りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

「馴れ」と「無自覚」

2024-07-08 20:41:22 |  日 記 
「明日は39℃」という予想気温を見たとき、それはホントなのか(・o・)?と訝しく思うのと同時に、「これは、えらいこっちゃ~Σ(゚∀゚ノ)ノ」と思う自分もいて、朝からやたらと警戒していた。
実際には37℃あたりで落ち着いてくれて、なんだかすごくホッとしているε-(´∀`*)

ん(*‘ω‘ *)?
ホッとしている(*‘ω‘ *)?

ん~~(´ε`;)ウーン…
それもなんか間違っているのではないだろうか〜(´ε`;)ウーン…

七夕の翌日に37℃という気温は、それだけですでに異常事態。これで済んでよかったとか、思っているところで、自分の感覚も、どこかおかしくなっているような。。。

なんかね(*‘ω‘ *)
「馴れ」っていうことには、いつだって要注意。気をつけた方が良いのだ( ・ิω・ิ)b

猛暑、酷暑とはちょっと違う話ではあるのだが。。。
「馴れ」について、少し。
日常生活の上で、馴れるべきことっていうのはたくさんある。
いちいち新しい、新鮮な気持ちではいられないっていうことは、たくさんある。
例えば。
クルマの運転などは、こういう時の喩えにぴったりかも。
運転に「馴れ」は絶対に必要。
いちいち新鮮な気持ちで、緊張しまくっていたら、安全運転だっておぼつかない。不都合がいっぱいある。
一方、「馴れ」て、自動化してしまった運転は、別種の危険をはらんでいる。見慣れた風景に潜んでいる危険に気づかないことがあるかもしれない。見慣れた風景に、いつもと違うことが起こるかもしれない。ここに意識を働かせることは、「馴れ」とは違う感覚が必要。あるいは、「馴れ」にも、洗練が必要とか。
馴れてしまうことの便利さと、馴れて無自覚になることの危険。
変化に順応するということと、異常なことを無自覚、無反応になって、やり過ごしてしまうっていうことは、事の本質として、まったく違う事態なのだと。
ここはちゃんと区別しておきたい( ・ิω・ิ)b
いろいろをごちゃ混ぜにされて、なし崩し的に繰り出されたイメージを、あたりまえの「現実」として受け止めてしまうことは、とても危うい。

見慣れた風景の中にある「違和感」に敏感でいること。
とりあえず、シャワーを浴びてすっきりしたところで、そんなことを思った(*‘ω‘ *)
どこかで、一旦、感覚をニュートラルに戻す時間は必要ってことよね(*´ω`*)

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