りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

夏越の祓@江島神社(≧∇≦)b

2024-07-02 02:15:39 |  日 記 
江島神社で夏越の祓にお詣りするというのは、ずっと前から考えていたのだけど、お詣りするタイミングがなかなか難しく。
大晦日なら、これはもう全国的にお休みなものだから、お詣りすることになんら困難もないのですが、夏越の祓にお詣りできるかどうかはカレンダーの事情が成否を左右するのでありまして(^o^;)
まぁ、最初からその気で予定を立てておけばという話にはなるのだけど、江島神社で「祓」に参加するということに、わたくしとしてはかなり深めな思いがございまして( ・ิω・ิ)g

江島神社の3つのお社、辺津宮、中津宮、奥津宮の三社それぞれに御祭神がお祀りされるようになる前は、欽明天皇の命により創建されたお寺だった。有名な五頭龍と天女の仏教的な伝説が御祭神を巡るエピソードとして知られているけれど、それは神仏習合における自然な風景ということになるのかもしれない。
「天女」のイメージに表れる「辯財天様」は相当に早くから「江島明神」と重ねられていたらしいのだけど、そのあたりの詳しい事情はそうしたわけで、よくわからない。江の島を巡る連想から自然に結びついたイメージ、とする方がむしろしっくりくる。
江島神社に来るといつも思い出すのは、頼朝公がこちらから勧請して、諏訪大社下社春宮の近くにある「浮島社」をお祀りしたという話。それはまさしく「辯財天」=「祓戸大神」、別けても「瀬織津姫」をクローズアップさせることになるのだけど、その大元たる「江島神社」には、そもそも「江島明神」=「祓戸大神」が古くから祀られていたということになるわけで。
江の島なんてリアルに「浮島」なんだし。
このあたりの話というのは、例えば由緒書きなどではまったく触れていない。
そもそも、「諏訪大社」の「浮島社」は、頼朝公が勧請するよりもずっとずっと以前から存在していたらしい。
その場所が縄文時代の黒曜石の出荷基地であったことがわかっている以上、有史の常識で覆ってしまうのもいかがなものか?と思う。

いろいろ複雑ではあるけれど、要するに、古くから、すでに「辯財天」=「宗像三女神」=「江島明神」=「祓戸大神」のイメージはあたりまえに了解されていたということ。これは逆も真なりで、辯財天様のいらっしゃるところに「祓戸大神」のイメージが投影されるということでもある。

というわけで、夏越の祓♪
これをお望み通りに実現できたことに、わたくしとしては感慨深いものがあるのでございます(*´ω`*)♪
なんと言っても江の島は、僕らの初デートの、思い出の場所でもあるわけなので。
幾重にも重なる思いが、風景としてここにあるとも言えるのでございます(≧∇≦)b





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