りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

天皇誕生日

2024-02-24 02:04:54 |     
長らく、冬至の頃の天皇誕生日に慣れ親しんでいたので、2月下旬の天皇誕生日のことがなかなかピンとこなかった。
とぼけているわけでなくて、そう言えば(*‘ω‘ *)!という感じで。そんな迂闊さは自分でも不思議というか、自分らしくないなぁと思うのだけど(^^ゞ
令和も6年になって、少なくともその分は繰り返されてきたはずなので、そろそろ「そうでした(*‘ω‘ *)!」くらいまでのあたりまえにはなってきた。
陛下におかれましては、壮健でいらっしゃることが、なによりも大事なのでございます。お誕生日でお姿をあらわされることは大切な公事。
お誕生日、おめでとうございます。

お出まし前の会場に何かのアナウンスが響いている。たまたま、皇居からの中継動画が流れてきたので、手を止めて見ていると、アナウンスが言うのは「大声を出すな」「天皇陛下万歳は言うな」と、参列者に大きな声を出すことを禁じる旨。
すぐに陛下お出ましとなり。雨降る中、静かにただただ小旗をふる人たちを見ていると、なんというか、この光景はあんまり正しいものとは言えないよなぁと思ってしまった(´ε`;)
せっかく長和殿までお祝いに駆けつけた皆さんに、ことさら声をひそませること、これを理解せよ!というアナウンスは、よろしいものとは言い難い。できることなら、こんなアナウンスはない方がよい。
そもそも、あの場で大声を上げる人って、いるものだろうか?
ひょっとしたら、いることはいるのかもしれない。が、仮に一人、二人、そういう輩がいたとしても。あの場所はとんでもなく広いところなのだし、そこを埋め尽くす大勢の皆さんがいらっしゃる。陛下のお言葉のあとには、ただ自然と湧き上がる歓声であの空間は満たされる。しかも、昨日は雨も降っていた。
あの場において、「声をあげること」をことさらに注意する必要っていうのは、本当にあったのかな(*‘ω‘ *)?
あのアナウンスのせいで、自然な歓声まで封じられたように見えて、少し残念な感じがした。

新年の一般参賀に、僕らは3度、参加したことがある。
上皇陛下が天皇陛下でいらっしゃったときの話なので、いずれもコロナ以前のことではある。
新年のご挨拶ということで、陛下が何をおっしゃるのかなんて、誰もが承知している。
その上で、皆さんの雰囲気というのは、楽しそうというか、独特な期待感があって。寒い中、整然と並んで待っているわけなんだけど、ワクワクというだけでなくて、その期待の内に、どこか厳かなものがあるんだな(*´ω`*)
この場にいること。これに、ひとかたならぬ思いというのがあるのだ。
ご挨拶のあとに自然に湧き上がってくる皆の思いっていうのか、いわく言い難い何かで満たされるのだけど、これがとてもあったかいものなので、そういう場に居合わせることができた幸せな気持ちっていうのを、僕だってしみじみ思い出したりする。
つまり、何を言いたいかというと、コロナ以前でも、誰かの大声で騒然となるような事態っていうのは、ちょっと起きようがなかった、っていうことなのだ。
そういうわけで、あのアナウンスが常に余計なものに聞こえてしまうのである。

この頃、どこか皇室が少し遠く感じられてしまうのは、通り一遍ではない、なにか別の要因がいくつも隠されているように思うのだけど、わかりやすいところで理由を探れば、それは例の流行り病の影響に帰着するとは思う。
しかし。この影響をいつまで引き摺るつもりだろうか?
令和になってからも、日本にとって大変なことはひっきりなし起こっている。今年については、年頭の能登半島地震の衝撃があまりにも大きい。
陛下の公事において、国民の歓声さえも抑圧するようなアナウンスは、あまりよいものに聞こえない。それどころか過剰な抑圧に聞こえる。些細なことかもしれないけど。それならば、些細なことをも大事にしてほしいと、思うともなく思ってしまった。
と、同時に、陛下の難しいお立場というものを想像すると、なんだかやるせない気持ちにもなる。
なにかはっきりした結論があるわけではないのだけど、いろいろが、もはや「このまま」っていうわけにはいかないだろうなぁと。
黙ってやり過ごすような時間は、とっくに過ぎ去っているよなぁと。

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