雪組赤坂ACTシアター公演 09年1月12日 15:00~
原作:ドストエフスキー/脚本・演出:齋藤吉正/主演:水夏希、白羽ゆり他
落ちぶれた貴族、異母兄弟、家族の不和、金、女、欲望、出生の秘密、裏切り、殺人事件、法廷……
まるで火曜サスペンスのように刺激的なテーマをたっぷり盛り込みながら、深遠な人間ドラマに仕上がっているのはさすがロシア文学。役者たちもこれまでに経験したことのない役に体当たりでぶつかり、全身全霊の演技を見せていました。
下品で好色で自分勝手で小心者、カラマーゾフ家の家長ヒョードルを未来優希。
長男ドミートリー(ミーチャ)の母親を捨て、ミーチャに孤独で不幸な子供時代を送らせただけでなく、ほしいものは息子のお金も恋人も取り上げるひどい奴。でもどこか憎めないところもあります。(三男のことはとてもかわいがっているし、孤児を下男として引き取りました。原作では、後妻をとても大切にしたことも書いてあります)グルーシェニカや、回想場面でその道の女性たちの体を触りまくるところなど、女性が演じているとは思えない怪演ぶり。しかしこの道化じみたエロじじいぶりがしっかりしてないとお話になりません。(芝居上)殺されても仕方ないか?と思わせるほどの強烈なキャラクターを演じていました。
カラマーゾフ家の長男で退役将校ドミートリー(ミーチャ)を水夏希。
ただでさえ父親を憎んでいるのに、その父親がグルーシェニカと結婚すると言いだした。さらに自分の財産の筈なのに、屋敷を偽の権利書で自分だまそうとした父親を殺したいほど憎んでいます。黒いロングへアーと軍服がよく似合う。荒らくれ者でけんかっ早く、父親をはがい締めにしたりする。豹を思わせる動物的な動きのしなやかさ、ビジュアルとキャラクターがよく合っています。
水夏希は男らしい男性像が似合う。スーツものではなく、薄っぺらなヒューマニズムでもなく、コスチュームもので、ロングヘアーか髭。骨太で筋が通っている荒らくれ者がステキ。最後の髭面までステキでした。
グルーシェニカ(白羽ゆり)は男に捨てられ、今は老商人に囲われています。
ヒョードルかミーチャか、お金がある方が好きと言いながら、ヒョードルがミーチャをだますのが我慢できず、ミーチャの一途な愛に心を動かされ、いつしか真剣に愛するようになります。女盛りを迎えた浮き世離れした美しさ、触れなば落ちなん、といった風情、甘ったるさと凄味が絶妙にブレンドされたせりふ回し、エリザベートよりもさらに高いキーのソロがあり(聴いてるこちらが酸欠になりそう)、大熱演。
人間の醜くてみっともない部分を曝け出した作品で、主人公たちも決して理想的な恋人たちとは言えませんが、最後はしっかりと純愛に貫かれた、宝塚作品に仕上がっていました。
次男のイワンを彩吹真央。家を離れ、モスクワで記者として活躍しています。
インテリでクールな現実主義者に見えて、シニカルな無心論者。全能感に酔い、第2幕では神の裁きを自らが下そうとしています。(文字どおり)まとわりつく幻覚(五峰亜季)とのやりとりは、幻覚のメイクや照明、エコーのかかった音声処理などが妖しい雰囲気を醸し出していました。
三男で修道僧のアレクセイ(アリョーシャ)を沙央くらま。あの父親から生まれたとは思えないほど誠実な青年で誰からも愛されています。父親もミーチャもアリョーシャのことが大好き。原作では彼が主人公で、今回の2時間の芝居では描ききれなかった彼の葛藤と成長ぶりがたっぷり描かれているようです。
(観劇の前に原作を滑り込みで一巻だけ読みました。イワンの幻覚は原作にはどのような形で出てくるのか、独白を擬人化したのか、彼の挫折の意味も含め、原作を読破してみたいと思いました。まったくゼロベースでは5巻は読めないでしょうが、役者のイメージの助けがあればなんとか読めるかも?)
ミーチャの婚約者カテリーナを大月さゆ。知的な美人ながら世間知らずで高慢。できるのかな~?と思っていたのですが、しっかりできていました。グルーシェニカとの女のバトルも面白い。
使用人スメルジャコフを彩那音。知的障害のあった母親リザヴェータ(涼花リサ)が産み落とした子供で父親が誰なのかわかりません。ヒョードルの使用人グレゴリーとマリアが引き取って育てました。ぼさぼさの髪型、鋭い目付き、背をかがめ、薄ら笑いを浮かべて常に背後に立っています。何を考えているかわからない不気味な雰囲気を漂わせ、インテリのイワンに心酔しています。滅多にない個性的な役で、役者根性を見せてくれました。
プロローグでクライマックスの法廷シーンのイメージが演じられた直後、物語は知的障害のあるリザヴェータが男の子を産み落としたところから始まります。脚本のセンスの良さに舌を巻きました。
原作では登場人物の長話という形で、教会や神の存在意義、格差社会など、作家の哲学が語られています。こうした演説が一章続くこともあり、そのテーマにリアリティを持てない読者としては、つい飛ばしてしまいます。 父親殺しの犯人は誰か? と言ってもミステリーという程でもなく、それは容易に推測ができます。しかしもちろん物語は犯人探しがメインではなく、愛する人を守るために人はどこまで真実を犠牲にするのか?また崇高にも自分を犠牲にすることができるのか?というテーマが書かれていました。ここまで理想主義的なものだとは思わず、「カラマーゾフの兄」という題名に込められた別の意味も実感しました。
脚本家は壮大なストーリーをよくここまで消化し再構成したと思います。(「エル・アルコン」の時は詰め込みすぎという気がしましたが)
冗長なシーンはなく、たった一言二言のセリフで次々と物語が展開していきます。たとえセリフは短くても、役者が理解して演技していなければ観客に伝わりません。
個人的にはリザヴェータ(涼花リサ)が無邪気に踊っているシーンに心が震えました。言葉も人間社会も理解することができず、いつも裸足で歌って踊っていたリザヴェータ。本当にそんな少女がいたとしたらこんな風に踊っていただろうなと想像すると、ちょっと泣けました。この少女の上にヒョードルは覆いかぶさるんだから、まったくもう・・・。
フィナーレは聞き慣れたロシア民謡をアップテンポにアレンジしたダンスで、衣裳もかわいかった。そして水夏希のご挨拶が、いつものことながらまた面白い。この面白さは無敵です。
原作:ドストエフスキー/脚本・演出:齋藤吉正/主演:水夏希、白羽ゆり他
落ちぶれた貴族、異母兄弟、家族の不和、金、女、欲望、出生の秘密、裏切り、殺人事件、法廷……
まるで火曜サスペンスのように刺激的なテーマをたっぷり盛り込みながら、深遠な人間ドラマに仕上がっているのはさすがロシア文学。役者たちもこれまでに経験したことのない役に体当たりでぶつかり、全身全霊の演技を見せていました。
下品で好色で自分勝手で小心者、カラマーゾフ家の家長ヒョードルを未来優希。

長男ドミートリー(ミーチャ)の母親を捨て、ミーチャに孤独で不幸な子供時代を送らせただけでなく、ほしいものは息子のお金も恋人も取り上げるひどい奴。でもどこか憎めないところもあります。(三男のことはとてもかわいがっているし、孤児を下男として引き取りました。原作では、後妻をとても大切にしたことも書いてあります)グルーシェニカや、回想場面でその道の女性たちの体を触りまくるところなど、女性が演じているとは思えない怪演ぶり。しかしこの道化じみたエロじじいぶりがしっかりしてないとお話になりません。(芝居上)殺されても仕方ないか?と思わせるほどの強烈なキャラクターを演じていました。
カラマーゾフ家の長男で退役将校ドミートリー(ミーチャ)を水夏希。

ただでさえ父親を憎んでいるのに、その父親がグルーシェニカと結婚すると言いだした。さらに自分の財産の筈なのに、屋敷を偽の権利書で自分だまそうとした父親を殺したいほど憎んでいます。黒いロングへアーと軍服がよく似合う。荒らくれ者でけんかっ早く、父親をはがい締めにしたりする。豹を思わせる動物的な動きのしなやかさ、ビジュアルとキャラクターがよく合っています。
水夏希は男らしい男性像が似合う。スーツものではなく、薄っぺらなヒューマニズムでもなく、コスチュームもので、ロングヘアーか髭。骨太で筋が通っている荒らくれ者がステキ。最後の髭面までステキでした。
グルーシェニカ(白羽ゆり)は男に捨てられ、今は老商人に囲われています。

ヒョードルかミーチャか、お金がある方が好きと言いながら、ヒョードルがミーチャをだますのが我慢できず、ミーチャの一途な愛に心を動かされ、いつしか真剣に愛するようになります。女盛りを迎えた浮き世離れした美しさ、触れなば落ちなん、といった風情、甘ったるさと凄味が絶妙にブレンドされたせりふ回し、エリザベートよりもさらに高いキーのソロがあり(聴いてるこちらが酸欠になりそう)、大熱演。
人間の醜くてみっともない部分を曝け出した作品で、主人公たちも決して理想的な恋人たちとは言えませんが、最後はしっかりと純愛に貫かれた、宝塚作品に仕上がっていました。
次男のイワンを彩吹真央。家を離れ、モスクワで記者として活躍しています。

インテリでクールな現実主義者に見えて、シニカルな無心論者。全能感に酔い、第2幕では神の裁きを自らが下そうとしています。(文字どおり)まとわりつく幻覚(五峰亜季)とのやりとりは、幻覚のメイクや照明、エコーのかかった音声処理などが妖しい雰囲気を醸し出していました。
三男で修道僧のアレクセイ(アリョーシャ)を沙央くらま。あの父親から生まれたとは思えないほど誠実な青年で誰からも愛されています。父親もミーチャもアリョーシャのことが大好き。原作では彼が主人公で、今回の2時間の芝居では描ききれなかった彼の葛藤と成長ぶりがたっぷり描かれているようです。
(観劇の前に原作を滑り込みで一巻だけ読みました。イワンの幻覚は原作にはどのような形で出てくるのか、独白を擬人化したのか、彼の挫折の意味も含め、原作を読破してみたいと思いました。まったくゼロベースでは5巻は読めないでしょうが、役者のイメージの助けがあればなんとか読めるかも?)
ミーチャの婚約者カテリーナを大月さゆ。知的な美人ながら世間知らずで高慢。できるのかな~?と思っていたのですが、しっかりできていました。グルーシェニカとの女のバトルも面白い。

使用人スメルジャコフを彩那音。知的障害のあった母親リザヴェータ(涼花リサ)が産み落とした子供で父親が誰なのかわかりません。ヒョードルの使用人グレゴリーとマリアが引き取って育てました。ぼさぼさの髪型、鋭い目付き、背をかがめ、薄ら笑いを浮かべて常に背後に立っています。何を考えているかわからない不気味な雰囲気を漂わせ、インテリのイワンに心酔しています。滅多にない個性的な役で、役者根性を見せてくれました。
プロローグでクライマックスの法廷シーンのイメージが演じられた直後、物語は知的障害のあるリザヴェータが男の子を産み落としたところから始まります。脚本のセンスの良さに舌を巻きました。
原作では登場人物の長話という形で、教会や神の存在意義、格差社会など、作家の哲学が語られています。こうした演説が一章続くこともあり、そのテーマにリアリティを持てない読者としては、つい飛ばしてしまいます。 父親殺しの犯人は誰か? と言ってもミステリーという程でもなく、それは容易に推測ができます。しかしもちろん物語は犯人探しがメインではなく、愛する人を守るために人はどこまで真実を犠牲にするのか?また崇高にも自分を犠牲にすることができるのか?というテーマが書かれていました。ここまで理想主義的なものだとは思わず、「カラマーゾフの兄」という題名に込められた別の意味も実感しました。
脚本家は壮大なストーリーをよくここまで消化し再構成したと思います。(「エル・アルコン」の時は詰め込みすぎという気がしましたが)
冗長なシーンはなく、たった一言二言のセリフで次々と物語が展開していきます。たとえセリフは短くても、役者が理解して演技していなければ観客に伝わりません。
個人的にはリザヴェータ(涼花リサ)が無邪気に踊っているシーンに心が震えました。言葉も人間社会も理解することができず、いつも裸足で歌って踊っていたリザヴェータ。本当にそんな少女がいたとしたらこんな風に踊っていただろうなと想像すると、ちょっと泣けました。この少女の上にヒョードルは覆いかぶさるんだから、まったくもう・・・。
フィナーレは聞き慣れたロシア民謡をアップテンポにアレンジしたダンスで、衣裳もかわいかった。そして水夏希のご挨拶が、いつものことながらまた面白い。この面白さは無敵です。