CTNRXの日日是好日

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

CTNRX的文學試行錯誤 No.002

2023-04-04 21:00:00 | 出来事/備忘録

 私が、この小説を読んで感じた事は、文章が綺麗で素直な感じがしました。
 そして、この小説に出会ったのは偶然の産物からでした。


 たまたま、ネットを検索していたらある書物一冊を見つけたのです。それが、『夭折の天才群像―神に召された少年少女たち』でした。その本の中に平山加代子という名前があり、ネットで調べたところこの作品に出会いました。『みのの死』でした。紹介します。
 青空文庫からダウンロードしました。     

 多少、読み難いですが(編集してます)
ゆっくりと読んで頂ければ、嬉しいです。

  『みの』の死
          平山 千代子著

 気狂ひの様になつて帰つて来たゑみやから、「みのが轢かれた」ときいて、私が飛び出して行つたとき、みのは黄バスのガレーヂの傍に倒れて、かなしい遠吠えをしてゐた。
「みの! みの!」私は人前もかまはず、さう呼んで、冷いコンクリートに膝を突いてしまつた。
「みの! どうしたのどうしたの」
 美濃は私の声をきくと遠吠えをやめて、チラと私を見上げ、眼を細くして満足の表情を示したが、もう尻尾はふれなかつた。
 見ると腰を轢かれたらしく、後足が少し裂けて、白いものが出てゐた。その時は分らなかつたが、白いのは折れた腰骨の端であつた。
 しかし、そのわりに血は出ず、ただ傷口と口腔から、血を出してゐたが、あまりみぐるしい程ではない。私が来てからは吠えるのもやめて、只ガツクリとそばの板に頭をもたせかけ、丁度、枕をする様な恰好でじつとしてゐる。只呼吸だけは苦しさうに、体中でハツ、ハツとついてゐる。周りは一杯の人だかり。
「まあ、可哀想に。苦しさうですわ。水をのませておやりなさいな」一人の小母さんが云つた。かういふ重傷のとき、水をのませると直ぐ死ぬといふことを、私はきいた様に思つてゐたから、その気持だけを受けて、
「はあ、さうしませう」と答へた。
 みののことで世話になつたお巡りさんが、
「さあさあ見世物ぢやないんだ」と皆を追ひ払つてくれたのはうれしかつた。
 私は……さう、私はたしかに案外平静だつた。涙なんか一つも出なかつた。極度の緊張に涙が凍つて出なかつたのかもしれない。時々「みの! みの!」と呼びながら、只静かに皆の来るのを待つた。
 おばあ様のお骨折で、正源寺の小父さんがリヤカーを引つぱつて来てくれた。
 私は、リヤカーにのせる時さわつたら、みのはこの傷をうけたんだから、気が立つてかみつきやしないかと心配したが、私が抱き上げても声一つたてずじつとしてゐた。平素怒りつぽくて、気の強いみのには似合はず、落着いて分別しきつた態度だつた。
 おばあ様と、節ちやんと私とはリヤカーにつきそふて家へ向つた。
 ガタガタする砂利道では、傷に響くのを恐れて、二人で持ち上げてやつたりした。
 いろんな思ひ出をもつたあの青ペンキの「美濃の家」の前へ下ろされてからのみのは、やつと居心地がよくなつた様に、何度も目を細めて私を見たり皆を見たりした。
 直ぐ遠藤さん(獣医さん)へ電話をかけたが、生憎お留守だとのこと。正源寺の小父さんは目白の方に獣医さんがありますからと、自転車で方々かけ廻つて下さつた。
 みのはいかにも苦しさうで、水を欲しがつてゐる様子は誰にもわかる。
 やりたいのは山々だが、せめて獣医さんが来る迄と、水の皿をとりよせようとして止めたこと幾度か……それも、もしかして助かるかもしれない、といふかすかな望みをすて切れない未れんからであつた。誰もが、
「あゝ、もうこれは駄目ですね。助かりませんね」と云つた。
 私も本当は心の中では駄目だなあ、とても助かりつこないなあ、と思つてゐた。
 けれどやつぱりどこかで、助かるかもしれない、なほるかもしれない、と思ふ気持を諦めきれないのだつた。
 みのはかつてない程、静かに落着いてゐた。苦しさうではあつたが、その眼は血走るどころか、不思議なほどに美しくすみきつて、どこかしらぬ遠い空の向ふをみつめてゐた。
 私はみのの視線を追つて空を見上げた。青くすんだ秋の空に、赤トンボがいくつもいくつもスイスイととんでゐた。
 私はもう直ぐ別れなければならぬであらう、可愛い可愛いミーコと一しよにその空をきれいだなあ……と思つてみた。
                (続き→)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿