With the I Ching

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日本の運気の流れ

2009-01-11 05:55:33 | 易 de コラム
この間は、30年毎の世界の運気について易を観てみましたが、もう少し範囲を絞って国別の運気も読んでおこうと思います。今回は日本の大運についてです。


現代日本の誕生は、「戦後の新憲法制定の時を以ってす」という考え方が一般的です。また、僕自身もデータを取る限り、それで現行の日本を読解できると思っています。

で、以前ホロスコープでも出しましたが、戦後の日本の誕生日時は1946年10月7日午後3時頃の東京です。ちなみに月曜日。時刻については細かな修正が必要だと思いますが、概ね午後2:50~午後3時の間辺りで良いと思います。

これらを東洋占術における四柱干支にデコードするならば、丙戌年丁酉月甲寅日壬申時になります。
四柱推命が得意な方は、このデータから命式や行運などを判断していけることでしょう。

それと、新暦(グレゴリオ暦)を旧暦(太陰太陽暦)に変換すると1946年9月13日申刻ですので、紫微斗数が得意な方はここから判断することもできるだろうと思います。

そのいずれにせよ、命式や大運などが出てくるので、各分野から意見を出し合うというのも興味深いでしょうね。
このブログを読んでいる人の中に、そうした占術の得意な方がいましたら、ぜひ意見をお寄せ下さい。

さて、ではこのコラムでは易を用いているので、易卦変爻を出して考えてみようと思います。
話を簡明にするために、先に出てきた結果を書き連ねておきます。


◎易占による日本の大運表(年の区切りは数ヶ月から1年ほどブレがあるかも)

1946~1951年  地風升[三]
1952~1961年  沢地萃[四]
1962~1971年  山天大畜[五]
1972~1981年  天雷无妄[四]
1982~1991年  水地比[三]
1992~2001年  地水師[二]
2002~2011年  火山旅[初]
2012~2021年  雷火豊[初]
2022~2031年  火沢ケイ[二]
2032~2041年  風火家人[三]
2042~2051年  火雷噬噬コウ[四]
2052~2061年  山火賁[五]


この結果からすると、現在の日本は“2002~2011年 火山旅[初]”の中にあるということになります。
火山旅は、旅の字からイメージされるように故郷から離れること、現代では海外や宇宙なんかも範疇に含まれます。

なにより今居る場所から移動する放浪の象ですから、仕事を求めて都会に出たはいいが、不況の影響で職を失いホームレスや住所不定のカフェ住まい等になる方が増加してきた時期であることも頷けます。運命というには悲しすぎることです…。

また、物理的な場所・距離だけでなく、精神的な拠り所や誰かの心から旅立つ・離れるということも意味しています。特に現代では、そちらの影響力も強く作用しているような感じがします。心が離れるとは、例えば離婚もそうですし、周囲の人に対する不信感、孤独、裏切りといったことも含意されます。


大運の期間が2002年以降という事を考えると、一つにイラク戦争における自衛隊の派遣が思い浮かびます。

違憲か合憲か、軍隊か自衛軍か、などと物議を醸しながらの派遣でしたが、数年に亘る海外活動を経て昨年末に打ち切られることになりましたね。卦辞には「旅先では正しい態度を取り保っていればよい」とあり、その土地の風習や文化、また時事情勢などをよく鑑みて行動するようにと注意が促されています。事情を弁えずに無茶をすれば災いを呼び込んでしまいます。

日本の自衛隊は直接的な戦闘には加担していなかったので、幸いにも大きな戦禍に見舞われることはありませんでした。この点では「小事は通る」の卦辞通り、少なくとも無事に帰還することはできました。でも、間接的にはアメリカ兵や彼らの食料などを輸送し続けてきた経緯があるので、大義不透明の開戦だっただけに問題は依然として残されたままです。


もう一つ。

この卦の象伝には、「明快さ(離:火)と慎重さ(艮:山)をもって刑罰を行い、裁判を留まらせない」とあります。
あたかも山焼きの火が滞りなく奔るように、慎重を期しつつ明察をもってスピーディーに事を行う必要性を説いています。
これはまさしく、今年から始まる裁判員制度にも当てはまる内容であり、ちょっと考えさせられますね。さらに時を同じくして被告・遺族参加型の裁判も始まりますし。

ところが、火山旅は「少しく亨る(小事は達せられる)」なので、重大事件のような荷の重い事柄には不向きなはずです。

これを思うと、殺人などの事例に関してまで素人の一般人が判じられるものかどうか疑問が出てきます。被害者やその遺族が感情に流されて冷静さを失う恐れもあるのではないでしょうか。そうした状態でどれだけ裁判員となった人々が公正な判断ができるものか…
もし自分がそうした事件の裁判員になれとの通告が来たら、実際どうしたものかと苦悩すると思います。

初爻変の爻辞は「旅してこせこせして落ち着きがない。家(故郷)を離れてこのようではかえって災いを招く。」です。
目前の利益を追って些事にこだわったり、出向いた地で目的も果たせずウロウロしていても仕方ありません。そのような状態では逆に疲れてしまうだけです。

生活苦によってやむなく売却された名犬ラッシーが故郷へ帰ろうと脱走したり、帰りすがらのお宅でソワソワしているように、この火山旅初六では、旅先(移動先)の異国の地でも何かと不安で落ち着けず、休息どころではないと感じがちです。

本来の目的も果たせぬまま生活するために否応なく忙しく働いたり、色んなアイデアを試すために方々へと走り回ります。様々な問題点があることは見えていますが、それを根本的に解決するにはまだ力不足かもしれません。

この卦爻の時は、どこかに自分や家族の安住の地を探して職や住居を転々とする傾向がありますが、どこへ行っても何をしてもなかなか心は休まらず、安心することができない状況です。旅とは物理的な移動だけでなく、心の動揺・不安定さをも象徴するものなので、心がフラフラと定まらない間は身体も社会的ポジションも何もかもが安定することはないのです。

何のために働くのか、自分の資質にマッチしているのか、自分の時間や健康を損なってまで働く意味があるのか――それならば、多少収入は少なくても自分の好きなことができる時間をもちたい、家族や恋人や友達と一緒に過ごす時間を増やしたいなど、労働に対する価値観・考え方は各個人で大きく異なっているのが現状です。

社会の在りようも必然的に、しかも可能な限り迅速に変わらなくてはならなくなってきています。こうした要求に行政は適確に答えていかなくてはならないと思います。


さて、これに続く2012年からの10年は雷火豊の初九。

卦辞は「豊は亨る。王自らが到達できるので心配無用。日中に輝く太陽のように徳を以って照らせば利し」といった具合の内容です。太陽が天頂を過ぎて次第に傾いていくように、豊かさも盛大を迎えれば、やがてかげりが生じてきます。

豊かさにあるとき人は、そこに依存したり甘えたりしがちですし、その状況に居続けたいと思いやすいものです。
しかし、そうした恵まれた状態にいつまでも安座していることは叶いません。いつかは庇護が失われ、頼れるものもいなくなってしまいます。

これまでに得たデータを調べるに、この雷火豊の状況にいる人は恵まれて甘やかされてきたことが仇となって精神的に弱くなっているケースも少なからず見受けられました。お金持ちの世間知らずのお嬢さんとか引きこもりの甘えん坊さんとか。

人は、自分のことばかりを考えて支えてくれる人たちへの感謝を忘れると、とたんに人徳もツキも失われてゆくものです。それも多少かげったくらいではなかなか自覚することもなく放置され続け、やがて緊急課題として目前に立ち表れた時に狼狽してしまうのです・・・。

これは自分自身にも胸にズキンっと思い当たる節があるし、皆さんの中にもドキッとする人がいるかもしれません。

もともと現代社会においては「豊かさ」とは何か、非常にあやふやになっている気がします。
人によって受け答えは異なるでしょうから、一概に意見の一致を得られるものでもないのかもしれません。
ただ、生活していけるだけの経済的な豊かさも必要ですし、周囲を思いやる「心のゆとり」も必要です。物心両面においてバランスを取ることが、ひいては人としての生き方を調律することになるんだろうと思います。

ところで、象伝には雷火豊のイメージとして「雷電」――雷声:震(轟き渡る威勢)と電光(イナズマ):まばゆく光る明察――が与えられており、その威光によって君子(賢い者)は訴訟を裁き、刑罰を断行するとあります。

先の10年の火山旅[初]の象伝にも似たようなことが書かれていましたが、火山旅には艮の慎重さが、まだあります。
一方、この雷火豊は気が強い分、短気を起こしたりやり過ぎるきらいがあるので、適確な判断ができない人が無鉄砲な裁断を下せば逆に痛手を負うことになります。だからこそ、有識者やその道のプロなどでなくてはならないわけです。ここに卦辞に王と出てくる所以があるような気がします。


それで、初爻変は「共に進むべき相手(主人・好意ある相手)に出会う。協同して進めば十全(ピーク)のところまで行っても咎はなく喜ばれる。だが、過分に望めば災いとなる。」というような意味合いがあります。

この時期、「共に進む」とあるように仲間なり賛同する者達なりを巻き込んで、――いえ、これは国の大運ですから、おそらく国民だけでなく他国をもその気にさせるような何らかの扇動的な運動が起こるのではないかと思います。そして、それは国内であれ世界に対してであれ改革しようとする強い想いから出たものでしょうが、多分に性急さが押し出されたものになるでしょう。

それが新時代の潮流に感化されたものであるかどうかはともかく、日本は追求する理想や目標・信条に向かって集中的に、時にある種の極端さをもって邁進することになる可能性があります。
ただし、国も突き詰めれば人の集合体ですから、焦って冷静さを失い、煮詰めるような議論もなく早急な行動に走るようなことがあれば、目的が達成できないばかりか失敗して後々に禍根を残すことにもなりかねません。

それにこの時期は、おそらく過去の政治上の誤りが明るみに出て、きちんと清算しなくてはならなくなるだろうと思います。同盟国や近隣国との関係だけでなく、国民全体の意識としても、過去をクリアにする必要が出てくるでしょう。
これは一時的には厳しさをもたらしますが、過去にまつわる苦しさを手放すことは未来を真に生きていくためには大切なことです。いつまでも過去の出来事を抱え込んだままではいられないのです。

ところで、卦辞にもあったように、日中にある時は明るく勢力もありますが沈むにつれて闇の気が増してゆくのが自然の理です。強運に驕って内実を失ったがために凋落してゆく、というのがこの卦の特徴なので、この時期の日本は平家物語の一節「奢れる者も久しからず、たた春の夜の夢の如し。」を肝に銘じなければなりませんね。

ちなみに、これは山地剥の外部から削り落とされる意味合いとは逆に、自らの弱さから内部崩壊していってしまう様相を示しています。パワーのある時期であるからこそ、自身の内実を疎かにしない心がけが求められます。

こうした対向の意味合いを持つ卦との関係を考えると、より易の構造がわかって良いと思います。対の概念を把握するやり方は有意義なので、このブログでも連載していく予定です。

それはともかく、物事には“満ちれば欠ける”という波の法則があるので、2012年からの日本は「真の豊かさとは何なのか」を真剣に考えないといけないだろうし、自らの心の弱さや社会構造を含めた他者への甘えとも正面切って向き合わなければならなくなるはずです。

豊かさという“城”と引き換えに現代人が失ってきたもの――何かに立ち向かっていく力強さとか自らの力で運命を切り開いていく意志(逆に言えば、依存心に巣食われた甘ったれた弱い自分と対峙して戦う力)、自分を支えてくれる周囲への感謝や思いやりの心、それから社会を発展させてきた陰で損なわれ続けてきた自然への愛情や畏怖の念など――そうした事柄に対して、全く無視できない状況に迫られることが予想されます。


少し話は逸れますが、個人的な考えとしては、今現在、自分の精神的な弱さとか不甲斐なさを嘆きつつも「どうにかしたい!」と希っている人は、いずれは自分の足でシャンと立って背筋を伸ばし、似た境遇で同じような経験をしてきた人たちと感情を分かち合うことができるんじゃないかと思っています。そして、共に奮起して自らの人生と社会の未来を切り開くために力を発揮していくのではないかとも。

もちろん、かなりの希望的観測ですし、「甘やかされて育ったヤツがそんなことできるはずないだろう」という意見も頷けるのですが、爻辞の内容を評価するならば、案外そういった見方もできるのではないかと考えます。

今、時代の流れにうまく適合できず、失職者・引き篭もり・ニート・誰かの穀潰しになっている人も、自ら前に踏み出すための少しの勇気と、何らかの技能に対する自信を備えて(そのための個人的な努力は当然必要ですが)、そこに表現する時と場が与えられれば、きっと自他共に益がもたらされるだろうと思います。

レッテルというものは他者が勝手に貼るものですが、たちの悪いことに本人が望んでいなくても、名をつけられたものはその性を纏うようになってしまう、というのが一種の摂理です。周囲が「あいつはああいうやつだ」と考えていれば、その思考の集積が本人のやる気を削ぎ、環境を閉鎖的にしていくことも往々にしてあるのです。

もちろん本人の弱さや甘えも自覚する必要があります。しかし、実際には周囲の無理解という冷たさも大きな影響を与えていることに気づいてあげなくてはならないと思います。

特にマスコミの心無い報道などに感化された無思慮な人たちの言動が、より本人を苦しめて追い詰めているように感じます。人は心で動くものなので、単に口先で「やる気を出せ」とか「逃げてるだけだろ」などと言っても、傷口を拡げて事態を悪化させているだけだったりします。

もし本当に相手のことを思って何か伝えようとするのなら、きちんと内容を吟味してから話すべきです。巷に溢れている報道の受け売りでは更なる苦悩を与えることになりかねません。伝える人の心から出る言葉でなくては力づけにはならないのです。


以前にも少し書いたかもしれませんが、今の日本という国は「世界の中の実験場」のような雰囲気があります。
アメリカのように多種多様な人種が住んでいるわけではありませんが、街には色んな価値観や趣向が溢れ、先進国の一つとして科学技術が生活の基盤となり、過剰なほどに人々は慌しく動き回り、それに負けじと目にも留まらぬ速さで時代の波がうねっています。

こうした中で、社会的にうまく行っている人・行っていない人、自分を信じられる人・自分も人も信じられなくなっている人などの二分化が急激なスピードで進行してきたようです。そして、そうした価値観や観念に振り回される人もいれば、そんなことはどうでもいいと考える人もいます。

豊かさに対する考え方の変化は一昔前から変化してきており、お金や所有に対する考え方も社会との関係性の変化に伴って移り変わってきています。また、結婚や人生観に関しても数十年前とは大分異なったものになっているんだと思います。

そして、こうした傾向はこれからピークを迎えるまでの当分の間は加速され、そして雷火豊の時期にて、国として何か決定的な事態に直面するんじゃないかと思います。それでも、いつの世もへこたれない人々の中から希望が芽吹いてくるように、未来を導く予感の流れに乗って社会も大きな変化を遂げていくことでしょうね。


最後に。
大運をずっと追って見ていくと常に火、つまり離卦が上下卦のどちらかにあることに気がつきました。
細かく言えば、上下(内外)のどちらにあるかで意味合いは異なりますが、とにかく「付着・離れる」という離卦の相反する性質がいつもある、ということになります。イメージ的には磁石のN極とS極のように、時に信じあってくっ付き、時に疑いあって反発する、というものです。

人との関係において「信じることと・裏切ること」というのは、表裏の感情として非常にシビアな問題です。でも、こんな殺伐とした時代だからこそ、どれだけ自分を信じて生きてゆけるか、そして、自分を信じるのと同じだけ相手を信じて託せるか、ということが、本当に本当に大事になってきているんだなと改めて感じます。


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