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葉室麟 作品集 「月神」 2

2015-08-23 13:27:44 | 葉室麟 作品集

 

葉室麟 作品集  「月神」  2

「橘花抄(きっかしょう)」の前後に、「月神」を8.23(日)1015読み終えた。

時代背景は、幕末から明治18年、筑前黒田藩士の月形(つきがた)洗蔵と月形潔の従兄弟の物語である。

月形(つきがた)洗蔵は、筑前黒田藩尊王攘夷派の中心として志士を先導したが、藩主の意に添わず入牢後、斬首された。

その従兄弟が月形潔で、兄のように慕っていたのが月形洗蔵で、その信念は、「月となって夜明けを先導」するとのことであった。

この言葉を信じ、明治13年(1880年)421日正午汽船で函館着から、北海道の踏査および樺戸集治監(現在の刑務所)を作り、典獄(現在の刑務所長)として明治18年までの5年間におよぶ、葛藤を描いています。

 

注:樺戸集治監(現在の刑務所)の地は、月形潔の「月形」をとり「月形村」と命名された。

  現代、月形村は、月形町になり、観光スポットとし樺戸集治監(現在の刑務所)があげられている。

  樺戸集治監(現在の刑務所)は、明治14年開庁、大正8年廃監される。

 

主人公を取り巻く主要な面々

 

・海賀直常 筑前黒田藩士で、月形潔を補佐する。

・レコンテ アイヌと倭人(父)の混血児。樺戸集治監(現在の刑務所)の踏査の案内役。月形潔の従僕となる。最後、囚人の脱獄の主犯となり、死亡する。

・杉村義衛=長倉新八 新選組2番隊長、近藤勇と袂を分かつ。明治4年杉村家の養子となる。剣術(サーベル)指南として樺戸集治監(現在の刑務所)に来監。

・五寸釘の寅吉 囚人で何時脱獄するかも分からない注意人物。6回脱獄。最後は網走監獄で模範囚となり、72歳で釈放される。

・月形磯 月形潔の妻。養蚕を月形村に広め、殖産の一助を担う。

 

 

神にかかわる言葉

 

・月神 神功皇后が征韓の船を出したおりの先導神は月神であった。

・カムイ アイヌ語で神

・ウェンカムイ 悪い神

・キンムカムイ 羆で山の神

・クンネ(黒い)チュブ(太陽)カムイ 月神

・ペケレチュブカムイ 日神

・アイヌの日神と月神 この国の霧でおおわれ暗い場所を照らそうとし、日神は雌岳(マツネシリ)から

月神は雄岳(ピンネシリ)から黒雲に乗り、天に登ったとのこと。

 

 

印象にに残った文章

 

・p-153 「監獄は一軒の家で言えば便所のようなものだ。不浄だが、ひとが生きているかぎりつきまとう。便所を清潔できれいにしている家は、家風がしのばれる。国家の監獄もまた同様ではないか。監獄がまさしくひとを悔い改めさせ、善用する道を開くならば、その国家は前途洋々としている。」

 

 小説では、北海道への船中で海賀直常が嘯いたと描かれており、月形潔が、「心中では深く感銘を受けていた。」とある。

 

これは、樺戸集治監(現在の刑務所)を作り、管理するための導き=指針となるもであろうと考える。

月神に通じるものがある。

 

もう一つ妻の励ましの言葉にも、月神に通じるものと思われる。

・p-272 木に例え、「木々の根は地中に隠れて見えませんが、根がなければ幹や枝が伸びず、葉も茂ることがなく、まして花は咲きません。あなたは根の仕事したのだ、とわたしは思っております。」

 

 

・p-282 「誰もが役割や使命を帯びてこの世に生まれてくる。」

私は、この言葉に一番感銘を受けた。

この言葉をいつも胸に秘め、日々を過ごしたいと痛切に感じた。

 

寝屋川市の殺人事件等に思いをいたせば、他人の命を絶つことは許しがたいことだ・・・・・・・。

 



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