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言の葉辞典 『米』①

2023-10-24 21:00:00 | 言の葉/慣用句

 ■『米』①

 【読み方】
  音読み べい、まい [外]め
  訓読み こめ [外]よね

 【意味】
 米とは、稲の種子からもみ殻を取り除いたもの。
 日本人の主食となる穀物。

 【語源・由来】
  米の語源は、「こめる(籠める)」の連用形が名詞化したとする説が有力となっている。
 古く、米は「ヨネ」の使用例が多く、「コメ」の語は使用例が少ない。
 「コメ」の語が多く用いられたのは、改まった儀式の場であったことから、米には神聖なものや生命力のようなものが宿っており、「籠められたもの」の意味で「コメ」になったといった解釈もある。
 平安中期以降、「ヨネ」は古語として扱われ、「コメ」が多用されるようになった。
 米の語源で「こめる(籠める)」に次いで有力とされている説は、酒の醸造を意味する朝鮮語「コメン(コム)」の変形とする説である。
 酒の醸造法は朝鮮から伝来したといわれ、「醸す」も「カム」「コム」と繋がりがある。
 ベトナム語の「コム」やタミル語の「クンマイ」なども、米の語源と考えられており、アジアをひとつの国と考えれば、当然の繋がりとも考えられるが、発音の似た言葉で確実に語源が異なる言葉も多くあるため、偶然の一致とも考えられる。
 その他、「小実(コミ)」や「小目(コメ)」が転じたとする説もあるが、上代特殊仮名遣いにおいて「米」の「コ」と「小」の「コ」では仮名遣い異なるため、有力とされていない。

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 米(英: Rice)

 稲の果実である籾から外皮を取り去った粒状の穀物である。
 穀物の一種として米穀(べいこく)とも呼ぶ。
 食用とする場合、系統や品種の性質によっては調理法が異なるため注意が必要。

 日本では主食の一つであり、日本語では「稲」「米」「飯」といった、植物としての全体と実、収穫前と収穫後さらに調理前と後などにより使い分けられる多様な語彙がある。
 日本を含む東アジアおよび東南アジア、南アジア以外では一般的に主食として特別視することが希薄であり、こうした区別がない言語が多数ある。
 例えば英語圏では全てriceという同一の単語で扱われる(反対に、日本では「大麦」「小麦」「エン麦」などが余り区別されず「麦」という総称で言われる)。
 また、日本語で「飯」は食事全般も指すため、「朝御飯はパンを食べた」という表現も普通に使われる。

 《種類》

 米は各種の観点から以下のように分類される。

 なお、日本では農産物検査法による公示の『農産物規格規程』や、JAS法に基づいた告示の「玄米及び精米品質表示基準」に一定の定めがある。

 ▼水稲と陸稲

 水田で栽培するイネを水稲(すいとう)、耐旱性や耐病性が強く畑地で栽培するイネを陸稲(りくとう、おかぼ)という。
 水稲と陸稲は性質に違いがあるが、同じ種の連続的な変異と考えられている。
 一般的に圃場の整備については水稲の方がコストがかかる一方で、面積当たりの収量が多く、連作障害が殆ど無いなどのメリットと、全国的に水田整備が行き渡ったことから、現在、日本の稲作では、ほとんどが水稲である。
 水稲の収穫量は798万6000tで陸稲の収穫量は2700t(2015年見込み)おおよそ水稲は陸稲の2957倍となっている。
 また、栽培面積においても水稲が99.9%以上を占めている。
 日本では水稲と陸稲の区分は農産物規格規程においても規定されている。
 日本では水稲と陸稲は明確に区別されているが、他の国では明確には区別されていない(世界的に見ると水稲といっても灌漑稲、天水稲、深水稲、浮稲のように栽培の環境は大きく異なっている)。

 ▼粳米と糯米

 米のぬか層を除いた中心部分(胚乳)のデンプンの性質(糯粳性)の違いにより、粳性のものを粳種あるいは粳米(うるちまい、うるごめ、あるいは単に粳〈うるち、うる〉)、糯性のものを糯種あるいは糯米(もちまい、もちごめ)に分けられる。
 日本では玄米及び精米品質表示基準で、「うるち」と「もち」に分けられている。

 ★粳米(うるちまい)

 デンプン分子が直鎖のアミロース約20%と分枝鎖のアミロペクチン約80%から成る米。もち米より粘り気が少ない。 
 粳米は通常の米飯に用いられる。販売で「うるち」を省略されることが認められていて、「もち」と断りが無ければ「うるち」である。
 団子などの材料とする上新粉は、粳米を粉末に加工したものである。
 糯米(もちごめ) デンプンにアミロースを含まず、アミロペクチンだけが含まれる米。
 モチ性の品種のデンプンは調理時に強い粘性を生じるという特性を持つ。
 透明感がない乳白色が特徴で、餅や強飯・赤飯に用いられる。
 白玉の材料とする白玉粉や和菓子の材料とする寒梅粉は、糯米を粉末に加工したものである。
 アジアイネではジャポニカ種だけでなくインディカ種にも糯米が存在するが、アフリカイネについては糯性のものは知られていない。

 日本では、餅以外の「ご飯」ではアミロースが少なく、粘りや甘みがある米の品種が好まれてきた。現代ではパラパラした食感に炊き上がる高アミロース米が開発されている(秋田県の「あきたぱらり」、福井県の「越のリゾット」など)。
 チャーハンやパエリアに向くほか、一般的にアミロース含有率が高いほど食後の血糖値上昇が緩やかになることなどが理由である。
 なお、糯粳性のある植物としては、イネのほか、トウモロコシ、オオムギ、アワ、キビ、モロコシ、アマランサスなどがある。

 ▼軟質米と硬質米

 米は軟質米と硬質米に分けられる。
 軟質米は食味の点で優れるが貯蔵性の点では劣る。

 ▼飯用米と酒造米

 醸造用の酒造米(酒造用米、酒米)は飯用米と区分される。
 農産物規格規程には、「うるち」と「もち」に加えて醸造用が定められている。
 酒造が酒税法で規制されている為、個人用には売られていない。

 ▼新米と古米

 米は新米と古米と区分される。

 新米と古米(しんまいとこまい)

 その年に収穫された米と、前年に収穫された米。

 同様に、前々年に収穫された米を古古米・古々米(ここまい)、以下同様に、古古古米・古々々米(こここまい)、古古古古米・古々々々米(ここここまい)と、古(こ)を収穫した年から現在までの年数分呼ぶ。

 《定義》

 新米と古米の区別について、明確な定義はない。

 11月から翌年10月までの米穀年度を基準にすると、11月1日をもって新米が古米に変わることになる。ただしこの定義は、夏から10月までに取れた早場米に適用できない。
 なお、新米・古米の区別と直接には関わらないが、米の備蓄計画では7月から翌年6月までの1年間を単位としている。

 米の品質変化は梅雨時期に大きいため、梅雨明けに古米になると考えることもある。
 ただし、現代では低温倉庫が普及したため、必ずしも梅雨時期に変化が大きいとはいえない。
 JAS法に基づく「玄米及び精米品質表示基準」によれば、新米と表示できるのは、収穫年の年末までに精白・包装された精米に限る。
 そのため、店頭で新米と表示された米が売られるのは、翌年の年初か、せいぜい春までである。
 ただし、新米と表示できなくなったからといって、古米になるというわけではない。

 《違い》

 古米には、新米に比べ次のような違いがある。

 ・米飯が、硬く、粘りが少ない。
 ・米飯の光沢や白度が低い。
 ・古米臭がする。
 ・水分が抜けているため、炊いた時新米より2、3割膨れる。
 これらは古古米、古古古米になるにつれ強くなる。

 東南アジア・南アジアでは、粘り気の少ない米飯が好まれ量も増えるため古米の方が人気である。
 また日本でも中世から近世にかけては新米よりも古米の方が値段が高い。
 これは炊くと量が増えるからで、味よりもお腹が一杯になる方が重要だったと考えられる。
 現代でも、寿司飯は酢の浸透が良いという理由で古米を使う、若しくは一部ブレンドする。

 ▼有色米

 黒米、赤米、緑米などを総称して有色米という。
 野生種に近い米である。
 古代から栽培していた品種あるいは古代の野生種の形質を残した品種の総称として古代米と呼ばれることもある。
 ブータンでは赤米の一種であるブータン赤米が主食として広く食されている。
 また、米ではなく葉や茎、穂が緑以外の色(紫、黄、赤等)に染まる稲を指して有色米という場合もあるが、穂などが着色するからといって必ずしも玄米が着色するわけではない。
 例えば「紫の君」は玄米は黒米となるが葉色は緑である。
 そのような稲の活用事例として有名なものに青森県田舎館村が1993年より村おこしで、異なる稲を植え分けて絵を描く田んぼアートを行なっている。
 また、それらの品種をさらに改良した観賞用稲の開発が青森県や秋田県で行われている。

 ・赤米(あかまい)

 日本の米のルーツといわれ、「古代米」ともいわれ、白米よりもビタミンが豊富。
 炊飯するときは、白米を少し混ぜて長めに浸水してから炊く。

 ・黒米(くろまい)

 アントシアニン色素を含んでいるのが特徴で、白米よりもビタミンやミネラルが豊富。
 炊飯するときは、白米を少し混ぜて長めに浸水してから炊く。

 ▼香り米

 強い香りを持つ品種を香り米という。東南アジア、南アジア、西アジアなど、地域によっては香りの少ない品種よりも好まれる。
 インドのバスマティなどが有名。 日本でも北海道、宮城県、高知県、鳥取県、宮崎県など各地で独自に香り米を作っていて、生産は増加傾向にある。

 《歴史》

 稲は、原産地である中国大陸の中南部から北部、南アジアに、そして日本へと伝わった。
 麦の一定面積あたり収穫量が1haあたり約3.5tであるのに対して、米は約5tと多く、他地域に比べてアジアの稲作地域での人口増大を可能にした。

 ▼日本

 稲作は日本においては、縄文時代後期から行われ始めたといわれる。
 これはプラント・オパールや、炭化した籾や米、縄文土器に残る痕跡などから分かる。大々的に水稲栽培が行われ始めたのは、縄文時代晩期から弥生時代早期にかけてで、各地に水田の遺構が存在する。
 弥生期では一粒当たりから生産できる量は400粒ほどだったが(それでも麦が一粒当たり150 - 170粒の生産量であることを考えれば、高い生産量といえる)、品種改良や水田開発が進んだ現在では一粒当たり2千粒(約5倍)まで生産量が上がっている。
 米は、食料として重要である一方で、比較的長期に保存ができるという特徴から、マダガスカルのメリナ人やタイにおけるサクディナー制など、米食文化においては経済的に特殊な意味を持ち、これは日本でも同様であった。

 長らく租税(租・あるいは年貢)として、また、石高制に代表されるように、ある地域の領主や、あるいは単に家の勢力を示す指標としても使われた。
 貨幣経済が発達すると、それとの調和を図るべく、札差業が発達、米切手の発生や堂島米会所に代表される近代的商品取引システムの生成が見られ、江戸時代には政治経済の中心に米が置かれていた。
 そのため日本人の米に対する思い入れは強く、米は最も重要な食べ物とされ、主食とされてきた。
 天皇が新米を含む五穀を神に捧げて収穫に感謝する新嘗祭のように、神道など信仰や民俗・文化とも深い関りを持つ。
 宮城県は仙台藩時代から米の生産が盛んで正月以外にも餅を食べる習慣があり餅料理が発達した一方、第二次世界大戦前には関兵精麦が米穀餌料の卸や精麦で多額の利益を得ているなど、麦の需要が多かった地域でもある。
 これは仙台藩が米を江戸への輸出用(換金作物)として扱っていた名残とされる。
 戦後も麦の需要減少は緩やかであったため、関兵精麦は余力を残したまま不動産業への転換に成功している。
 越後長岡藩の武士によるとされる、文化2年(1805年)刊行の『粒粒辛苦録』は、農民のきわめて厳しい食生活を描いている。
 これに対し、同じ越後長岡藩の庄屋大平家が天保6年(1835年)に著した『農家年中行事記』は、しばしば行事が催され食物や酒がふるまわれ、小作人を含めて自由に食を楽しんでいた様子が窺え、為政者による記述とは異なり農民側からの記述には悲惨さが感じられない。

 このように、最近、各地域に残された家文書の研究が進み、厳しい制限の下に雑穀を中心とした食生活を強いられた貧しい農民像が必ずしも実態を示すものではないことが分かってきた。
 戦後の学校教育などにより「近世の百姓は米を作りながら米を食べられなかった」という「哀れむべき農民像」が半ば常識となっていることについては、これは為政者側が望んだ農民像であり、実際の農民側の記録を分析したところ近世の農民は、1日に4合程度の米を麦飯あるいは雑穀などとかて飯や雑炊にした食事を日常的に摂っていたという。
 必要な栄養を摂取することによりそれなりの食糧生産ができるわけで、それが、かて飯や雑炊であったにしろ食べずに米を作っていた筈はないのである。
 明治以降、日本は急激な人口増加と生活向上に伴って米の需要が高まったが、当時の日本国内の生産力はその需要に対応しきれず不足分を恒常的に輸入する一方で、米も通常の物資と同じく市場経済に基づき取引されており、相場商品・投機の対象として流通に不安を来すこともあり、しばしば社会問題となった。
 1921年(大正10年)米穀法が施行され政府備蓄米による価格統制や輸入米の関税統制が行われるようになった。
 また、1920年代には、植民地化した朝鮮半島において、農業近代化による米の増産計画(朝鮮産米増殖計画)が実施されるなどした。
 しかしながら、安定的供給までには至らず、1933年(昭和8年)米穀統制法、1936年(昭和11年)米穀自治管理法が施行され、米の生産・流通の統制が強化された。
 さらに、太平洋戦争開戦に向けての戦時体制整備の一環として、1939年(昭和14年)4月に米穀配給統制法が制定され、米の流通が政府により管理されるようになった。
 なお、同年9月には戦時の物資不足に鑑み興亜奉公日が設定され、日の丸弁当が奨励されたものの白米は禁止されず、この時点ではまだ米不足は酷くはなかった。
 だが12月には厳しさを増し米穀搗精等制限令が出され、七分搗き以上の白米を流通に付すことは禁止、1940年(昭和15年)の正月は餅すら白米は許されなかった。
 米不足は深刻となり、この年から中国や東南アジアからの輸入米(いわゆる外米)を国産米に混ぜて販売することが義務付けられた。

 1940年6月1日以降は、米を筆頭に生活必需品10品目について配給切符制が導入。     
 更に、日米開戦の2ヶ月後の1942年(昭和17年)2月には食糧管理法が制定され食糧管理制度が確立、米の流通は完全に政府が掌握するようになった。
 米だけでなく、魚介類や野菜・果物も配給制になり、国民の栄養状態は極度に悪化していった。こうした食糧難に対して、江戸時代のかてものの研究に帰って、食用野草や昆虫食など非常食の工夫が盛んに試みられた。
 一方米食の習慣がなかった地域や家庭では、配給制になったことで米を食べる機会を得て、そのことが戦後の食生活の変革の一因となったとする指摘もある。
 1945年(昭和20年)に第二次世界大戦は終結。戦後の食糧難は深刻を極めたが、米は引き続き食糧管理法による政府の固定価格での買い上げだったため闇米が横行、闇米を拒否した東京地裁の判事山口良忠が餓死するという事件も起きている。
 米の生産拡大のための基盤整備事業が国内各地で行われ、肥料の投入や農業機械の導入、品種改良などによる生産技術の向上から生産量が増加したものの、少なくとも昭和30年代(1955年〜1964年)までは、大半の日本人が米飯を常食とすることはできなかった。
 そのような中で、ガリオア・エロアの資金援助でメリケン粉が大量に輸入され、アメリカの小麦戦略により、学校給食はメリケン粉を使ったパンが供され、1952年(昭和27年)には栄養改善法が施行され慶應義塾大学医学部教授の林髞の著した『頭脳』(光文社、1958年)が評判となり、「米を食うと馬鹿になる」という説が流布され、頭脳パンなるものが出現するなどし、日本人の食事の欧風化が進行した。

 米食悲願民族といわれる日本人にとって、米を実際の主食とすることは有史以来の宿願であったが、昭和40年代(1965年〜1974年)初頭には、ようやく米の自給が実現でき、名実ともに主食となった。
 しかし、その時既に戦勝国として日本を占領したアメリカ合衆国の小麦戦略は見事に成功をおさめ、学校のパン給食や厚生省が始めた栄養改善運動も手伝って、日本人の食事の欧風化が進行し、米離れに拍車がかかっていた。
 このため全国で米余り現象が起き、食糧管理法下におけるコメ政策は見直しを余儀なくされるようになり、1970年(昭和45年)以降は減反政策といわれる生産調整政策(新規の開田禁止、政府米買入限度の設定、転作奨励金の設定など)がとられた。
 その結果、水稲の作付け面積は 1969年(昭和44年)の 317万ヘクタールをピークに、1975年(昭和50年)には 272万ヘクタール、1985年(昭和60年)には 232万ヘクタールに減少、生産量も1967年(昭和42年)の 1426万トンをピークに、1975年(昭和50年)には 1309万トン、1985年(昭和60年)には 1161万トンに減少した。

 生産は減少したものの、米離れに歯止めがかからず、政府備蓄米などに古米、古古米の不良在庫が多く発生。
 米の消費拡大のために、それまで主食はパンだけであった学校給食に米飯や米の加工品がとりいれられるようになったり、古米をアフリカなどの政府援助に使用したり、その他家畜の飼料にしたりして処分するなど、在庫調整に腐心するようになった。
 そのような状況の下、流通面においては、縁故米の拡大から自主流通米の承認などにより、食糧管理制度の逸脱を認めるようになった。
 しかしながら、根本的解決には至らなかったため、食管赤字は収束せず、生産者米価よりも消費者米価が安い逆ザヤだったため、歳入が不足し赤字(食管赤字)が拡大、1980年代には、国鉄、健康保険とともに、日本政府の巨額赤字を構成する「3K赤字」と呼ばれるようになり、行政改革における重要なテーマとなった。
 供給においても、1983年(昭和58年)の不作時には、政府が放出しようとした1978年(昭和53年)度産の超古米に規定以上の臭素が検出され安全性に問題があるとされたため、翌1984年(昭和59年)に韓国から米15万トンの緊急輸入が行われたり、1993年(平成5年)の全国的な米の不作による平成の米騒動においては、タイなどから米の緊急輸入が行われるなどした。なお、米の消費量は、ピークの1962年(昭和37年)には、日本人一人あたり年間118.3キログラム消費していたものが、その後一本調子で減少、1990年代後半には、ひと頃の半分の60キログラム台に落ち込んだ。
 家計支出に占める米類の支払いの割合は、10%強だったものが 1.1 - 1.3% と 1⁄10 になり、米の地位低下が甚だしい。

 一方で1993年(平成5年)、ウルグアイ・ラウンド農業合意により、米の義務的な輸入(ミニマム・アクセス)を課せられるようになり、食糧管理制度は本格的な見直しを迫られた。
 1995年(平成7年)、主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律いわゆる食糧法)が施行され、これに伴い食糧管理法は廃止となり、政府の管理が緩められた。水稲の作付け面積と生産量に関しては、その後も減少し、1995年(平成7年)には作付け面積 211万ヘクタール、生産量 1072万トンに、2000年(平成12年)以降は、作付け面積 170万ヘクタール、生産量 900万トン程度となり、作付け面積は半減、生産量は60%程度を推移している。
 また、食糧法は、2004年(平成16年)に大幅に改正され、さらに政府の関与度を減らしている。

 ▼中国

 アジア米の原産地はインドアッサム地方から中国雲南省というものが有力な説であり、15000年前には長江中流域で稲作の形跡が見られるなど世界最古の稲作の歴史を有する。
 確実に稲作が行われていたとみなされる痕跡は、紀元前7500年頃 - 紀元前6100年頃の新石器時代彭頭山文化に属する彭頭山遺跡や八十壋遺跡において発見されている。
 日本の稲作もこの地域から伝わったものと考えられている。
 伝統的な農業地理の理解では、秦嶺・淮河線以南が稲作地域とされており、水源と土地に恵まれた長江中下流域において盛んであり、ここで生産された米は、大運河などを通じて華北地域まで運ばれ食を担った。
 元々は、ジャポニカ種であったが、南宋の時代に、インドシナ半島からインディカ種の一種である占城稲が流入すると、旱害に強く早稲種で二期作が可能であるという理由から一気に普及しこの地域での主要なイネの種となった。
 この時代、「蘇熟すれば天下足る」「江浙熟すれば天下足る」(長江下流域; 蘇・江=ほぼ現在の江蘇省、浙=ほぼ現在の浙江省)と言われ、下って明清代には、稲作の中心が長江中流域である現在の湖南省・湖北省に移り、「湖広熟すれば天下足る」と言われ、国の穀倉として認識されたことがうかがえる。

 一方で、秦嶺・淮河線以北は稲作不適地域と認識されていたが、1900年頃以降の日本の進出に伴い旧満州地域である中国東北部に寒冷に強いジャポニカ種を定着させ、その後の農業技術の発展から、この地域においても稲作が大々的に展開されている。
 2000年代後半時点で世界最大の米生産・消費国である。
 生産は、約7割がインディカ種、約3割がジャポニカ種となっている。
 インディカ種に比べジャポニカ種は手間がかかり高価であるが経済発展による所得向上からジャポニカ種の消費増加傾向のほか、地方都市間の人口移動による新たな消費層の発生などを背景に、中国の米消費量は増加傾向にある。
 一方で、1990年代後半に豊作だったことから作付け面積が減少、中国政府は2004年に援助政策に乗り出している。
 中国政府は寒冷地への稲作拡大だけでなく、収量を増やすための栽培技術や品種改良にも力を入れている。
 中国工程院の袁隆平らのチームが開発したハイブリッド米(英語版)「湘両優900(超優千号)」は2017年、河北省の試験圃場で1ヘクタール当たり17.2トンと米としては世界最高の収量を記録した。
 これは日本の平均の3倍近い[53][54]。翌2018年には18トン超と、記録を更新した。
 一方で、2004年に韓国へ輸出された中国製蒸し米、揚げ菓子などからホルムアルデヒドスルホキシル酸ナトリウムが検出され、韓国政府が輸入を停止するなど、安全性の問題も発生している(中国産食品の安全性)。

 ▼アメリカ合衆国

 アメリカ大陸で米が栽培されるようになったのは西洋人との接触以降のことであり、アメリカ合衆国における稲作の歴史はアジアに比べると短いが、2009年の生産量は1000万トンに達しており、うち440万トンが輸出されている。
 アメリカ国内での用途としてはそのまま使用するのが56%、加工用が18%、酒造用が12.2%、ペット用が12%などとなっている。
 アメリカ合衆国における米の産地は南東部のルイジアナ州、ミズーリ州、ミシシッピ州、アーカンソー州、テキサス州、フロリダ州、および南西部カリフォルニア州のサクラメント・バレーがある。
 すでに17世紀はじめに今のバージニア州でイネの栽培が始まっていたが、1694年にマダガスカルから稲作がサウスカロライナ州にもたらされ、南部諸州に広まった。
 これらの土地で栽培されたのはバスマティライスやジャスミンライスに代表されるアミロースの多い長粒種のインディカ米だった。

 一方カリフォルニアでは19世紀後半に鉱山や鉄道建設の労働者として中国や日本からの移民が増加して米の需要が発生したが、長粒種の栽培には成功しなかった。
 1908年にW.W. Mackieという土壌学者がサクラメント・バレーのビッグズで日本のイネの栽培にはじめて成功し、1912年にビッグズにはカリフォルニア米の試験場が作られた。
 カリフォルニア米はアメリカ合衆国の他の地域の米と異なり、短粒種または中粒種のジャポニカ米が大部分を占めている。
 カリフォルニアで公式に認められている品種は17種類があるが、中粒種のカルローズ、短粒種のコシヒカリとあきたこまちがもっとも成功している(アメリカ合衆国では米粒の長さが幅の2倍未満のものを短粒種、2倍以上4倍未満を中粒種、4倍以上を長粒種と定義している)。
 中でも1948年に開発されたカルローズはカリフォルニア米全体の85%以上を占める。
 一方、国府田敬三郎の農場では、カルローズ開発者のひとりであるヒューズ・ウィリアムズを雇用し、1950年代にカルローズを中東のイネと交配してKR55という品質の高い中粒種 (premium medium grain) を開発し、国宝ローズの名で販売した。
 同じ品種はJFC (JFC International) の「錦」にも使われている。

 ▼クリミア

 クリミアでは、コメが60万トン程度が生産されている。

 〔ウィキペディアより引用〕



言の葉辞典 『仁』

2023-10-23 21:00:00 | 言の葉/慣用句

 ■ 仁

 【読み方】

 音読み じん、に
 訓読み ー
 常用漢字表外 にん

 【意味】

 ① 孔子の道徳の根本原理。
 親に親しむという自然の親愛の情を、万人にひろめ及ぼした道徳的心情。

 ② 愛情を他に及ぼすこと。
 いつくしみ。なさけ。思いやり。

 ③ 仁道を行なう人。仁者。有徳の人。

 ④ ひと。にん。

 ⑤ 果実の核。さね。たね。

 ⑥ 細胞核に含まれる一~数個の球形または棒状の小体。
 主に蛋白質とリボ核酸とからなり、デオキシリボ核酸を含まないので染色仁と区別される。
 作用については明らかでない。

 ◆儒教が主張した愛情の一形態。
 愛とは、他人を大切に思い、いつくしむ感情をさす語である。
 それとは別に仁という語が成立しているからには、仁と愛とは同義ではない。

 語源については、一般には,仁とは、人間の姿を示す象形文字であるが、(太古においては、他部族の者は人ではないから) 自分の身近にいる親しい間柄の「仲間」、または、二人の人と人との間の愛情の意味、といわれる。
 儒教でも,仁をほぼ同様の意味で用いている。

 中国思想における仁は、徳の一つ。
 仁愛。
 特に、儒家によって強調されており、孔子がその中心に据えた倫理規定で、人間関係の基本。

 《概略》

 主に「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味しており、儒教における最重要な「五常の徳」のひとつ。
 また仁と義を合わせて、「仁義」と呼ぶ。
 古代から近代に至るまで東アジアの倫理規定の基盤であった。
 儒教的社会秩序(礼)を支える精神、心のあり方である。

 ・孔子

 儒学を大成した孔子は君子は仁者であるべきと説いた。

 ・孟子

 性善説に立つ孟子は惻隠(そくいん)の心が仁の端(はじめ)であると説いた(四端説)。
 惻隠の心とは同情心のことであり、赤ん坊が井戸に落ちようとしているとき、それを見た人が無意識に赤ん坊を助けようと思う心であると説いた。

 なお、孔子は、『論語』のなかで「仁」について明確な定義をおこなっておらず、相手によって、また質問に応じてさまざまに答えている。
 言い換えれば、儒家の立場においては「仁」とは人間にとってもっとも普遍的で包括的、根源的な愛を意味するものとして考えられてきたのであり、「孝」や「悌」、「忠」なども仁のひとつのあらわれだと主張されているのである。

 老子は「大道廃れて仁義あり」といって、仁義をそしり、これとは別の道徳を説いたが、それは「私」の立場であり、これに対し、仁義は「公」的なものであるとされる。

 ◆万物一体の仁説

 程明道の解釈では、仁を「万物(万民)一体」と解釈する。
 明道は天地万物一体を強調する儒者であり、「万物一体の仁」の説を次のような過程で展開していく。
 医書では手足の麻痺した症状を「不仁」と呼び、自己の心に対して何らの作用も及ぼしえなくなってしまっているためと解し、これを生の連帯の断絶とそれに対して無自覚であることを意味するとし、生意を回復せしめることが仁であるとした。
 つまり、「万物一体の仁」の一つの説は「知覚説」であり、痛痒の知覚をもつことを仁としているわけである。
 もう一つの説は、義・礼・智・信が、皆、仁であるとする立場であり、ここからは仁を「体」とし、五常を「用(作用)」と見なしていたことがわかる(明道にとって、仁は生である)。

 ★程明道とは、程 顥の事で、
 
 程 顥(てい こう)
 明道元年(1032年)〜元豊8年6月15日(1085年7月9日))

 中国北宋時代の儒学者。字は伯淳。
 明道先生と称された。
 朱子学・陽明学の源流の一人であり、弟(程 頤)の兄弟あわせ「二程子」と呼ばれる。

 関連項目   ー 五常の徳 ー

 五常(ごじょう)または五徳(ごとく)は、儒教で説く5つの徳目。
 仁・義・礼・智・信を指す。
 三綱(さんこう、君臣・父子・夫婦間の恭順)とあわせて「三綱五常」(三纲五常)と表現することも多い。

 《概要》

 儒教では、五常(仁、義、礼、智、信)の徳性を拡充することにより、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五倫の道をまっとうすることを説いている。

 ◆仁(じん)

 人を思いやること。
 孔子は、仁をもって最高の道徳であるとしており、日常生活から遠いものではないが、一方では容易に到達できぬものとした。
 『論語』では、さまざまな説明がなされている。
 ある場合は「人を愛すること」と説明し、顔回の質問に対しては、「克己復礼」すなわち「己に克ちて礼を復むを仁と為す(私心を克服して礼を重んじること。 
 それが仁である)と答えている。
 前者は外部に対する行為を指し、後者すなわち顔回に対する答えは自身の内なる修養のあり方を指している。
 具体的な心構えとしては、「己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ」(『論語』顔淵篇、黄金律)がよく知られている。
 すなわち、「仁」とは、思いやりの心で万人を愛し、利己的な欲望を抑えて礼儀をとりおこなうことである。

 ◆義(ぎ)

 利欲にとらわれず、なすべきことをすること。
 正義。
 中国思想においては、常に「利」と対比される概念である。
 礼(れい)「仁」を具体的な行動として表したもの。
 もともとは宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味していた。
 のちに上下関係で守るべきことを意味するようになった。
 儒者のなかでも、性悪説の立場に立った荀子は特に「礼」を重視した。

 ◆智(ち)

 道理をよく知り得ている人。
 知識豊富な人。

 ◆信(しん)

 友情に厚く、言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。
 孟子の四端説における「仁義礼智」の四徳に対し、前漢の董仲舒は五行説にもとづいて「信」を加えた。

 ▼補説

 ・中華人民共和国黒竜江省ハルビン市にある県級市の五常市は、儒教の徳目「五常」に由来する。

 ・五常に忠・孝・悌を足したいわゆる八徳は、滝沢馬琴作の『南総里見八犬伝』にて、主要な登場人物、八犬士のモチーフとなる。
 彼等はそれぞれ数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、里見家の元に集う。

 ・1988年に放送されたテレビアニメ鎧伝サムライトルーパーでは5つの鎧とその装着者に五常が一つずつ込められており、それぞれ烈火(真田遼:仁)、金剛(秀麗黄~シュウ・レイファン:義)、光輪(伊達征士:礼)、天空(羽柴当麻:智)、水滸(毛利伸:信)となっている。

 因みに、三徳(さんとく)は、儒学でいわれる3つの徳のこと。
 一般的には智・仁・勇の徳目をいう。
 落語のお題目に“桃太郎”があり、その内容の中に三徳の話が盛り込まれている。

 《十徳(じっとく)のまとめ》

 ・仁・・・思いやり、慈しみ。

 ・義・・・人道に従うこと、道理にかなうこと。

 ・礼・・・社会生活上の定まった形式、人の踏み行なうべき道に従うこと。

 ・智・・・物事を知り、弁えていること。

 ・忠・・・心の中に偽りがないこと、主君に専心尽くそうとする真心。


 ・信・・・言葉で嘘を言わないこと、相手の言葉をまことと受けて疑わないこと。

 ・孝(考)・・・おもいはかること、工夫をめぐらすこと。親孝行すること。

 ・悌・・・年長者によくつかえて柔順であること。
 また、兄弟や長幼の間の情誼がこまやかであること。また、そのさま。

 ・勇・・・勇気(恐れない心)。

 ・和・・・調和。集団の秩序と安寧、また礼儀と作法を重視した精神。

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 You've Got a Friend』
       邦題 : 君の友だち
        作詞 : Carole King

 When you're down and troubled
 And you need some loving care
 And nothing, nothing is going right

 Close your eyes and think of me
 And soon I will be there
 To brighten up even your darkest night

 You just call out my name
 And you know wherever I am
 I'll come running to see you again
 Winter, spring, summer or fall
 All you have to do is call
 And I'll be there
 You've got a friend

 If the sky above you
 Grows dark and full of clouds
 And that old north wind begins to blow

 Keep your head together
 And call my name out loud
 Soon you'll hear me knocking at your door


 Ain't it good to know that you've got a friend
 When people can be so cold
 They'll hurt you and desert you
 And take your soul if you let them
 Oh, but don't you let them

 You just call out my name
 And you know wherever I am
 I'll come running to see you again
 Winter, spring, summer or fall
 All you have to do is call
 And I'll be there
 You've got a friend

 《和訳》

 落ち込んで苦しい状況にいるとき
 温かな思いやりを必要としているとき
 そして何もかもうまくいかないとき

 そんなときは目を閉じて、私のことを思い出して
 すぐにあなたのところへ行くわ
 今までなかったような暗い夜でさえも明るくしてあげる

 ただ私の名前を呼べばいいの
 私がどこにいたってわかっているでしょ
 あなたに会いに走っていくわ
 冬であろうと、春、夏、秋であろうと 呼びさえすればいいの
 私はそこにいるから あなたには友達がいる

 かなたにある空が 暗さを増し、たくさんの雲を呼び込んでも
 そしてあのいやな北風が吹き始めても
 慌てないで落ち着いて考えてね
 そして大きな声で私の名を呼んでね
 すぐにあなたのドアをノックしに行くわ

 友達がいるって素敵なこと
 人はとても冷たくなることもあるわ
 そんなときはあなたを傷つけて見捨てたり
 あなたが許せば魂までも奪ってしまうかもしれない
 だけど、それはさせないでほしい

 ただ私の名前を呼べばいいの
 私がどこにいたってわかっているでしょ
 あなたに会いに走っていくわ
 冬であろうと、春、夏、秋であろうと
 呼びさえすればいいの
 私はそこにいるから
 あなたには友達がいる

言の葉辞典 『倫』

2023-10-20 21:00:00 | 言の葉/慣用句

 ■倫

 《読み方》

 音読み りん
 訓読み たぐい、ついで、みち。

 《意味・由来》

 1 人の守るべき筋道、道理。

 2 同列に並ぶ仲間。

 侖(りん)は「あつめるしるし+冊」の会意文字で、タンザクの竹札を集めてきちんと整理するありさまを示す(同類のものが順序よく並ぶの意も含む)。
 倫は「人+音符侖」で、きちんと並んだ人間の間がらの意。侖

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 関連項目  ー 倫理(道徳) ー

 倫理とは

 1 人として守り行うべき道。
 善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。

 ▼道徳(どうとく)
 (英: morality)

 中国の古典を由来とする観念であり、「道」と「徳」という2つの考えからなる。
 道とは、人が従うべきルールのことであり、徳とは、そのルールを守ることができる状態をいう。
 道徳的規範(どうとくてききはん)や道徳性(どうとくせい)ともいう。
 あるいは類義語の倫理(りんり、英: ethics、エシクスまたはエシックス)は、いくつかの意味をもち、道徳を表すことが多い。

 《概要》

 道徳は、次のような意味をもつ。


 ★道徳
  正邪・善悪の規範。個人の価値観に依存するが、多くの場合は個々人の道徳観に共通性や一致が見られる。 
 社会性とも関わる。

 ★道徳観
  道徳に対する観方、捉え方。
 正邪・善悪の価値観。
 個々人の価値観に依存する。

 ★道徳的規範
  道徳観に基づく規範。
 嘘(うそ)をつくことは悪いことだというように多くの人々から是認されている規範もあれば、動物を殺して食べるべきではないというような少数の人々が従う規範もある。

 ★道徳的社会規範(社会道徳)
  社会や共同体において、その構成員の大多数によって共有される道徳観に基づき、より健全で快適な共同生活を送る為に守るべき、又は行うべきと考えられている規範、行動の指針のこと。

 ★道徳性
  正邪・善悪を区別し、道徳的規範に従う心、能力、判断のこと。道徳心。

 道徳的規範は、成文化された規則である法律と一致しない場合もある。

 道徳的規範は非常に幅が広く、文化の多様性と同じだけの驚くべき多様性がある。
 様々な種類の規範は、マナー、エチケット、タブーとも関連する。
 儀礼や式典として、形式化されていることもある。
 それでも、様々な社会の間に共通した特性を発見することができる。
 例えば、互恵関係、忠誠、権威の尊重、身体的な危害の制限、性的関係や食べ物の規制などである。
 この類似性が何に起因するのかは、議論の的であった。
 道徳的見地から見た言動や身持ちのことを、「品行」「操行」「素行」「日頃の行い」「平素の行い」などの語句を用いる。
 「方正」とはきちんとしていて正しいことで、「品行方正」とは行いが正しく立派で、模範的であるさまを意味する。

 《道徳判断》

 人は何が良い行い(道徳的)で、何が悪い行い(非道徳的)なのかを判断することができる。
 道徳心理学者と道徳哲学者の議論の中心の一つは、何が道徳判断を導いているのかであった。
 ジャン・ピアジェやローレンス・コールバーグは、道徳判断は理性の産物であり、子供は経験と学習によって理性的判断を発達させると考えた。
 一方ジェローム・ケーガンのような認識直観主義の心理学者は、道徳判断が自動的に、瞬時に行われ、理性よりも直観と感情に密着していると仮定した。
 直観主義者は、花を見て「赤い」と感じるのと同じように道徳判断を“感じる”のだと主張した。

 直観的判断のモデルは、大まかに次のように分類することができる。

 ・できごとを認識すると、感情が道徳判断を行うエージェントを呼び起こす。
 デイヴィッド・ヒュームが唱え、近年では神経学者アントニオ・ダマシオや心理学者ジョナサン・ハイトが支持した。

 ・できごとを認識すると、感情と理性が平行して道徳の推論と判断を行う。
 ヒュームとカントの折衷モデルといえ、神経哲学者ジョシュア・グリーンによって支持された。

 ・できごとを認識をすると、意識的な解釈が行われ、その解釈が道徳についての直観を呼び起こし、感情と理性的推論を生成する。
 政治学者ジョン・ロールズが唱え、マーク・ハウザーが支持している。

 道徳判断は、社会的認識、特に心の理論を利用しているようである。
 いくつかの感情、例えば同情、罪の意識、怒りは、道徳判断の中心をなすが、他の感情も道徳判断に関連している。
 しかし、明確に道徳判断に関連する脳の部位はないようである。
 道徳判断は、記憶が脳の様々な部位を利用するように、感情や認識などの細かな領域を利用しているようである。

 人間の道徳判断は、常に一貫しているわけではない。
 後述のトロッコ問題では、わずかな状況設定の変化によって、人は功利主義的な判断と非功利主義的な判断の間で揺らぐ。
 友人から金を盗む行為は非道徳的だと感じるが、先日その友人から金を盗まれていたのだと聞けば非難は弱まるか消え去る。
 見知らぬ人への危害よりも、自分自身や知人への危害のほうが強い憤りを呼び起こす。
 殺人を極めて非道徳的だと考えながら、同時に死刑制度を強く支持する人も少なくない。
 復讐は道徳的な大義名分を要求する。逆に言えば、大義名分は報復の正当性を人々に納得させる。
 戦争や部族抗争の研究によれば、加害者は必ずと言ってよいほど、相手が不当だという憤りを標的に対してもっている。
 フィリップ・ジンバルドーは、監獄実験で、与えられた仮想的な役割に従って、看守役の一般人が囚人役の一般人を虐待することを示した。
 スタンレー・ミルグラムは、服従実験で、一般人の道徳心が権威に屈することを示した。
 ミルグラムによれば、単に権威によって指示されるだけでなく、相手の顔が見えない、過失が相手側にあるというような付加的条件の下では、より道徳心が働きにくいようである。
 また、死を意識させるような文章を読ませられるだけで、その後の道徳判断に影響が出る。
 見知らぬ人への敵意をかき立てられ、道徳違反者へはより厳しい罰を求めるようになる。
 これは恐怖管理理論と呼ばれている。

 ▼道徳と罰

 「道徳を守ることは正しいことである」と広く考えられており、「なぜ殺人はいけないのか」「なぜ人を不幸に陥れてはいけないのか」というように道徳に対して疑問を示すこと自体が非道徳的であると嫌悪されることもある。
 我々は、直接自分に関係がない場合であっても他人の行動を気に掛け、道徳と規範に従っているかに注視する。
 道徳に反する行為は、通常、本人に罪悪感を、それを目撃した第三者には嫌悪感や怒り、報復など強い感情的反応を引き起こす。
 また慣習的規範よりも、通文化的な道徳的規範のほうが憤りは激しい。
 さらに、違反者に対して寛容な態度を取る者へも同様の憤りを引き起こす。
 人は非道徳的な行為の犠牲者になったり、それを目撃した場合に、一般的にその行為者を処罰したいという強い願望をもつ。マナーやエチケット、慣習的規範への違反は軽率で粗野だとみなされるだけであるが、道徳的規範への違反は、処罰の欲求を呼び起こす。
 政治学者フィリップ・テトロックによれば、規範への違反を目撃し、違反者が罰を逃れていると考えるとき、人は違反者への加害を抑制する道徳心の閾値を切り下げるようである。
 そして厳しい処罰を要求し、違反とは関連のないことにまで判断が影響する。例えば、違反者の曖昧な態度をより敵対的とみなすようになり、不可抗力の要因の役割を割り引いてみるようになる。

 マーク・ハウザーとファレイ・カシュマンはトロッコ問題などを利用し、どのような原理が道徳判断(特に危害に関する)に影響を与えるのかを調査した。
 彼らによれば、

 ・行動の原理:行動による害(例えば誰かが死ぬようなできごと)は行動しなかったことによる危害よりも、非道徳的だと判断される。

 ・意図の原理:意図をもってとった行動は、意図をもたずにとった行動よりも非道徳的だと判断される。

 ・接触の原理:肉体的な接触を伴う危害は、肉体的な接触のない危害よりも非道徳的だと判断される。

 心理学者ジョン・ダーレーによれば、大学生の被験者は刑罰の抑止力を考慮するよりもその犯罪にふさわしいと思われる刑罰を望んだ。
 刑罰の抑止力を考慮するよう注意された後でも、やはり「因果応報」である処罰を望んだ。
 「罰が課されない限り、社会と被害者は正義が執行されなかったという感覚をもち続ける」。
 彼は『なぜ罰するのか?:罰の動機としての抑止力と因果応報』と題された論文で、処罰の欲求は犯罪抑止力に関する要因(例えば犯罪の露見可能性や社会的影響)とは関連が薄く、人々はより単純に罪の重大さをランク付けし、もっとも深刻な犯罪にはその社会でもっとも重い罰(例えば追放、終身刑、死刑、拷問を伴う死刑)を与えなければならないと考えるのだと結論した。

 関連項目   ー 不倫 ー

 《不倫の定義》

 法律的には、一体どこからが不倫だと判断されるのか。

 キスや手つなぎなど、人によって、浮気だと思ってしまったり、傷ついてしまったりするラインは異なると思いますが、法律的に不倫だと判断されるラインは明確に定められています。

 不倫=肉体関係がある。

 法的に不倫だと判断できるのは、配偶者がいるのにもかかわらず、他の異性と肉体関係を持つことです。

 夫婦には、婚姻生活を平和に送るという権利ないし利益があるところ、不貞はこの権利ないし利益を侵害する行為であるため、違法であるということになります。

 ▼不倫と浮気の相違

 不倫とよく間違えられるのが浮気です。
 浮気とは、配偶者や恋人がいるのにもかかわらず、別の異性に目をむけることをいいます。
 単に他の異性に恋愛感情を持ったり、心が揺れ動いたりする状態を指し、肉体関係の有無は問いません。

 一方で、不倫は配偶者以外の相手と肉体関係を持つことをいいます。
 つまり、浮気の方が広範囲を意味し、不倫の方が狭い範囲を指す言葉になります。

 例えば、ふざけてキスをしただけであれば、不倫そのものではありません。
 肉体関係は伴わないからです。

 しかし、肉体関係が想定されるようなデートであれば、不倫だと判断されてしまう場合もあります。
 例えば、日帰りで混浴銭湯に行った場合やドライブデートで車中泊した場合などでとか、本当に会っただけだったが、相手宅に宿泊した場合は、肉体関係があったかもしれないと考えられます。
 本当に肉体関係がなかったとしても、不倫があったと考えられて然るべきとして、その責任を問われる場合があります。

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 『Blowin' in the Wind』
       (邦題 : 風に吹かれて)
        作詞 Bob Dylan

 How many roads must a man walk down Before you can call him a man?

 Yes, and how many seas must a white dove sail, Before she sleeps in the sand?

 Yes, and how many times must the cannonballs fly,

 Before they’re forever banned?

 The answer, my friend, is blowin’ in the wind The answer is blowin’ in the wind

 Yes, how many years can a mountain exist, Before it’s washed to the sea?

 Yes, and how many years can some people exist, Before they’re allowed to be free?

 Yes, and how many times can a man turn his head,

 And pretend that he just doesn’t see?

 The answer, my friend, is blowin’ in the wind The answer is blowin’ in the wind

 Yes, and how many times must a man look up, Before he can see the sky?

 Yes, and how many ears must one man have, Before he can hear people cry?

 Yes, and how many deaths will it take till he knows

 That too many people have died?

 The answer, my friend, is blowin’ in the wind The answer is blowin’ in the wind

 《和訳》

 どれだけ道を歩めば 一人前だと認められるのか?

 どれだけ海を越えれば 白鳩は砂浜で休むことができるのか?

 どれだけの砲弾が飛び交ったなら 武器は永遠に禁止されるのか?

 答えは、友よ、風の中だ 答えは風の中を舞っている

 山はどれだけ経てば 海に洗い流されてしまうのか?

 人々はどれだけ経てば 自由が許されるのか?

 人は何度顔を背け、 見て見ぬふりをしていられるのか?

 答えは、友よ、風の中だ 答えは風の中を舞っている

 そして、何度天を仰げば、 青空が見られるのだろうか?

 いくつの耳を持ったなら、 人々の悲しみが聴きとれるのだろうか?

 どれだけ多くの人が死んだなら、あまりに酷い犠牲を払った事に、気付くのだろうか?

 答えは、友よ、風の中だ 答えは風の中を舞っている

言の葉辞典 『戯』

2023-10-18 21:00:00 | 言の葉/慣用句

 ■ 『戯』

 《読み方》

 音読み ぎ、き
 訓読み たわむれ、たわむれる

 《意味》

 たわむれる。ふざける。遊ぶ。

 「戈(ほこ)+音符虚コ」。
 [説明解字]は、ある種の武器で
 我(ギザギザの刃のあるホコ)と似たものと解する。

 その原義は、我を忘れ、もっぱら声を立てて、おどけ笑う意に用いる。

 《語源・由来》

 じゃれるは古語「戯る(さる)」から転じた言葉で、この「さる」は「ざる」ともいった。 
 平安時代から見られ、機転が利く、気が利いているなどの意味で用いられていた。
 現在のような使われ方になったのは、機転を利かせて戯れたり、洒落を言ったりすることから転じたのであろう。
 また、「おしゃれ」の「しゃれ」も、「さる」の連用形に基づくものと考えられている。

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 ✰洒落(しゃれ)

 語呂合わせなどで、人を笑わせる気の利いた言葉。
 戯れにすること。
 冗談事、垢抜けていること、おしゃれ。

 洒落は、「たわむれ」を意味する「戯れ(され)」、長い間、風雨や日光に当たり、白っぽくなる「晒れ(され)」が転じた語といわれる。 このうち、「戯れ(され)」が転じて「しゃれ」になったとするのが有力である。
 実直に対して、風流で遊び心のある態度や行動を「しゃれ」と言うようになり、洗練されていることや、おしゃれなども意味するようになったと考えられる。
 「洒落が通じない」や「洒落にならない」など、「笑い」よりも「気の利いた」の意味に重点を置いた使われ方をするのも、この由来に通じるものがある。
 「され」が「しゃれ」となったのは、室町時代以降である。

 因みに、漢字で「洒落」と書くのは、心がさっぱりして物事にこだわらないさまを意味する漢語「洒落(しゃらく)」に由来し、意味の上でも音の上でも似ているため、江戸時代の前期頃から、当て字として使われるようになった。
 「酒落」と誤表記されることが多いが、「洒落」は「酒」ではない。
 「洒」の旁は「酉」ではなく、一本少ない「西」である。

 関連項目   ー 戯曲 ー

 戯曲(ぎきょく)

 演劇の上演のために執筆された脚本や、上演台本のかたちで執筆された文学作品。
 戯曲を書く者のことを劇作家と呼ぶ。

 《特徴》

 戯曲は、登場人物(キャラクターとも言う)と、彼らが舞台上で行う行為(アクションとも言う)によって構成される。
 登場人物の行為は通常、連鎖反応的に描かれる。
 つまり、ある行為が次の行為を誘発し、その繰り返しが劇の始まりから終わりまで続く。
 ただし、シュルレアリスム的世界観に基づいて書かれた戯曲など、手法によっては行為が連鎖的に発生しない場合もある。

 舞台上で起きる行為は、舞台上実時間(劇世界上の時間ではない)の時系列順に記述される。その行為の記述方法には、ほとんどの場合、台詞およびト書きが用いられる。
 しかし実際のところ、戯曲の記述方法自体には厳密な決まりはない。
 台詞には登場人物から発せられる言葉が、ト書きには登場人物の登場・退場や所作などが書かれる。
 ト書きにはこれらの他に、舞台進行に関する指示や、舞台装置(美術)、音響効果、照明効果、演出的な指示なども書かれることがある。
 戯曲は演劇を作る上で、設計図的な役割を持つ。演出家・俳優・スタッフなど、作品づくりに携わる者たちは、戯曲に基づいて共通の目的・方向性・劇の完成イメージを形成していく。
 もちろん、戯曲を使わない即興劇や、即興をベースにした集団創作による劇などはこの限りではない。
 が、そのような場合でも、進行台本的なものを用意することもあり、その進行台本が後に戯曲化されるケースもある。

 ▼戯曲・脚本・台本の違いについて

 3つ特徴を一言でまとめると、次の通りです。

 ・戯曲:文学作品
 (上映(放映、上演)未確定)

 ・脚本:上映(放映、上演)に使うもの
 (台本と同じ)

 ・台本:上映(放映、上演)に使うもの
 (決定稿)

 戯曲は、脚本のように見える文学作品のことを指します。
 そのほとんどは、俳優によって実際に上映(放映、上演)されているでしょうが、未だ上演されていないものもあります。

 脚本(=台本、と考えて問題なし)は、上映(放映、上演)用に書かれたものです。
 誰かが必ず上映(放映、上演)しています。
 脚本は、戯曲を元にして起こしたものが多いでしょうが、脚本家がオリジナルで書きおろしたものもあります。

 一般に考えて“決定的に違います”というのは、共通する部分は多々あり、消極的です。各々特徴を考えればの話になりますかね。

 《呼称》

 「戯曲」より一般的な呼称に、「劇文学」という語がある。
 劇文学という呼称の存在意義とは、次に述べるようなことである。
 ソフォクレスの作品などは図書館での分類上は戯曲であるが、戯曲と呼ばれるより、「悲劇」「劇詩」と呼ばれることが多い。
 近代以前の物語文学(『源氏物語』など)を「小説」と呼ぶのは近代的な分類をそれ以前の過去に投射する見方であるとの違和感を抱く人もおり、ギリシャ悲劇や能狂言の台本などを戯曲と呼ぶことにも同様の問題がある。
 また、近代以降に生まれたシナリオ(映像劇の脚本)を戯曲と呼ぶことにも同様の違和感を抱かせる可能性がある。
 近代以前および以降の脚本(あるいはその形式で書かれた文学作品)までも射程に含めた場合、劇文学という、より一般的な呼称が適するであろう。
 韻文で書かれた劇文学を劇詩というが、シェイクスピアの戯曲や近代に書かれた戯曲にも韻文を多用したものは多く、散文体だから戯曲、韻文体だから劇詩というような分類は成立しない。

 ▼「シナリオ」は戯曲か?

 劇映画やテレビドラマの脚本(シナリオ)を戯曲と呼べるかという問題がある。
 日常会話や文章などでは両者は区別されるのが普通である。
 しかし、シナリオを英語ではscreenplay(映画脚本の場合)やteleplay(テレビ脚本の場合)などと呼び、戯曲でplayであるので、これらは「映画用戯曲」「テレビ用戯曲」などとも翻訳可能である。
 また、公立図書館などでシナリオ本は戯曲に分類されている(本棚の“戯曲”と表示された場所に置いてある)という事実もある。
 以上から、シナリオもまた戯曲の一種であると考えて構わない、という見方も可能である。
 筒井康隆は著書『文藝時評』(河出書房新社・刊)の中で、シナリオライター兼小説家である筒井ともみの作品を論評した際に、「戯曲=文学、シナリオ=非文学という区分けはもう意味が無い」という趣旨のことを書いている。
 これも、単なる映画作りのための設計図としかみなされていないシナリオと、すでに文学の一ジャンルとして認定されている戯曲との境界が曖昧であることを示すものであろう。

 関連項目 ー レーゼドラマ ー

 レーゼドラマ(Lesedrama)

 上演を目的とせず、読まれることを目的に書かれた、脚本形式の文学作品のこと。
 ブーフドラマ(Buchdrama)とも言う。
 戯曲の一種とされる。
 対義語はビューネンドラマ(Bühnendrama)。いずれもドイツ語で、レーゼは「読む」、ブーフは「本」、ビューネンは「舞台の」という意味である。
 なお、英語におけるクローゼット・ドラマ(Closet drama)は、ほぼ同義の概念である。
 また、「書斎劇」という漢字語も存在する。
 シナリオ(映像作品の脚本)の形式で書かれたレーゼドラマを、レーゼシナリオという場合もある。
 演劇評論家の岩淵達治は、平凡社世界百科事典に「近年の新しい演劇の試みのなかでの劇空間の拡大、また素朴な演劇性の再発見は、すべてのレーゼドラマの上演を可能にしたが、逆に最近の身体言語による演劇から見ると、従来書かれてきた戯曲はすべてレーゼドラマに等しいものだということもできよう」と書いた。

 《代表作》

 レーゼドラマの代表作として、ミュッセの『戯れに恋はすまじ』(1834年)が挙げられよう。
 『ヴェネツィアの夜』の初演が不評だったミュッセはその後、読まれるための戯曲を志向し、前掲作も収められた戯曲集は『肘掛椅子の中での観物』と名づけられた。
 ここに収められている戯曲には多すぎる場面転換などの実演上困難な仕掛けがあり、これは文学的な必然性のみからなされたのではなく、かつての不評から観客に不信感を抱いたミュッセがわざと上演の障害をもうけたためだと見る向きもある。
 しかし、「上演不可能に書かれている」ということは、レーゼドラマの必要条件ではない。
 他には、ジョン・ミルトンによる『闘士サムソン』(1671年)、太宰治の『新ハムレット』(1941年)、ゲーテの『ファウスト』(1808年 - 1833年、とくに二部)、シラーの『群盗』、フローベールの『聖アントワーヌの誘惑』、北村透谷の『蓬莱曲』などが、その例にあたる。
 トーマス・ハーディの『覇王たち』も叙事詩劇などと呼ばれた。

 関連項目  ー 劇作家 ー

 劇作家(げきさっか)
 (英: playwright、dramatist)

 演劇の上演のために書かれる戯曲の作者。
 戯曲家と呼ばれることもある。日本においては演出家を兼ねている者が多い。
 現在までその作品が残っている最も古い劇作家としては、紀元前5世紀頃のアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスなどの古代ギリシアにおける悲劇作家達が挙げられる。
 その作品である戯曲は、通常は俳優によって観客の前で演劇として上演するために執筆される。
 戯曲の中には、上演を目的とせず読まれることを目的に書かれたレーゼドラマや、戯曲の形式をとってはいるが上演は意図していない作品もある。

 《歴史上の劇作家》

 西洋文学において、今日まで伝えられている最も古い劇作家は、古代ギリシアの劇作家たちである。
 こうした初期の演劇は、紀元前5世紀ころにアテナイで毎年開催されていた劇作家たちの競技のために書かれたものであった。
 アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス、アリストパネス といった有名な劇作家たちは、今日でも踏襲されている様々な形式を確立していた。

 《現代の劇作家》

 現代のアメリカ合衆国の劇作家たちは、名声や文化的地位という意味で、かつての先達に比肩するところまでには至らないことが多い。
 もはや演劇は、シリアスなドラマや楽しめるコメディを観客に提供する唯一の回路ではなく、映画、テレビ、インターネットと、観客を奪い合わなければならない。
 さらに、合衆国における芸術への資金援助の危機的な状態や、非営利団体が運営する劇場に依存したチケットの売上を収入源とせざるを得ないという現実は、多くの劇作家たちに、なかなか新作を出せない状況をもたらしている。
 例えば、ニューヨークのオフ・ブロードウェイにある非営利劇場 Playwrights Horizons は、1973-74年のシーズンには31本の演劇を上演していたが、2002-03年のシーズンには6本しか上演できなかった。
 ライバルでもあり、大がかりな制作が行われるミュージカルは、「必見」のブロードウェイ作品(あるいはオフ・ブロードウェイ作品)となっているが、ここでも劇作家が十分な収入を得ることは容易ではなく、大きな成功を掴むといったことは望外である。
 しかし、最も成功した劇作家たちは、演劇界において高い地位を占めていることが多い。
 これは、ハリウッドなどの映画界において脚本家が占める地位とは対照的である。
 アメリカ劇作家組合(Dramatists Guild of America)は、劇作家は演劇の上演に決定権をもっていると主張している。
 映画においては、これとは対照的に、監督は「作家」として脚本を自由に変更できる。

 《『プレイライト』》

 英語の playwright という言葉を作ったのはイングランドの詩人ベン・ジョンソンのようで、彼のエピグラム49「劇作家へ(TO PLAYWRIGHT)」では、単なる商売としてウケるように作品を作っていく劇作家を見下したような表現として、「プレイライト」が用いられていた。
 ジョンソンは自身も戯曲を書いていたが、自分のことは常に「詩人(poet)」と称していた。
 当時の劇は常に韻律をともなっていたので、それを作るのは詩人の仕事と考えられていたからである。
 こうした見方は19世紀はじめまで存在していた。
 しかし、その後は、playwright という言葉の否定的な含意はなくなった。

 関連項目  ー 戯言(戯事) ー

 古くは「たわこと」とも》たわけた言葉。ばかばかしい話。また、ふざけた話。
 戯言の正しい読み方は「ざれごと」「たわごと」「ぎげん」

 《意味》

 ①正気を失っていうような、ふつうでないことば。たわけたことば。ふざけたことば。妄語。冗談。
 ニュアンス的に否定する時に使う言葉。
 ②正気を失った行為。たわけたこと。ばかげた行為。
 ③うわごと
 ④たわぶれごと
  たわむれてすること。いたずら。たわぶれわざ。また、たわむれて言うことば。ふざけて言うことば。じょうだん。たわむれごと。
 ⑤ざれごと
  比較的に楽しい話に使われる言葉。

 戯言には、類語として「痴れ事(しれごと)」があります。

 「痴れ事(しれごと)」は「ばかげた言葉や話」という意味の言葉です。
 「痴れ事」はばかげた話全般を指していて、話がおもしろい場合と、その話を否定的に受け止める場合の両方で使えます。
 つまり「痴れ事」は、「戯言(ざれごと)」と「戯言(たわごと)」の両方の言い換え表現になります。

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 『踊り子』 作詞 村下孝蔵

 答えを出さずにいつまでも暮らせない
 バス通り裏の路地 行き止まりの恋だから

 何処かに行きたい 林檎の花が咲いている
 暖かい所なら どこへでも行く

 つまさきで立ったまま 君を愛してきた
 南向きの窓から 見ていた空が
 踊り出す くるくると 軽いめまい後
 写真をばらまいたように 心が乱れる

 表紙のとれてる愛だから かくしあい
 ボロボロの台詞だけ 語り合う日々が続き

 坂道を駆ける子供たちのようだった
 倒れそうなまま二人 走っていたね

 つまさきで立ったまま 君を愛してきた
 狭い舞台の上で ふらつく踊り子
 愛してる 愛せない 言葉をかえながら
 かけひきだけの愛は 見えなくなってゆく

 つまさきで立ったまま 愛してきた
 狭い舞台の上で ふらつく踊り子
 若すぎたそれだけが すべての答えだと
 涙こらえたまま つまさき立ちの恋

  〔情報元 : Uta-net〕



言の葉辞典 予備知識 Q.03

2023-10-07 21:00:00 | 言の葉/慣用句

 ■熟字訓についてー。

 熟字訓(じゅくじくん)

 日本語において漢字からなる単語に、単字単位ではなく熟字単位で訓読み(訓)を当てたものである。
 それ故に、単字に分解してもそれぞれに熟字訓の要素は現れず、その読み方でも分節不可能なものが多い。
 常用漢字表の付表には、熟字訓の全てではないが、そのうちの116種(123表記)が示されている。

 《特徴》

 例えば、「明日」に「あす」という訓が当てられているが、単字の「明」や「日」に「あす」の要素は無く、読みの「あす」は「あ」と「す」に分けられない。 漢語においては、「明」と「日」は修飾や被修飾の関係で組み合わせて新たな意味を作り出しているのであって、これを単字それぞれが持つ字訓を使わずに二字まとめて一訓を当てたものである。
 なお、単字訓で読めば「あくるひ」になる。 よく使われる言葉が熟字訓になっている場合が多く、訓には和語ばかりでなく外来語も使われうる。
 例えば、「煙草」を「たばこ」と訓読みする。熟字が漢語文法に則って作られていることが前提であり、字音や字訓を利用しつつも漢字本来の意味や熟字構造を無視して和語や外来語に漢字を当てる当て字とは異なる。
 また、熟字訓と音読みで意味が異なる場合がある。
 例えば、「今日」は、「きょう」と読む場合にはある特定の日(本日)を指し、「こんにち」と読む場合には不特定の長い期間(最近)を指す。
  一般に二字か三字で特殊な読みをするものがすべて熟字訓と考えられることも有るが、それは誤りである。
 例えば、「玄人」と「素人」をそれぞれ「くろうと」および「しろうと」と読むが、これは、「玄」を「くろ」に、「素」を「しろ」に、「人」を「ひと」に分解され、その「くろ」+「ひと」のウ音便に過ぎない。
 熟字訓も通常の訓読みと同様に、個人的な使用(義訓)から生じてそれが慣用的なものとして定着したものが現在に見られる熟字訓である。
 例えば、江戸時代に「閑話休題」を「それはさておき」と訓読みしていたことが知られるが、現代には定着していない。

 《例》

 ▼地名

 日本の地名や人名には熟字訓であるものが少なからず存在し、それらは「大和(やまと)」や「飛鳥(あすか)」のように熟字の語義と訓とがかなりかけ離れているものも多く、訓が語義を説明するものというよりも地名に対して漢風の漢字で表記したものと言える。
 これは律令制の整備に際し、日本の地名に中国風に漢字2字の名称をつけたとき、もとの和名からかけ離れた漢字熟語を用いたためである。
 例えば、「近江(おうみ)」のように「ちかつあはうみ」から漢字が付けられていても、元々の関係性が明確でなくなっているものも多い。

 ▼暦・季節・時間

 ・一昨昨日
 〘熟字訓〙
 さきおととい
 〘音読み〙
 いっさくさくじつ

 ・一昨日
 〘熟字訓〙
 おととい
 おとつい
 〘音読み〙
 いっさくじつ

 ・昨日
 〘熟字訓〙
 きのう
 〘音読み〙
 さくじつ

 ・今日
 〘熟字訓〙
 きょう
 〘音読み〙
 こんにち

 ・明日
 〘熟字訓〙
 あす、あした
 〘音読み〙
 みょうにち

 ・明後日
 〘熟字訓〙
 あさって
 〘音読み〙
 みょうごにち

 ・一日
 〘熟字訓〙
 ついたち
 〘音読み〙
 いちにち、いちじつ

 ・二日
 〘熟字訓〙
 ふつか
 〘音読み〙
 ににち

 ・晦日
 〘熟字訓〙
 つごもり、みそか
 〘音読み〙
 かいじつ

 ・如月
 〘熟字訓〙
 きさらぎ
 〘音読み〙
 じょげつ

 ・皐月 五月
 〘熟字訓〙
 さつき
 〘音読み〙
 ごがつ(五月)

 ・師走
 〘熟字訓〙
 しわす、しはす
 〘音読み〙
 ー

 ・今年
 〘熟字訓〙
 ことし
 〘音読み〙
 こんねん

 ・一昨年
 〘熟字訓〙
 おととし
 〘音読み〙
 いっさくねん

 ・今朝
 〘熟字訓〙
 けさ
 〘音読み〙
 こんちょう

 ・十六夜
 〘熟字訓〙
 いざよい
 〘音読み〙
 じゅうろくや 

 ・七夕
 〘熟字訓〙
 たなばた
 〘音読み〙
 しちせき

 ・一寸
 〘熟字訓〙
 ちょっと
 〘音読み〙
 いっすん

 ▼人称

 ・下手
 〘熟字訓〙
 へた
 〘音読み〙
 したて、しもて

 ・大人
 〘熟字訓〙
 おとな
 〘音読み〙
 だいにん、たいじん

 ・従兄弟 従姉妹
 〘熟字訓〙
 いとこ
 〘音読み〙
 じゅうけいてい

 ・曽孫
 〘熟字訓〙
 ひまご
 〘音読み〙
 そうそん

 ・玄孫
 〘熟字訓〙
 やしゃご
 〘音読み〙
 げんそん

 ・女将
 〘熟字訓〙
 おかみ
 〘音読み〙
 じょしょう

 ▼自然

 ・梅雨
 〘熟字訓〙
 つゆ
 〘音読み〙
 ばいう

 ・時雨
 〘熟字訓〙
 しぐれ
 〘音読み〙
 じう

 ・疾風
 〘熟字訓〙
 はやて
 〘音読み〙
 しっぷう

 ▼動植物

 ・土筆
 〘熟字訓〙
 つくし
 〘音読み〙
 どひつ

 ・海月 水母
 〘熟字訓〙
 くらげ
 〘音読み〙
 かいげつ、すいぼ

 ・海老
 〘熟字訓〙
 えび
 〘音読み〙
 かいろう

 ・烏賊
 〘熟字訓〙
 いか
 〘音読み〙
 うぞく

 ・大蛇
 〘熟字訓〙
 おろち
 〘音読み〙
 だいじゃ

 ・銀杏
 〘熟字訓〙
 いちょう
 〘音読み〙
 ぎんなん

 ▼生活用品

 ・眼鏡
 〘熟字訓〙
 めがね
 〘音読み〙
 がんきょう

 ・松明
 〘熟字訓〙
 たいまつ
 〘音読み〙
 しょうみょう

 ・浴衣
 〘熟字訓〙
 ゆかた
 〘音読み〙
 よくい

 ▼文化

 ・大和
 〘熟字訓〙
 やまと
 〘音読み〙
 だいわ

 ・山車
 〘熟字訓〙
 だし
 〘音読み〙
 さんしゃ

 ・神酒
 〘熟字訓〙
 みき
 〘音読み〙
 しんしゅ

 ・祝詞
 〘熟字訓〙
 のりと
 〘音読み〙
 しゅくし

 ・女形
 〘熟字訓〙
 おやま
 〘音読み〙
 おんながた

 ・玩具
 〘熟字訓〙
 おもちゃ
 〘音読み〙
 がんぐ

 ▼その他

 ・欠伸
 〘熟字訓〙
 あくび
 〘音読み〙
 けんしん

 ・九十九
 〘熟字訓〙
 つくも
 〘音読み〙
 きゅうじゅうきゅう、くじゅうく

 ・十八番
 〘熟字訓〙
 おはこ
 〘音読み〙
 じゅうはちばん

 ・老舗
 〘熟字訓〙
 しにせ
 〘音読み〙
 ろうほ

 ・八百
 〘熟字訓〙
 やお
 〘音読み〙
 はっぴゃく

 関連項目 ー 義訓 ー

 義訓(ぎくん)

 訓読みの一種であり、漢字に固定化した訓ではなく、文脈に合わせて個人的あるいはそれに近い狭い領域においてその場限りの訓を当てることをいう。
 2文字以上の漢字の組み合わせに対する義訓が固定化され広く用いられると熟字訓となる。

 《上代日本語》

 日本語の最古の記録である上代日本語の時代から義訓は用いられている。
 特に『万葉集』など上代文献での漢字の使い方を指すことが多い。
 「暖(はる)」「寒(ふゆ)」「金(あき)」「未通女(おとめ)」「数多(あまねし)」「間置而(へだたりて)」など。

 《現代の義訓》

 現代においても小説、漫画、音楽の歌詞、ゲームなどをはじめとして多くのメディアで義訓は使用されている。
 例えば「本気」と書いて「マジ」と振り仮名をつけるなど。

 ▼漫画におけるルビ

 ◆ヤンキー漫画におけるルビ

 原作佐木飛朗斗、作画所十三による漫画『疾風伝説 特攻の拓』(かぜでんせつ ぶっこみのたく)では「“事故”る奴は‥‥”不運(ハードラック)”と“踊(ダンス)”っちまったんだよ‥‥」「“B”突堤(ビートツ)に‥来い‥‥」「俺らー“狂乱麗舞(キョーランレーブ)”の“朧童幽霊(ロードスペクター)”だぜ!」など特殊なルビを振ったセリフが多用される。
 ライターの高畠正人は、漢字にルビを振るという少年誌の慣習と、不良コミュニティにおける隠語や専門用語の存在を理由に挙げている。
 例としてカタカナでデコスケと書いても読者には通じないかもしれないが、警察(デコスケ)と表記することで読者にも説明する手法を編み出したのだと説明している。

 ◆ギャグとしてのルビ芸

 ギャグ作品などでは全く無関係だったり過剰だったりするルビを多用した作品がある。
 ジェントルメン中村の漫画『セレベスト織田信長』などの例がある。
 「上等だ!!(ハイ・クラス)」「贅沢(ラグジュアリー)」「小僧(ボーイ)」「東海の独裁者(トウカイテイオー)」「東海(ラテン)の血が騒ぐ」「奥手で内気(トゥーシャイシャイボーイ)」などシンプルなものから漢字からは読みが全く想像できないものもある。

 ◆海外作品の翻訳

 海外作品の翻訳では独自の造語を作り、原文に沿うような振り仮名をふるといったものがある。
 ウィリアム・ギブスン作、黒丸尚訳の『ニューロマンサー』(1986)の電脳空間(サイバースペース)、没入(ジャック・イン)、擬験(シム・スティム)といった独自の文体は後のサイバーパンク作品に大きな影響を与えた。
 グレッグ・ベア作、酒井昭伸訳の『塵戦(おうせん)』では、施禰倶支(せねくし)、阿頼厨(あらいず)、曼荼羅(まんでいと)、光譜(すぺくとる)、程序(ぷろぐらむ)、能量(えねるぎー)など、通常ならカタカナにされるであろう単語や振り仮名まで徹底して漢字とひらがなにする事で原文にはない雰囲気を演出する作品もある。

   〔ウィキペディアより引用〕


 『C調言葉に御用心』 作詞 桑田佳祐

 いつもいつもアンタに迷惑かける俺がばかです
 波に消えた人の名を呼ぶなんて
 今宵二人で翔んだつもりで抱いて震えるだけじゃ
 分かりあうはずもなく別れてく

 たまにゃ Making love
 そうでなきゃ Hand job
 夢で I'm so sad
 ぐっと狂おしく All night
 今夜あたりは裸でいるのよ
 最高シュールな夢が見れそうね

 胸をつかみうなじを味わいやせた腰をからめて
 とぎれとぎれの声聞くだけでいい
 恋をすればするだけ女の泣いた顔に醒めてく
 髪の長さや色気だけじゃ酔えない

 たまにゃ Making love
 そうでなきゃ Hand job
 夢で I'm so sad
 ぐっと狂おしく All night
 みだれ女の吐息に悩める
 純情ハートの俺であるがゆえ

 あ ちょいとC調言葉にだまされ
 泣いた女の涙も知れずに
 いっそこのままふらちな心にで
 いるなら胸が痛むね

 俺にだまって恋をしていたあなたもやはりダメね
 甘い言葉で背中をいじらせて
 女ですものアンタこの頃移り気なるままに
 深いわけなどあろうとなかろうと

 たまにゃ Making love
 そうでなきゃ Hand job
 夢で I'm so sad
 ぐっと狂おしく All night
 照らう元気もありゃしもないのに
 そうとクールでいれるのも妙ね

 あ ちょいとC調言葉にだまされ
 泣いた女の涙も知れずに
 いっそこのままふらちな心で
 二人が乗れる波のよう

 砂の浜辺でなにするわけじゃないの恋などするもどかしや
 乱れそうな胸を大事に風に任せているだけ

 ちょいとC調言葉にだまされ
 泣いた女の涙も知れずに
 いっそこのままふらちな心で
 夢から醒めずわからず

 〔情報元 : Uta-net〕