NHK大河ドラマ「真田丸」 4 「調略」 28.1.31
1582年(天正10年) 3月。
信州諏訪、「法華寺」。
織田信長の本陣に真田父子出仕。
小県(ちいさがた)の国衆、室賀は既に来ていた。
「とにかく、織田にお詫びせよ」と助言する。
徳川と穴山の会話。
穴山、「小山田と同じようになるのではないか」と心配する。
家康、「裏切者でも、穴山様は大物で挌が違う、当方の調略で寝返ったもので、その心配はない」と語る。
信繁(幸村)が、父を離れ、庭で、徳川の弓を見かける。
家康から声をかけられ「真田でござる」と答える。
「弓が素晴らしい」しかし「真田はまだ先にいっている」と。
弓の端に車をつけ、運びやすくしている。
昌幸が、庭に出てきて、「徳川様」と声をかける。
父が、話相手が誰か知っておるかと。
知らないと。
「徳川様だ、失礼だ」と。
家康、信州は名馬の産地、「信長様へ信州の名馬を贈るよう」助言を受ける。
家康、「三方原手ひどい負け方をした」。
この際、武田方に「優れた人物、喜平次」という人物がいた。
今は、城もちになっているであろうと・・・・・・。
昌幸、気づきなが、「知らない」ととぼける。
明智光秀、信長伺候のため廊下を通過、徳川声をかける。
< 信州真田の里のシーンあり >
先ず、信長の嫡男・信忠の追及を受ける。
家康や滝川一益が同席。
上杉への密書と信長への書状を見比べながら、上杉への密書から「裏切者」と決めつけられる。
しかし、その密書は上杉に渡っていないので、裏切者ではないと昌幸は訴える。
家康もその書状を確認し、裏切者でないと、助け船を出してくれた。
信忠、一応納得し信長のもとへ。
信長、昌幸の背後からせまり、真正面間地かに昌幸の顔をにらみつけ、「みあげた顔だな??」と呟き、その場をさる。
これで、一応、無事謁見が終了、許された。
その帰り、廊下で、信長が光秀を、足蹴などで打擲している場、見かけてしまった。
信長去り、家康、光秀を抱きかかえ介抱。
滝川から信長の意向として、「沼田城および岩櫃城差し出せ。また人質を安土へ」と、いやいや承服。
昌幸帰郷。
叔父に沼田・岩櫃を手放したこと詫びる。
姉は、夫とのことを考え、人質を志願。
祖母も行ってよいと。
母大反対、揉めたが、姉が懇願し、決まる。
信幸は、信州の名馬を信長に献上。
信繁(幸村)は姉の護衛として安土に向かう。
姉、真田屋敷に入る。
信繁(幸村)、安土城を眺め・・・・・驚きの顔。
ここで、つづく?
< 来週の予告・・・本能寺の変 5「窮地」 >
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