With the I Ching

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易の初歩 : 元亨利貞について

2014-07-25 19:36:17 | 易 de コラム

前回は易の三義について書きました。(振り返ってみれば、三義に関しては過去に何度か書いてきたんですね。自分でも忘れていることがありました。)

今回は元亨利貞(げんこうりてい)について書いていきます。


3. 元亨利貞

これも易特有の専門用語ですが、縁起の良い言葉とのことで昔から人の名前に入れられることも多かったようです。ちなみに僕の子供の頃の同級生に「利貞」という名前の人がいるのですが、とても頭が良くて指導力もあり優秀な人でした(時々、僕の夢の中に「優秀な人の象徴」として登場してきます)。聞くところによると、現在は外科医として活躍されているとのことです。

それはともかく、易の64卦の中で、この元亨利貞を全て、または一部を備えている卦が幾つかあります。そして、最も根源的なのは陰陽を純粋に反映した乾為天(けんいてん)と坤為地(こんいち)でしょう。

乾卦は太極→陽→老陽と経て、さらに陽が強められた全陽の気であり、坤卦は逆に太極→陰→老陰と来て、なおも陰が強まった状態の気です。そして乾卦を二つ重ねたものを乾為天といい、坤卦を二つ重ねたものを坤為地と言います。

易の概念的には、乾から放たれた可能性のエネルギーは坤という器によって受け止められ、現実の世界に具体化されていくことになります。これはスーフィズムやカバラーなどの神秘思想で「力と形」として表現されるものと同じです。より分かりやすく言えば、なにか形あるものを作ったり、具体的な成果を上げるための手順と律動的な進捗、そしてそれらの相互作用です。

最初にアイデアやヴィジョンがあり、それを元にプランを練り、枠組みや基本構成を考え、実際の作業展開の中で修正したり変更したりしながら具体的な形に仕上げていく。そして、一通り完成して運用を始めると、今度は保守や改善も必要になるし、また別に新たな企画も生まれてくる……

こういう一連の流れがスムーズに行われる過程を「元亨利貞」という四文字で表現しているわけです。そしてこれを、「元(大いに)亨(通る)、貞(正しく堅持して)利(利あり)」という感じで読ませているのですが、それぞれの文字にも重要な意味があるので、以下でもう少し具体的に見ていくことにします。


3-a. 元


これまで何度か述べてきたように、易はこの世の全ての事象、森羅万象に及ぶ創造と変化をその対象としていますが、この元はそうしたことの起点となるものです。そのため、この元は(前回の三義でも少し触れたことですが)「一から全へ、全から一へ」という流れの原動力(大本・大元)になっているものだと考えられます。

ただ、ここではより実際に即してイメージしやすいように、広い意味での「物づくり」の工程を例にして話を進めようと思います。

物づくりにおける元は、全ての基・素となる「可能性の種」や「潜在能力」を象徴しています。人の名前でも「はじめ」と読ませるように、何らかの発想やデザイン、企画立案など、これから形にしようと考えていることの原案・草案です。まだ実際的な形(製品や商品など)になる前の準備段階ですが、これがなければ何も始まらないという意味では創出されるもの全ての根源であり、実に偉大なものです。

これを比喩的に言えば、大抵の易のテキストにあるように、ある種の意志によって種が植えられ、それが芽吹き(元)、生長して枝葉を伸ばし(亨)、花が咲き果実を実らせ(利)、その収穫物を保存したり別の形で使う・循環させる(貞)といったことであり、季節に当てはめれば、元が春、亨が夏、利が秋、貞が冬ということになります。

こうして全ての資源、創造活動のソースとして元を定義することができます。そしてこの元が発芽すると、続くプロセス(亨・利・貞)のテンプレートとして機能しますが、それが望んだ通りの結果となるか途中で挫折してしまうかは、また別の話です。ともあれ、他のプロセスが展開されてゆく将来性をその内に含んでいるのは確かです。

元の段階ではまだ空想であったり、実現するか分からないアイデアであるものの、そこには高純度の意志や期待が込められています。その溢れるエネルギーを無駄にしないためにも、現実化に必要な知識や技術の習得、人材の確保、勇気や行動力、継続的な努力などが欠かせません。

とにかく、この元によって最初の一歩を踏み出すことが全ての始まりです。この世界における活動エネルギーの発露というわけです。

神秘思想で言えば、元はまさしく元型であり、これを素材としてクリエーションが展開されます。また、占星術では火元素に、ユングの考えた四つの特質(直感・思考・感覚・情緒)では直観に対応すると思われます。残りの対応についても、先にここで一覧にして示しておきます。

# 元:元型、火元素、直観、春(発芽・発案)、仁、慈

# 亨:創造、風元素、思考、夏(生長・拡充)、礼、喜

# 利:形成、地元素、感覚、秋(収穫・結実)、義、悲

# 貞:顕現、水元素、情緒、冬(保存・活用)、智、捨

※「情緒」を「感情」と書くことのほうが多いかもしれません。feelingの訳。

前回の「易の三義」は占星術での三要素(活動・不動・柔軟)に、そして今回の元亨利貞は四元素(火・地・風・水)に、また陰陽は内向性(求心性)と外向性(遠心性)、リズムに対応すると僕は見ていますが、あくまでこれらは象徴体系への理解の幅を広げようとする一つの試みであって、易を学ぶ際にどうしても必要というわけではありません。

こうした考え方は興味が尽きず面白いものですが、反面、間違った観念や思い込みに陥ってしまう場合もあります。かくいう僕自身も認識を誤っていたと振り返ることが過去に何度もありましたし、今も、そしてこれからもあるかもしれません。

ですので、僕が参考までに掲げる対応一覧については、「そうした考え方もできるのか」という程度に流しておき、いつか自分でも考える必要性が出てきた時に参考として思い出していただければいいかなと思っています。


3-b. 亨


人の名前に使われる場合「とおる」と訓読みするように、これは物事や情報が通達されていく様子や、光や音が伝わっていく様子を象徴した言葉です。また、一つの思考やイメージが多彩な広がりを見せるという意味では、易の三義での「変易」とも関連する内容だと思います。

これを物づくりの観点で表現するなら、「元」で生まれたアイデアが発展して構想が広がったり、関係者に周知されたり、スポンサーを得たりして、具体化に向けて状況が動いている状態を表しています。

簡単にリスト化してみます。

* アイデアや企画したことを実現させるために周りに働きかける(仲間・人材・資金集め)。これは次の「利」の段階での適材適所に関係してくる。

* 営業・広報活動を行う(宣伝・広告・通知)。既に需要がある場合は、流通ルートを広げたり、軌道に乗せる。口コミでの評判の広がり。

* 具体的な成果を得るために必要な資格や技能を積極的に学ぶ。先輩や指導者に習う。(当面のゴール設定と、そこに至るまでのプロセスの把握)

* 知っておくことや考えておくことを確認する。知らせておくべきことを伝える。

この段階では実際的な成果としての収穫(恩恵・利益)や活用はまだ先ですが、その目標に向けての加速度が増しているので、いま必要とされることを速やかに、あるいは興味の赴くままに行っていきます。

単独で色々な準備をしながら進める場合もあれば、仲間と協力して事を進める場合もあるでしょう。いずれにしても、最初の「元」でハッキリとしたヴィジョンを作り、それを元手に道筋を明らかにすること、活動の方向性を確かなものにすること。それが「亨」の役割だと考えたら分かりやすいかもしれません。

必然的に、この段階では現実的な目標を定めるために色々と話し合ったり考えたりすることが多くなります。また、見本となるような事例を参考にしたり、既にその分野で活躍している人のアドバイスを受けたり(もしくは引き込んで直に参加してもらう)、有名な人に広告塔になってもらう、といったことをするかもしれません。状況に応じて様々な方法があると思います。


3-c. 利


「元」「亨」を経てようやく物事がその具体的な形を呈し、この「利」でついにその成果を刈り取る段階に入ります。季節で言えば収穫の秋です。またその一方では、何かにもっとエネルギーを注ぐために間引かれるもの(切られるもの・枯れゆくもの)を象徴することもあります。

人間で言えば、組織としてより優れた成果を残すために誰かが外されたり、最適なポジションの割り当てが求められる時であったりします。スポーツのレギュラー選抜やポジション争いをイメージすると分かりやすいかもしれません。

物づくりのプロジェクトで言えば、この利は、ただのアイデアや夢に過ぎなかったことが実際に形作られる段階です。そしてここに、いわゆる運の良さやタイミング(時代の要求)が絡み合いながら、これまでの行いが結実してゆく/することになります。

例えば、目前の試験に向けて一生懸命に勉強する、商品化に漕ぎ着けるために多大な時間と労力を費やす、沢山の人が関わって一つの映画を作り上げる、サッカーなどで出場メンバーが決まって最終調整を行っている……といったことです。

とはいえ、この成果・結果が嬉しい場合もあれば、嬉しくない(苦い)場合もあるわけで、それは前段階の元・亨でどのように物事を進めてきたか、また、この利において人選が適切だったか(適材適所だったか)等にもよります。

これは根本的には因果応報とか自業自得、いわゆる「原因と結果の法則」と言われているものと通じており、易の三義のところで書いた反射(鏡)や作用・反作用の法則と言い換えても意味は同じです。単に原因と結果の間に諸条件がどの程度挟まっているか、ということに過ぎません。

このことを考えると、易の原文の中で、利が「宜しい」とか「利益がある」の意味で使われている場合でも、これまでの行いと今の行いとを総合して、本当に自分(達)にその価値があるのかどうかを踏まえた上で「利」の意義を判断する必要があるんじゃないかと思います。

つまり、単純に文面上「利あり」と出てきても、それまでの元・亨に相当する行いをしてきていなければ、たいていは利益や勝利や成功など得られるものではありませんし(可能性や素質だけあっても、それが育てられなければ生きた力にならない)、仮に得られても一時的なものに過ぎないでしょう。それどころか、そもそも収穫するべき果実の素となる種さえ植えられていないこともあります。

これは先の亨においても、また最後の貞においても同様です。元のヴィジョンや将来性がなければ亨を推し進めるモチベーションが続きませんし、貞に至るまでの過程で成果を得られなければ、それを活用したり、出来上がった商品を店頭に並べてお客さんに買ってもらうことさえ叶いません。

そのように、元亨利貞のどれであっても、それに値する内実がなければ意味を成さないということを覚えておく必要があります。


3-d. 貞


一連の流れの最後である貞には、完成という意味と共に、保守するとか固持する、正しい流れを維持する、といった意味があるとされています。それに関しては易の三義の一つ「不易」とも共通する面が見て取れますが、ここでは先の利で刈り取った成果をどんな風に扱うか、ということをテーマに書こうと思います。

自分で得た利益ですから、もちろん自分のために使うこともできます。また、困っている人のために役立てることもできますし、社会に還元して広く活用してもらえるようにすることもできるはずです。または必要なだけを使い、あとは後々のために残しておく場合もあるでしょう。

利の象徴が「秋の収穫」でしたので、お米を例にとると、稲穂が垂れて刈り取る段階になるまでにも沢山の作業があり、さらにそれが私たちの口に入るまでにも幾つかの過程を経ます。ただ、そうして流通するもの以外にも、今後のために備蓄されるものもありますよね。これと同じようなことを、他の色々なものに当てはめて考えることができると思います。

例えば、苦労して取得した資格や技能も、それを実際に使う現場にいなければ宝の持ち腐れになってしまうように、この「貞」では、努力の結晶として今得ている能力なり情報なり物なり人脈なりを、今度どのように活用するか(どう捉えるか)が問われているのです。

そしてそれが何であれ、長く使うためにはメンテナンス(修理や補修、点検など)を要するでしょうし、古くなったものを捨てたり、買い替えを考えなければならないこともあるでしょう。

時には、考えただけでもネガティブな感情を抱きがちな人との縁切りを求める場合もあるかもしれませんし、仲違い状態からの修復を必要とするかもしれません。または、考え方を変えることで平静な心の状態を保てるようになるかもしれません。よく聞くように、執着心を手放したり、感謝の気持ちを表すだけで事態が劇的に良くなるかもしれません。

どのような状況だとしても、この貞では行動に対する動機の正しさや善良さが重要であると言われています。なぜかと言うと、小さな心の歪みを放っておいた場合、やがては大きな問題を生み出しかねないからです。それに、目的を誤ったまま、あるいは後ろめたさを感じたまま行う事柄に良い結果が付いてくるとは考えにくいものです。

特に、不正に得た利益で甘い汁をすすっているとか、何かを誤魔化したり嘘をつきながら生きているとか、自分が楽をするために他の人達を犠牲にしている、といったことは貞の精神に反しています。大きな視点では、人間が楽しみを享受するために他の生き物や自然環境への負担を強いるようなことも、元亨利貞の流れから外れた行いだろうと僕は思っています。

ですから、この貞は物事が完成した後の活用方法を象徴するものであると同時に、そうしたことの根底にある動機や感情の質・良否を問うものでもあるわけです。しかもそれが持続されるかどうか。実際、ここが肝腎といっても言い過ぎではないでしょう。


3-.e 循環作用と同時作用の同居


これまで元→亨→利→貞と説明して来ましたが、ここで循環が止まってしまうわけではなく、また新たな元亨利貞として動き出します。加えて、これら元亨利貞は循環するだけでなく、それぞれが必要に応じて個別にも機能しています。

「物づくり」の場合だったら、例えばこれまでに作った製品をバージョンアップ(改良・改善)させながら、同時に次の試作品も作り、その一方では他の部署が営業を行い、宣伝のためのホームページを作り、別の部署では雇用や資金状況を考え・・・といったことをしていると思います。あるいは、一人で何役も(場合によっては全てを)こなさなければならない人もいるでしょう。

今回は「物づくり」を一つの例として挙げましたが、こうしたことは世の中のあらゆることに当てはめて考えることができるはずなので、前回の易の三義にしても今回の元亨利貞にしても、何かの際にふと気が付いたら、そこから自分なりに考えを推し進めてみてください。そうすることで易が実学として生きてくると思います。

注意しておきたいのは、これらはタイプ論のような単純な「型」ではないことです。

様々な状況の中だけでなく、一人一人の中にも元亨利貞の素養が備わっていますし、もちろん陰陽も八卦も64卦も構成要素として内に含まれています。ただ、その割合とか出やすさが異なっているため、各自の行動の仕方や考え方に特徴が生まれているのだと僕は考えています。

例えば「元」としての空想力や何かを生み出すエネルギーは強いのに、三日坊主で最後まで物事を成し遂げることができないで終わる、そんなパターンを繰り返す人もいます。そのアイデアを実現する軌道に乗せたり(亨)、具体的な形に落とし込むまで興味や気力が保てないのです(利)。

また、誰かが言い出したこと・やり始めたけど止めたことを受け継いで活動を続けたり、廃れそうになっていることに息吹を与えて再活性させることに長けている人もいます。人は様々です。そして、そうだからこそ色々な人の協力があって大きなことが実現できるのですし、自分一人の力ではどうにもならないことでも何とかなるようになる。

易の三義で見てきたように、変化は万物の基本。行き詰まったと感じる時も、そこで終わりだと諦めない限り、その先に続く道や別の扉は用意されている。そう考えれば、失意の時にあっても乗り越えていく力が出てくるんじゃないかと思いますし、自分にできることや新たな希望も見えてくるんだろうと思います。

 



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