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CTNRX的文學試行錯誤 No.003

2023-04-04 21:00:00 | 出来事/備忘録
 みのを轢いた自動車の運転手さんがあやまりに来た。そして御主人にお詫びしなければならないのだが、急ぐ荷物をのせてゐるから帰してくれと云つた。
「あやまちは仕方がありません。あなたも御運が悪かつたのです。どうぞ御心配なくお引とり下さつて結構ですから」とおばあ様も、お母様もさう慰めておやりになつた。
 私もちつとも運転手さんをにくむ気持はおこらなかつた。只……只、一度だけ、その為に死んで行く「ミーコ」に頭を下げてもらひたかつた。
 それはあの人達、後悔してあやまつてゐるあの人達に対する辱かしめではあるかも知れないけれど、たつた一人の弟とも、心からの友達とも思つてゐる私の身になると、たつた一度……たつた一度でよいから「済まなかつた。今度は人間に生れてこいよ」と云つてもらひたい気がした。
「ミーコ、あの人達を恨まないでやつておくれよ。おまへを憎んで轢いたんぢやない。悪意があつてやつたわけぢやないんだからね……私とおまへはずゐ分仲よしだつたね。私の思つてることをおまへはみんな知つてゝくれたのね。……だけどおまへはもういゝ所へ行かなきやならないのよ。神様のいらつしやるところへ……。でも又私たちはそこであへるんですつて……。待つてゝね。ミーコ。私も今に行くからね」と人がゐなくなると、そんなことを、「みの」の耳もとでさゝやいてみるのだつた。
 みのは黙つてきいてから、
「えゝ、わかりましたよ。きつと待つてますよ」と云ふやうに私をみ上げた。
 獣医さんが自転車でかけつけてくれたのは、もうひかれてから一時間半もたつた四時半ごろだつた。獣医さんが聴診器を出して、「みの」にさわらうとしたら、今迄あんなにおとなしくて、私が頭をなぜても毛一本動かさなかつた「みの」が、鼻の頭に皺をよせて、舌の色までかへて、猛然とうなつて反抗を示したのにはびつくりした。
「もう、とてもかみつく元気はないと思つてましたが、中々もつて気のつよい犬ですね」と獣医さんも舌をまいて感心してゐる。
 しかし、かみつくことは身体の自由がきかないので出来なかつた。いつもなら、もうかみつかれてゐる所である。
「この傷だけならなほりますが、内出血がひどいから、とても駄目ですね」と云ひ、傷の方の手当の道具をもつて来てないからと、直ぐ又、自転車で引返して行つた。
 日が西に傾いて夕方の風が冷くなつた。私は地面へ坐つて、筆に含ませた水を「みの」の口へそゝいでやつてゐた。
 あんなに欲しがつてゐた水だつたけど、もう「みの」には飲む力がなかつた。
「みの」は相変らずの姿勢で何かを思ひ出してるやうな、ますます深い輝きをもつた黒い瞳を、じつと暮れかける空の向ふの方に向けてゐた。
 死んぢやつたんぢやないかしら、と思ふ程、その眼はしづかで動かなかつた。
 私は、やつぱりかういふきれいな夕暮れの戸山ヶ原の草の中に、二人で坐つてゐた、あの頃の「みの」を思つてゐた。
 あの時のみのの眼は、やつぱりこんなにきれいだつた。……だけど、どこかイタズラッ子らしい無邪気さがあつた。――今の「みの」の眼はすみきつてゐる。悟りきつてゐる。さういふ深さがある。そして、あゝ、あんなに散歩に行きたがつてゐたのに、つれていつてやればよかつた。あんなに好きな戸山ヶ原だつたんだものと後悔した。
 私はこの四、五日風邪でねてゐたので連れていつてやれなかつたのだ、今日もとび出す前迄ねてゐたのだから。
 しかし、私はもうそんなこと考へる余裕なんてなかつた。別に何といふまとまつたことは考へてもゐなかつたし、又考へられなかつたが、只いろんな気持を、さつきからのいろんなことで頭が一杯だつた。
「……みの!」ハツと我に帰つて呼んでみる。「みの」も我に帰つたやうに眼をあげて、やさしく私をみる。しかし、この静かなひとときも長くはつゞかなかつた。
「……みの」何度目かに呼んだとき、やつぱり可愛く私たちを見上げたが、直ぐ、
 ハツ!……ハツ!……ハツ! と苦しさうに三度大きく首を地につけたまゝ上下にふりながら、あえぐ様に息を吐いた。
               (続き→)


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