第二のオーソン・ウェルズを目指しながら、54歳の若さでこの世を去り、死後“史上最悪の映画監督”という称号を受けてしまったエドワード・D・ウッド.JR。今作は、そんな不遇の映像作家が30代で手掛けた3本のZ級映画「グレンとグレンダ」「怪物の花嫁」「プラン9・フロム・アウタースペース」の製作に奮闘する姿を描いている。バートンにとっては、長編初のモノクロ作品で、伝記映画に初挑戦。さらに初めて、出演者にオスカーをもたらす(M・ランドーが助演賞受賞)など、“初めて”尽くしの作品となった。
スポットが当てられるのは、若きエド・ウッドと彼の“アイドル”であるドラキュラ俳優、ベラ・ルゴシとの奇妙だが真摯な友情である。二人とも社会からの迫害を恐れながら(エドは女装趣味、ルゴシは麻薬中毒)、真価を認めてもらえないことに苦悩する。つまり、実在の人物ではあるが、極めてバートン的キャラクターなのだ。一見キテレツな登場人物たちを、決して笑い者にしないのは、バートンが彼らと深く共鳴しているからだ。ルゴシが老体に鞭打って、冷たい池で巨大ダコと格闘するシーンは、エド・ウッド映画のドタバタぶりを象徴すると同時に、二人の堅い友情が浮かび上がる、静かなクライマックスである。
エドとルゴシの友情は、バートンとV・プライスの関係性を彷彿とさせる。が、それだけではない。周囲の雑音と闘いながら、創作活動に情熱を燃やし、作品に「忘れられない何か」を刻み込む点こそが、二人の映画監督の共通点だ。成功者/落伍者の違いなど、些細なもの。1950年代にバートンが成功できたか? 現代ならエドも受け入れられるのでは? そんな風にも思えてくる。映画監督として、自分を見つめ直した「第一期集大成」である。
スポットが当てられるのは、若きエド・ウッドと彼の“アイドル”であるドラキュラ俳優、ベラ・ルゴシとの奇妙だが真摯な友情である。二人とも社会からの迫害を恐れながら(エドは女装趣味、ルゴシは麻薬中毒)、真価を認めてもらえないことに苦悩する。つまり、実在の人物ではあるが、極めてバートン的キャラクターなのだ。一見キテレツな登場人物たちを、決して笑い者にしないのは、バートンが彼らと深く共鳴しているからだ。ルゴシが老体に鞭打って、冷たい池で巨大ダコと格闘するシーンは、エド・ウッド映画のドタバタぶりを象徴すると同時に、二人の堅い友情が浮かび上がる、静かなクライマックスである。
エドとルゴシの友情は、バートンとV・プライスの関係性を彷彿とさせる。が、それだけではない。周囲の雑音と闘いながら、創作活動に情熱を燃やし、作品に「忘れられない何か」を刻み込む点こそが、二人の映画監督の共通点だ。成功者/落伍者の違いなど、些細なもの。1950年代にバートンが成功できたか? 現代ならエドも受け入れられるのでは? そんな風にも思えてくる。映画監督として、自分を見つめ直した「第一期集大成」である。