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言の葉辞典 『粧』 ④

2023-09-04 21:00:00 | 言の葉/慣用句

 ■『粧』 補足④

 《ボディーペインティング(及びフェイスペインティング)》

 ボディペインティング
(body painting)

 体に直接、塗料などで絵や模様を描くボディアートのことである。

 《概要》

 歴史的には、世界のいくつかの地域でボディペインティングが見られ、オーストラリア先住民(アボリジニ)やネイティブ・アメリカン、アフリカ、東南アジア、インドでも体にペイントを施す習慣が確認されている。
 20世紀の西洋社会では、アート表現としてボディペインティングが行われてきた。
 1933年のシカゴ万国博覧会にて、マックス・ファクター・シニア (en) がモデルのサリー・ランドにボディペインティングを施し、公序良俗違反で逮捕されたこともあった。
 しかし、1960年代くらいから社会的に受け入れられるようになっていった。
 ボディペインティングは政治的な抗議活動の手段として行われることもある。
 例えば、動物の倫理的扱いを求める人々の会はバーバリーに対する毛皮の抗議に動物の柄のボディペインティングのパフォーマンスを行った。
 1998年よりワールド・ボディペインティング・フェスティバル (en) が行われている。他にも、en:Rabarama Skin Art Festivalなど様々なボディペインティング・フェスティバルがある。ヌーディズムのキャンプ場などでは、イベントの1つとしても行われることがあり、コンテストの形態を成していることもある。
 2003年から毎年、欧米をはじめ現在20ヶ国・70都市と、世界各地で開催されているワールド・ネイキッド・バイク・ライド (en) で、ボディペインティングを施して参加する人もいる。
 また、2001年には世界ボディペインティング協会 (en) が設立された。ボディペインティングのコンテストを扱ったテレビ番組にはスキン・ウォーズ (en) がある。

 《日本におけるボディペインティング》

 海外では「アートの一ジャンル」「イベントでのアート表現」など、芸術として認知されているが、日本では主要な先進国に比べて、未だにヌーディズムへの理解が進んでいないこともあり、ボディペインティングが性的な表現と見做される場合も多い。

 ★暗黒舞踏

 1960年代末より、全身白塗りで舞踏を行った。
  例えば、金粉ショー等。
 金粉ショー(きんぷんショー)とは、金粉を全身に塗布してダンスなどを行うパフォーマンスである。
 歴史
  戦前
 1909年にはヨーロッパで、女性の全身を金色に塗る「ゴールデン・ビーナス」のショーが行われていたという記録がある。
 1934年(昭和9年)、吉本興業がニューヨークからアメリカのレヴュー団「マーカス・ショー」(ダニー・ケイも在籍)を招き、日本劇場で公演を行ったという。
 中でも美人ダンサーのミス・ハッチャが銀粉を全身にまぶしたブロンド・ビーナスは男性の聴衆から大盛況であったという。
 寺田寅彦は1934年のマーカス・ショー来日公演を見て「健康によくないであろう」という感想を残した。

 戦後
  戦後の1960年代から1970年代にかけて、日本国内のキャバレーで金粉ショーが上演されるようになる。
 暗黒舞踏の創始者・土方巽が弟子たちをキャバレーに派遣する際、演目として上演させ、唐十郎と李礼仙夫妻金粉ショーで有名となり、各地を回って稼いだ資金で、紅テントを購入したという。
 1969年(昭和44年)には福島県の磐光ホテルで、土方巽の弟子らで結成した金粉ショー舞踊団「セブンスター」の演出で使用する松明が原因で火災事故が発生している。
 その後はキャバレーやストリップの衰退や、温泉での金粉ショーの減少に伴い、大須大道町人祭や野毛大道芸など、大道芸の一形態として路上で披露されることも増えた。
 21世紀になってからも、舞踏家集団の大駱駝艦やささらほうさらが金粉ショーを行っている。
 ダンサーの秋風リリーは別府の芸術フェスティバルに参加した後、ビキニを付けた金粉ショーを披露している。
 なお、「金粉を塗ると皮膚呼吸が妨げられるため命に関わり、わずかな時間しか踊ることができない」 と長い間まことしやかに語られてきたが、根拠のない都市伝説だと言われている。映画『007 ゴールドフィンガー』の中で、敵方の女性が全身に金粉を塗られた結果死亡するシーンもある。

 ★異色肌
  異色肌(いしょくはだ)とは、自然には存在しない色の肌のことである。
 ただし、ファゲイト一族などメトヘモグロビン血症によって青い肌を自然に持つ者が稀に生まれることがある。

 ★腹踊り、腹芸
 胸から腹にかけて顔を模したペイントを施し、踊り動かして表情を変えてみせる日本の芸。「へそ踊り」ともいう。

 ▼フェイスペインティング

 ボディペインティングの中でも人の顔に絵や模様を描くことをフェイスペインティングという。
 古代から、宗教的理由などで装飾されていた。
 現在はテーマパークやパーティー、フェスティバルのなどで多く見かけられるようになっている。
 ハロウィンなどでも人気がある。サッカーの応援などのスポーツ資格 編集 イベントなどでフェイス・ペイント(首から上の部位)を第三者が施す場合は、美容師法が適用され、美容師免許の取得と美容所として保健所に申請する必要があることが、厚生労働省生活安全課で確認されている。
 違法かどうかは自治体が判断し、違反が認められ場合は、美容師法違反で罰金30万円を課せられる。
 美容師法(昭和32年法律第163号)「美容師は「美容を業とする者」をいい、美容師法に基づき厚生労働大臣の免許を得なければならない。
 美容師の免許を持たないものは美容を業として行うことはできない。
 なお、業とは反復継続の意思をもって行うことで、有料・無料は問わない。」のイベントで国旗を描いたものが代表的である。

 ★資格

 イベントなどでフェイス・ペイント(首から上の部位)を第三者が施す場合は、美容師法が適用され、美容師免許の取得と美容所として保健所に申請する必要があることが、厚生労働省生活安全課で確認されている。
 違法かどうかは自治体が判断し、違反が認められ場合は、美容師法違反で罰金30万円を課せられる。
 美容師法(昭和32年法律第163号)「美容師は「美容を業とする者」をいい、美容師法に基づき厚生労働大臣の免許を得なければならない。
 美容師の免許を持たないものは美容を業として行うことはできない。
 なお、業とは反復継続の意思をもって行うことで、有料・無料は問わない。」

 《隈取》

 隈取(くまどり)

 歌舞伎独特の化粧法のことである。
 初代市川團十郎が、坂田金時の息子である英雄坂田金平役の初舞台で、紅と墨を用いて化粧したことが始まりと言われる。
 芝居小屋などにおいて、遠くの観客が役者の表情を見やすくする効果がある。
 なお、隈取は「描く」ではなく「取る」と表現される。

 ▼隈取の意味

 隈取は初代團十郎が人形浄瑠璃の人形のかしらにヒントを得て創作したものといわれ、顔の血管や筋肉を誇張するために描かれたもので、役柄により、施される色や形状が異なる。
 隈取の色は役柄によっておおむね決まっている。
 「赤色(紅色)」は荒事の基本である勇気・正義・強さをもった役に使われ、「藍色」は、スケールの大きな敵役に使用され、「茶色」は鬼や妖怪といった人間以外の不気味な役に使われる。
 隈取の筋は指でぼかして仕上げる。
 隈取りの形状は、以下の形状と役柄が有名である。

 ・むきみ隈

 若々しく色気があり正義感にあふれた役に用いる紅隈。簡素な形が貝のむいた身に似ていることから、この名が付いた。
 『菅原伝授手習鑑』「車引の場」の桜丸、『助六由縁江戸桜』の助六、『寿曽我対面』の曽我五郎などが有名。

 ・一本隈

 力強くて頼りになるが、やんちゃな暴れん坊役に用いる紅隈。
 縦に一本の隈を取ることから、この名が付いた。
 あごの下にも、二重あごを示す隈を取る。
 『菅原伝授手習鑑』「賀の祝」の梅王丸、『国性爺合戦』「千里ヶ竹の場・楼門の場」の和藤内などが有名。

 ・二本隈

 落ち着きがあり、堂々として力強い大人の役に用いる紅隈。
 二本の隈を跳ね上げるように取ることから、この名が付いた。
 あごに青で髭を描き、目尻や唇の内側へは墨を入れる。
 『菅原伝授手習鑑』「車引の場」の松王丸、『鳴神』の鳴神上人などが有名。

 ・筋隈

 激しい怒りに満ちた、超人的な力を持つ勇者の役に用いる紅隈。
 いくつもの紅の筋を跳ね上げるように隈を取ることから、この名が付いた。    
 あごに三角形の紅を描き、口角へは墨を入れる。
 『菅原伝授手習鑑』「車引の場」の梅王丸、『暫』の鎌倉権五郎、『押戻』『矢の根』の曽我五郎などが有名。

 ・景清の隈

 武勇に優れた勇者だが、敵に捕らえられて閉じ込められ、青白くやつれてしまった役に用いる隈。
 特によく使われる「景清」という役から、この名が付いた。
 白い地色に、顔の上半分は筋隈と同じ形の紅隈ですが、下半分は藍で取るところから、半隈とも呼ばれる。
 『景清』の景清が有名。

 ・公家荒

 高い身分を持ち、国を転覆させようとするような大悪人の役に用いる藍隈。冷たく不気味な印象を与える。
 眉を際立たせたり、額に位星という丸い形を墨で入れたりする。
 『菅原伝授手習鑑』の藤原時平、『暫』の清原武衡などが有名。

 ・赤っ面

 大悪人の家来や手下で、考えの浅い乱暴者の役に用いる隈。
 地色を白ではなく赤で塗るところから、この名が付いた。
 紅でむきみ隈を取り、あごの下にも紅で隈を取る。『
 暫』「腹出し」、『義経千本桜』「川連法眼館の場」の亀井六郎、『菅原伝授手習鑑』「車引」の杉王丸が有名。

 ・茶隈

 人間がこの世のものではない、妖怪や精霊、悪霊などへ変身する役に用いる茶隈。
 土蜘蛛の場合は、やや茶色がかった白地に、付け眉毛をし、口元は大きく裂けたように描くことで、不気味な印象を強める。
 『土蜘』の土蜘の精、『茨木』の茨木童子が有名。

 ・猿隈

 豪快な武士なのに、滑稽でおかしみのある役に用いる隈。
 動物や植物をかたどった「戯隈」(=ふざけた隈取)の一つである。
 眉は「なすび眉」と呼ばれる八の字形である。
 『寿曽我対面』の小林朝比奈が有名。

 ・鯰隈

 悪人なのに間抜けな、観客を笑わせる役に用いる隈。
 「景清の隈」と同じように、上半分が紅隈、下半分が藍隈という組み合わせとなっている。
 「戯隈」の一つで、口の周りの鯰のような髭から、この名が付いた。
 『暫』の鹿島入道(通称:鯰坊主)が有名。

 以上のように大体の型はあるものの、隈取は役者が自分で書き入れるものなので、一人一人仕上がりが違う。
 歌舞伎の贔屓の中には、楽屋に絹本を持ち込んで役者に隈取を写し取ってもらったものを蒐集する者もいる。
 また、中国古典劇の京劇にも臉譜(れんぷ)と呼ばれる独特の隈取があり、役柄によって書法・種類・色・図案を替えるなど、歌舞伎の隈取との共通点が見られる。

 ▼隈取の発展

 初代市川團十郎が坂田金平を主人公にした人形浄瑠璃の台本を舞台用にしたものを上演する際、人形からヒントを得て、紅と墨で描いたのが最初の隈取だった。
 この時点での隈取は、派手な荒っぽいものであったと考えられる。
 隈取の特徴である「ぼかし」の技法は、二代目市川團十郎が牡丹の花を観察して考案したものと言われ、以後の隈取はより一層洗練されていくことになる。
 江戸の荒事の中で隈取が発展する際に参考となったのが、仁王像などに代表される仏像の誇張された筋肉表現と能面の洗練された表情の表現だった。
 一方、上方の和事を中心とした凝った筋書きの芝居の影響によって、隈取も荒々しいだけでなく色気を意識するようになる。
 歌舞伎の色男の代表格『助六』の主人公で「むきみ」の隈取も色っぽい花川戸助六は、現在こそ威勢のいい江戸男として知られるが、もともと上方歌舞伎で創成された役どころである。
 今日伝わる隈取の多くは九代目市川團十郎の門弟・ 三代目市川新十郎により残された。
 古今東西多くの隈取を熟知していた新十郎は、太田雅光の協力で研究書『歌舞伎隈取』を著した。
 その弟子の中村秀十郎は、臨終時の新十郎の顔に隈が浮かび現れ、いくら洗っても消えなかったと述懐している。
 スポーツ用品メーカーアシックスが、陸上競技用ブランドGONAのシューズをはじめ、野球のバッティンググローブ、オニツカタイガーのシューズ、アパレルなどにデザインとして採用していた時期がある。
 一方で、隈取の意匠を正しく理解しないデザインも流布しており、松竹は「日本が誇る「歌舞伎」の本来のイメージや価値が必ずしも正しく認知されていない現状を懸念しております」「「標準的」な隈取を追求し、基準とする立体見本と、これに基づく隈取図案を製作、保有し、普及をはかっています」としている。
 松竹では「隈取り模様」の商標を登録している。

 《ペイントレスラー》

 ペイントレスラーは、顔または全体にメイクをして活動するプロレスラー。
 活動時のリングネームは本名とは違う名前とするケースが大半である。

 ▼概要

 主に怪奇派レスラーが自身のキャラクターに肉付けする意味合いで使われることが多いが、深い意味は無くともペイント自体が自身の代名詞と成り得る場合もある。
 また、ヒールレスラーが顔に凄味を出すために利用する場合もある。日本国内では一般的にザ・グレート・カブキを元祖とする傾向があるが、カブキ以前にも1970年代にデトロイト周辺で「ザ・カブキ」名義で活動したレスラーが歌舞伎の隈取りをしたペイントレスラーとして存在したことや、同時期に「ムラサキ」なるペイントレスラーが存在したことも確認されている。
 また、マサ斎藤がワールドプロレスリング解説時に「僕も昔、顔に塗って、こういうスタイルでファイトしてました。外人には受けるんですよね」と語っていたことからペイントレスラーの元祖が誰になるのかは諸説あり、定かではない。
 ただしコンスタントにペイントレスラーとして活動し、ペイントレスラーという呼称が付いたのはカブキからであり、このことについてマサ斎藤も「カブキ以前にもいたことはいるんですけどね。
 やっぱり彼が元祖ですよ」と語っている。
 その後、カブキのギミック上の息子であるグレート・ムタがペイントレスラーの正統な系譜として登場したのを皮切りに、ムタのオマージュキャラクターである多くのペイントレスラーが誕生しており、アメリカでもロード・ウォリアーズやスティングなど著名なペイントレスラーが誕生し、その認知度は飛躍的に高まっていった。
 また、女子レスラーにも井上京子やアジャ・コングに代表される著名なペイントレスラーが存在する。
 また、フィン・ベイラーのように普段は素顔で試合をするが、規模の大きな大会など、ここ一番の試合でのみペイントを施す選手もいる。
 東洋系のレスラーがアメリカ人受けする目的で行い始めたため、主に日本、アメリカにおいて多く存在し、メキシコやヨーロッパのプロレスにはあまり存在しない。

 ▼ペイントの利便性

 覆面と同様に地味なレスラーや普段目立っていないレスラーにペイントさせ、注目を集めるといった興行的目的で使われることもある。
 また、ペイントをすることで素の自分とは異なるキャラクター・人格になりきり、素顔の時には出せなかった実力が発揮できる効果もある。
 武藤敬司がグレート・ムタに佐々木健介がパワー・ウォリアーに扮するように覆面レスラーとは違い、正体は明らかであるがレスラーのバリエーションの一つとして別名義での活動が可能であり、初期の武藤≠ムタに見て取れるように素顔がベビーフェイスであってもペイントレスラー時ではヒールというように、たとえ素顔で知名度があるレスラーでもそのキャラクターはそのままに、容易に二面性を演出出来るなどの利点もある。
 さらに試合の途中からペイントを施し別キャラクターとして試合を行ったり、試合毎にペイントのデザインを変更出来るなどの利点も存在し、覆面に比べ視界の確保が容易であることも、その一つとして上げられる。

 ▼ペイントの不便性

 覆面と違い、いくら上塗りを重ねてもリング上で激しく動くことにより徐々に剥がれて来たり 汗で塗料が落ちてしまうなどの難点があり、素顔を隠す場合には不向きである。
 特に初期のムタはこの例が顕著であり、試合終盤から終了にかけてほとんどペイントが剥がれてしまい素顔の武藤になっていることが大半であった。
 ペイントが占める面積が多いほどこの例は顕著であるが、怨霊のように試合終了後もその素顔がほとんど見受けられない例もある。
 また、試合毎にペイントのデザインを変更出来る利点も、反面その都度ペイントを施さなくてはならない点や、ペイントが複雑な場合、毎回同じデザインで施すのが難しいなどの難点もある。
 多くの場合、レスラー本人が鏡を見ながら自身でペイントを施しているため、初期のムタのように文字が裏文字になっている例もある。

 ▼ペイントレスラーの定義

 ペイントレスラーの呼称に定義はなく、明らかに何らかのペイントを施しているレスラーは全て、ペイントレスラーと呼べるが、一般的には顔面の大半にペイントを施しているレスラーを指すことが多い。
 ブル中野やダンプ松本、北斗晶、葛西純やC-MAX時代CIMAのように一部分にアクセントとして使用していたり、前述した「メイクの延長線上」で行われている場合、顔の大半が出ている場合は、ペイントレスラーと呼称されないことの方が多い。
 しかし、ムタのように元がペイントレスラーで派生していったものや、AKIRAのトカゲを模したようなオブジェを顔面に接着した覆面とペイントの中間に位置するような場合は便宜上ペイントレスラーの扱いを受けることもある。
 前述したハヤブサのような例は覆面レスラー(マスクマン)の類いであり、覆面の下にペイントを施している場合は、ペイントをしている覆面レスラーといった具合でペイントレスラーの括りに入れられることは少ない。

 ▼覆面との対比

 ペイントレスラーの対比として覆面を被って活動する覆面レスラー(マスクマン)が存在するが、ペイントレスラーは公の場に出る際に、覆面レスラーと違い比較的素顔を晒す頻度が高い。
 これは素顔を隠す目的でも使用する覆面とは違い、前述したように試合中に剥がれ落ちたり、単なるキャラクターの肉付けや、+αの意味合いで使用されることも多いため、必ずしも人前で素顔を隠す必要がないためである。
 また、ペイントレスラーの総数はマスクマンに比べその比率はあまり高くない。

     〔ウィキペディアより引用〕




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