今回は私がもっとも憧れている狙撃主の一人、カルロス・ノーマン・ハスコック二世についてご紹介します。本名:カルロス・ノーマン・ハスコック最終階級:一等軍曹・・・詳細はウィキペディア参照「カルロス・ハスコック」で検索で出てきます。じゃあ何をご紹介するかと言うと、ベトナム戦争時に数々の偉業を成し遂げたことで有名な伝説のスナイパーなのですが、そんな中で私が知っているエピソードをご紹介します。
この手の話(プロパガンダ要素を含んだ話)は多いようですが、数あるハスコックの逸話の中から「アメリカ海兵隊」特にスナイパーを志した兵士にとって有名らしい話を今回ご紹介します。
1967年頃のベトナム出の話らしいです。
ベトナムとラオスの国境近くの村に北ベトナム軍が小隊が潜伏しているらしいという情報が入り、本部は裏づけを取り先制攻撃を加えるため、偵察部隊を送り込むことにした。そこで白羽の矢が立ったのがハスコックである。彼は当時敵兵の間では、「白い羽毛の戦士」を意味するロン・チャンの名で恐れられており上層部は今回の任務に打って付けだと考えたのである。
任務を受けたハスコックは人員を選択する権限も与えられていた。
非常に危険な任務のため、話を聞いていた仲の良い兵士達が、「いつでも言ってくれ、臨戦態勢で待機している。」と彼に声をかけた。しかしハスコックはそんな兵士たちに向かって「偵察任務なので少人数の方が見つかりにくいんだよ、ありがとう、やばくなったら呼ばせてもらうよ」そう言うとハスコックは以前一緒に任務をこなした事のある、リチャード伍長と二人でヘリへ乗り込んだ。
目的地から約3キロほど離れたジャングルに降下し、徒歩で村へ向かった、途中、歩哨と思しきゲリラと何度もすれ違ったが、気づかれると任務に支障をきたすので交戦は避け、やり過ごした。その日の夕方、村へ到着した彼らは目を疑った!小隊どころではなく、その村には中隊規模の敵兵士が潜伏しており、戦車や高射砲、移動式の兵舎まで配備され、これから侵攻するための準備の真っ只中であった。伍長は詳しい座標や予想される敵兵力などの情報を無線で作戦指令部へ伝えた。伍長「報告も終えましたので我々は引き上げましょう、2時間後に空軍が爆撃するそうです」ハスコック「見ろっ、レーダー管制システムと対空ミサイルまで配備されている。このまま空軍が攻撃に入れば、空軍にも被害が出る恐れがある。伍長「しかし攻撃は空軍の仕事です。我々は爆薬すら持ってきていないのですよ」ハスコック「手持ちの装備でレーダー管制装置だけでも破壊しておこう」辺りはすでに薄暗くなっている。村から300mほど離れたブッシュからハスコック一等軍曹が狙撃用ライフルで援護する中、伍長は慎重にレーダー管制装置が積載されたコンテナに近づき手榴弾を投げ込んだ!ドンッ・・・爆発音とともに、レーダー管制装置が炎上し機能を失ったことが確認できた。爆発音で敵兵が大勢集まってきた。伍長が急いでハスコックの援護するブッシュへ走る。ブッシュまであと数メートルという所で、伍長が足に敵の銃弾を受け倒れんだ。
通常であれば敵兵だらけの中、負傷し身動きが取れなくなれば、置き去りにされても仕方ない事である。伍長もそのことは覚悟していた。しかし、ハスコックは身の危険も帰り見ず彼の元へ駆け寄り、伍長を装備ごと担ぎあげるとジャングルへ走った。
米軍のジャングル戦マニュアルでは、緊急脱出の際、武器などの装備品は放棄すると記載されているのだが、今回伍長が持って来ていたのは、試験運用のため配給されていたM16の特殊モデルであったため、敵兵の手に渡ればその能力と欠点を研究され不利になることが考えられるためハスコックは装備ごと担ぎ上げたのである。
しばらく走った後、後方警戒しながら伍長に水筒を手渡すと伍長の応急処置をはじめた。そのとき伍長がこう言った「軍曹、私を置いていって下さいっ、私は重症で動けないので足手まといになります。このままでは二人とも敵に追いつかれ軍曹まで殺されてしまいます。」ハスコックはニッコリと微笑みながら「心配するな、俺が基地まで必ずつれて帰ってやる。一緒に帰ろう」そう言うと再び伍長を担ぎハスコックは走り始めた。
伍長と装備を担いだまま、直線距離でおよそ3キロもの距離を、銃弾が飛び交い、敵の追撃の激しいジャングルの中をハスコック一等軍曹は緊急脱出ポイントまで走りぬき、なんとかヘリで緊急脱出することが出来た。
これにより伍長は一命を取りとめ無事後送され、空軍も被害を出すことなく爆撃を成功させることが出来た。この功績が認められ、ハスコック一等軍曹は勲章を授与されることになったのだが、彼は「私の判断で行った行動で伍長を負傷させてしまいました。それに伍長は重症で一刻を争うと判断したので脱出ポイントまで走りました。相棒を連れて帰るのは私の義務です。」と当然の事をしただけという理由で勲章授与を断ったらしいです。
上記のお話は以前沖縄で知り合った米兵「沖縄駐屯」さんと、その友達の海兵隊さん「たまたま沖縄基地に来てた」から聞いた物語を覚えている範囲で記載したものです。
※当時ハスコックが一等軍曹だったかどうかは不明wなど細い部分にあいまいな表現があるかもしれませんがご了承くださいw
この御話を、話してくれた時にこんなことも言っていました。海兵隊の方→「この話は私が海兵隊に入隊しスナイパー訓練所に行った時に、上官から教えてもらった話でハスコック一等軍曹は、私自身も憧れる海兵隊員の一人なんだよ」
ちなみに私が沖縄のサバイバルゲーム大会に出場した時に、現役の米兵さんと知り合い、話してるうちに意気投合し、このあと友達と飲みに行くからお前も来いよって、誘って頂いたんですwそこで友達の海兵隊さんを紹介されました。私は英語がほとんど分からないのですが、米兵さんは日本語も話せて、海兵隊さんなんて5ヶ国語以上話せるといっていました。
かっこ良過ぎて惚れちゃいますね♪しかし、直線距離で3キロと言っても実際には険しいジャングルの中、相棒と装備を担いで走りきるなんて、並外れた体力と集中力ですね。ハスコックは特にマッチョと言うほどでもなく、どちらかと言うと小柄に見えるんですけどね~
そのほかにも1969年に敵兵の待ち伏せに合い、ハスコック自身も重度の焼けどを追ったにもかかわらず、炎上する水陸両用車から海兵隊員数名を救出するのに手を貸したと言うエピソードもあります。つくづく海兵隊魂あふれる方です。絶対に見方を見殺しにはしない!尊敬しちゃいます。
この手の話(プロパガンダ要素を含んだ話)は多いようですが、数あるハスコックの逸話の中から「アメリカ海兵隊」特にスナイパーを志した兵士にとって有名らしい話を今回ご紹介します。
1967年頃のベトナム出の話らしいです。
ベトナムとラオスの国境近くの村に北ベトナム軍が小隊が潜伏しているらしいという情報が入り、本部は裏づけを取り先制攻撃を加えるため、偵察部隊を送り込むことにした。そこで白羽の矢が立ったのがハスコックである。彼は当時敵兵の間では、「白い羽毛の戦士」を意味するロン・チャンの名で恐れられており上層部は今回の任務に打って付けだと考えたのである。
任務を受けたハスコックは人員を選択する権限も与えられていた。
非常に危険な任務のため、話を聞いていた仲の良い兵士達が、「いつでも言ってくれ、臨戦態勢で待機している。」と彼に声をかけた。しかしハスコックはそんな兵士たちに向かって「偵察任務なので少人数の方が見つかりにくいんだよ、ありがとう、やばくなったら呼ばせてもらうよ」そう言うとハスコックは以前一緒に任務をこなした事のある、リチャード伍長と二人でヘリへ乗り込んだ。
目的地から約3キロほど離れたジャングルに降下し、徒歩で村へ向かった、途中、歩哨と思しきゲリラと何度もすれ違ったが、気づかれると任務に支障をきたすので交戦は避け、やり過ごした。その日の夕方、村へ到着した彼らは目を疑った!小隊どころではなく、その村には中隊規模の敵兵士が潜伏しており、戦車や高射砲、移動式の兵舎まで配備され、これから侵攻するための準備の真っ只中であった。伍長は詳しい座標や予想される敵兵力などの情報を無線で作戦指令部へ伝えた。伍長「報告も終えましたので我々は引き上げましょう、2時間後に空軍が爆撃するそうです」ハスコック「見ろっ、レーダー管制システムと対空ミサイルまで配備されている。このまま空軍が攻撃に入れば、空軍にも被害が出る恐れがある。伍長「しかし攻撃は空軍の仕事です。我々は爆薬すら持ってきていないのですよ」ハスコック「手持ちの装備でレーダー管制装置だけでも破壊しておこう」辺りはすでに薄暗くなっている。村から300mほど離れたブッシュからハスコック一等軍曹が狙撃用ライフルで援護する中、伍長は慎重にレーダー管制装置が積載されたコンテナに近づき手榴弾を投げ込んだ!ドンッ・・・爆発音とともに、レーダー管制装置が炎上し機能を失ったことが確認できた。爆発音で敵兵が大勢集まってきた。伍長が急いでハスコックの援護するブッシュへ走る。ブッシュまであと数メートルという所で、伍長が足に敵の銃弾を受け倒れんだ。
通常であれば敵兵だらけの中、負傷し身動きが取れなくなれば、置き去りにされても仕方ない事である。伍長もそのことは覚悟していた。しかし、ハスコックは身の危険も帰り見ず彼の元へ駆け寄り、伍長を装備ごと担ぎあげるとジャングルへ走った。
米軍のジャングル戦マニュアルでは、緊急脱出の際、武器などの装備品は放棄すると記載されているのだが、今回伍長が持って来ていたのは、試験運用のため配給されていたM16の特殊モデルであったため、敵兵の手に渡ればその能力と欠点を研究され不利になることが考えられるためハスコックは装備ごと担ぎ上げたのである。
しばらく走った後、後方警戒しながら伍長に水筒を手渡すと伍長の応急処置をはじめた。そのとき伍長がこう言った「軍曹、私を置いていって下さいっ、私は重症で動けないので足手まといになります。このままでは二人とも敵に追いつかれ軍曹まで殺されてしまいます。」ハスコックはニッコリと微笑みながら「心配するな、俺が基地まで必ずつれて帰ってやる。一緒に帰ろう」そう言うと再び伍長を担ぎハスコックは走り始めた。
伍長と装備を担いだまま、直線距離でおよそ3キロもの距離を、銃弾が飛び交い、敵の追撃の激しいジャングルの中をハスコック一等軍曹は緊急脱出ポイントまで走りぬき、なんとかヘリで緊急脱出することが出来た。
これにより伍長は一命を取りとめ無事後送され、空軍も被害を出すことなく爆撃を成功させることが出来た。この功績が認められ、ハスコック一等軍曹は勲章を授与されることになったのだが、彼は「私の判断で行った行動で伍長を負傷させてしまいました。それに伍長は重症で一刻を争うと判断したので脱出ポイントまで走りました。相棒を連れて帰るのは私の義務です。」と当然の事をしただけという理由で勲章授与を断ったらしいです。
上記のお話は以前沖縄で知り合った米兵「沖縄駐屯」さんと、その友達の海兵隊さん「たまたま沖縄基地に来てた」から聞いた物語を覚えている範囲で記載したものです。
※当時ハスコックが一等軍曹だったかどうかは不明wなど細い部分にあいまいな表現があるかもしれませんがご了承くださいw
この御話を、話してくれた時にこんなことも言っていました。海兵隊の方→「この話は私が海兵隊に入隊しスナイパー訓練所に行った時に、上官から教えてもらった話でハスコック一等軍曹は、私自身も憧れる海兵隊員の一人なんだよ」
ちなみに私が沖縄のサバイバルゲーム大会に出場した時に、現役の米兵さんと知り合い、話してるうちに意気投合し、このあと友達と飲みに行くからお前も来いよって、誘って頂いたんですwそこで友達の海兵隊さんを紹介されました。私は英語がほとんど分からないのですが、米兵さんは日本語も話せて、海兵隊さんなんて5ヶ国語以上話せるといっていました。
かっこ良過ぎて惚れちゃいますね♪しかし、直線距離で3キロと言っても実際には険しいジャングルの中、相棒と装備を担いで走りきるなんて、並外れた体力と集中力ですね。ハスコックは特にマッチョと言うほどでもなく、どちらかと言うと小柄に見えるんですけどね~
そのほかにも1969年に敵兵の待ち伏せに合い、ハスコック自身も重度の焼けどを追ったにもかかわらず、炎上する水陸両用車から海兵隊員数名を救出するのに手を貸したと言うエピソードもあります。つくづく海兵隊魂あふれる方です。絶対に見方を見殺しにはしない!尊敬しちゃいます。