「あら、変よ。お母様、変よ」
と云つて私は鼻の先に手をやつてみた。……もう息は感ぜられなかつた。
「死んぢやつた、……死んぢやつたわ」さうは云つたが、本当に死んぢやつたとは思へなかつた。
なむあみだぶつ……なむあみだぶつ……と唱へながら、おばあ様は眼をなぜておやりになつた。
「おゝ、おゝ、可哀想にな、迷はず成仏するんだよ。あとはよくしてやるからな、ナムアミダブツ……ナムアミダブツ」とおつしやるのを夢の様にきゝながら、私にはまだ信じられなかつた。時に昭和十六年九月廿六日午後五時五十分。
西の空に夕やけがきれいだつた。
もとのまゝこの静けさの中に、私は一人ぼつちになつて坐つてゐる。私にはとても信じきれない気がした。そして「ミノ、みの」と口の中でつぶやく様によびながら、何度も頭をなぜてゐた。
しばらくして、もううす暗くなつてから、さつきの獣医さんが帰つて来た。
私は始めて自分が地面へ坐はりとほしてゐたことに気がつき、寒さを感じて部屋へ這入つた。
二階の床の上へあほ向いてねころび、電気もつけづ只ぼんやりとしてゐた。涙なんか忘れてしまつたものゝやうに。
「…………」
階段に足音がして、お母様が上つていらした。
「可哀さうなことをしましたね。でもこれは運命なんだから、これだけの運しかもつて来なかつたんだとあきらめませう。ガツカリしちやあ駄目ですよ」
とおつしやつた。私はお母様にさう云はれて始めて悲しくなつた。ポロポロと涙が耳の方へ流れて行つたと思つたら、ぐーつと胸にこみ上げて来て「わーつ」と声をあげて泣いてしまつた。お母様も泣いてらした。
「泣けるだけおなきなさい。でも泣くだけ泣いたら、もうあきらめるのよ」と云つて降りていらつしやつた。
私のことを心配して来て下さつたんだと後になつて思ふ。
私が下へ行つたら、もう傷口はきれいに縫つてあり、ちつともわからない位になつてゐた。大きめの箱に藁をしいて入れ、「みの」が遊んだマリやブラシや、それからお菓子などいろんなものを一しよに入れてやつた。
そしてあの犬小屋へおいた。……
あの日のお夕飯位不味いものは、未だかつてためしがない。お父様は、
「これからいつ空襲がある様になるかわからない。空襲でもあつたら、あいつ気が立つて仕末におへんぞ。気狂ひになるかもしれん。今死んだのは忠義だつたかもしれないよ」
おばあ様は、
「ねえ、最後に首をガクンガクンと丁度、お辞儀みたいにふつたね。お辞儀したのかもしれないよ。有りがたう有りがたうつてね」
お母様は、
「お医者にかゝつて、いぢられるのが大嫌ひだつたから、こんな死に方をしたんでせう。でも「みの」にしてみたら、病気になつていぢられるよりどんなにいゝか知れませんね。ほんとにあの犬は病気つてしたことがなかつたから……」と、それぞれに、それぞれのことをおつしやつた。
私は黙つてゐた。
それでなくてもあふれさうになつてゐる涙が、何か云へばあふれ出しさうであつたから。
胸に何かつかへてる様に重苦しくて御飯がとほらなかつた。
蒲団へもぐりこんで、私は短い時間の間におこつた、おそろしく沢山の事を次々と古い思ひ出をたぐる様に考へてゐた。嘘ぢやないかと思つた。昨夜眼がさめてみたら「みの」がワン/\吠えてたつけ、さう云へば四、五日前からいやにうるさく散歩をねだつたつけな。死ぬのを知つてたんぢやないかしらん、などゝ取り止めもないことをつぎつぎと思つてゐた。
眼をつぶると、原をかけ廻る様子や、私を見つけてとんで来る時の姿や、散歩へ行くときの喜び方や、道をかぎまわつてゐるところ、怒つた顔、うれしい顔、嫌な顔……あらゆる時の、あらゆる恰好が眼の前に浮んでは消へた。そして最後のあのすんだ瞳へ考へが及ぶと、涙がポロポロと無雑作におちるのだつた。
「みの」は、私のたつた一人の弟で、又何でも云へる心からのお友達だつた。私は何か嫌なことがあると、きつと原ツパへ行つて「みの」に話した。みのはいつも黙つてきいてくれる。ほんとにいゝお友達だつた。
「みの」は王様だつた。最後の最後迄王様だつた。知らないくせに、お世辞を云つて近よつて来る様な奴が大嫌ひだつた。
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