一つ前の記事、「キーコードから導く、あなたへの語録集」に関する補足を書こうと思います。
あの内容は、世の中にもたらされた古今東西の人々の名言・格言・語録を集めて、それを100の性質に分類したものですが、これは奇門遁甲の十干の組み合わせ(十干剋応)に準えています。
奇門遁甲については諸説あり、現在も何が正しいのか、どんな方法が優れているのかなどの議論が多いのですが、ここでは専門的な話には深入りせずに、その「求めるところ」について考察してみたいと思います。(逆に言うと、奇門遁甲をよく知らない人がこの記事を読んでも「???」となるでしょうけど)
<遁甲(「甲を遁がす」ということ)の本当の意味とは何だろう?>
現代社会に生きる私達に限らず、過去からのどんな未成熟の社会にあっても、人は個人的主観と、それを投影する活動の場としての外部環境(生態系や自然、社会文化)の中に生きています。そうした内と外という交差する場の狭間で、様々な心理的な葛藤を経験し、また、自我(エゴ)と集団的な動向との調整が試みられてきました。
そこでは、自ら意識するしないに関わらず、周りの人達と共同で織りなす状況の中で、ある種のキャラクターとしての「役」を演じることもあるでしょうし、社会的な教育と称して、メディアや学校などで教えられ、時に刷り込まれてきた判断の型もあるでしょう。それから、家系的に受け継いできた遺伝的な要素に基づく、根本的な行動様式も持ち合わせているはずです。
いずれにせよ、数多くの場面を経験する中で繰り返され、培われてきた心理的パターンだとか自己防衛手段、さらには、固定観念やトラウマといったことも内在しているのが一般的かもしれません。
そして、それらの経験の堆積物が現在の「私」を構成していると考えることができると思いますが、そうした構成要素の一つ一つが、自分の心や精神、あるいは魂と言われるものの具体的な現れであり、古来から10前後のカテゴリに大分類される象徴体系に対応づけられて解釈されてきました。
例えば、あらゆる体系の原型とも言える数理の仕組み。つまり、0~9の数字の意味合い。そしてそれらの組み合わせの理論がそうです。近代以降、それは数秘術として発達してきました。
同様に、エニアグラムであったり、東洋占術に使われる十干や九宮であったり、占星術の十惑星であったり、もう少し数を増やせば、十二支や十二星座(ハウス)、逆に少し数を減らせば、八卦や北斗七星だったりします。
「キーコードから導く、あなたへの語録集」で使っているのは、十干の組み合わせに基づいた奇門遁甲における解釈です。数字が0~9の10個であるように、十干も10のカテゴリに分けられた「意識」または「次元」を現わしていると、今の僕は考えています。特に次元に対する考えは、この半年位の間に急速に僕の中に染み込んできました。
例えば三奇とも言われる乙・丙・丁の3つは、実は私達が今いる三次元空間(線・面・立体、左右・前後・上下)、及びそれを認識している私達の意識の表層面を示しているのではないか、と思うようになりました。
そして、そこに甲尊と称される甲が点次元(存在そのものとしての力点、重力)または時間次元として加わって、いわゆるミンコフスキー時空を形成する、と。(あるいは時間は私達の意識の産物として別に考えた方がいいかも。ただの思考遊戯ではありますが。)
そしてその四次元の世界観に加えて、甲の特性としての時間のフレキシブルさ、あるいは重力が残りの六儀(戊・己・庚・辛・壬・癸の六つの干の総称)としての6つの次元/時空/世界に作用し、全体として10次元もしくは時間を含めた11次元を形成する・・・。
すなわち、普段認識できる三次元世界からは隠された潜在的・暗在的な次元/意識へと繋がっていく。
こうして甲が六儀にアクセスすることで、四次元時空に生きる僕達がさらに奥深い世界の秘密を知ることができるようになる――手短に言えば、甲には目に見えない世界を認識できるように顕在化する働きがあるのではないか、とそのように思えるのです。
だから、昔の戦乱の世に言われていたような、「君主としての甲を、庚(刺客)の脅威から安全な場所へ避難させる」、あるいは、「囮を使って難を逃れる」というような意義からは逸脱してしまうかもしれませんが、今はもう敵味方の戦いなどに呆けている時代ではないのですし、本来の人間としての創造性を発揮することこそが甲である、という認識の下で奇門遁甲を活用することが大切なんじゃないかと考えます。
要するに、甲は私達の本源的な意識を再発見するためルート(ドアを開くためのアクセス・キー)となるもので、これを有意義に使うことで、今まで忘れていたり、気が付いていなかった認識を得て世界観を拡大させることができる、そういうふうにこの頃は捉えています。それはあたかも物理学でいう光の速度から物事を見たようなものだと思います。
また、六儀と甲の関係については、作盤上の理屈に沿って六儀で代用し甲は秘すという考え方がありますが、僕は甲をそのまま使います。
というのは、ここに書いた考え方をする場合、甲を含めた十干全てを用いることが大切だと思うからです。
ただし、六儀に当たる干の意味合いが全く無くなってしまうと考えているわけでもなくて、戊~癸における各干の特性は、状況を構成する背景的要因として潜在化で働くようになると見ています。つまり、甲としての現実への顕現化のバックボーン、いわば影の部分という意味で今は捉えています。
この辺りの考え方は、遁甲という意義そのものに対する根源的な問いになるので、僕の視点の正誤はともかく、もっと究明されるべきことだと思います。
ちなみに、2006年頃だったと思いますが、次のような文章を書きました。
参考までに掲載します。
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<甲の意義>
自分の演じているコントロール・ドラマ(幼少の頃に両親との間で織り成され、
事あるごとに繰り返されてきた自己防衛手段という「甲殻」)に気づき、
その克服に努めるに従って心理の根源にある恐れから解放されてゆきます。
そして、この過程の中で自分のバース・ビジョン(出生の目的)を見出し、
精神的な「とらわれ」や「しこり」を取り除くことで、本来の自由で創造的な生き方を獲得するようになります。
また、これは自我意識が渦巻かない(エゴが働かない)状態での
真性の欲求を満たす方向を示していますので、
本質的な「自己実現」に近づく生き方が期待できます。
もっとも、その内容は各人がどんな精神的学びを必要としているか、
あるいは何を目的として生きているかによって異なりますが
(それが数秘術のライフパスやエニアグラムの各タイプなどとして分類されているわけですが)、
それが何であれ、活力と健全さに満ち溢れ、
かつバランスの取れた方法で自分らしい道を歩んでいけることに、ここで気がつきます。
ただ最初は、自我を超えて「心の解放」へと続いている梯子を見つけただけに過ぎませんので、
ここから自己の本質へと到達するには、それ相応の努力(階梯を登っていく決意と気力)が必要です。
というのは、たとえ自分の資質や長所に合った生き方を見つけても、
それまでに培ってきた諸々の観念(思いこみ)や社会的立場などが邪魔をして、
自分の道に進もうとする決心を揺るがせることがあるからです。
そのようにして大半の人が進むべきか退くべきかで迷い、立ち往生する時期を経験するものですし、
また、自分のつまらないプライドや不安にも悩みますが、実際のところ「案ずるより生むが易し」です。
グッと気合を入れて、自分に自信をもって行動に移せば、一気に運が開け、
確実にバース・ビジョン(出生の動機=自己実現したい内容)を果たしてゆけるようになります。
そして、いつか上昇気流に乗れるようになる頃には、自分の選んだ道に対して確信を持つことができるでしょう。
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その頃は『聖なる予言』(ジェームズ・レッドフィールド著 ※左のサイドバーにリンクを貼っています)という本にある心理学的な側面からのアプローチや他の象徴体系との絡みで考察しており、今の僕の頭にあるような次元との関係については思ってもいませんでした。しかし、当時の自分としては比較的納得して書いていたはずなので、今も僕の底流にあるものだと思います。いずれにせよ、改めて奇門遁甲の仕組みや、その本質的な意味合いについて知見を深める必要があるとみています。
そのための一助として、これからこのブログで記していく幾つかの内容が役立てばいいなと願っています。まずは、「キーコードから導く、あなたへの語録集」の基になった十干剋応の個人的な解釈を載せていく予定です。その後は、他の要素(八門・九天星・九宮・八神)についての解釈もできればしたいと思っています。
ただ冒頭にも書いたように、込み入った話とか僕が使用している方法論についてとやかく書くことは避けます。というのは、どのような見方(暦の繰り方、作盤の仕方)をしたとしても、それが充分に作用するという認識が働く限り、おそらく現象に対する解釈としては共通するものが出てくるだろうと思うからです。(このことを示す言葉として西洋占星術には「その人から特別よく見える窓がある」という表現があります。)
なので、僕が書くことは単に一つの参考資料として使っていただく、というのが一番いいんじゃないかと思います。
そういうわけで、今、資料として準備しているものが整理でき次第、順次、このブログとサイト(CIの保管庫)にUPしていきます。
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