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ティム・バートン

ティム・バートン(Tim Burton/映画監督)に関する情報・感想をつづるブログ [シネストック別館]

(解説1) 幻影の魔術師

2006-08-02 00:04:00 | 解説
 ティム・バートン作品、最大の魅力は、なんと言っても、力強く幻想的な映像美だ。ここではない、どこか。バートンが作る世界観は、視覚を刺激するだけでなく、言葉に出来ない“ワクワク感”を可視化し、「こんな世界があればいいな」という観客の願いをも見事に叶えてくれる。何より、バートン本人が楽しんでいる。子供の頃から、絵が大好きで、ディズニーのアニメーターとして業界入りした彼にとっては、「無機質なものに命を吹き込むこと」こそが、至上の喜びなのだ。ここではバートン美学の特徴を二つ挙げる。一つ目は「手作り感覚」。CG全盛の時代にあって、バートンは人の温もりを感じさせる美術セットや特殊メイク、ストップモーション・アニメなどを多用し、平面的なCGでは決して描けない、現実的な“重み”を表現する。現実離れしたバートン世界に、圧倒的なリアリティが宿るのは、そのせいだ。
 現実的、つまり立体的に表現される映像世界において、最も重要なのが二つ目の特徴である「デザイン力」。元来、絵描きであるバートンの想像力から生まれる、奇妙だが愛すべきデザインの数々は、どこの誰とも似ていない、“バートンらしい”ものばかりだ。いざ、映像化するとなれば、気心の知れた優秀なスタッフ(例えば、長年の付き合いであるR・ヘインリックス)が、非の打ちどころがない仕事をしてくれる。そんな想像×創造の有機的なコンビネーションこそ、バートン世界の魔法である。
 うずまき、白黒チェックの床、ねじれた大木など、おなじみのアイテムが登場する点も、ファンには楽しみな特徴だ。

(解説2) はみだし者のブルース

2006-08-02 00:03:00 | 解説
 “ちょっと変わった少年”だったというバートンにとって、生まれ育ったバーバンクは、決して居心地のいい場所ではなかった。風景だけでなく、ライフスタイルまで画一化されてしまうアメリカ郊外の町では、少しでも個性的だと、すぐに奇異な目で見られ、いつしか排除されてしまうからだ。バートン少年が味わった、言いようのない孤独と苦悩は、初期作『ヴィンセント』『フランケンウィニー』に凝縮されている。個性が押し潰されそうになるバートンの受難は、青春時代を過ごしたディズニー社でも変わらなかった。だからだろうか。バートン作品の主人公たちは、皆、周囲からの誤解と迫害に引き裂かれ、まるで「囚われの姫」のように孤独である。その代表例が『シザーハンズ』に登場する、エドワード・シザーハンズだろう。同じく『バットマン』シリーズの暗さも、一般的なヒーローものとは一線を画いている。
 一方、『ピーウィーの大冒険』『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』『エド・ウッド』に代表されるように、やたら闇雲な情熱を燃やすゆえ、周囲から孤立してしまうのも、バートン作品の主人公の特徴だ。つまり、抑圧が強ければ強いほど、爆発は大きくなる。個性的でありながら、周囲との調和もちゃんと心得ているのが『スリーピー・ホロウ』に登場する科学捜査官イカボット。いわば“ちょっとだけ大人になった”ヒーローであり、バートン自身の変化(成長?!)を象徴している。

(解説3) 仮面舞踏会

2006-08-02 00:02:00 | 解説
 バートンが作り上げる登場人物たちは、そのほとんどが「仮面」を被っている。文字通りの仮面を被る『バットマン』を始め、特殊メイクによって、役者が素顔を隠す『ビートルジュース』『シザーハンズ』、女装が趣味だった映画監督『エド・ウッド』、空想話で自己演出する父親『ビッグ・フィッシュ』まで、そのスタイルは様々だ(おっと、ピーウィー・ハーマンも忘れちゃダメ)。注目すべきは、本来、正体や本性を「隠す」ためにある仮面によって、主人公たちが自己を「解放」させている点。誤解と迫害に晒されているからこそ、別人格になることで自由を勝ち取っているのだ。彼らには、皆、表と裏の顔がある。単純には割り切れない、人間の二面性は、安易なカテゴライズを嫌うバートンが常に追求している裏テーマでもある。また、仮面=特殊メイクの究極形として『PLANET OF THE APES/猿の惑星』のような作品もあるから、本当に面白い。
 そういえば『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の主人公、ジャック・スケリントンは、自らハロウィン王の座を捨て、サンタクロースに変身することで、自分の夢を実現しようとした。ハロウィンもクリスマスも、アメリカ人にとって、おめでたい祝日であるが、季節感のないバーバンクに暮らしたバートン少年には、格段の思い入れがあるようだ(*1)。お祭りの扮装をすることで、日常生活を忘れ、自己を解放させる。その興奮と高揚が、大人になっても忘れられないのかもしれない。
*1:参考文献/「バートン・オン・バートン」(マーク・ソールベリー著/フィルムアート社発行)

(解説4) ハリウッド・サバイバー

2006-08-02 00:01:00 | 解説
 ふと湧き上がるのは、ナイーブな映像作家というイメージが強いバートンが、なぜ、生き馬の目を抜くアメリカ映画界で、20年以上活躍し続けているか、という疑問である。安易なマーケティングから遠く離れ、コンスタントに個性的な作品を発表するだけでもエライが、そのほとんどが興行的な成功を収めている点は、やはり見逃せない。人気が衰えない理由は、一貫したテーマ性と旺盛なチャレンジ精神にある。主人公の名前がタイトルになった、いわば「一人称映画」への強いこだわりを見せた第一期(『エド・ウッド』まで)。趣味嗜好(オタク心)を全面に出しながら、見事なエンターテインメントへと昇華させる現在まで、常に作品には、言わずもがなの“バートンらしさ”が満載。一方、あらゆるジャンルに挑戦し続ける姿勢は、ファンの好奇心を刺激してやまない。戦うべきときに、とことん戦うガッツも生き残りの秘訣だろう。
 バートンは、オタク世代を代表する映画監督と称され、Q・タランティーノと比較されることもある。確かに、オマージュに溢れていたり、憧れの“アイドル”を起用したりと、相似点も多いが、「オレは、これが大好きなんだ」という“愛”を克明に再現するタランティーノに対して、バートンは「あの頃、これが好きだったなぁ」という無意識の“記憶”をありのままに表現している。この違いは、大きい。バートンのオタク的世界は、タランティーノのそれに比べて、断然風通しが良く、濃厚なファンタジーを描きながら、誰もが歓迎される空間を演出しているのだ。これも人気の秘密である。

 そんなティム・バートンが、こともあろうに(?)、『ビッグ・フィッシュ』撮影後、父親になった。現在のミューズ、ヘレナ・ボナム=カーターとの間に、息子が誕生したのだ。出産に立会い「まるで『エイリアン』みたいだった」とコメントするあたり、バートンらしいが、この出来事が、彼をますます“大人”にするのは間違いないだろう。ファンとしては、少々寂しい気もするが、今後は「父親の目線」でファンタジーを紡いでくれるかもしれない。やはり、目が離せないアーティストだ。/2005年5月執筆