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メルサがあるがね

名古屋郊外・春日井で暮らす日々

オリエンタルカレーライススナック

2005年07月21日 | 地元の話
オリエンタルのカレー味スナック菓子。ど真ん中にオリエンタルのコックさんマークが大きく出ているところが名古屋ゴコロをくすぐる。ココストア藤山台店で発見。

カレー味のスナックといえば大和製菓の「やまとの味カレー」がよく知られている。全国菓子大博覧会で大臣賞をとるほどの銘菓である。私も中学・高校のころによくお世話になった。かっぱえびせんのような大きさ形のスナックにカレー風味がつけてある。あくまでもスナックが主役で、カレー風味がそれを引き立てて、「忘れられない味」にしている。

オリエンタルのカレーライススナックは、その名が示すとおり米菓(せんべい類)である。そして味カレーと決定的に違う点は、カレー会社が作っているという点である。手に取ると、はっきりとカレー粉がまぶしてあるのがわかる。口に入れると、はっきりカレーの味がする。カレー風味ではない。カレーの味がするのだ。そう、このスナックにおいて、カレー味はスナックを引き立てるための脇役ではない。むしろ、カレーライスにおけるカレーの位置、すなわち主役なのである。

金鯱白ワイン

2005年07月19日 | 地元の話
ココストア藤山台店で発見。正式名は「尾張名古屋白葡萄酒金鯱」。フランス語で「Kin Shachi Blanc de Blancs(白の中の白・金鯱)」と力強いメッセージが添えられている。ラベル正面には名古屋城天守閣が威風堂々とそびえている。そしてきわめつけは、金箔が入っていることである。金鯱を名乗るワインに金箔が入っているのは理にかなっている。そもそも、秀吉の金の茶釜以来、名古屋人は金が好きということになっているのだ。(もちろんこれは金満家限定の話。私にはそういう実感がない。)このワインの売り上げの一部は名古屋城本丸御殿積立基金に寄付される。このワインを飲めば、名古屋城本丸御殿の再建に協力することになる。なお同じく金鯱の赤ワインもある。

名古屋周辺ではワインを作っていない。金鯱ワインの製造元は山梨県の甲州葡萄酒本舗。シャンモリワインという。ただしその商品リストに金鯱ワインはない。レギュラー商品ではなく、特別製品ということなのだろうか。日本ワイナリー協会内のページを見ると、明治政府の殖産政策にもとづいて、かの盛田家の当主11代久エ門が1881(明治14)年にワイン醸造を始めたのが、この会社の基礎となったようだ。このときの事業は病害によって壊滅してしまったものの、戦後になって再びワイン醸造を興したとのこと。したがって、山梨の会社であるが、名古屋とは近しい関係にあるようだ。

なお発売元のイズミックは名古屋の酒卸会社だが、楽天内にあるそのHPにもこの金鯱ワインは出ていない。金鯱ビールは大きく扱っているのに、ワインが出ていないのはなぜだろう? 特別商品で、もうその売り出し期間が終わってしまったのだろうか? 謎である。

さて飲んでみた。飲めば普通の白ワインである。若く、ジュースのような軽い味だった。甲州の安いワインによくあるタイプだ。こういうのは、あれこれ難しいことを考えず、よく冷やしてガブガブ飲むのが一番。大きめのグラスになみなみと注いだところ、金箔がおどってきれいだった。

「名古屋名物ひやむぎ」でジャージャー麺風

2005年07月17日 | 地元の話
前並米穀店の「名古屋名物ひやむぎ」に肉味噌をかけてジャージャー麺風にしてみた。ジャージャー麺は中国北部の料理「炸醤麺」であるらしく、それがどういうものであるか(どうあるべきか)は横浜在住の荒川氏のHPに詳しい。要するに麺に油でいためた味噌をかけた料理のことだそうだ。ここではあまり難しいことをいわず、ひき肉を味噌でからめたタレをかけてみた。私が子供のころに母親がよく作ってくれた料理である。ただし自作するのは初めてだ。よく知っているけれど、初挑戦。微妙な緊張感がある。

わが家では餃子や麻婆豆腐などで挽き肉を使うとき、できあいの挽き肉を買わず、薄切り肉を買ってきてフードプロセッサでおろすことにしている。できあいの挽き肉は脂身が多いことがあるし、日もちしない。偏見かもしれないが、そのままでは売り物にならない肉をミンチにして売っているという感じもある。(いい肉屋では、挽き肉を頼むとその場で肉をおろしてくれる。)自分でおろせば、細引きでも粗びきでも自由自在である。たとえばやや粗びきにした肉にしっかり味付けをして餃子を作るととてもおいしい。これは自分でおろすからこそできる料理法である。

さてさて、今回はそぼろ状にするということで肉をよくおろしておく。中華鍋に油をいれ、刻んだニンニクとショウガを弱火で炒める。そこへ肉を投入。火は弱いまま。ゆっくり肉を炒める。そぼろ状になったらだし汁を加える。さっと一煮立ちしたところでドンと赤だし味噌を入れる。分量の加減がよくわからず、かなり濃いめになってしまった。砂糖とみりんで甘味をつけて、味噌の味をやわらげる。なじんだら、ペースト状になるまでじっくり煮詰めてゆく。

付け合わせはキュウリが合うが、今日はピーマンで代用。その他に万能ネギを刻んでおく。「名古屋名物ひやむぎ」を茹でる。茹ですぎるとまずいので、早めにあげる。よく水で洗い、丼へ。肉味噌をかけ、ピーマンをのせ、ネギを散らしてできあがり。

食べてみた。肉味噌は、それ自体としてはやや味が濃すぎるように思われたが、麺や具とからめるとちょうどいい味になった。タレものは、それ自体の味わいも大事だが、お料理全体の中での味わいも大事である。うっかり味噌を入れすぎたことに源を発するが、結果としてはケガの功名だったといえよう。もう1つ。この料理のカギは麺である。味の濃いタレをかけるので、麺がしっかりしていないとどうにもならない。味濃いタレに負けないだけのコシと風味が必要だ。前並米穀店のおいしいひやむぎがあったからこそ、この料理が成り立った。1袋98円で山積みしてあるような安っぽいひやむぎではダメである。

ナフコの歌

2005年07月17日 | 地元の話
「ナフコ」は愛知県の各地にあるスーパーのチェーンである。厳密にいうと6つほどの会社が連合して経営しているそうだが、まあお客の立場からいえば、要するにナフコというスーパーがあちこちにあるわけだ。なお九州にあるホームセンターナフコとは関係ない。ゴヤードーポレーションを略してナフコという名前になったらしい。この近所では坂下にナフコ不二家がある。わが家から全然近くないのだが、このナフコが入っているショッピング施設アミに併設されているスポーツジムに通っているので、そのついでにときどき利用するのだ。

さて、ナフコといえばナフコの歌である。脱力系の歌詞なのに、実は結構熱唱している、あの歌である。買い物しながら気になっている人も多いだろう。この歌はナフコチェーンの元締めナフコはせがわのHPからMP3ファイルの形でダウンロードできる。歌いたい人のために歌詞を書き出しておく。版権の問題がないでもないのだが、いい宣伝になるのでナフコも文句は言わないだろう。

魚ちゃ~ん魚ちゃん
さかさに食べても魚ちゃん
魚カナカナわかるかな
僕の大好き、魚ちゃん
--フレッシュ、フレッシュ、フレッシュフーズ、
--フレッシュフーズのナフコチェーン

野菜ちゃ~ん野菜ちゃん
些細な部分も残さずに
野菜サイサイ食べてください
僕の大好き野菜ちゃん
--(コーラス・間奏)

お肉ちゃ~んお肉ちゃん
二九18個も食べました
お肉ニクニクにくいでしょ
僕の大好きお肉ちゃん
--(コーラス・強引な転調)

ナフコチェーンナフコチェーン
泣く子も喜ぶにくい店
仲良し仲間のお買い物
フレッシュフーズのナフコチェーン
--(コーラス)

(※下線部は早口で歌うところ)

名古屋名物ひやむぎ

2005年07月16日 | 地元の話
誤解のないように言っておくが、ひやむぎが格別に名古屋の名産品であるわけではない。「名古屋名物ひやむぎ」という商品名なのだ。これだけなら、ただの「自称名古屋名物」というだけである。(ちなみにGoogleで「名古屋名物」を検索すると、名古屋人でも知らないような「自称名古屋名物」が出てくる。)この製品のミソは、製造元が合資会社前並米穀店であることである。前並といえば春日井市内に3店舗を展開する地元の米屋で、わが家のすぐ近くにも「ニュータウン支店」がある。てっきり米屋だと思っていたが(もちろん米屋なのだが)、ひやむぎまで作っているとは。というわけで、「名古屋名物」どころか「春日井名物」である。坂下のナフコで発見。

食べてみた。コシがあっておいしい。袋の中で麺が2つ折り曲げてあるので、折らないようにうまく茹でると長い長い麺になる。チュルチュルではなくチュルチュルチュルチュルである。おいしい。これはおすすめ。

赤味噌ラガー

2005年07月15日 | 地元の話
「ねのひ」で知られる盛田グループ、ランドビールの製品。同社は全国地ビール醸造者協議会のジャパンビアグランプリで2003年に金賞、日本地ビール協会のインターナショナル・ビア・コンペティションで2003年、2004年と続けて金賞・銀賞に輝いた。とても優秀な地ビール会社である。さて、同社の主力製品「金しゃちビール」シリーズの限定品、「金しゃち名古屋赤味噌ラガー 」は、原料の一部に名古屋名物の赤だし味噌をつかっているとのこと。(酒税法上は発泡酒になるらしい。)明らかに悪ノリとしか思えないこの一品。

ラガーと銘打っているが、茶色い。イギリスのビターエイルのような飴色でもなく、はっきり茶色い。この茶色はもしや味噌から来ているのだろうか? 一口飲むと、普通のビールにはない独特の苦味が走る。どこがどのように赤味噌なのか、まだこの段階ではわからない。ちびちび飲んでいるうちに、少しずつ味わいが変わってきた。炭酸が少しぬけてきたあたりから、味噌の風味を感じるようになった。飲み込んだ後で口の中に味噌の味が残る。まごうことなき赤だし味噌の味だ。

というわけで、この赤味噌ラガーは「話のタネに……」というぐらいのものだった。限定品というから、作る側もそういう意図で作ったのだろう。

地域に根差すとは

2005年07月12日 | 地元の話
若かったころ、10代後半から20代前半ぐらい、自分が生まれながらに背負っている性質(国籍、性別、体格、障害がある/ない等)に縛られるのがすごくイヤだった。こういう要素は、自分自身で選べないからだ。自分で選んだわけでないことを背負わされるのイヤだったし、自分で選んだわけでない事柄を「売り物」にするのはもっとイヤだった。私は文系の学問の道を志したのだが、一番嫌いだったのがフェミニスト関連の女性たちである。自分が女に生まれて(これは彼女たちが選んだことではない)、しかしそれによって差別を受けたと感じたり、または社会には女性が過ごしにくいシステムがあると感じたりして、それを原動力にして研究するという姿勢が許せなかった。いや、本当は今でも許しがたい。言い方はよくないかもしれないが、女性に生まれついたことそのものを売り物にしている。幸か不幸か、男に生まれついてしまったら、そういう無条件な売り物はない。己の才覚で道を切り開くしかないのである。

少し話がそれるが、今は少し考えが変わっている。フェミニストの人たちは腹立たしいけれど、彼女たちががんばることで、女性の暮らしにくい世の中、さらには女性が子供を産み育てるのが難しい世の中のあり方を変える方向へ世論を動かすことができるのではないかと思っている。ただし、それは学問研究の範囲ではなく、社会運動の領域である。学者が社会に訴えていけないとは思わないが、真理や真実の追及よりも社会への訴えかけの方が多いならば、もう学者として禄を食むことは諦めるべきである。そんな連中よりも、もっともっと真理や真実を追究することに熱心でありながら、アルバイト講師をかけもちしてヒーヒー言いながら研究を続けている「真の研究者」たちがたくさんいるのだ。

話を戻す。私は自分の生まれつきの性質に縛られるのがイヤだった。特に土地に縛られる考えがイヤだった。新聞は地方欄よりも国際ニュースを読んだ。これから未来を切り開こうという思春期の少年には、春日井市とか愛知県とかそういうローカルな話は魅力に欠けた。漠然と「世界に向かって生きてゆく」と思っていた。ただし、その「世界」において、名古屋や春日井や高蔵寺は計測不可能なほど小さい存在だった。野心にあふれた子供が思い描く「世界像」とはそういうものだ。

大学・大学院と、私は東京にいた。専門はイタリア関係。勉強のために何度もイタリアへ行った。しかし、このような「国際的」な経験から私が学んだことは、人は周囲数キロの範囲で生きているということである。人は漠然と「世界」の中で生きているわけではない。特定の地域に生きている。そして、そこで仕事をし、そこで何らかの消費生活を送っている。その中で人付き合いがあり、また結婚・出産・育児などがある。世界に視野を広げることと、ある特定の地域に根差して生きることは矛盾しない。むしろ、意識の中で広がる「世界」と、日々の生々しい生活が営まれる「地域」を別々に考えることの方が健全だ。

話をサッカーの方に振るが、私がグランパスの試合を観るようになったのは、このような心の整理がついてからだ。当時はまだ東京に住んでいて、ときどき名古屋に帰ったときに試合を見に行った。まだストイコビッチが現役だったころだ。こういうわけで、グランパスがどれだけ低迷しようと、グランパスのフロントが共産主義政権の役人よりひどかろうと、基本的にはグランパスのファンである。ただし、バカな経営陣は早く改革してほしい。

再び話を戻す。そういわけで、思春期のころあれほど軽蔑した「名古屋ローカル」が、今や私のスタンダードだ。今やグランパスなしの生活は考えられない。(私は野球にはそれほど思い入れがない。名古屋人としてできればドラゴンズにがんばってほしいが、かといってドラゴンズが負けると悔しいという程ではない。)同じく、寿がきやや山ちゃんのない生活も考えられない。別の土地へ引っ越すことがあれば話が別だが、ここに住んでいるかぎり、ローカルな範囲で暮らし、ローカルな喜びを味わうだろう。

コーミお好みソース

2005年07月12日 | 地元の話
名古屋人にとってソースといえばコーミである。30代以上のひとであれば、山本陽子の「値段は高いがいい味です」のキャッチフレーズを思い出すだろう。近頃は「マイマザーズ・ソース」などとちょっとおしゃれになっているが、古きよき名古屋人にとってソースはコーミ、コーミは山本陽子なのだ。

さて、このローカルなソースの、いかにもローカルな製品が本品「コクうまお好みソース」である。お好み焼き用のどろりと甘辛いソースなのだが、この名古屋人にウケる味の秘訣は……
赤だしみそ、かつおぶし、昆布だしをたっぷりと使った、濃厚なコクとうま味が持ち味のソースです。深いコク、香り高いだしの風味、何枚でも食べられる程良い甘味。さらに酸味もおさえたこだわりの味わいは、ご家庭のお好み焼を美味しく引き立てます。 (公式HPより)
そう、名古屋人は味濃いめが好き。名古屋人は赤だし味噌が好き。わかってらっしゃる。

さて、お好み焼きを焼いて食べてみた。製品紹介どおりのお味。味濃いめだがくどくなく、なかなかおいしかった。私の考えでは、豚の冷しゃぶなどにつけてもおいしいのではないかと思う。またパスタのミートソースにちょっと隠し味に入れるなんてのもいいのではないだろうか。

坂東リサーチ・丸愛納豆

2005年07月08日 | 地元の話
「そこが知りたい特捜!坂東リサーチ」といえば、中部地方でよく知られた地元紹介番組である。板東英二が地元のおばちゃんたちと何の違和感もなくからむところがおもしろい。私はあまりテレビを見ないが、坂東リサーチは好きでときどき見る。しかし、つい最近まで坂東リサーチがこの地元・高蔵寺に来ていたことを知らなかった。勝川の回は見たのに、高蔵寺の回を見過ごすとは残念である。うっかりしていた。そこで、番組ホームページの情報を元に、坂東さんが巡った場所を私なりに紹介してゆこうと思う。まずは、私がもっとも親しみを感じる丸愛納豆株式会社である。

丸愛納豆は私の実家のすぐ近くにある。子供のころから見慣れた景色だ。創業は1945年で、現在の工場は1968年にできたそうだ。ちょうど高蔵寺ニュータウンの一番古いあたりが開発されたころである。

丸愛納豆は地元で愛されている。たいていのスーパーにあの黄色いパッケージが置いてある。なぜ丸愛納豆は愛されるのか。それは大粒でふっくらしておいしいからである。好き嫌いは人それぞれだが、「引き割りや小粒では納豆を食べた気がしない」という人は多い。私もそのクチである。「豆を食べている」という実感がほしいのだ。丸愛納豆はまさにこういう人のための納豆である。自信をもっておすすめできる地元の味である。

形勢逆転

2005年06月30日 | 地元の話
このあたりは30数年前、いわゆる団塊の世代とよばれる人たちの住宅事情を改善するために切り開かれた団地である。今から25年から30年ほど前、1970年代後半から80年代前半にかけて、このあたりの住民は若く、子供たちがあふれていた。私も友達と一緒にこの団地の中を駆け巡っていた。そして時間は流れ、少子化・高齢化の世の中である。このあたりは、建物が古びるのと同じくして、住民は歳をとり、その子供たちは独立して家を出ていった。さらに、住民が歳をとるのと同じくして、街はさびれ、店は減り、道を歩く人たちがいなくなった。

このあたりは団地の最古層である。そして、25年から30年前まではここが団地の中心だった。前にお話ししたが、スーパーが3軒あり、それぞれ火曜・水曜・木曜と定休日をずらしていた。その他に大小の専門店があり、日常生活に必要なものはたいてい手に入った。そして何より、人がたくさん歩いていた。それが今ではゴーストタウンである。ただのゴーストタウンではない。人がたくさん住んでいるのにゴーストタウンなのだ。

この団地から南に1キロほど下ったところには、かつて一面田んぼが広がっていた。初秋にはあちらでもこちらでもカエルが鳴いていた。その鳴き声は田んぼ地帯から数百メートル離れた私の実家でもよく聞こえたものだ。そのころ、そちらの方には何も店がなかった。1980年ぐらいまで、農協が週に2回ほど「みのり号」というバス型の車両に乾物や調味料などをつんで巡回販売していた。それぐらい不便なところだった。わが家(実家)では、わざわざ坂道を登って、当時の中心地であったここ、私が今住んでいるあたりまで出て買い物をしたものだ。

今ではその田んぼ地帯も半ば住宅街になった。住宅街ができれば店ができる。スーパーはもちろんのこと、各種飲食店、コンビニ、ディスカウントストア、100円ショップ、衣料品店、薬屋、本屋、中古車屋、携帯電話屋、美容院……たいていのものはそろっている。そして、もう実家にはカエルの鳴き声が届かなくなった。

頼みにしていたスーパーがつぶれて、私はかつての中心地からかつての田んぼ地帯へ自転車を走らせる。形勢逆転だ。そして、頼みにしていたスーパーで毎日おいしい魚と豆腐を安く買っていた私の暮らしも、大きく変わった。その話はまた別の機会にしようと思う。

人に優しいとは、あるいは優しくないとは

2005年06月30日 | 地元の話
大学に入ってから10年ほど東京で過ごし、数年前から実家に転がり込んでいた。そしてこの春、実家の近くに公団住宅を借りて住むようになった。この部屋を選んだのは、家賃が一番安いこと、バス停が近いこと、近所にスーパーが1軒、コンビニが2軒あることが理由だった。私は自動車に乗らないので、買物が便利であることと、公共交通機関を利用しやすいことは大事な要素なのだ。

20年ほど前、このあたりはにぎやかな街で、歩いてゆける範囲にスーパーが3軒あった。それが1つ減り、2つ減り、そしてとうとう1つだけになってしまった。この最後に残ったスーパーはかなり古びた感じではあったが、どの品物も値段が安い上に、そこで売っている豆腐がおいしい。さらに、同じ建物の中で営業している魚屋も安くてとてもおいしいのだ。引っ越して1か月半ほど、ほとんど毎日ここの豆腐と魚を食べて、とても幸せであった。「~であった」という言い方から想像がつくかと思うが、ある日突然そのスーパーがつぶれた。いつものように魚と豆腐を買いにゆくと、まわりの様子がおかしい。入り口に回ってみると、倒産を伝える貼り紙。

もうあの安くておいしい魚を食べられないかと思うと、それだけで悲しかった。そして、歩いて行ける範囲にスーパーがなくなってしまって、これから買物をどうするか心配になった。そして、数日もたたないうちにその心配は現実のものとなった。春日井の人たちは近所のコンビニにも自動車でゆくというぐらい、何をするにも自動車に乗る。このあたりでは、自動車を少し走らせれば大型ショッピングセンター「アピタ」へ行けるから、あのやや古びたスーパーへ歩いてゆくより、自動車を走らせてアピタへ行くのを好む人たちが多かったのだろう。

世の中の流れとして、歩いてゆける商店街やら地元スーパーよりも、郊外型の大型ショッピングセンターが賑わっていることはわかっている。自動車に乗れる方が何かと便利なことはわかっている。それを承知で、でもあえて自動車に乗らない人生を私は選んだ。(これについてはまたいつかお話するつもりだ。)それはいいのだが、「自動車に乗れる方が便利」と「自動車に乗れないと不便」は似て非なる話である。前者は、誰にも基本的な選択肢が保証されていて、あとは自動車に乗れるか乗れないかで選択肢が多いか少ないかが決まるシステムだ。自動車に乗れない人でも、それなりに幸せに暮らせるやり方といっていい。それに対して後者は、自動車に乗れない人は幸せに暮らすための選択肢が奪われているシステムである。これは「人に優しくない」やり方と言わなくてはなるまい。

離島とか人里離れた山奥の集落とか、初めから不便な場所であることがわかっている土地であれば話は別だ。そういうところには、不便さと引き換えに美しい自然や、静かな暮らしがあるだろう。また初めからそういう状況に対応した生活習慣があるだろう。しかしここは都市郊外のベッドタウン型住宅街である。人はたくさん住んでいる。例のつぶれたスーパーの周りには、今でも何万という人たちが住んでいるのだ。たしかに「都会」ではないけれど、都市型の消費生活を営むように設計された街である。そこで、歩いてゆける範囲にスーパーがないとはどういうことだろう? (続く)

私が生まれたこの街で

2005年06月28日 | 地元の話
私は今、自分が生まれ育った街に住んでいる。生まれ育ったといっても、ここで過ごした時間は決して長くない。中学・高校と名古屋市内の学校に通ったし、その後は10年ほど東京にいた。だから、ここは私の地元であって、また地元でないような、不思議な場所だ。昔の友人たちとはすっかり没交渉となり、生まれ故郷で暮らしていながら、家族以外にはほとんど話す相手もいない。このいびつな感覚は、どう説明したらいいだろう? 子供のころたしかにここで友達と遊び回ったし、今でも街の景色はよく見知っているのに、そこにまるでヨソ者のような感覚で暮らしているのだ。