以上、戦争被害の補償を始めるとキリがないことは明らかです。
 ある世界会議で“植民地支配の補償”の話が始まった途端、当事者であるヨーロッパ諸国は姿を消したというエピソードを耳にしたことがあります。

 やはり、戦争を起こさないという抑止力を鍛えるしか、悲劇を繰り返さない方法はないようです。

 先日、ジャレド・ダイアモンド博士によるジェノサイド(大量殺戮)のレクチャーを興味深く聞きました。
 ジェノサイドは未開民族にも、霊長類にもあるそうです。
 遺伝子に組み込まれた本能ですから、なくすことはできません。
 しかし社会的なルールを作って予防する能力がヒトにはあります。
 実際に「殺される人数は増えているが殺される比率は少しずつ減っている」と、ダイアモンド博士は慰めるようにコメントしていました。


番組紹介
2018年8月15日(水)『NEWS23』特別企画綾瀬はるか「戦争」を聞く~語らなかった女たち~
 終戦当時10歳の少女が目撃したものとは?
 歴史の闇に埋もれてきた女性たちの戦争を綾瀬はるかが取材

 TBSでは、終戦の日である8月15日(水)に『NEWS23』を35分拡大し、特別企画 綾瀬はるか「戦争」を聞く~語らなかった女たち~を放送する。
 2010年から毎年様々な戦争体験者の声に耳を傾け、その平和への願いを伝えてきた綾瀬はるか。今回、綾瀬が取材するのは“女性たちの戦争”だ。
 戦後、福岡市の博多港に139万人の日本人が命からがら引き揚げてきた。その中に、満州でソ連兵らから性暴力の被害に遭い、妊娠した女性たちが多く含まれていたことはあまり知られていない。引き揚げ船から海に身を投げた女性も少なくなかったという。また、「二日市保養所」という中絶のための施設も国が関わり秘密裏に作られた。治療の際に、医師や看護師が泣き声をあげた赤ん坊の命を奪うこともあったという。当事者の女性たちもずっと口を閉ざしてきた。
 綾瀬が訪ねたのは、10歳のとき満州で終戦を迎えた鈴木政子さん(83)。ソ連兵に連行され、収容所で2か月を過ごした。そこで彼女が目撃したのは、昼夜を問わず繰り返された性暴力。年頃の女性はみな標的にされ、鈴木さんが姉のように慕っていた当時18歳の「ゆう子さん」(仮名)も妊娠した。引き揚げ後、「二日市保養所」へ向かった「ゆう子さん」は、故郷の東北を 離れて東京で就職。82歳で亡くなるまで独身を貫いたという。
 戦後70年以上にわたり語られることのなかった“女性たちの戦争”。歴史の闇に埋もれてきた真実を、綾瀬はるかが見つめる。


<参考>
・「語らなかった女たち ー引揚者・七〇年の歩み」(鈴木政子著、2017年発行、本の泉社)
(東京新聞の紹介記事)
今ようやく語れる 引き揚げ女性の悲劇 藤沢の鈴木さん 体験談基に出版」2018.2.13
 戦後、旧満州(中国東北部)の収容所や日本に帰国する際に起きた悲劇を記録した「語らなかった女たち-引揚者・七〇年の歩み」をフリーライターの鈴木政子さん(83)=神奈川県藤沢市=が出版した。旧満州に侵入したソ連軍兵士に乱暴され、陵辱された身を恥じての引き揚げ船からの投身自殺…。長年にわたり調査を続け、戦争が引き起こす狂気と悲劇を描き出した。(布施谷航)
 主人公は実在の女性をモデルにした十七歳の「ゆう子さん」。収容所では髪を短くして少年のように振る舞っていたが、ソ連兵に乱暴され、帰国間際に妊娠が発覚。日本に帰ってから堕胎し、以後、結婚することなく人生を過ごした。
 鈴木さん自身も旧満州からの引き揚げ者で、十歳の時に父母に連れられて逃げるように帰国した。当時は何が起きていたのかよく分からなかったが、一九八〇年に引き揚げの記録を児童書として出版し、事実を知った。
 それからも取材を進めてさらに二冊、世に出したものの、書き尽くしたという感覚には至らなかった。本を出そうとする度、報告を兼ねて、お世話になった満州開拓団の団長だった男性を訪ねていくと「つらい思いや恥ずかしい経験が、女性たちの子孫に伝わるのは忍びない。書いてはいけない」と言われた。それでも年齢を経るにしたがって「戦争は狂気。悲劇を生むという事実を伝えなくては」との考えが強くなり昨年十一月、新著を出版した。
 執筆に当たり中国に四回、足を運んだ。堕胎の実態を知る九州の病院関係者にも取材した。自ら訪ねてきて体験を語った人、手元にある資料を全て託してくれた元団員もいた。記録に残さなければとの願いは自身だけのものではなかった。
 「『どうしても書きたいんだけど』とお願いしたら、『いいよ』と言ってくれました」。ゆう子さんのモデルになった女性は出版を快諾した直後の二〇〇九年に亡くなった。「語らなかった女たち」という書名には「今ようやく語ることができた」との意味を込めた。
 「『隠したい、でも知ってもらいたい』。そんな思いだったのではないでしょうか」。鈴木さんはそう推し量っている。

原爆の製造をアメリカ政府に進言したのは、アインシュタインだった。

2018-08-14 06:26:52 | 日記
 原爆製造に関するドキュメンタリーを二つ見ました。

1.フランケンシュタインの誘惑「原爆誕生 科学者たちの“罪と罰”」2016年11月24日、NHK-BS
2.「“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇」2018年8月12日、NHK-BS


 内容がオーバーラップするため、一つの項目にまとめて感想を記すことにしました。
 私がポイントと感じた点を列挙してみます;

<ポイント>
・1930年代に核分裂反応(原子核に中性子を梗塞でぶつけると核分裂が生じ多量のエネルギーが発生する)がドイツ人物理学者により学会報告された。

・核分裂反応を利用すると前代未聞の強力な爆弾(原子爆弾)が製造できることが推察され、ドイツには原子爆弾を作ることのできる人材が揃っていた。

・ドイツからアメリカに亡命してきた物理学者レオ・シラードが「ドイツより早く原子爆弾を開発しないと戦争に負ける」という内容の書簡を当時のルーズベルト大統領に送ったが無視され、シラードは師のアインシュタインの力を借り、彼のサインと共に再度送ったらアメリカ政府が反応した。

・原爆開発計画である「マンハッタン計画」はルーズベルト大統領の側近かつ科学者であるヴァニーヴァー・ ブッシュの元で進められた。

・原爆開発の拠点である「ロスアラモス」の現場責任者はロバート・オッペンハイマーであり、天才と呼ばれながらノーベル賞に手が届かない彼は原爆製造という実績を目標に歴史に名を残そうと目論んでいた。

・マンハッタン計画進行中に、ドイツが予算の関係で原爆開発をあきらめたことが判明し、科学者達の間に「原爆開発を続けるべきか?」という迷いが生じた。

・オッペンハイマーは「大量殺戮兵器を開発し保有することで戦争の抑止力になる」と目的をすり替え、科学者達の反論を退けた。これは物理学者ボーアの影響を受けた思考である。かつ、当時の状況より科学者達は開発をやめる選択肢を持てなかった。これは、原発が危険なことを知りつつ経済成長のために使用を続ける現在の日本の姿に重なると私は感じた。

・原爆を実際に使うか、脅しとして使うかという議論もあったが、「3兆円という予算を使い開発した爆弾を実際に使ってその効果を見せつけなければ国民が納得しない」という理由で投下することを選択した。

・レオ・シラードは「原爆を使用して市民を大量殺戮すれば、アメリカは世界中の信頼を失う」という書簡を提出したが、オッペンハイマーにより握りつぶされた。シラードは政府に書簡を送りはしたものの、スノーデンのように世間に公表して審判を受けるという手法をとらなかったことが残念である。

・原爆投下により数十万人の日本人が死亡した。開発した科学者達の感想は、「まず、成功してホッとしたという喜びと安堵」「そして、大変なことをしてしまったという後悔」であった。

等々。

もし、ナチスが先に原爆開発・製造していたら、世界史は変わったことでしょう。
原爆は日本にではなく、アメリカ・ロシア・イギリスあるいはフランスあたりに投下されたはず。
ドイツの同盟国である日本は原爆の被害に遭わずに済んだ。

何が正しいことなのか、わからなくなってきます。

しかし現実には、日本に原爆は投下され、日本は世界唯一の被爆国になりました。

昨今、「非核化」が叫ばれていますが、私は矛盾を感じています。
日本は原爆の被害に遭いましたが、同じメカニズムの原発を許容し、世界最大級の事故に遭遇して多大なる被害に遭いました。
つまり、原子力は戦争利用も平和利用も危険きわまりないモノなのです。
原発を稼働させながら「核兵器反対」と叫んでも、世界を納得させられるのか、疑問です。


<内容紹介>

1.フランケンシュタインの誘惑「原爆誕生 科学者たちの“罪と罰”
2016年11月24日放送、NHK-BS
 人類に功も罪ももたらす「科学」。その知られざる姿とは?
 今回は、第2次世界大戦中、原子爆弾を誕生させた巨大プロジェクト“マンハッタン計画”のリーダー「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーを中心に、核兵器開発に携わった科学者たちの「罪と罰」に迫る。
 ナチスドイツに先を越されてはならないと始まった開発が、なぜドイツ降伏後も続けられ、広島・長崎に投下されたのか?科学者たちは何を考え、どう行動したのか?




2.「“悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇
2018年8月12日放送、NHK-BS
 広島・長崎で多くの命を一瞬にして奪った“悪魔の兵器”原爆。開発は第2次大戦中のアメリカで、ノーベル賞受賞者ら1200人以上のエリート科学者と空前の予算の兵器プロジェクトだった。
 科学者たちはなぜ原爆開発に参加し大虐殺に突き進んだのか?発掘した証言テープや資料などから浮かび上がったのは、軍や政治家でなく、科学者自身が原爆開発を提案し、積極的に推進し、投下も主張したこと。科学者の深い心の闇、真相は?



「キミの心の"ブラック・ピーター"」(NHK-Eテレ)

2018-08-12 06:39:12 | 日記
キミの心の"ブラック・ピーター"
2015年12月31日(NHK-Eテレ)
機関名:ファミリーフィルム&テレビ
国/地域名:オランダ





 オランダのクリスマス行事にはサンタクロースとともに、そのお供として黒人の道化師に分した“ブラック・ピーター”が登場するそうです。
 その存在を「黒人を馬鹿にしている、人種差別だ」と糾弾する意見がわき起こっており、オランダ社会を揺るがしているそうです。

 番組の中で、もし同じ事をイギリスで行ったら市民はどう反応するか、を実験していました。
 おしなべて「不愉快だ」「それは人種差別だ」という声が大半。

 同じヨーロッパの先進国であるオランダでは、なぜ疑問を持たれないのでしょうか?

 黒人差別は奴隷制度の痕跡である可能性を指摘しています。
 “白人は支配する側、黒人は支配される側”というわけ。

 アメリカの大学教授が作成した心理テストが紹介されました。
 黒人に差別的偏見を有しているかを分析するテストです。

 ブラック・ピーター反対派のこの番組企画者がテストを受けたところ、なんと「白人が優位という考え方が少し認められる」という結果が出て、本人がショックを受けていました。

 ヒトは生き延びて子孫を残すことが最優先されるよう、遺伝子に組み込まれています。
 他人より自分が優れているから生き残る価値があるという考えも、そこから考えると自然な感情かも知れません。

 しかし人類皆平等、平和主義を掲げる現在の世界では、この本能とも言える感情が邪魔をします。
 人類が抱える大いなるジレンマですね。


<内容紹介>
 黒塗りのメイク、少しおどけた姿でサンタクロースとともに歩くブラック・ピーター。オランダのクリスマスには欠かせない伝統的なキャラクターが、社会を二分する議論となっている。植民地時代から続く人種差別の名残なのか。それとも伝統行事の中の悪意のない慣習なのか。
 この番組は、オランダ人の心の中に潜んでいる植民地時代からの差別意識をあぶり出そうという試みだ。近くにいる人たちに容赦なくインタビューのマイクを向け、公園では自転車の鍵を壊す黒人に対する人々の振る舞いを撮影する。そして、オランダの人たち全てに問いかける。クリスマスの行列の中にいるブラック・ピーター。それはあなたの心の中にある隠された差別意識ではないのですか?

<審査講評> (トゥーラ・ラヤヴァーラ)
 「キミの心の“ブラック・ピーター”」は、無意識の人種差別を題材にした、勇気あふれるそして印象深い作品です。普段、見逃してしまっていることを、立ち止まってもう一度考えさせてくれます。
 監督が取り入れた手法は、社会的にまた科学的に興味深い試みであり、またカメラを身近な人たちに、そして彼女自身に向けるというものでした。私たちは、作品を楽しみながら、同時に偏見のもたらす傷の深さを知り、そして見た後には、自分の行動について自問させられることになります。これは私たちが暮らす世界において、とても重要なことです。
 わたしたち審査委員はこの作品を心から讃えたいと思います。勇敢で、普遍的で、魅力的で、特別で、ユーモラスでありながら、同時に差別について語っているのですから!しかも全く説教じみていないのです!パーソナルな語り口と革新的なアプローチの秀逸な例だといえます。
 誰もが心動かされるこの作品にグランプリ日本賞を贈ることを、たいへん光栄に思います。

<制作者コメント> (モニーク・バスマン)
 「キミの心の“ブラック・ピーター”」が、このような大きな賞を日本でいただけたのは、大変な名誉です。そして、それ以上に重要なことは、ブラック・ピーターというキャラクターをとりまく議論が、オランダだけでなく世界中の人たちに関心を持ってもらえたことです。
 この作品の中で、監督のスニ・ベルフマンは、ブラック・ピーターに対する態度を通して、どのような人が差別意識を持っているのかを分析しました。撮影期間中、私たちが目指していたのは、オランダの人たちに、肌の色に対する無意識の偏見、「心の中の差別意識」を気づかせることでした。
 この作品を高く評価してくださり、賞をいただけたことに感謝します。「キミの心の“ブラック・ピーター”」は、オランダだけでなく、多くの国々にとっても重要な作品であると信じています。