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未来組

宝塚の舞台、DVD、SKYSTAGEを観た感想と、最近はカメラに凝ってます。

カラマーゾフの兄弟

2009年01月18日 | 舞台感想(2007~2009年)
雪組赤坂ACTシアター公演 09年1月12日 15:00~
原作:ドストエフスキー/脚本・演出:齋藤吉正/主演:水夏希、白羽ゆり他

落ちぶれた貴族、異母兄弟、家族の不和、金、女、欲望、出生の秘密、裏切り、殺人事件、法廷……
まるで火曜サスペンスのように刺激的なテーマをたっぷり盛り込みながら、深遠な人間ドラマに仕上がっているのはさすがロシア文学。役者たちもこれまでに経験したことのない役に体当たりでぶつかり、全身全霊の演技を見せていました。

下品で好色で自分勝手で小心者、カラマーゾフ家の家長ヒョードルを未来優希
長男ドミートリー(ミーチャ)の母親を捨て、ミーチャに孤独で不幸な子供時代を送らせただけでなく、ほしいものは息子のお金も恋人も取り上げるひどい奴。でもどこか憎めないところもあります。(三男のことはとてもかわいがっているし、孤児を下男として引き取りました。原作では、後妻をとても大切にしたことも書いてあります)グルーシェニカや、回想場面でその道の女性たちの体を触りまくるところなど、女性が演じているとは思えない怪演ぶり。しかしこの道化じみたエロじじいぶりがしっかりしてないとお話になりません。(芝居上)殺されても仕方ないか?と思わせるほどの強烈なキャラクターを演じていました。

カラマーゾフ家の長男で退役将校ドミートリー(ミーチャ)を水夏希
ただでさえ父親を憎んでいるのに、その父親がグルーシェニカと結婚すると言いだした。さらに自分の財産の筈なのに、屋敷を偽の権利書で自分だまそうとした父親を殺したいほど憎んでいます。黒いロングへアーと軍服がよく似合う。荒らくれ者でけんかっ早く、父親をはがい締めにしたりする。豹を思わせる動物的な動きのしなやかさ、ビジュアルとキャラクターがよく合っています。
水夏希は男らしい男性像が似合う。スーツものではなく、薄っぺらなヒューマニズムでもなく、コスチュームもので、ロングヘアーか髭。骨太で筋が通っている荒らくれ者がステキ。最後の髭面までステキでした。

グルーシェニカ(白羽ゆり)は男に捨てられ、今は老商人に囲われています。
ヒョードルかミーチャか、お金がある方が好きと言いながら、ヒョードルがミーチャをだますのが我慢できず、ミーチャの一途な愛に心を動かされ、いつしか真剣に愛するようになります。女盛りを迎えた浮き世離れした美しさ、触れなば落ちなん、といった風情、甘ったるさと凄味が絶妙にブレンドされたせりふ回し、エリザベートよりもさらに高いキーのソロがあり(聴いてるこちらが酸欠になりそう)、大熱演。
人間の醜くてみっともない部分を曝け出した作品で、主人公たちも決して理想的な恋人たちとは言えませんが、最後はしっかりと純愛に貫かれた、宝塚作品に仕上がっていました。

次男のイワンを彩吹真央。家を離れ、モスクワで記者として活躍しています。
インテリでクールな現実主義者に見えて、シニカルな無心論者。全能感に酔い、第2幕では神の裁きを自らが下そうとしています。(文字どおり)まとわりつく幻覚(五峰亜季)とのやりとりは、幻覚のメイクや照明、エコーのかかった音声処理などが妖しい雰囲気を醸し出していました。

三男で修道僧のアレクセイ(アリョーシャ)を沙央くらま。あの父親から生まれたとは思えないほど誠実な青年で誰からも愛されています。父親もミーチャもアリョーシャのことが大好き。原作では彼が主人公で、今回の2時間の芝居では描ききれなかった彼の葛藤と成長ぶりがたっぷり描かれているようです。
(観劇の前に原作を滑り込みで一巻だけ読みました。イワンの幻覚は原作にはどのような形で出てくるのか、独白を擬人化したのか、彼の挫折の意味も含め、原作を読破してみたいと思いました。まったくゼロベースでは5巻は読めないでしょうが、役者のイメージの助けがあればなんとか読めるかも?)

ミーチャの婚約者カテリーナを大月さゆ。知的な美人ながら世間知らずで高慢。できるのかな~?と思っていたのですが、しっかりできていました。グルーシェニカとの女のバトルも面白い。

使用人スメルジャコフを彩那音。知的障害のあった母親リザヴェータ(涼花リサ)が産み落とした子供で父親が誰なのかわかりません。ヒョードルの使用人グレゴリーとマリアが引き取って育てました。ぼさぼさの髪型、鋭い目付き、背をかがめ、薄ら笑いを浮かべて常に背後に立っています。何を考えているかわからない不気味な雰囲気を漂わせ、インテリのイワンに心酔しています。滅多にない個性的な役で、役者根性を見せてくれました。

プロローグでクライマックスの法廷シーンのイメージが演じられた直後、物語は知的障害のあるリザヴェータが男の子を産み落としたところから始まります。脚本のセンスの良さに舌を巻きました。

原作では登場人物の長話という形で、教会や神の存在意義、格差社会など、作家の哲学が語られています。こうした演説が一章続くこともあり、そのテーマにリアリティを持てない読者としては、つい飛ばしてしまいます。 父親殺しの犯人は誰か? と言ってもミステリーという程でもなく、それは容易に推測ができます。しかしもちろん物語は犯人探しがメインではなく、愛する人を守るために人はどこまで真実を犠牲にするのか?また崇高にも自分を犠牲にすることができるのか?というテーマが書かれていました。ここまで理想主義的なものだとは思わず、「カラマーゾフの兄」という題名に込められた別の意味も実感しました。

脚本家は壮大なストーリーをよくここまで消化し再構成したと思います。(「エル・アルコン」の時は詰め込みすぎという気がしましたが)
冗長なシーンはなく、たった一言二言のセリフで次々と物語が展開していきます。たとえセリフは短くても、役者が理解して演技していなければ観客に伝わりません。
個人的にはリザヴェータ(涼花リサ)が無邪気に踊っているシーンに心が震えました。言葉も人間社会も理解することができず、いつも裸足で歌って踊っていたリザヴェータ。本当にそんな少女がいたとしたらこんな風に踊っていただろうなと想像すると、ちょっと泣けました。この少女の上にヒョードルは覆いかぶさるんだから、まったくもう・・・。

フィナーレは聞き慣れたロシア民謡をアップテンポにアレンジしたダンスで、衣裳もかわいかった。そして水夏希のご挨拶が、いつものことながらまた面白い。この面白さは無敵です。

宙組「Paradise Prince」「ダンシング・フォー・ユー」

2008年12月07日 | 舞台感想(2007~2009年)
12月4日 18:30~ 東京宝塚劇場
「Paradise Prince」作・演出:植田景子

モダン・アートの世界で成功するも事故で急逝したジョンの一人息子、スチュアート。早くから同じ道で才能を開花させていましたが、家族の期待やビジネスという束縛に次第に耐えられなくなり、昔からの夢を実現させるべく家出します。その夢とはアニメーション作家となり、自分の描いた「パラダイス・プリンス」をテレビシリーズとして成功させたいというもの。素性を隠し、働かせてもらうことになったアニメーション会社で様々な若者たちと出会います。画家志望のフリーター、キャサリンとの間に生まれた恋。そして、現実の仕事をこなしながらも夢を捨て切れない若者たちが、スチュアートに触発されてもう一度アニメーション作りに情熱を燃やし始めます。一方、スチュアートを育ててきたアートプロデューサー、アンソニーは彼を取り戻そうと躍起。ついに彼の居所を突き止めて、何も知らないキャサリンにある取引を持ちかけます--肩の凝らない、わかりやすい筋立てとポジティブなメッセージ。全体のトーンも明るく元気。初めて観る方にも楽しんでもらえる内容なのではないでしょうか。

大和悠河の演じるスチュアートは、ある授賞式をすっぽかし、自転車に乗ってさっそうと舞台に登場します。実際にアメリカの街角にいてもおかしくない美青年。ニューヨークからシカゴ、オクラホマ、ラスベガス、ロサンゼルスまでヒッチハイクで大陸を横断するという設定。現在地が分かる地図や各都市の映像をバックに映し、広い舞台をいっぱい使った躍動感あふれる群舞でそれぞれの街角を表現するのが、いかにもミュージカルらしくて楽しい。
大和悠河はスーパーモデル顔負けのスタイルで今風のこなれたファッションをおしゃれに着こなしています。スリムパンツをブーツインして、かもしかのように長い足を強調しています。あまり男っぽく見せようとはしていないのかもしれません。少女マンガから飛び出してきたような感じで、あくまでビジュアル重視ということでしょうか。歌のパートが多かったのですが、歌は明らかに上達していました。演技も、一樹千尋が得意とする、力を込めて囁くような、吐き出すような台詞回しを随所に効かせ、表現に奥行きを出していました。
キャサリンは陽月華の現代的容姿とセンスが役作りに遺憾なく発揮されていました。(あのワンピースとベレー帽はかわいい) 男性のラブコールをひとり占めする登場シーンは文句なくかわいく、キャサリンであることに説得力があります。アートカレッジ時代からの女友達とのほろ苦いやり取りや、スチュアートのために身を引こうとするところ、騙された悔しさをスチュアートにぶつけるところなどは自然です。
アート界に君臨するプロデューサー、アンソニーを蘭寿とむ。ナルシストで地味派手で両刀使いという役作りはステロタイプですが、二番手が演じるとは思い切った設定です。まじめに役を掘り下げれば掘り下げるほどおかしく、女性秘書ヴィクトリア(美羽あさひ)に続いて男性秘書シャルル(悠未ひろ)とキスしたシーンでは客席がどよめきました。悠未ひろは、悪役が続いていましたが、渾身の演技といったら誤解をうむでしょうか? 肩と腰を思い切りくねらせながら銀橋をステップして渡るナンバーや、アンソニーにベタベタする若い女性たちを、掌をひらひらさせて追い払ったりする姿は楽しそうで、記憶に残る役作りとなりそうです。
オクラホマの田舎から出てきたラルフを北翔海莉。田舎者なのか脳天気なのか、親指立てた”イェイ、イェイ”にはつい笑ってしまいます。でもそのわざとらしい明るさにも意味があった訳です。
スチュアートの亡父の親友ハワードを一樹千尋、スチュアートの母親ローズマリーを美穂圭子。夫の死を受け入れられず、現実に適応できなくなってしまったローズマリーを、ハワードは17年もの間ずっと支えています。
美穂圭子は3月の雪組公演を最後に専科に移動し、初めての大劇場作品です。わたしが宝塚を見始めたのは3年前の雪組公演がきっかけで、レビューでは彼女の歌声に痺れました。雪組のレビューにはなくてはならない歌姫だったので、移動してしまったことをさびしく思っていました。その美穂圭子が久々に舞台上で歌って演技している姿を観て、嬉しくて、嬉しくて涙がぼろぼろこぼれました。それほど意識したことはなかったのに、こんなに思い入れが深かったとは自分でも驚きました。ハワードにプロポーズされる場面は心から祝福したくなりました。

一般公募で決まったパラダイス・プリンス君は、主人公が子供の頃から描きためていたという設定ですから、子供が描いたような天真爛漫であたたかなイラストが正解でしょう。候補作品の中でオリジナリティが抜きんでています。プリンセスもかわいらしい。
アンソニーの会社の社員、アニメーション会社の社員、アートカレッジ時代の仲間など、いくつかのグループに分かれていて大勢の出演シーンがあること、衣装、色使い、大道具もグループごとに特徴づけられているのが大舞台らしく、わかりやすくて華やか。若者たちのファッションは衣装部が作った舞台衣装ではなくてスタイリストが集めてきたように思え(全部ではないけれど)、演出家のセンスが発揮されています。スチュアートが妹マーガレット(花影アリス)に送らせた荷物が、フリーターに相応しくない高級ブランドのスーツケースに入っていたところは、みんなに突っ込んでほしかったな。

「ダンシング・フォー・ユー」作・演出:中村一徳
宝塚らしくオーソドックスなスタイルの中に若さあふれる群舞が魅力のレビュー。大階段の黒燕尾もしっかりあります。白いグローブをしているのが正装感を盛り上げ、グローブ好きなわたしのツボにはいりました。大和悠河の歌のナンバーが多く、上述したように歌はかなり上達しえいます。(ただしビブラートを効かせられないのが難点でしょうか)
陽月華は娘役離れしたキレのあるダンスを相変わらず披露しています。
蘭寿とむが男役を背負って出てくるときのオーラ、色気には惚れ惚れします。
北翔海莉と和音美桜のデュエットは美しい。和音美桜が最後かと思うと残念です。
悠未ひろは、今年の巴里祭の放送を見て、こんなに歌えるのかと驚いたばかり。銀橋で一人で歌うのは初めてですが、これまでなかったのが不思議なくらい安定していました。
七帆ひかると十輝いりすの二人の銀橋シーンも初めて。早霧せいな、凪七瑠海等若手8名の男役がダルマで登場するのも新鮮。上級生だけでなく若手まで登場シーンがあり、ファンにはうれしい演出。
辛口コメントを述べさせていただければ、振付に変化がなく、集散が間延びしていて、フォーメーションが緩慢。無難な場面の連続で、ストーリー性のある場面や、エッジィな演出など、変化が無かったことに物足りなさを感じました。(辛口や…)

星組「外伝ベルサイユのばら ベルナール編」「ネオ・ダンディズム3」

2008年12月03日 | 舞台感想(2007~2009年)
11月28日14:00~神奈川県民ホール
「外伝 ベルサイユのばら ベルナール編」
原作、外伝原案:池田理代子、脚本・演出:植田神爾
主演:安蘭けい、遠野あすか他

プロローグは華やかで乙女チックなベルバラの世界。ブロンドの鬘をつけた安蘭けいは輝くばかりに美しい。そしてベルナールとしての芝居が始まると一転して黒髪、黒装束に身を包み、富める者を標的にした義賊、黒の騎士。剣さばきも見事。眉間に皺を寄せて遠くを見据え、常に固い決意をうかがわせる表情、集中力の高い洗練された立ち居振る舞いで、360度どこから見ても美しい。期待どおりの達者な台詞回し。歌唱力は定評あるところですが、声量も圧倒的で、マイクのボリュームが一人だけ違うのかと思うほど。「スカーレット・ピンパーネル」を経験して声帯がさらに強化されたとしか思えません。本当に何をやっても上手で、初めて観た人には「宝塚ってすごいところだな」と強烈な印象を残すのではないでしょうか。

芝居の前半は宮廷がよく出てきます。輪ッカのドレスを着て髪を高く結い上げた貴族の奥方達が、見栄と嫌味の応酬を繰り広げるコミカルなシーンはいかにも星組らしく、脚本家もよくわかっています。

さて、ベルバラ自体はオスカルが主役で、いくら外伝と言ってもベルナールを主役にするのは若干無理があったかもしれません。主演男役でありながらストーリーの牽引役ではありません。ロザリーとの恋も順調だし、ドラマの部分はオスカル、アンドレ、アラン達が担っていて、同じ運命の輪の中に入り切れていないので、なんとも見せ場が作りにくい。それでも安蘭けいは演説やバスチーユの場面を過不足のない解釈と完璧な演技力で丁寧に演じていました。

遠野あすかは娘役の鑑と言いたい。プロローグでは美しく、ロザリー役もかわいらしい。レナール夫人やマルグリットなどかなり大人っぽい役を演じた後、可憐な少女の役を演じて違和感がないのですから、女優ってすごい。ベルナールの妻として成長し、寄り添う姿は、安蘭けいとの普段の信頼関係が彷彿とされて微笑ましい。

オスカルを涼紫央。設定からして、また持ち味からして若すぎず、可愛すぎず、お転婆すぎず、そうかと言ってごつくもなく、さっぱりと演じています。ヒューマニストの側面に焦点が当たっていて、おいしい役どころでした。
アンドレとアランを立樹遥。差を出すためにアンドレに海賊のような眼帯をさせるなど苦労したとのことですが、まったく別の人間に見えました。持ち味の“さわやかな笑顔”をアランの役作りに活かしたので、アンドレが暗い印象になってしまいましたが、やむを得ないでしょう。

ロベスピエールをにしき愛。「スカーレット・ピンパーネル」でもロベスピエールを演じていました。連続した違う作品で同一人物を演じ、描かれ方がまったく正反対なのが面白い。

宝塚歌舞伎、様式美と言われるベルバラですが、気高い愛や人間愛という普遍的で共感しやすいテーマが必ず盛り込まれているので、これほどのロングヒットを記録しているのだと思いますが、今回の「ベルナール編」の脚本そのものにはその書き込みが乏しく、全体として印象が薄くなってしまいました。

「ネオ・ダンディズム3」作・演出:岡田敬二

安蘭けいの存在感は絶大。「充実期のトップスター」とはこういうものかと感心させられました。冒頭でドラゴンの刺繍入りのチャイナ服、山高帽で横顔を隠しながら♪胸の傷が痛い~と格好をつけて恋心を歌いながら階段を下りてきて、普通なら“ホゥ!!”と気合を入れるところで“崎陽軒!!”とご当地ネタをいれる余裕とサービス精神。大爆笑と割れんばかりの拍手。一気に客席がほぐれました。

「ネオ・ダンディズム3」は星組らしいコスチューム・プレイ。華やかでわかりやすいけれど、TCA風で平板な気がしました。星組は一本ものが続き、全国ツアーに持っていけるようなショーをこなしていないので、「ネオ・ダンディズム」の再演になるのは仕方ありませんが、見せ方が同じで新鮮味に欠けました。新しい場面を入れてもいいし、せめてキャスティングに変化をつけてほしかったのですが、もちろん初めて観た方には関係のない話です。

幸いにもショー作家が同じなので、98年宙組「シトラスの風」から転用した「明日へのエナジー」は最高です。安蘭けいの歌、全員のアンサンブルもダンスも力強く、歌って踊って汗だくになっている姿には胸を打たれました。生の舞台で「明日へのエナジー」を聴きたくて行ったと言っても過言ではないわたくし。大満足でした。

最後の最後、パレードの大階段でマイクトラブルがあり、安蘭けいの歌が聞こえなかったのですが、ご挨拶の時に単に詫びるのではなく、ネタにして笑わせるところはさすがです。それにしても、トラブルに気づいていつも以上に激しく、嵐のような拍手で安蘭けいを激励するファンって、ステキですよね。心が温かくなりました。

宝塚のドル箱スターと、劇団随一のミュージカル女優の主演コンビ。宝塚の舞台でこの二人を観るのは来年が最後かと思うと残念ですが、「お疲れ様でした」と声をかけてあげたい気もします。二人とも舞台を続けると思うので、末永く応援していきたいと思います。

東宝「エリザベート」

2008年11月16日 | 舞台感想(2007~2009年)
 脚本・歌詞・ミヒャエル・クンツェ/音楽:シルヴェスター・リーヴァイ/
 オリジナル・プロダクション:ウィーン劇場協会/演出・訳詞:小池修一郎

2008年11月10日 帝国劇場
 エリザベート:朝海ひかる / トート:山口祐一郎 / ルドルフ:伊礼彼方 / フランツ:鈴木綜馬 / ゾフィー:寿ひずる /マックス公爵:村井国夫 / ルキーニ:高嶋政宏

この世に「エリザベート」というミュージカルがあるって、なんて幸せなことでしょう。
オーストリア皇后エリザベート殺害の罪で死刑を宣告され、独房内で首吊り自殺を図ったイタリア人テロリスト。煉獄で百年間も続いている裁判の中で、皇后殺害の真実は黄泉の帝王が皇后を愛したからであり、皇后が望んだことであるという狂信的考えをまくし立てる。そして霊廟から皇后や縁の人々を甦らせ、証言台にたたせようとする--
客席が現実の世界であり、一メートルも離れていない舞台の上が夢の世界であると考えるのであれば、そこでは19世紀後半、エリザベートがフランツに見染められた16歳からルキーニに殺害される61歳までの人生が2時間半の間に一気に描かれ、観客はシシィと一緒にその45年間を駆け抜けたような錯覚に陥ります。
史実と虚構を幾重にも重ねあわせた度胆を抜くよう斬新な脚本は何度観ても飽きることがありません。確かな歴史観に裏打ちされた揺るぎない描写、個性的で力強い登場人物。壮大な歴史を描きながら、女性の自立、家族の絆、嫁姑問題など、誰にとっても身近なテーマが盛り込まれていて、多くの人の共感を呼びます。
そしてとにかく楽曲が力強い。天から舞い降りたのか? 縦横無尽な大胆さと繊細さ、畳み掛けるようなアンサンブルの分厚さ。天衣無縫と思われて、ここにはこの旋律しかないだろうと思える的確さ。スローなナンバーもビートの効いたロックもあり、突然の変調やシャウトで登場人物の心情を描き切っています。 

オープニングの霊廟のシーンは、構成の素晴らしさもさることならが、役者が研さんを重ねた賜と思うとつい涙がにじんでしまいます。加えて今回は、(宝塚ではありえない)老若男女総出演による分厚いアンサンブルに圧倒されました。中でも子供時代のルドルフを演じる少年の文字通りのボーイソプラノに、脳天にガツンと一撃食らった気がしました。現実の子供を連れてくるなんてずるい! かわいいに決まってるじゃないですか?ルキーニがルドルフを勝ち誇ったように片方の肩に担ぎあげて座らせるのも、ルドルフのいたいけさとルキーニの荒々しさが象徴的に表されていてゴージャスな演出でした。

エリザベート朝海ひかる。元々フェアリータイプと言われた彼女が女性を演じるのに違和感はありません。バレリーナのように長い首と撫で肩で、ドレスや首飾りを素敵に着こなしています。椅子を飛び越えたりするお転婆ぶりもよくあっていました。何といってもかわいいし、「鏡の間」でシシィスターを髪に散らし、肖像画とおなじドレスで現れる姿は輝くばかりに美しい。
朝海ひかるは実際にエリザベート縁の地を訪ねて、石造りの宮殿の窓からは緑がまったく見えず、宮廷で窒息しそうになったシシィの気持ちがよくわかると言っていました。自由奔放な父親のように生きたいと願った少女時代の姿が丁寧に描かれていて、宮廷で辱められて心を閉ざしていった過程もわかりやすく感じました。
謎に満ちた“悲劇の皇后”という夢夢しい宝塚版と、東宝版(ほぼウィーン版)は表裏一体。エリザベートには人間的で計算高い面があったという説明をルキーニがしてくれます。それを演ずる場面はありませんが、それを踏まえた上で演ずる必要はあります。男役出身のきりっとした眼差しや随所に見える切れのある動きが、エゴイストで馬術の名手でもあったシシィらしく、朝海ひかるは舞台上でシシィとして存在していました。(わたしの場合、自我を貫いた実在のエリザベートに見えるかどうかというのは重要なファクターなのです。)
宝塚版ではトート閣下は人間離れした美しさを持った存在。独特の鋭い美意識とプライドを持ったシシィが自分に相応しい相手として認め、惹かれていくという設定です。山口祐一郎のトートは、そうした美形には見えませんが、ファザコンだったシシィが憧れたとしても不思議はないと勝手に解釈しました。
朝海ひかるは男役出身で地声も低いのですが、かなりの特訓を積んでこの役に臨んでいるのがわかりました。さすがに最高音部は厳しいところがありましたが、それ以外は無難に歌いこなしていました。デュエットは相手が上手だと引き上げられて上手に歌えるもので、問題なくこなしていました。魅力的な声かと言われたら疑問は残ります。台詞も作った声でした。しかし完成度の高い作品の中心に立つ主役としての実力は十分に発揮していたと思います。

トート役の山口祐一郎は歌唱力に定評があると噂には聞いていましたが、まさかこれほどとは思いませんでした。抑えた歌い方なのにさびの効いた美声と圧倒的な声量と豊かな表現力、老練なまでのテクニック。個人的には生で聴いたなかでこんなにうまい人は初めてかもしれません。「闇が広がる」のルドルフとのアンサンブル。影コーラス無しに二人だけであれだけ盛り上げるのはすごいの一言です。
宝塚版トートと違ってほとんど踊りません。「ミルク」も歌うのはルキーニ。トートは若いイケメンだという宝塚の約束事を忘れるにしても、肌色も白くないし、死神というより金髪の鬘を被った山口祐一郎にしか見えませんでしたが、それはそれでいいのかもしれません。観客はおそらく山口祐一郎の歌唱力を堪能しに来ているのでしょうから。もっと歌を聴きたいと思わせる確かな存在感は千両役者です。

テロリスト、ルイジ・ルキーニ高嶋政宏。他の役者が演じたことはなく、初演から700回以上彼が演じているそうです。目の前にいるのは高嶋政宏なのか、ルキーニなのか?粗野で下品で自身過剰で、幕開きの狂気を感じさせる目付きもいいし、精神を病んでいる人がそうなるであろう、まくしたてたり媚びたり、しゃべっている途中にころころ声のトーンや気分が豹変する感じがよくでていました。「ミルク」は歌もダンスも迫力がありました。ただ、手慣れている分新鮮味に欠けるので、ダブルキャストを試してみるべきだと思います。これだけの名演をされると対抗馬を探すのは難しいとは思いますが。

ルドルフ伊礼彼方。ハーフならではのルックスはぴったりだし、歌も演技も申し分ない。ルドルフの最大の見せ場である「闇が広がる」を、二人だけであれだけ盛り上げるのはすばらしい。

子ルドルフを小学校三年生の男の子三人が役替わりで演じています。自分が観に行った日はどの子だったのかわかりませんでしたが、ぜんまい仕掛けの人形のように可愛らしいのに、「ママ、何処なの?」を危なげなく歌い切るのは感心しました。そして、しきたりとは言え、こんな小さな子を鞭で打つのかと思うと、シシィでなくとも「古すぎる!」と怒りたくなるでしょう。

ゾフィー寿ずづる。十分こわい姑でしたが、なぜそこまでシシィに厳しいのかと言うと、政治動向、王家の滅びゆく運命を誰よりも的確に予見していた、誰も逆らえない正当性を持った“唯一の男”という演出は弱かった気がします。

フランツを鈴木綜馬。若くてヨーロッパ一ハンサムな皇帝の筈ですが、それには若干想像力を駆使する必要がありました。しかしここでもまたシシィがファザコンだったとしたら……?と思うと不思議と符合する部分がありました。

グリュンネ伯爵、シュヴァルツェンベルク侯爵、ヒューブナー男爵、ラウシャー大司教など、一見地味なおじさま達も本当に歌がお上手でした。

トートダンサーは、トートが踊らないのを補うかのように激しく踊ります。振り付けはかなり格好いい。鍛えぬかれた肉体を上半身顕に官能的に踊るシーンは目が離せません。

娼館の場面は生々しくて迫力満点。ひとつだけ言えばマデレーヌにがっかりしました。宝塚版では黒天使が姿を変えた破滅への使者であり、シシィに似た美貌の持ち主。フランツがクラッとなるのもわからないではないという設定ですが、単なるテクニシャンというのが生々しすぎて、夢を裏切られました。オブラートに包んだままにしてほしい部分もあるものです。

星組「ブエノスアイレスの風」

2008年11月10日 | 舞台感想(2007~2009年)
星組 東京特別公演 2008年11月5日
作・演出:正塚晴彦/主演:柚希礼音、夢咲ねね他

この世に「完璧な作品」などないかもしれませんが、これは申し分のない作品でした。宝塚歌劇という独特な舞台の話ではありますが。そこに描かれた人間模様には真実味があり、脚本家の大きな人間愛があふれていました。

観終わって会場を後にする観客の会話が耳に入ってきましたが「初演の時よりいい!」「初演の時はいいと思わなかったけど(今回はいい~)」。観る側の成長もあるでしょうが、出演者が若いこと、組の勢いもあり、器用にまとめるとかそんなテクニックを越えて、役者ではなく登場人物がしゃべっているのではないかと錯覚するほどリアリティのある舞台でした。とくに男性陣、というか男役たちは、登場人物のキャラクターに見事にはまっていました。

特赦で出所したばかりの元反政府ゲリラ、ニコラス(柚希礼音)。わずかばかりの所持品を渡され、暗い灰色の建物から出てきた孤独な男。帰るあてもなく、街で職を探しはじめます。ポケットに手を突っ込んで肩を揺らして大股に歩く姿、立ち止まって振り帰る姿。そのたち振る舞いはどこから見ても男らしくて格好いい。柚希礼音は若くて普段はピチピチしているのに、いったいどこであの哀愁を手にいれたのでしょう。「ハレルヤ・ゴー・ゴー」から一年半しか経っていないのに、その成長ぶりには目を見張ります。
軍事政権が倒され、平和を取り戻した今、反政府運動を続けても国民には支持されない、目を覚ませとかつての仲間を諭すところは、本当にアルゼンチンという国の歴史を踏まえた上で話しているのかと思うほど。柚希礼音だけではありませんが、台詞とは思えない自然な会話や間が正塚作品の売ですが、それが高いレベルで実現していたと思います。
言うまでもなく柚希礼音は宝塚が誇るダンサーの一人。全身を使って一人で感情を表現する踊りは新境地だと思います。娘役と組んだタンゴもいいけれど、やはり男役を引きつれた群舞が見栄えがします。どこまで足があがるの?! そして鍛えられた腹筋と肺活量故か、声量はたっぷり。深くてビブラートがかかっているのに、かすれた歌声。小劇場では収まり切らないほどの存在感を示していました。

主役以外の登場人物を、どうしても初演と比較しながら観ていた私を一気に舞台に引きずり込んだのは、かつての仲間リカルド(和涼華)の登場でした。夢を果たせなかった悔しさと、情熱のはけ口を失った焦燥感が、金持ちへの憎悪、仕返しという偏った思想に走らせてしまった――生き急いでしまう若者の姿には普遍性があります。柚希礼音とのコンビネーションも、コミカルなシーンの間も絶妙。役作りで髪を伸ばしっぱなしにしているのもいい。元ゲリラが小ぎれいだったら変です。

ニコラスの昔のガールフレンド(蒼乃夕妃)のフィアンセで警官のビセンテを紅ゆずる。今回も髭面。エバに対する独占欲とゲリラに対する嫌悪と警戒心ゆえに、ニコラにを尾行をつけます。慇懃な態度と不遜な流し目。大きい声を出すとキーが高くなるけれど、女性らしさを感じさせないのは得なキャラクター。現実には声の高い男性もいますからね。

真風涼帆が演じるチンピラのマルセーロは、自己中心的で乱暴で弱い者いじめばかりして、本当に関わりになりたくないタイプ。街で見かけたら難くせをつけられないように、絶対視線を外します。しかし彼女は一体どこで、どんな風に人間観察をしているのでしょう? 現時点でどれくらい引き出しがあるのかわかりませんが、とにかくスケールの大きさを感じました。マルセーロがリカルドの口車に乗せられて悪事に足を突っ込むはめになる下りは笑えます。

武器商人を演じる水輝涼の「お~前らのやることは~、いちいち癇にさわる!」という叫び声もツボに入ったのですが、下級生たちも、まだお嬢さんっぽさが残っていても不思議ではない学年なのに、男臭さをよく研究してモノにしています。リーゼントの潔さは星組が一番かも? 

初演で西條三恵が演じたイサベラがよかったので、どうしても夢咲ねねと比較してしまいました。(西条三恵は、表の顔と本当の気持ちは全然違うというか、気取ったり強がったりしても内面はナイーブ、崇拝者にかしずかれていても本当は孤独、といった二面性をうまく表現していて大好きでした)夢咲ねねはニコリともせずに、最後まで笑顔を一切見せないので暗い印象。辛い環境の中で気丈にふるまうイサベルが実在したとしたら、確かにあんな感じなのかもしれませんが、笑うと途端にあどけなくなるから封印したのでしょうか。(バウホールに行ったらまた違うかもしれません)また、おそらくこんなにダンスシーンの多い役は初めてでしょう。こんなに大きな、難しい役どころを与えられたことも初めてでは? まだまだ課題をこなすことで精一杯という感じがしました。フィナーレで見せた愛くるしい笑顔の片鱗を劇中でも見せてほしかったです。柚希礼音とは見栄えのするコンビなので、これからもっともっと頑張ってほしいです。(しかし、こんなにナイスバディだったとは・・・!?)

マルセーロの母でありタンゴ酒場の歌手であるフローラ(音花ゆり)が、第一場(刑務所)と最終の第29場(墓地)で哀感漂うテーマ曲を歌います。行ったこともない異国の地なのにノスタルジーを感じ、フィクションなのにまるでその人を知っているかのように、切ない気持ちにさせる歌です。音花ゆりの深みと温かみのある歌声もすてきでした。でもやっぱり八代鴻の歌声が忘れられません。聴くだけで五感が解放されていく気がしました。表現力に富み、年令を重ねないとでない味でした。(本人から、年齢を重ねるは余計や!と突っ込まれそうですが)

「ソロモンの指輪」「マリポーサの花」

2008年10月20日 | 舞台感想(2007~2009年)
雪組公演 10月16日 18:30~

「ソロモンの指輪」
作・演出:荻田浩一

宝塚のショー作家の中で断トツの人気を誇る荻田浩一の退団公演。知的好奇心を刺激する耽美的でエキゾチックでスケール感のある世界観が多くのファンを魅了してきました。すべての作品が最高だったとは言わないけれど、はまった時の威力はすごい。構築的で印象的な舞台美術、リリカルな歌詞と哀感を呼ぶメロディ、ストリングスやスキャットも絶妙、創作バレエ風の振り付けもよかったです。
感性重視というか、整理のつかないところに観客の解釈の余地があり、可愛げがありました。生徒の出番をたくさん作ってくれるし、生徒の魅力を引き出してくれるので、生徒にもファンにもうれしい演出家でした。
今回のショーは30分の間に数え切れないほどのシーンとアイデアが盛り込まれていて、おもちゃ箱をひっくり返したよう。書きためておいたアイデアや気に入っているイメージを一気に吐き出したのでしょう。キャンディーズの「微笑みがえし」というか、デジャヴを覚えるシーンもありました。主要メンバー以外にも歌い手がたくさんいて、必ずしもスポットを浴びているわけではないので、ステージのどこで歌っているのか分かりにくく、神経を使って追いかけていくのが少し疲れましたけど……。
プログラムによると、古代イスラエルの王、ソロモンは古今東西の知識に通じ、指輪を使ってさまざまな魔人を呼び出したそうで、その指輪の精を水夏希、彩吹真央、音月桂が演じ、指輪の虜となるミストレスを白羽ゆりが演じています。水夏希の常人離れした力強い妖しさ、彩吹真央や音月桂の美しさとテクニック、白羽ゆりのはかなげな美しさがよく出ていました。
絢爛豪華で魅惑的な登場人物が津波のように押し寄せてきます。みな、メイクのテクニックも向上し、どんどんきれいになっていく。中でも凰稀かなめの美しさには目を疑いました。金髪にちりばめられたラインストーンがまばゆい。黒燕尾服もグリーンの宇宙服(みたいな服)も、白い羽を背負った天使の姿もとにかく美しい。
今回退団となる柊巴、山科愛も目立つポジションでの歌や踊りのシーンがあり、こんなに達者なのにもったいなかったなと思いました。最前列で踊る柊巴はルックスもダンスも表情もよかったです。

「マリポーサの花」
作・演出:正塚晴彦

一部のロマンティックで夢夢しいショーとは正反対のシリアスで暗いトーンの2時間の芝居。設定は1950年代の南米の国。主人公は軍人上がりで、腐敗した軍事政権をクーダターで転覆させようとする、正確にはそういう活動をしているゲリラグループについ救いの手を差し伸べてしまう男の話です。
大劇場らしいグループ芝居が無く、主要登場人物も少ない。主人公ネロの表の顔が高級クラブの支配人なので、華やかなショーのシーンはありますが(支配人が歌って踊っています!)、状況説明のためのセリフが多く、正塚作品にしてはユーモラスな登場人物が少ない。お約束の未沙のえる、新キャラ沙央くらまは数少ない笑える場面。
淡々と進行した芝居のクライマックスは戦闘シーン。政治犯チャモロを筆頭にした、満足な武器も装備もないゲリラの先頭に立つネロ(水夏希)とエスコバル(彩吹真央)は、皮ジャンを身につけ、薬莢を体に巻きつけてスナイパーかコンバットのよう。(対する軍の兵士のユニフォームがベージュ色なので、ニッポンの兵隊さんみたいで生々しく、若干居心地が悪かった)
この戦闘シーンは、私の目にはベルサイユのばらの「バスチーユ」のアンチテーゼに映りました。シーンの名前が「抽象空間」となっているように、舞台上にセットは何も組んでありません。広い空間で、ダンスで戦いを表現する演出が「バスチーユ」のよう。ただし「バスチーユ」のワークアウトのような華麗なダンスではなく、匍匐前進もあり、現場での動きに近い。
男装の麗人オスカルではなく、水夏希に似合うのはどんな役か?  本人が命を落とすよりも、もっと辛いのは生き残ったことではないか? 戦いの日々と絶対的な孤独に耐える男――正塚晴彦はそんな風に水からネロをイメージしたのではないでしょうか。(勝手な想像です)でも水夏希は声が鼻にかかるので、ハードな中に甘さが出て、バランスとしてちょうどいいかもしれません。
彩吹真央はどんな役も高いレベルで仕上げてきます。エスコバルのネロへの友情は、芝居を超えて水夏希への献身ぶりがオーバーラップしました。感極まって「先に行け~!」と叫ぶところは子供が駄々をこねているようで可愛らしい。「ロミオとジュリエット‘99」のマキューシオーを思い出しました。
音月桂は正義感に燃え、反政府運動にのめり込む若者。演じすぎて子供っぽくなることなく、未熟さゆえの一途さがよく出ていたと思います。
白羽ゆりは地声が低いので、いつも裏声を使っているそうで、裏声だと嘘っぽくなってしまうけれど今回は地声で演じていると言っていました。でもやはり独特の発声法は根っからのお姫様キャラだなと思いました。
凰稀かなめは新聞記者を装うCIAのロジャー。激することなくノラリクラリとした役どころということもありますが、台詞回しが自然で、成長した姿を見せてくれました。
マイアミの富豪フェルッティを演じる緒月遠麻は、マフィアっぽい演技は背伸びしている感がありましたが、捕まってから慌てふためく姿がおかしくて大爆笑。千秋楽までもっともっと蹴飛ばされてほしいものです。

あれも宝塚、これも宝塚。一部と二部の振幅の大きさを楽しむしかないでしょう!

花組「外伝 ベルサイユのばら -アラン編-」

2008年10月13日 | 舞台感想(2007~2009年)
花組全国ツアー 10月11日 14:00~ 府中の森芸術劇場
原作・外伝原案:池田理代子/脚本・演出:植田紳爾/主演:真飛聖、桜乃彩音他

 植田紳爾がプログラムに、「花組はベルバラとの縁が薄く、大半が未経験者なので独特の世界を作れるかどうか心配したが、そんな心配は杞憂に終わった…」と書いています。やはり宝塚は一つということでしょう。経験豊富な真飛聖、壮一帆、加えて専科の星原美沙緒にけん引された部分もあるかもしれませんが、上滑りな部分は一つもなく、力のある組だと思いました。とくに民衆中心のバスチーユの場面は迫力がありました。

 衛兵隊長アランを、濃い役も貴公子役もこなす真飛聖。熱血漢で、家族や部下思いの好青年。ガラが悪いというより、理想主義で気性が荒いという感じでした。生涯オスカルを敬愛し、遺志を継いでフランスに平和をもたらそうと、革命後権力掌握に野心を燃やすナポレオンを暗殺しようとする。理想の高さは「愛と死のアラビア」の主人公のよう。真飛聖にはそんな壮大な「男のロマン」に息吹を吹き込む温かさがあるのかもしれません。
 アンドレを演じる壮一帆はさすがにアンドレ役が体に馴染んでいる。雪組全国ツアーの時よりも切ない心情が掘り下げられていました。主役ではないので仕方ないのですが、オスカルと絡む部分があまりないのが残念。でも、アランがオスカルともみ合った弾みでキスしてしまった場面に出くわしたアンドレが、アランを引き離すシーンでは、突き飛ばしかねないほど力が入っていてかわいかったです。
目が見えないことを秘密にしてほしいとアランに頼んだのに、衛兵隊士全員の前で暴露され、目が見えないのを隠していたことを責め立てられ、それを隠して前線に行こうとすることを叱られ、何よりも自分たちに隠していた水くささをなじられ、返す言葉もなくうなだれる姿が”ボロボロ…”といった感じで、かわいらしい。アランが、自分たちがサポートするから指示どおりに動けと特訓をするくだりには目頭が熱くなりました。右!左!の声に従うアンドレの動き方がぎこちなさすぎましたけど。
 アランの妹ディアンヌを桜乃彩音。最初から最後まで亡霊で、アランにしか見えない存在なので仕方ありませんが、アランとの立ち話とソロの歌しか出番がありません。今回も真飛聖の「妹」役というのは当たり前すぎて、彼女の持っている可能性を発揮できなかったのが残念。植田紳爾が執筆段階で「オスカルをやらせようかとも思っている」と言っていました。単なるリップサービスだったのかもしれず、それではオスカルがかなり子供っぽくなってしまうでしょうが、ひねりが欲しかったのは事実。
 オスカル(愛音羽麗)は今回脇役です。市民革命に参加しようと隊士や市民を鼓舞する胸のすくほど勇ましいシーンやバスチーユの場面もなく、物分かりの良い上司という感じ。
 未涼亜希は前半でジェローデル役、バスチーユでは先頭に立つ市民役。ジェローデルは浮世離れしすぎて人の心がわからず、親切なつもりで残酷な台詞をアンドレに投げかけて去っていきますが、出番は一瞬なので印象が薄い。バスチーユでの目力の方が印象に残りました。
 ナポレオンを夏美よう。肖像画に近い髪型なのですが、女性が被るとシャギーでおしゃれなショートヘア。夏美ようの美しさに見とれてしまいました。
 下級生の演じる、荒くれてガラの悪いはずの衛兵隊士が、何とも格好いい。背も高くて手足が長くて、すがすがしくて、軍服がばっちり決まっている。わたしがブイエ将軍だったら、「なんだ、なんだ、その格好は?! 衛兵隊のくせに、花組の男役だからって、決まりすぎじゃないか?!」と言ってしまいそうです。

 「外伝」というくらいで、本編の脇役を主人公にした副産物で、今回は衛兵隊が舞台。華やかな宮殿は出てこず、ジェローデル編よりも地味。(このバージョンだけではありませんが)本編の見せ場が一言の説明で済まされているのが肩透かし。外伝3編を生み出さなければならなかったせいか、バリエーションのためのバリエーションになっていて、埋め草の台詞もくどい。しかし観客には本編や原作漫画の知識があるので、好意的に受け止めてくれるのだとは思います。ツボにはまるシーンもありましたしね。
第一場は荒廃した練兵場の広場。ジェローデル編もそうでしたが、オープニングが暗く、そこから明るい回想シーンに入って、最後に現在の暗い場面に戻ってくる作り。見せ方が同じなので工夫がほしいと思いました。

グランド・ショー「エンター・ザ・レビュー
作・演出:酒井澄夫

 生で観るのは初めて。場面転換も早く、それぞれの場面が個性的で、やはり楽しい。
 真飛聖が女装で「じらさないで」を歌って客席に降りる場面。低めのキーでゆったり表情豊かに歌うバラード調の曲がとてもあっている。お客さんに声をかけたり握手したり、手を引っ張られて抜けないふりなど、温かくてアットホームな感じ。春野寿美礼退団に伴い主演男役に決まり、不安で仕方なかった(ように見えた)頃に比べると、随分大きくなりました。
 壮一帆は見どころ満載。正統派男役っぽい踊りも歌も申し分ありませんが、真飛聖の客席下りでしっとりした会場に、ピエロの役で「おれ、コメディアン!」とはじける様に飛び出してきて一気に雰囲気をかえます。無邪気で輝くばかりの満開の笑顔とコミカルな動き。私が行ったときは「雨があがってよかったね~。傘忘れんなよ~!」と体育会系というか、ドリフの加藤茶みたいなアドリブでした。
一転して猛獣使い。8匹の黒豹と妖しく戯れます。すり寄ってくる女豹をかわいがると見せかけて突き放して、鞭の音で服従させます。鞭の音は効果音ですが、本人は実際に音がしないと気が済まないと言っていて、本当にしっかり鳴らしていました。ダークで冷酷な男役は本領発揮。(樹里咲穂のようなエロさが感じれらるともっといいのですが、それは次回に期待) 朽ちかけた修道院で真飛聖に寄り添う「シャドーの男」にもどきどきしました。
 背も高く、見栄えのする若手がたくさんいてびっくり。い、いつの間に?! 今後の活躍が楽しみです。

グレート・ギャツビー

2008年09月09日 | 舞台感想(2007~2009年)
~F・スコット・フィッツジェラルド作 “The Great Gatsby”より~
月組日生劇場公演
2008年9月7日 15:30~
脚本・演出:小池修一郎/主演:瀬奈じゅん、城咲あい他

 20世紀アメリカ文学の最高傑作の一つと言われるスコット・フィッツジェラルドの「The Great Gatsby」を原作にしたミュージカル。身分の違いと戦争に引き裂かれた若き恋人たち。育ちが卑しいと侮辱されたジェイは、帰国後、女性に相応しい男になるためにひたすらに努力し、危険なビジネスに手を染めてまで富を手に入れ、デイジーと再会する日を待ちわびていました。デイジーは二度と恋などしない、自分の考えを持たずに決められたレールの上を歩き、平凡な結婚生活を送ろうと決意。富豪トムを夫に選びますが、彼の浮気が結婚生活に影を落としていました。
 そしてついにジェイが夢に描いた再会の日。5年の歳月を経て、二人は愛を確かめあいますが、再会と同時に運命の歯車は狂いだしていて…
 どんなに努力しても幸せをつかむことができなかったジェイの切なく苦しく、空しくも尊い(ベルばらか?)生き方は、アメリカンドリームが幻想と化し、ロストジェネレーションと呼ばれた世代の精神性にあっていたのかもしれません。また見事に散りゆく者に男の美学を見いだす日本人の情緒、とくに宝塚の舞台にはぴったりの題材と言えるかも。恋に落ちた二人が自分の夢を歌う回想シーン。その純真さ、この先二人を待ち受けている残酷な運命を思うと涙があふれました。

 オフホワイトのスリーピースに帽子、白いエナメルの靴。暗黒街に通じ、禁酒法時代に酒の売買で財をなしたジェイ(瀬奈じゅん)。人妻となったデイジーが暮らすブキャナン邸を対岸から毎日見つめています(ストーカーか?)。突堤にたたずむ後姿がポスターにもありましたが、孤独な生き方を象徴しています。
 瀬奈じゅんは、前作「ミー・アンド・マイ・ガール」のビルとは正反対。語らず、動かず(踊るけど)、表現しすぎず、抑えた演技。発散するのはデイジーの前でワードローブから豊かさの象徴である外国製のワイシャツを投げ散らかす時だけです。宝塚の様式美である、クリーンで気障で、華やかで超格好いい男役像を魅力的に演じていました。(これだけ若くて格好良ければ、多少貧乏でもオッケーかも?)

 原作を愛する文学少女や、ロバート・レッドフォード、ミア・ファロー主演の映画「華麗なるギャツビー」ファンも多いことでしょう。91年に杜けあき主演で上演された雪組公演「華麗なるギャツビー」(1時間半の大劇場版)を観た方も。ジェイの求めたものはなんだったのか? デイジーなのか? 上流社会の成功なのか? 読者または観客がどのライフステージでこの作品に接するかによって印象は異なるはず。原作を読んでおらず、昔見た映画もおぼろげにしか覚えていないわたしには、小池修一郎の描こうとしたジェイしかはっきりわかりませんが、一途にデイジーの愛を得ようとする男の純情が描かれていました。きっとジェイは自分の生き方を後悔はしないでしょう。デイジーに誠を捧げた人生は、本望だったのではないでしょうか。

 デイジーを城咲あい。悲劇的結末を迎えるヒロイン像がよくはまります。デイジーは少女の頃の心の傷を必死で隠し、周囲の期待に応えようとし、夫の浮気も見て見ぬふりをして耐えています。ジェイとの再会に動揺し、ジェイとやり直そうと思いつつも、娘を捨てることはできません。
 原作ではデイジーはわがままでエキセントリックな女。映画では何一つ自分で決められないほど軽薄で脆い。宝塚では、ヒロイン像が宝塚的でないという理由で2度却下されたそうですが、愚鈍でドライを装いながらも純な部分を残しているという肉づけが絶妙なのではないでしょうか。お墓のシーンは宝塚オリジナルですが、デイジーの造形は原作以上にデイジーらしい。そして城咲あいの歌唱力が格段の進歩を見せていて驚きました。

 田舎から出てきた純朴な青年ニックを遼河はるひ。上流階級やマフィアなど、一筋縄ではいかない登場人物の中で、普通の感覚を持った彼の視点で物語は進展します。遼河はるひは身長があり、目鼻立ちがはっきりして低音がよく通ります。悪役が似合う存在感のある役者なので、普通の青年を演じるにはアクが強かったかもしれません。
 一方、デイジーの旦那トムは、筋肉フェチで脳みそも筋肉? 演じる青樹泉が浮気をするような自分勝手な男に見えないのが玉に瑕。演出側も、役者にいつもとは違う役に挑戦させたいでしょうし、序列があるので仕方ないのですが、ニックとトムは逆の方がよかったと思います。
 暗黒街の顔役、マイヤーを越乃リュウ。あれだけ大げさにねっとりと演じてくれると観ていて気持ちいいし、演じている方も男役冥利に尽きるでしょう。むさ苦しい子分を引き連れた男くさいダンスがツボにはまります。
 プロゴルファーで進歩的な女ジョーダンを涼城まりな。小柄で華奢なのでスポーツ選手にはどうしても見えなかった。ゴルフのスイングも一番心もとなかったかも? この役は男役が演じても面白かったかもしれません。
 舞台上に何十人もが所狭しと並んでゴルフ・スイングをするダンスシーンは、ぶつかりはしないかと冷や冷やしました。八百長の噂の付きまとうジョーダンがボールの位置をごまかしたり、遼河はるひの空振りもおかしかった。
 トムの愛人マートルを憧花ゆりの。甲高い声で自分勝手な嘘ばかりついて、いいところのないマートルですが、テーブルの上に横座りになって歌う姿は華奢で、可愛く思う旦那の気持ちがわかったような?
 マートルの旦那でガソリンスタンド経営者のジョージを磯野千尋。つなぎで髪はボサボサで顔は煤だらけ。どう見たって不釣り合いな二人です。でも心からマートルを愛していたんですよね。
 最後に登場するジェイの父親を汝鳥怜(二役)。家を訪ねてくれと誘われたけれど気が引けて来られなかったという素朴さ、息子の日記を読むシーンは泣けました。

 生のオーケストラはやはりいい。気持ちを乗せた歌でミュージカルを構成するのは小池修一郎の十八番。難を言えば、初演にはなかった「神の眼」、断罪と懺悔の歌のシーンが若干冗長だったかもしれません。最後にショーをつけてもよかったのではないかと思います。
 私が観に行ったとき、1幕で青い車が止まってしまってハラハラしました。(何食わぬ顔で乗り捨てて歩き去る青樹泉に、客席からは笑いが…)青い車と黄色い車はとても重要で、2台が舞台上に登場しないと話になりません。2幕では予定どおりに動いてくれてほっとしました。

 ところで91年の「華麗なるギャツビー」をNHK BS放送を録画したビデオで観ました。主演の杜けあきは、ジェイを演じていたのではなく、ジェイそのものでした。そのものと言って、ジェイを見たことはありませんし、決して丸顔でふっくらした唇はしていないでしょうけれど、“暗闇を這いつくばって生きてきた”という歌のリアリティ。苦み走った男の陰影。フィッツジェラルドの著作権を管理しているご夫妻が“ロバート・レッドフォードよりずっとよかった”と仰ったそうですが、さもありなん。
 デイジーを演じた鮎ゆうきも確かに美しい。ニックを一路真輝。美青年に違いは無いけれど、普通っぽさが感じられて共感できます。トムを悪役担当の海峡ひろき。暗黒街の顔役マイヤーを美人の高嶺ふぶきが、素顔がわからないくらいの大変身で演じていました。そのほかにも轟悠、香寿たつき、和央ようか、純名理紗など、ため息の出るほど豪華で重厚な役者陣。宝塚と言わなければ普通の芝居として観られるほどの出来栄えでした。

 権利の問題など難しいのかもしれませんが、宝塚の名作として「風と共に去りぬ」程度には再演を重ねてほしい。次はだれがジェイとデイジーを演じるのかな~と妄想を抱かせてほしいものです。 

宙組「雨に唄えば」

2008年08月03日 | 舞台感想(2007~2009年)
2008年7月6日 16:00~
宙組梅田芸術劇場公演
原作:MGM映画『雨に唄えば』/演出:中村一徳/主演:大和悠河、花影アリス他
 『雨に唄えば』はジーン・ケリー主演で大ヒットしたミュージカル映画で、ロンドンやブロードウェイでも舞台化され、世界中の人々に愛されている作品です。宝塚歌劇でも2003年に安蘭けい、陽月華、大和悠河(宙組から特別出演)主演で星組が演じ、大評判を呼びました。
 今回は、大和悠河が主役を務める宙組公演。娘役トップの陽月華が怪我のため休演。代役に花影アリスが抜擢されました。
 歌って、踊って、タップを踏んで、大和悠河は雨に打たれてずぶ濡れになって、本当に大変な舞台です。星組公演の時は専科から萬あきら、藤京子、星原美紗緒、五峰亜季が参加しましたが、今回は宙組メンバーだけで臨んでいます。大劇場の半分の人数で、みんな、普段やったことのない役に楽しんで挑戦し、フレッシュな魅力と、宙組の底力を実感させてくれました。

 大和悠河が演じたのはモニュメンタル映画の看板スター、銀幕の恋人ドン・ロックウッド。宣伝用に作り上げた“上流階級出身”“サクセス・ストーリーの体現者”“主演女優との結婚は秒読み寸前”という華やかさとは正反対に、ボードビリアン上がりの苦労人。銀幕に映し出される姿も、ゴシップ紙を飾る恋愛の数々も、虚像に過ぎないことを自覚していて、偶然出会った少女キャシー・セルダンに「あなたはスクリーンに影を残しているに過ぎない」と言われて、図星だっただけに傷つきます。大和悠河は、華やかな人気スターの一面と、愁いを帯びた美男子の一面を演じ分けていました。
 ただ、息の合った陽月華が休演だったのは返す返すも残念! 肝心のキャシーとのロマンス、花影アリスとの絡みの部分で、間合いを詰め切れていない気がしました。それと、たまたま私の観た回だけだったのかもしれませんが、見せ場である一幕最後の雨の場面では、もっともっと雨と戯れてほしかったです。(水が口に入ると歌いにくいし、化粧も崩れるし、濡れると体力を奪うでしょうから、贅沢な注文ですけどね)

 前回大和悠河が演じていた、ドンの親友でピアニスト兼作曲家コズモ・ブラウンを蘭寿とむ。元気いっぱいのコズモ像がぴったりはまっています。撮影スタジオで一人で歌って踊る“MAKE’EM LAUGH”では大奮闘。ボーカルレッスン室で大和悠河と披露するタップダンスも、小気味よさを超えてダイナミック! 男らしい包容力を感じ、ドンを支えるコズモの姿と、ナンバー2として大和悠河を支える姿が重なりました。

 モニュメンタル映画の看板女優で、美貌からは想像もつかない悪声の持ち主で、活舌が悪く、音痴なリナ・ラモントを北翔海莉。女性を演じるには大柄ですね。パンプスも履き慣れてない感じが初々しい。前回、リナを演じた真飛聖は、終始一定の音域の中で台詞を言い、歌い、リナという一人の女性をリアルに描き出そうとしていました。ただ、あの金切り声では当然ですが、正直台詞の聞き取りにくい部分もありました。その点、北翔海莉は、変な高音を出す部分、普通に近い調子で台詞を言う部分、男役顔負けのドスの効いた低音を出す部分を使い分けていました。所長を脅して笑いをとる場面では、打って変って野太い声になるので、大爆笑。自分のしていることにまったく自覚のないリナが、楽屋で“私のどこが悪いの?”と歌うソロ・ナンバーでは、元々歌劇団でも屈指のシンガーですから、聴かせてしまうんですよね新しいことに挑戦するみっちゃん、次の作品が楽しみです。

 ミュージカル女優を夢見るキャシー・セルダンを花影アリスが健闘。可憐で、タップダンスは見事でした。新人公演ではヒロインを度々演じていますが、やはり経験の浅さからか、劇場を満たす存在感は上級生に比べると希薄だったかも。仕方ないことですが、大和悠河とのコンビネーションは少々練習不足でした。

 驚いたのは映画監督ロスコー・デクスターを演じた七帆ひかる。お調子者でおっちょこちょい、撮影スタジオではリナに振り回され、鈍くて的外れな発言ばかりする技術屋。七帆ひかるの、お顔に似合わぬ低音とコメディセンスが光ります。前回萬あきらが演じた役ですが、遜色のない仕上がりに驚きました。

 登場人物のキャラが濃く、エンターテイメント性が高く、楽しい舞台です。長丁場を歌って、踊って、タップを踏んで演じ切るガッツに拍手です

スカーレット・ピンパーネル

2008年08月02日 | 舞台感想(2007~2009年)
2008年7月7日 宝塚大劇場 13:00~
原作:バロネス・オルツィ/脚本:ナン・ナイトン/潤色・演出:小池修一郎/主演:安蘭けい、遠野あすか、柚希礼音他

 フランス革命さなか、革命政府は次第に過激になり、無実の貴族たちを捉えてはギロチンに架けていました。そんな中、貴族達を奪還し、国外に逃がす神出鬼没の一団、スカーレット・ピンパーネル(紅はこべ)が現れます。正義の味方、謎のリーダーの正体は? 革命政府公安との対決の行方は?

 原作と違うところは、観客には主役であるイギリス貴族パーシー・ブレイクニー(安蘭けい)がスカーレット・ピンパーネルのリーダーだと最初からわかっているところ。パーシーは変装の達人なので、登場シーンではペストで死んだ人たちの遺体を荷台に乗せた腰の曲がったみすぼらしい老人姿で登場。またある時はロベスピエールから重要な秘密を聞き出すべく、変な外国人グラパンに扮して彼の身辺に潜り込みます。変なアクセントと変な言葉使い。口に綿でも詰めているのかと思ったくらい、声色まで違います。
 そもそもパーシーにしてからが、芝居がかった身振りで伊達男ぶりを強調し、時にはプリンス・オブ・ウェールズ(英真なおき)とじゃれあっていますが、それも世間を欺く仮の姿。そうして軽薄な男を演じれば演じるほど、正義感、新妻マルグリットへの屈折した切ない思いが浮き彫りになります。安蘭けいの役者としての懐の深さ、さまざまなニュアンスを見事に演じ分けるテクニック、台詞の切れの良さと歌唱力が光ります。
 歌唱力を買われて、このブロードウェイ・ミュージカルの主演となったそうですが(最適でしょう!)、ワイルドホーン氏が彼女の音域にあわせて作ったオリジナル曲を歌い上げているのを聴くと、こんなに声量があったのかと改めて驚かされます。安蘭けいだけでなく、柚希礼音、遠野あすかもそうですが、ソロが長く、一人でこれだけ広い劇場空間を満たす存在感はすごい。
 パーシーは、革命政府の公安委員であるショーヴラン(柚希礼音)を煙に巻くために、天然を装ったり、からかったりしていますが、安蘭けい本人の茶目っ気と、下級生柚希礼音への愛情から生まれるアドリブが楽しい。聞くところによると毎回違うアドリブが飛び出しているようで、リピートしたくなる要因の一つです。

 革命政府の公安委員でスカーレット・ピンパーネル団の壊滅を任ぜられたショーヴラン(柚希礼音)。自分を暖色系と評する柚希礼音ですが、ショーヴランは、悪人ではありませんが役どころとしてはダークな悪役。はじめて本格的ナンバー2らしい素敵な役をもらったのではないでしょうか。歌も芝居も存在感も、トマホーク級の破壊力。貧しい身分出身で革命の信奉者、そして貴族社会への憎悪を胸に秘めています。革命の元同士であり、元恋人マルグリット(遠野あすか)への未練もたっぷり。
 スカーレット・ピンパーネルの手がかりを求めてイギリスまでやってきたショーヴラン。プリンスの舞踏会に出るのに、黒装束とは不粋、わたしが何か素敵な衣装を買ってあげましょうかとパーシーにいじられるところがおかしく、観客に親近感を抱かせます。

 元コメディ・フランセーズの女優マルグリット(遠野あすか)はイギリス一の伊達男パーシーに求愛され、はるばるドーバー海峡を越えてやってきました。ところが彼の態度は(初夜も迎えず)急に冷たくなります。暇な青年貴族を従え、クリケットに興じる軟派なパーシーの姿は、マルグリットに求愛した同一人物とは思えないほど。
 マルグリットがショーヴランに騙され、ある伯爵の居場所を洩らしてしまったために、伯爵は処刑されました。それはマルグリットにとっても辛い過去なのですが、それがきっかけで敵側のスパイかと疑われ、夫が急に冷たくなったとは思いもかけず、もはや愛は冷めたのかと苦悩しています。
 実力、存在感ともにナンバー3と言っていいでしょう。これだけ歌える3人を集めた組は貴重です。3人のバランスが見事に拮抗していて気持ちいい。

 舞台転換も驚きに満ち、プロローグの群舞の一体感は星組らしい。そびえたつギロチン台を民衆がぐるっと囲んで歌って踊るのですが、客席からはほとんど見えないギロチン台の真後ろの下級生まで一生懸命です。
 エリザベートに似た構成のフィナーレも嬉しい。サーベルを使ったダイナミックなダンスは見応えがあります。とくに柚希礼音。跳躍力があるので滞空時間が長く、一人だけスローモーションを見ているようです。
 間違いない名作を輸入した脚本。舞台も衣裳も豪華で役者も揃っています。完成度、満足度も高く、ミシュランに例えれば「三つ星」、つまり、旅行の目的としてわざわざ行く価値のある舞台ということになるでしょう。

 原作者について詳しいことは分かっていないそうです。空前のヒット作となり、その後関連作と言われる作者不詳のものが1ダース以上できたらしい。小池修一郎はその中からシャルル王子救出のエピソードが宝塚にふさわしいと、脚本に取り入れたそうです。
 原作では、マルグリットがパーシーの正体に思い至ったとき、パーシーの身に危険が迫っていることを告げ、誤解を解き、結果的に自分のせいで伯爵が処刑されてしまったことを謝罪し、かわらぬ愛を伝えようと、嵐の海を乗り越え、ショーヴランと抜きつ抜かれつのデッドヒート繰り広げるところが面白いところで、女性としては思わず応援したくなるのですが、この脚本には反映されていませんでした。個人的には残念。
 でもパーシーが舞踏会用にシマウマ柄のコートを着た姿を見た時に、「まあ、シマウマ? わたしも作ればよかったわ」という台詞が、アドリブかどうかわかりませんが、突然パーシーに距離をおかれ、理由がわからず悶々としていた時期のことなので、切ない女心が表現されていたと言ったら誉めすぎでしょうか?

愛と死のアラビア、Red Hot Sea

2008年07月27日 | 舞台感想(2007~2009年)
愛と死のアラビア-高潔なアラブの戦士となったイギリス人
原作:ローズマリ・サトクリフ/脚本・演出:谷正純/主演:真飛聖、桜乃彩音他
宝塚東京劇場 2008年7月18日 13:30~

 19世紀初頭、エジプトとの戦争で負傷し、捕虜となったイギリス軍兵士、トマス・キース。この実在の人物の生涯を描いたローズマリ・サトクリフの小説『血と砂』の舞台化。花組主演男役、真飛聖の大劇場お披露目公演。
 舞台設定が珍しくて衣装が新鮮。エジプト人を演じる男役は長尺の衣装にマントと被り物。王族たちのマントは色鮮やかで、刺繍やアクセサリーなど細工が凝っていて、さすが宝塚と言いたくなるほど豪華。威勢のいいベドウィン族も長尺の衣装、布を頭に巻き、下級生の半分くらいが髭をつけています。娘役の子が演じるハーレムの踊り子の衣装も、珍しくはないけれど、かわいい。
 真飛聖演じるトマスがトマスなりの考えでエジプト国民に尽くし、平和に貢献しようとした姿は、言うなれば男のロマン。真飛聖も、トマスの人となりを丁寧に肉付けして違和感なく演じていました。
 トマスが助けた身寄りのない女性アノウドを桜乃彩音。トマスを“お兄さん”と慕うところが、真飛聖と桜乃彩音の関係にマッチしています。奴隷としてでもいいからトマスに仕えたというアノウドの恋心が愛おしい。
 主演コンビはもちろんいいのですが、月組から来たばかりの大空祐飛が、予想以上にいい味を出していました。エジプト太守ムハンマド・アリの長男イブラヒム。エジプトの置かれた政治的状況をよく理解し、先見の明のあるイブラヒム。クールな雰囲気と貫録ある髭が見事にあっています。終始抑えた演技ながら、立ち姿が美しく、眉間にしわを寄せた苦悩の表情もほれぼれします。
 組替え後初めての作品では固さが見られがちですが、組に自然に溶け込んだ上に、すでに自分の位置を確立しているのは、やはり本人がよほど頭も性格もいいのだろうと思えます。
 イブラヒムと対照的な次男トゥスンを演じるのが壮一帆。トゥスンは好青年で、愛嬌があって誰からも好かれます。トマスの優秀さや人柄の素晴らしさに惚れて、後をくっついて回っています。年齢も若い設定ではありますが、甘えん坊の弟キャラです。イブラヒムのことを“兄上”や“兄さん”ではなく、“お兄ちゃん”と呼んでるし…。真飛聖、大空祐飛、壮一帆の3人の人間関係がトマス、イブラヒム、トゥスンに反映され、地で演じているのではないかと思える程自然で、とくにトゥスンはほほ笑ましい。
 壮一帆は文句なしに美形で、素の爽やかさはファンなら誰もが知るところですが、舞台の上では神経質な役柄が多かったこともあり、演技は少々固い面がありましたが、今回は一皮むけたというか、素材のかわいらしさ炸裂です。もっとも、自分に近い役の方がかけ離れた役より簡単という訳ではないので、役者として大きく成長したのだと思います。
 桜一花演じる、高慢な妹ナイリが、政略結婚のためにイギリスに嫁がされることになった時、エジプト太守の娘として相応しく着飾らせてくれと毅然と言い放つ姿には、うるっときました。
 役者のキャラが十分に立った作品でした。宝塚はやはり役者でしょう。また、銀橋を多用してくれるので、ソロの場面を堪能できるのも嬉しかったです。

Red Hot Sea
作・演出:草野旦

 南の海をテーマにしたショー。全員黒塗りです。春野寿美礼が主演の時は彼女の歌が売りでしたが、今回は若さと情熱でとにかくダンスがメイン。場面転換が早く、次々に顔ぶれの違うグループによるプレゼンテーションが展開されます。そのたびに違う顔が見られて楽しいのですが、早変りはさぞかし大変でしょう。
 真飛聖桜乃彩音のコンビは、普段の仲の良さが伺え、“対等”な感じが好印象です。桜乃彩音はあんなにシャープに踊れる娘役だったんですね。表情のソフトさと悪女っぽさのバランスもよかったです。
 大空祐飛は「カモメの海」の白いスーツ姿、「ひき潮」の裸足の踊りが良かったです。フィナーレの長髪もすてき。
 壮一帆がこんなに自己を解放して、どんなにしんどいダンスでも飛びっきりの笑顔を見せてくれるようになるなんて、大きな驚きでした。「海が燃える」の悪役も決まっています。
 フィナーレは趣向を凝らしていて、全員デニムの衣装(といってもスパンコールがまぶしい)、大階段も集団で降りてきて舞台を埋め尽くすように立ち並んで、大階段の方を見て真飛聖を迎えていました。お披露目公演ですからね。今後が楽しみです。

殉情

2008年07月10日 | 舞台感想(2007~2009年)
2008年7月6日 11:00~
宙組バウホール公演
原作:谷崎潤一郎/脚本・演出:石田昌也/主演:早霧せいな、和音美桜他

 実話を元にした谷崎潤一郎の「春琴抄」が原作。9歳で視力を失った豪商の娘お琴と、手足となりお琴に尽くした奉公人佐助の常識を越えた激列な愛。サディスティックなまでに絶対的な服従を要求するお琴と、その美貌と音曲の才能を崇拝し、孤独なお嬢様を理解できるのは自分しかいないと、いくら身分違いとは言え、何を言われても、何をされても服従し、そこに喜びを見いだす佐助。愚かしいほどに濃厚な二人だけの世界が、周囲との軋轢をうまない訳がありません。

 おかっぱでいたいけな子ども時代のお琴(千鈴まり)が、手を引いてもらおうと、ふっくらした手を突き出す姿を見ただけで、何不自由ない人生を送れるはずだったのに、遊びたい盛りに視力を失うとはどんなに辛かっただろうと思うと、最初から涙がこみあげました。
 佐助をバウ初主演の早霧せいな。古典的な美形で清潔感が漂い、表情もいきいきとしています。訓練の賜物でしょうが所作の一つ一つが丁寧で美しい。鈴の鳴るような声もいい。エアギターならぬエア三味線を弾く姿もりりしく、踊る姿もきりっとしています。母性本能に訴えかけるものがあります。お嬢様であり、自分のお師匠でもある春琴に尽くす姿はかわいらしさを越えて崇高ですらあります。気持ちが十分にのった歌は表現力があるので、あとはレッスン次第です。
 盲目の美少女、春琴を和音美桜。どうしても役者の温かさがにじみ出て、気位が高く、気の強いお嬢様の役は難しいかったかもしれません。心の傷を浮き彫りにするために、もっとヒステリックに、人を小馬鹿にした意地悪さがほしかったなと個人的には思いました。歌のシーンは短いけれど、さすがに上手い。癒されます。
 芸者のお蘭を純矢ちとせ。お蘭をさせるために雪組から引き抜いたのか?と思わせるほど見事。姉さんと呼ばれる芸者をやらせたら右に出る者はいないでしょう。腰の入れ方、裾裁き、うなじの見せ方、酔態も達者。もちろん歌も上手い。お琴には、もともと身分が違う上に、美貌、華、琴の腕でも勝てない。コンプレックス故のライバル心が哀れを誘います。
 商家の放蕩息子、利太郎を寿つかさ。思い切りのいい白塗りに丸く描いたおちょぼ口でひょっとこみたい。顔を隠していた扇子を外した時、客席を走った笑撃、いや衝撃! 首を抜いてひょこひょこと歩き、すねたり甘えたり企んだり、気持ち悪くて迷惑千万。出てくるだけで大爆笑。その怪演ぶりは吉本興業の役者が紛れているのかと思わせる程でした。脇役のキャラがたたないと春琴の悲劇が生きてきませんが、お蘭と利太郎はいいキャスティングでした。
 慣れないであろう和物を下級生中心に、専科の力を借りずに作り上げたのはたいしたものです。
 セットが替わる間のつなぎだということはわかりますが、石田昌也の脚本なので、ご丁寧にも現代の若者の視点が挟まれ、現実に引き戻されます。現代の若者マモル役の凪七瑠海、初老の石橋教授役の八雲美佳はよかったですけど!

 以前、大地真央主演の大劇場版、絵麻緒ゆうと紺野まひる主演のバウ作品の放送を観ました。いずれもじっくり観た訳ではありませんでしたが、佐助が目を突くシーン以降は痛々しくて見ていられなくてチャンネルを変えました。今回も、わざわざ観に行っても目を開けていられないのではないかと思ってました。しっかり見ようとは思いましたが、佐助と春琴が這いながら手探りで互いを求めあう姿は、嗚咽をこらえるのに必死で、案の定、しっかりと正視はできませんでした。
 誰にも邪魔されない甘い暗やみの中に溶け込んでいく、春琴と佐助の濃密な愛の世界に酔い、伸び盛りの若手の清々しさと将来性に酔った舞台でした。

外伝ベルサイユのばら ジェローデル編

2008年06月15日 | 舞台感想(2007~2009年)
2008年6月15日 12:00~ 雪組全国ツアー グリーンホール相模大野
原作・外伝原案:池田理代子/脚本・演出:植田紳爾
出演:水夏希、白羽ゆり、彩吹真央他

 緞帳が上がったとたんに出現したパステルピンクの“ベルバラ”ワールドに、客席からはため息と歓声が上がっていました。ベルバラはラブリーな軍服のオンパレード。マントに白いニーブーツ、ブロンドに巻き毛。宮廷や舞踏会のシーンで登場する女性たちは色とりどりの輪っかのドレス。少女マンガの世界は健在です。

 今回の主人公ジェローデル(水夏希)は、非の打ち所のない貴公子。高い教養と知性、美意識ゆえに女性の誘惑になびかず、一部では女嫌いとの噂も。そんなクールビューティのジェローデルを熱血漢、無頼派が似合う水夏希に演じさせる、その意外性が脚本の意図だったことでしょう。感情をぶつけたりもせず、演じすぎず、気取りすぎず、妙に色気を出さずに芯は男らしく、立っているだけでミステリアスな貴公子を表現しなくてはいけません。その難しいリクエストに見事に応えていました。
男にしておくのはもったいないほどの美貌の持ち主で、地位も財産も持っているがゆえにシニカルなジェローデルが憧れたのが、上官であるオスカル。その愛国心に代表される純粋さ、情熱に自分にはない行動力を見たのでしょう。本編ではオスカルに求愛しますが、オスカルがアンドレを愛していることに気付いたときに、潔く身を引きます。本作では身を引くシーンこそ出てきませんが、オスカルには愛国心ゆえに結婚など考えられないと拒絶されます。
 一方、ジェローデルが心からくつろげる相手はフェルゼンの妹ソフィア(白羽ゆり)。同じ価値観の持ち主でソウルメイトのような関係。恋というにはあまりにも穏やかです。また、ベルバラの主役は飽くまでも“フランス革命”なので、革命から離れたレベルでジェローデルとソフィアの関係を描くわけにもいかなかったのかもしれません。果たしてジェローデルはソフィアが好きなのか、それともオスカルが好きなのか、わかりにくくなっていました。オスカルは“憧れ”で、最後にたどりついた“港”がソフィアだったということでしょうか。
 ジェローデルは本編ではチョイ役なので、フランス革命にどう関わっていたか詳しく描かれてはいません。オスカルの後任で近衛隊長となったジェローデルが平民に弓を引いたのか、個人的には知りたいと思っていました。今回の外伝は3部作で「アラン編」「ロベスピエール編」も控えていますが、この2人と違ってジェローデルは革命の立役者ではありません。国王の命令に背いたことで近衛隊長の任を解かれ、少佐の地位を失った後、失意の底から最後の行動を決意するにいたった経緯、心理的成長を説明ではなくエピソードとして、あるいはいっそのこと黒装束に身を包んだ決闘シーンを描いて欲しかったです。

 さて、オスカル(音月桂)が求婚者を集める舞踏会で“最高の装い”でレディ達を悩殺し倒していく場面はいいですね。にやけてしまいます。愛国心は強いが基本ははねっかえりのお嬢様。ときに父親のジャルジェ将軍や乳母に向かって甘えた言い方が出てしまう。興奮すると声が裏返って女の子っぽくなるところなど、今までにないオスカル像を見せてくれました。微妙な調整はさぞかし研究を重ねたことでしょう。
 フェルゼン(彩吹真央)の出番は少ないけれど、王妃様への抑えきれない気持ちを圧倒的な歌唱力で歌いあげ、存在感を示していました。あの歌声は癒されます。
 ソフィアを演じる白羽ゆりはマリー・アントワネットを彷彿とさせる華やかさ。フランス人形が動いているみたいで浮世離れした美しさ。歌唱力がアップしたのではないでしょうか。
 国民議会の閉鎖を国王が命じた後、国会に居座っている平民議員。ロベスピエール(彩那音)が、例えどんなに侮辱されようとも国民に選ばれた自分達は恥じることはない!と主張するシーンにはじんときました。理想に燃えた革命家の役があっています。
 本編ではオスカル率いる衛兵隊&平民が国の軍隊と衝突する“バスチーユ”の場面が、今回は平民主体で描かれていました。音楽とダンスで民衆蜂起と勝利を描くこのシーンはやはり秀逸です。

 いささか時代を感じる演出もあります。本編もしくはコミックを知らないとわかりにくい部分もあります(バージョンが違うと、肝心なシーンが省かれるか、説明だけで済まされてしまいます)。でも、ある一定の年齢以下の女性であれば、ベルバラを読まないで育った人を見つける方が難しいでしょう、きっと。芝居が始まるや否や、一気にワールドに引き込まれ、知らないエピソードや荒い説明であっても、背景知識がその空白を補い、自動的に方向修正しながら見てしまいます。植田紳爾がプログラムでベルサイユのばらを「宝塚の忠臣蔵」と評していますが、それは当たっているかもしれません。もはや日本人女性のDNAに刷り込まれていると言っても過言ではないでしょう。

ミロワール」は大劇場からの続演。ゴージャスで華やか、時に若々しく、時に大人っぽく、「メデューサの鏡」のようにエッジの効いたシーンもあり、楽しいショーです。
 水夏希はいつみてもステップも軽やかに躍動感にあふれています。これぞ男役トップというスケール感。客席から登場した時の客席のざわめきは半端じゃありませんでした。
 彩吹真央の一挙手一投足がわたしのツボにはまります。歌ってよし、踊ってよし。クールな表情よし、足さばきよし。成熟期の男役独特の、サビにも通じる妖しい色気が増していました。
 音月桂は相変わらずエネルギッシュでキュートで、サービス精神旺盛。彩吹真央とは好対照の魅力。水夏希をセンターに、彩吹真央、音月桂が並ぶなんて、毎日が夢の饗宴。誰か一人を選ぶなんて、できません!!

ME AND MY GIRL(ミー&マイガール)

2008年06月07日 | 舞台感想(2007~2009年)
2008年6月5日東京宝塚劇場
脚色:小原弘稔/脚色・演出:三木章雄/主演:瀬奈じゅん、彩乃かなみ、霧矢大夢他

 舞台は1930年代のロンドン。由緒あるヘアフォード家の当主が亡くなったが世継ぎがいない。お屋敷の弁護士がようやく探し当てて連れてきた落し胤は、ランベスの下町に住む粗野でゴロツキまがいのビルという青年(瀬奈じゅん)。しかも魚市場で働くサリー(彩乃かなみ)という女性まで一緒にやってきた。女主人は遺言を執行すべく、ヘアフォード家当主としてふさわしい品格と教養を身につけさせようとスパルタ教育を施す一方、ビルを家柄の正しい女性と結婚させるために、まずサリーを追い払おうとする……。
 「ME AND MY GIRL」はロンドンで誕生し、ブロードウェイでも上演された人気の高いミュージカルで、宝塚大劇場では87年(剣幸、こだま愛)、95年(天海祐希、麻乃佳世)に上演され、今回3度目の上演。なぜか毎回月組公演。おしゃれで明るい海外ミュージカルには持って来い!の月組ですからね。
 ストーリーはわかりやすく、登場人物も個性的で基本的にいい人ばかり。豪華な舞踏会が催される憧れのヘアフォード家にも悩みはあるし、“必ず登りつめるわ!”というジャッキーの歌を聞いて、名門といっても人間臭い連中ばかりだと観客が思い始めた頃、まったく何も知らされていないビルが登場。礼儀知らずで、行動もリアクションも突拍子もなく、手癖も悪い。上流階級と下町では言葉遣いが違うから意思の疎通がなかなか図れない。そのとんちんかんなやりとり、ビルの子供のように無邪気な笑顔と元気いっぱいのボディアクションが観客の心を和ませます。これまでDVDでしか観たことがなかったので、生の舞台を見て初めて、ビルがなぜこれほどファンに愛されるのか、なぜ役者を越えて“ビル”を観たいとファンに思わせるのか、合点が行った気がしました。
 剣幸のビルは観たことがないのですが、写真を見るだけでもはつらつとして愛嬌あるビル像が伝わってきます。加えて役者としての充実期であることが感じられました。天海祐希は、研1で新人公演の主役を務めた後、2度目の挑戦だったからか、役も小道具遣いも完全にものにしていました。威勢の良さやいたずらっ子ぶりは天性のものだったかもしれません。
 この上級生の創りあげた“ビル”像にどこまで肉薄できるか、一方どこで自分の個性を出すか、瀬奈じゅんとしては試行錯誤だったのではないでしょうか? 私の意見としては、瀬奈じゅんの甘えん坊らしさや言い回しのニュアンスなど、彼女なりの解釈と個性が出ていたシーンの方が面白かったし、客席の笑いも大きかったような気がします。
 サリーを演じる彩乃かなみはこれが退団公演。宝塚の舞台ではこれが最後なのかと思うと、彩乃かなみが登場しただけで涙がこみ上げました。何をやってもかわいい! そしてあの見事な歌声。体内に音響システムが備わっているのでしょうか、声の質から量まで異次元。劇場に響き渡る妙なる美声に大泣きです。最初の曲「ミー&マイガール」でこうですから、話が進み、「あなたの心を一度なくすと」「顎で受けなさい」になったらもう、嗚咽をこらえました。
 足を開いて立って、ポケットに手を突っ込んで肩を揺らしたり、蓮っ葉な感じを出そうと努力していましたが、どうしてもあどけなくてかわいい。これならマリア公爵夫人にも気に入られそうなものです……。
 「ビルがもし他の女の人と結婚なんかしたら、わたしは一生結婚なんかしないし、死んじゃうんだから」と言っていたサリーが、ビルのために身を引こう、わざと嫌われようとするところが泣けます。図書館でヘアフォード家の歴史を勉強中のビルに別れを告げに行き、わざと教養のない振りをするサリー。そのヘキサゴン級のおバカな珍解答は笑うところですが、わたしはサリーのいじらしさと痛々しさに涙腺がゆるみました。

 さて、私が観に行った日、ジャッキーを演じたのは城咲あいでした。「アーネスト・イン・ラブ」のセシリーみたい。世間知らずでわがままなお嬢様の感じがよく出ていました。ソファでビルにマナーのレッスン?を施す時の強引さはすごかったですね。でも個人的には真琴つばさの印象が強烈だったので、できれば娘役が似合わない(いえ、慣れていない)男役の、オネエっぽいジャッキーを見てみたかったです。
 出雲綾が演じるマリア公爵夫人。女教官みたいに手厳しい。ビルに社交界でのごあいさつの仕方を教えるところはおかしい、おかしい。
 霧矢大夢が演じるジョン卿。霧矢大夢は前回に続いておじさまの役。確かな力があるので安心して見ていられます。豊かな歌声が響いていました。でも、ジョン卿とはいささか無難すぎるキャスティング。ジャッキーのダブルキャストというは、ありえなかったのでしょうか?
 お屋敷の弁護士パーチェスターを28年ぶりに未沙のえる。彼がバラを手にする度に今度も歌う?!と期待するのですが、ほとんどの場合マリア公爵夫人に”下がりなさい””あなたはもうよろしい”と機先を制されてしまいます。ランベス・ウォークでは一番激しく踊っていたかも?
 心に残ったのは越乃リュウ演じる執事ヘザーセット。ビルが初めてお屋敷に来た日、一族はみんな、どうしたものか?!と頭を抱えていたのに、彼だけは最初からビルを「御前様」と呼んでいました。そして「たばこを一本もらっていいかい?」と聞くビルに、「ここにあるものはすべてあなた様のものです」と。登場シーンは少ないのですが、セリフ以外のところでもヘザーセットとして一本筋が通っているのが好きです。サリーがビルの前から姿を消そうと図書室を出ていく時も、サリーに深々とお辞儀をして見送っていました。
 「街頭によりかかって」でビルと一緒に踊っていた男の子たちの中で、ひときわ星条海斗が目立っていました。

 セットも衣裳も華々しくて豪華。生の「ランベス・ウォーク」を初体験した私ですが、やはり楽しい。あれだけの人数を舞台に上げて、歌わせて好きに踊らせる演出はなかなかないのではないでしょうか。客席が明るくなってタカラジェンヌが下りてくると、一体感があって嬉しい。近くで遼河はるひ と明日海りおを見たのですが、遼河はるひは妖しいまでに美しい。明日海りおも男役とは思えないほどかわいらしくて、大きく開いた背中も眩しいほど白くてきれいでした。
 幕が下りても手拍子が鳴りやまない舞台。みんな、楽しみ方を知っていますね。このハッピーな空間に身をおけたことが本当に幸せでした。今度は違う組の「ME AND MY GIRL」を観てみたい。違った魅力が出るのではないでしょうか? 

宙組「黎明の風」「Passion 愛の旅」

2008年04月27日 | 舞台感想(2007~2009年)
東京大劇場公演 08年4月26日 15:30~
「ミュージカル・プレイ 黎明の風 侍ジェントルマン 白洲次郎の挑戦」作・演出:石田昌也
「グランドレビュー Passion 愛の旅」作・演出:酒井澄夫
出演:轟悠(専科)、大和悠河、蘭寿とむ、北翔海莉他

 ショーがよかったので先にショーの話を。酒井澄夫のショーはいつもレベルが高く、今回も期待以上の出来。プログラムに20世紀の豪華でおごそかなレビューを踏まえながらも、テンポ、リズム、シャープさを重視し、新しい時代のレビューを作りたいと書いています。本当によい出来だったと思います。メリハリの利いたダンス中心の構成で宙組のパワーを見せつけてくれました。何より轟悠はじめ、大和悠河蘭寿とむ北翔海莉、宙組若手ホープのいいところを引き出していました。
 プロローグから黒燕尾で白グローブ。男としてこれ以上の正装があるでしょうか?実は姿月あさとのトートを見て以来、男役の手袋に弱い私。こんな細かいところがわたしのつぼにはまり、ノックアウト寸前です。今回は芝居用に金髪にしている男役が多いので、妖しさ倍増。センター辺りで踊っているベテラン寿つかさのダンディぶりがたまりませんでした。
 シーン「Passion大空へ」。士官学校を卒業する生徒たちが、今まさに大空に飛び立とうとするかのような躍動感あふれるダンス。ワークアウトのような激しい振りをさわやかに踊りきっています。紺のラインが効いた白い軍服が男役をはつらつと、娘役をキュートに見せています。
 「砂漠の薔薇」は一転して中近東。中近東風の音楽と演出は酒井澄夫の独壇場と常々思っているのですが、バリ舞踊の「ケチャ」風のリズムや掛け声を取り入れてさらに進化していました。衣装は色も組み合わせも素材も、一つ一つが派手なのに、全体の統一感があります。2階席だったので群舞のフォーメーションが見渡せたのですが、集散がスピーディで立体的で実に見事。舞台上で同時にいくつもの見せ場を作るという、知的な作業をしています。このシーンはオペラグラスがなくても顔がわかる距離でもう一度観たいと思いました。
 しかしあの衣装に負けない轟悠ってすごい。そしてあれだけの声量で毎日歌っても声が枯れないこと、若い子に混じってしっかり踊りきる体力には感服します。美郷真也が演じる道化はマリオブラザーズみたい。怪しげでコミカルな仕草で轟悠演じる旅人をハーレムに誘います。旅人を翻弄するハーレムの美女を凪七瑠海。歌姫を音乃いづみ(違っていたら失礼)(←やっぱり間違ってた!和音美桜だそうです。教えていただいてありがとうございます。)このシーンに最後までストーリー性を持たせるところも憎いです。
 中詰の「燃えるカルナバル」。蛍光色のピーターパンみたいな衣装を着た大和悠河、蘭寿とむ、北翔海莉の3人が並ぶ姿は、可愛らしくてゴージャスでとても楽しい。テンポよく拍手させてくれる音楽もよくて、かなり盛り上がっていました。
 一転して夜。ひんやりした空気感の中、黒い衣装に身を包み、静かに佇む男役、娘役を、せり上がりと盆を駆使して動的に登場させるシーンがまたおしゃれ。若手の踊りもセクシーで、今後に期待大です。
 蘭寿とむが男役を引き連れて大階段に登場するシーンは、ぜひ毎回レビューに組み入れてほしい。眼力と花組仕込みのねっとりしたキザり方は、観に行く価値があります。
 北翔海莉は桜色の衣装で、ジャジーにアレンジしたテーマ曲を達者に歌い切り、自ら踊りながらラインダンスにつなげます。高いスキルに共存するあどけなさがたまりません。
 問題の?轟悠大和悠河のデュエットダンス。轟悠と組んだらどんな男役も女性に見えるでしょうが(?)、パリのサロンにいそうな美女を演じる大和悠河の美貌が際立っていました。一転して男役に戻って再登場し、切ない恋心を歌い、轟悠と手を合わせる大和悠河。演出意図はシークレットらしいのですが、“愛の旅”ですからね、新しい。

 さて、「黎明の風」。主人公、白洲次郎(轟悠)は吉田茂(汝鳥怜)の懇請で終戦連絡中央事務局の参与に就任。弱腰の政治家に代わり、GHQを向こうに回し、イギリス仕込みの流暢な英語とインターナショナルなマナー、持前の押しの強い性格で堂々と渡り合った。この時の彼の「日本は戦争に負けたのであって、奴隷になったわけではない」という主張は有名で、台詞として登場していました。
 フィクションが事実と多少違うことはよくある話。新たな解釈を披露することは脚本家の自由。意図したことかどうかわからないけれど、思うに一番よくなかったのはダグラス・マッカーサー(大和悠河)をヒューマンで物分かりのいい人として位置付けたこと。(実際にどうだったかはよく知らないし、別の問題)これによって日本とアメリカ、白洲次郎とマッカーサーとの対立がぼけてしまい、白洲次郎の胸のすくようなタフ・ネゴシエーターぶりを描く機会をどぶに捨ててしまったことになる。本来なら対立する立場にある男同士の尊敬と友情という美談が描けないなんて、もったいない話です。
 天皇陛下からの贈り物をマッカーサーに持参したころ、その辺に置いておいてくれて言われ、激怒した白洲が「天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとはどういうことか!」とマッカーサーを怒鳴りつけたことは有名な話。マッカーサーに思い出として語らせるのではなく、そのシーンを描かないとだめなのでは?「従順ならざる唯一の日本人」というのも、そういう人だという説明を最初からするだけでは手抜きです。
 日本国憲法を日本人の手で作りたいと何度もマッカーサーに交渉したこと(ジープウェイレターは有名)、結局は時間切れでGHQから英語版を与えられてしまったけれど、短期間で日本語版に直すべく徹夜を重ねたこと、天皇は“symbol”であるという原文に「日本の象徴」という言葉をあてたこと、それがつまり今の日本人のメンタリティーの基盤になっているのだから、このエピソードを入れることで彼の功績の偉大さが自ずと感じられるのに、一つも出てこない。白洲がタカラジェンヌと付き合っていたという話はどうでもいいことです。

 轟悠、大和悠河、和音美桜(白洲正子)、汝鳥伶はじめ、みな好演していたと思います。「野蛮」と「洗練」が共存し、筋が通らないことには断固反対して、相手が誰であろうと叱り飛ばした白洲次郎を轟悠。どすの利いた低音と威勢のいい台詞回し、尋常ではない眼力、一転してひょうきんな仕草を見せるところなどは、相変わらずの轟悠。さて、これは個人的なリクエストですが、白洲次郎を当時の平均的日本人からは想像もできないくらいダンディに演出してほしかった。かといって日本人を演じる男役にぶかぶかのスーツを着せる訳にはいきませんが、白洲次郎は本場イギリス仕込みですから、アイボリーのリネンのスーツやカラーシャツを着せるなどして、浮世離れした伊達男ぶりを1シーンでいいから作ってほしかったです。ついでに言うと、轟悠をオープンカーに乗せたら、さぞかし格好良かったでしょうに。
 大和悠河演ずるマッカサーサーは“ジェントルマン”として描かれていて、本人もその方向で演じたのだと思います。その意味ではやるべきことはしっかりやっていたと思います。本人がほっそりとしたスタイルの持ち主なのは仕方ないのですが、なんとかもう少し胸板を厚く見せて、男の包容力を感じさせてほしかった。それだけで全然印象が違うと思います。
 陽月華が東京公演も休演したのは残念。悪びれずにネクタイで次郎の首を絞めてしまう、ハイカラではじけた白洲正子を陽月華で見てみたかったです。
 若い命を散らせた特攻隊の青年たちへのレクイエムという感じのダンスシーンは涙を誘います。そしてGHQの女性秘書、金髪でマイクロミニのミリタリールックの華凛もゆるの美脚には目が釘付けになりました。