どうしたらトップになれるのか?
これが外部からは一番わからない部分で、わかれば苦労しない。有力視されていても発表の瞬間までわからない。成績だけで決まる訳ではなく、安蘭けいは首席で卒業して初めてトップになった例。〔追記:汀夏子もそうだったと教えていただきました!〕人気、存在感があるかどうか。何でもできる人が人気が高いとは限らず、歌がうまい、ダンスかうまい等、特徴がある方がファンがつく場合がある。かわいい、健気、見守ってあげたくなる、云々。(「人気も実力のうち」というけれど、「実力も人気のうち」の方が事実に近い?)
人気をどこで測るか? 劇団はチケットやオリジナルグッズの売れ行きなどの数字を当然押さえているし、最近では楽曲のダウンロード数が加わったかも。そうした数字がものを言う筈。
どんなキャスティングで作品を創りたいかという脚本家の発言力は小さくないと思う。植田紳爾が朝海ひかるにオスカルをやらせたいとずっと思っていたことは有名(今は誰だろう?)。
スポンサー企業がつくのも大きいと思う。ファンクラブの会員数は、購買に結び付けば力を発揮する。入り待ち、出待ちの人数といった印象だけではどれだけ影響力があるか個人的には疑問。
わからないからいろいろな憶測が乱れ飛ぶ。しかし、順位や記録が残るスポーツ選手でさえ、日本代表やオリンピック代表の選考には混乱が付きまとうのだから、この場合方程式がわからなくても不思議ではないのでは?
舞台の最後にご挨拶をした人は、どういう位置づけの人か?(友の会優先公演だったので組長さん、トップのご挨拶があった)
最初にあいさつしたのは組長。各組に組長、副組長がいる。ベテランで、中間管理職みたいな位置付け。生徒の状態を把握して相談にのったり、課題を与えたり、能力をのばす手助けをしているようだ。「君を愛してる-Je taime」にサーカス団団長、副団長が登場し、それぞれ組長、副組長が演じていたが、現実とオーバーラップする部分がかなりある。
90年以上続いていると言っていたが、戦時中はどうしていたのか?
戦時中、(旧)東京劇場は工場として使われ、戦後はGHQに押収されて日本人の立ち入りは禁止されていたらしい。歌劇の伝統を絶やすなと、当時の人たちは必死で働き掛けたと以前テレビでやっていました。
宝塚の代表作というとやはり「ベルサイユのばら」。初演は何年前か? それ以外の代表作は? 「ベルばら」以前はどんな代表作があったのか?
難易度の高い質問で、半分も答えられなかったので宿題となった。
ベルばらの初演は1974年(30年以上前!)。全国ツアーを含めて20回以上再演されている。1977年初演の「風と共に去りぬ」も次いで公演回数が多い。他の代表作といえば「エリザベート」(6回公演)、「うたかたの恋」(5会)、「ME AND MY GIRL」(08年で3回目)。「ファントム」(2回)も今後そうなっていくかも。
最近、30年くらい前の作品の再演が多々ある。「あかねさす紫の花」「星影の人」「バレンシアの熱い花」「ダル・レークの恋」。「この恋は雲の涯まで」「我が愛は山の彼方に」も数年前に再演された。「華麗なる千拍子」「ノバ・ボサ・ノバ」は30年以上前のショーで、何回か再演を繰り返している。これらが当時のヒット作と言えるのでは。(因みに演出家もベテランから若手へ伝統を引き継ぐ必要があるので、再演はいい機会だと思う。)
歌や踊り、時にコントを交えた「レビュー」というショー形式は宝塚が日本に輸入したもので、2007年が日本初のレビュー「モン・パリ」誕生30周年だったそうです。――昔の話は、わたしもどなたか詳しい方に教えてほしいです~
この他に出た軽い話を――
階段から落ちた人はいないのか?
ときどきいると聞く。この前轟悠が「高いところが苦手で、一度大階段から‥‥(笑いながら落ちるジェスチャー)」と言っていた。どの高さから落ちたかはわからないけど。案外、数段踏み外しただけかも。〔追記:かなり下級生のころ、数段踏み外したことが何回かあったそうです。これも教えていただきました〕
朝海ひかるが銀橋からオケボックス側に落ちたのは有名な話らしい。踊ったり走ったりしていたわけではなく、上手、下手から歩いて来てすれ違う時に上級生に気を使って端っこを歩き過ぎたらしい。本人に怪我はなかったけれど、楽器をダメにしたらしい。
その他、メイクは全員自分でやるし、早変りの必要なトップ数人以外は着替えも全部自分たちでやる、1部と2部の30分の休憩時間に(演目、というか肌色の作り方によっては)メイクを落としてメイクをし直すこともある、だからメイクに時間のかかる日本物を先にやる、娘役は鬘のアレンジもアクセサリーも手作り、トップが背負う羽は20キロくらいあるという話など、小ネタは尽きませんでしたが、お後がよろしいようで
これが外部からは一番わからない部分で、わかれば苦労しない。有力視されていても発表の瞬間までわからない。成績だけで決まる訳ではなく、安蘭けいは首席で卒業して初めてトップになった例。〔追記:汀夏子もそうだったと教えていただきました!〕人気、存在感があるかどうか。何でもできる人が人気が高いとは限らず、歌がうまい、ダンスかうまい等、特徴がある方がファンがつく場合がある。かわいい、健気、見守ってあげたくなる、云々。(「人気も実力のうち」というけれど、「実力も人気のうち」の方が事実に近い?)
人気をどこで測るか? 劇団はチケットやオリジナルグッズの売れ行きなどの数字を当然押さえているし、最近では楽曲のダウンロード数が加わったかも。そうした数字がものを言う筈。
どんなキャスティングで作品を創りたいかという脚本家の発言力は小さくないと思う。植田紳爾が朝海ひかるにオスカルをやらせたいとずっと思っていたことは有名(今は誰だろう?)。
スポンサー企業がつくのも大きいと思う。ファンクラブの会員数は、購買に結び付けば力を発揮する。入り待ち、出待ちの人数といった印象だけではどれだけ影響力があるか個人的には疑問。
わからないからいろいろな憶測が乱れ飛ぶ。しかし、順位や記録が残るスポーツ選手でさえ、日本代表やオリンピック代表の選考には混乱が付きまとうのだから、この場合方程式がわからなくても不思議ではないのでは?
舞台の最後にご挨拶をした人は、どういう位置づけの人か?(友の会優先公演だったので組長さん、トップのご挨拶があった)
最初にあいさつしたのは組長。各組に組長、副組長がいる。ベテランで、中間管理職みたいな位置付け。生徒の状態を把握して相談にのったり、課題を与えたり、能力をのばす手助けをしているようだ。「君を愛してる-Je taime」にサーカス団団長、副団長が登場し、それぞれ組長、副組長が演じていたが、現実とオーバーラップする部分がかなりある。
90年以上続いていると言っていたが、戦時中はどうしていたのか?
戦時中、(旧)東京劇場は工場として使われ、戦後はGHQに押収されて日本人の立ち入りは禁止されていたらしい。歌劇の伝統を絶やすなと、当時の人たちは必死で働き掛けたと以前テレビでやっていました。
宝塚の代表作というとやはり「ベルサイユのばら」。初演は何年前か? それ以外の代表作は? 「ベルばら」以前はどんな代表作があったのか?
難易度の高い質問で、半分も答えられなかったので宿題となった。
ベルばらの初演は1974年(30年以上前!)。全国ツアーを含めて20回以上再演されている。1977年初演の「風と共に去りぬ」も次いで公演回数が多い。他の代表作といえば「エリザベート」(6回公演)、「うたかたの恋」(5会)、「ME AND MY GIRL」(08年で3回目)。「ファントム」(2回)も今後そうなっていくかも。
最近、30年くらい前の作品の再演が多々ある。「あかねさす紫の花」「星影の人」「バレンシアの熱い花」「ダル・レークの恋」。「この恋は雲の涯まで」「我が愛は山の彼方に」も数年前に再演された。「華麗なる千拍子」「ノバ・ボサ・ノバ」は30年以上前のショーで、何回か再演を繰り返している。これらが当時のヒット作と言えるのでは。(因みに演出家もベテランから若手へ伝統を引き継ぐ必要があるので、再演はいい機会だと思う。)
歌や踊り、時にコントを交えた「レビュー」というショー形式は宝塚が日本に輸入したもので、2007年が日本初のレビュー「モン・パリ」誕生30周年だったそうです。――昔の話は、わたしもどなたか詳しい方に教えてほしいです~
この他に出た軽い話を――
階段から落ちた人はいないのか?
ときどきいると聞く。この前轟悠が「高いところが苦手で、一度大階段から‥‥(笑いながら落ちるジェスチャー)」と言っていた。どの高さから落ちたかはわからないけど。案外、数段踏み外しただけかも。〔追記:かなり下級生のころ、数段踏み外したことが何回かあったそうです。これも教えていただきました〕
朝海ひかるが銀橋からオケボックス側に落ちたのは有名な話らしい。踊ったり走ったりしていたわけではなく、上手、下手から歩いて来てすれ違う時に上級生に気を使って端っこを歩き過ぎたらしい。本人に怪我はなかったけれど、楽器をダメにしたらしい。
その他、メイクは全員自分でやるし、早変りの必要なトップ数人以外は着替えも全部自分たちでやる、1部と2部の30分の休憩時間に(演目、というか肌色の作り方によっては)メイクを落としてメイクをし直すこともある、だからメイクに時間のかかる日本物を先にやる、娘役は鬘のアレンジもアクセサリーも手作り、トップが背負う羽は20キロくらいあるという話など、小ネタは尽きませんでしたが、お後がよろしいようで

はじめまして、朝城悠希TOM様ファンでございます。
初コメのくせにこんな事書いて申し訳ないのですが・・・
トウコ様が主席で初めてトップになったと書かれていますが、過去に(昭和の話)ジュンコサンまも主席卒業でトップに成られてす。
あとTOM様が落ちたのは最高10段(かなり下級生の頃)最低3段踏み外したくらいらしいですよ~
※(雪組歴代トップ汀夏子さまチカさんからさかのぼってコム→ブン→TOM→ゆき→イチロ→カリンチョ→モサク→ターコ→ジュンコサン)