本名Timothy William Burton。1958年8月25日、カリフォルニア州バーバンクに生まれる。少年時代から“変わった子供”だったという彼は、10代の頃から、ホラーや怪獣映画に強く惹きつけられると同時に、友人らとストップモーション・アニメを自主製作したり、廃棄物汚染防止ポスターのデザインで表彰されたりと、早くもクリエイティブな才能を開花させていた。1976年、カリフォルニア・インスティテュート・オブ・ジ・アーツ入学のための奨学金を獲得し、アニメーター養成教育を受ける。3年間在籍した後、ディズニー・スタジオにアニメーターとして採用され、『きつねと猟犬』『コルドロン』といった同社作品に関わるが、旧態依然としたディズニーに対する“苦手意識”は拭えないままだった。
そんな彼が、自らの才能を発揮するチャンスを得たのが1982年。製作費600万ドル、製作期間2ヶ月を費やしたストップモーション・アニメ短編『ヴィンセント』を完成させた。翌年には、プロの俳優を起用した中編『フランケンウィニー』を発表。両作品とも、ティム・バートンの素養を語る上で欠かせない秀作であるが、ディズニーの判断によって、長年、お蔵入りの状態となってしまった。1984年、彼はディズニー・スタジオを退社した。
すでに『フランケンウィニー』の評判が業界内で広がるなか、ワーナー・ブラザースが、ティム・バートンに長編デビュー作をオファーした。人気テレビスター、ポール・ルーベンスが主演する『ピーウィーの大冒険』だ。1985年に公開された同作は、主人公ピーウィー・ハーマンの人気も手伝って、予想外のヒットを記録。これを機に、様々な企画が舞い込むが、彼の食指を動かすには至らず、結果的に、次回作の完成まで3年間のブランクが生じた。
1988年にマイケル・キートン主演の『ビートルジュース』を発表し、またも大ヒットを記録。すでにワーナーからオファー済みだった『バットマン』の企画が本格的に始動した。1989年6月に公開された同作は、わずか10日間で興収1億ドルを突破する、歴史的な記録を打ち立てる。なお、撮影中の89年2月にドイツ人画家レナ・ギーセクと結婚。また、ジャーナリスト出身の女性プロデューサー、デニーズ・ディ・ノーヴィと制作会社「バートン・プロダクション」を創設した。
「バートン・プロダクション」が初めて製作した作品が、1990年に公開された『シザーハンズ』である。以後、長い付き合いとなるジョニー・デップを主人公に起用したほか、バートンの“長年のアイドル”であるヴィンセント・プライスが『ヴィンセント』のナレーションに続き、老発明家役で登場している。同氏に関するドキュメンタリー『ヴィンセントとの対話』の製作が始まったのも、この年だった。
1991年、『バットマン リターンズ』の監督オファーを受諾。撮影をスタートさせると同時に、ディズニー時代の企画『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の製作に乗り出す。演出をヘンリー・セリックに託したとはいえ、同時期に2本の長編映画を手掛けることになり、バートンは体力的にも精神的にも追い詰められたようだ。そんな1991年の大晦日、彼は運命的な出会いを果たす。友人の脚本家から、モデルのリサ・マリーを紹介されたのだ。
1992年『バットマン リターンズ』が予想通り、大ヒットを記録。なお、同作公開に先駆けて、『フランケンウィニー』がディズニーによってビデオ発売されている。キャメロン・クロウ監督の『シングルス』にカメオ出演する“課外活動”も。1993年、前妻レナ・ギーセクと別れ、リサ・マリーとの交際が本格的にスタートする一方、10月にはヴィンセント・プライス死去という悲しいニュースもあった。『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』が全米公開され、製作費1800万ドルという低予算に対して、興収5000万ドルを記録する。
1994年、ディズニー製作、ジョニー・デップ主演の伝記映画『エド・ウッド』を発表。“史上最低の映画監督”エド・ウッドの狂騒の日々を描いた同作は、「第一期ティム・バートンの集大成」と呼ぶにふさわしい傑作である。興行的には惨敗したが、批評家からは高い評価を集め、出演したマーティン・ランドーにアカデミー賞助演男優賞をもたらした。
1996年、トレーディング・カードに着想を得たSF映画『マーズ・アタック!』が完成。豪華スターの共演、大掛かりな特殊効果などが話題になったが、製作費の半分強にあたる興収3800万ドルという結果に終わってしまう。その後、バットマン・シリーズのスピンオフ企画『CATWOMAN』、ニコラス・ケイジ主演の『SUPERMAN LIVES』など数多くの企画で、監督候補に名前が上がるが、すべて頓挫してしまう。1997年に短編詩とイラストで構成された絵本『オイスター・ボーイの憂鬱な死』を出版する。
1998年、パラマウントから古典ホラー「スリーピー・ホローの伝説」の映画化をオファーされる。翌年『スリーピー・ホロウ』として完成。ジョニー・デップが三度目の主演を果たす同作は、バートンらしいゴシック調の世界観を舞台に、ミステリーの要素が加味されたエンターテインメント大作として、批評的にも興行的にも大成功を収める。
2001年には、往年の名作SF「猿の惑星」のリメイク版『PLANET OF THE APES/猿の惑星』が公開される。ヒットを記録するものの、バートン独特のイマジネーションが薄まった印象を残す作品となる。同作に出演したヘレナ・ボナム=カーターと恋愛関係に。長年連れ添ったミューズ(女神)、リサ・マリーとの破局がファンの間では大きな話題となった。
2003年、ベストセラー小説を映画化した『ビッグ・フィッシュ』を発表。久々に批評家から絶賛を集める。父子の確執と和解を通して展開する、現実と幻想の交錯は、まさにバートン節。「第二期ティム・バートンの集大成」となる傑作だ。最新作は、同名作品のリメイク版である『チャーリーとチョコレート工場』。ジョニー・デップを主演に迎え、2005年夏の公開が控えている。/2005年5月執筆
そんな彼が、自らの才能を発揮するチャンスを得たのが1982年。製作費600万ドル、製作期間2ヶ月を費やしたストップモーション・アニメ短編『ヴィンセント』を完成させた。翌年には、プロの俳優を起用した中編『フランケンウィニー』を発表。両作品とも、ティム・バートンの素養を語る上で欠かせない秀作であるが、ディズニーの判断によって、長年、お蔵入りの状態となってしまった。1984年、彼はディズニー・スタジオを退社した。
すでに『フランケンウィニー』の評判が業界内で広がるなか、ワーナー・ブラザースが、ティム・バートンに長編デビュー作をオファーした。人気テレビスター、ポール・ルーベンスが主演する『ピーウィーの大冒険』だ。1985年に公開された同作は、主人公ピーウィー・ハーマンの人気も手伝って、予想外のヒットを記録。これを機に、様々な企画が舞い込むが、彼の食指を動かすには至らず、結果的に、次回作の完成まで3年間のブランクが生じた。
1988年にマイケル・キートン主演の『ビートルジュース』を発表し、またも大ヒットを記録。すでにワーナーからオファー済みだった『バットマン』の企画が本格的に始動した。1989年6月に公開された同作は、わずか10日間で興収1億ドルを突破する、歴史的な記録を打ち立てる。なお、撮影中の89年2月にドイツ人画家レナ・ギーセクと結婚。また、ジャーナリスト出身の女性プロデューサー、デニーズ・ディ・ノーヴィと制作会社「バートン・プロダクション」を創設した。
「バートン・プロダクション」が初めて製作した作品が、1990年に公開された『シザーハンズ』である。以後、長い付き合いとなるジョニー・デップを主人公に起用したほか、バートンの“長年のアイドル”であるヴィンセント・プライスが『ヴィンセント』のナレーションに続き、老発明家役で登場している。同氏に関するドキュメンタリー『ヴィンセントとの対話』の製作が始まったのも、この年だった。
1991年、『バットマン リターンズ』の監督オファーを受諾。撮影をスタートさせると同時に、ディズニー時代の企画『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の製作に乗り出す。演出をヘンリー・セリックに託したとはいえ、同時期に2本の長編映画を手掛けることになり、バートンは体力的にも精神的にも追い詰められたようだ。そんな1991年の大晦日、彼は運命的な出会いを果たす。友人の脚本家から、モデルのリサ・マリーを紹介されたのだ。
1992年『バットマン リターンズ』が予想通り、大ヒットを記録。なお、同作公開に先駆けて、『フランケンウィニー』がディズニーによってビデオ発売されている。キャメロン・クロウ監督の『シングルス』にカメオ出演する“課外活動”も。1993年、前妻レナ・ギーセクと別れ、リサ・マリーとの交際が本格的にスタートする一方、10月にはヴィンセント・プライス死去という悲しいニュースもあった。『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』が全米公開され、製作費1800万ドルという低予算に対して、興収5000万ドルを記録する。
1994年、ディズニー製作、ジョニー・デップ主演の伝記映画『エド・ウッド』を発表。“史上最低の映画監督”エド・ウッドの狂騒の日々を描いた同作は、「第一期ティム・バートンの集大成」と呼ぶにふさわしい傑作である。興行的には惨敗したが、批評家からは高い評価を集め、出演したマーティン・ランドーにアカデミー賞助演男優賞をもたらした。
1996年、トレーディング・カードに着想を得たSF映画『マーズ・アタック!』が完成。豪華スターの共演、大掛かりな特殊効果などが話題になったが、製作費の半分強にあたる興収3800万ドルという結果に終わってしまう。その後、バットマン・シリーズのスピンオフ企画『CATWOMAN』、ニコラス・ケイジ主演の『SUPERMAN LIVES』など数多くの企画で、監督候補に名前が上がるが、すべて頓挫してしまう。1997年に短編詩とイラストで構成された絵本『オイスター・ボーイの憂鬱な死』を出版する。
1998年、パラマウントから古典ホラー「スリーピー・ホローの伝説」の映画化をオファーされる。翌年『スリーピー・ホロウ』として完成。ジョニー・デップが三度目の主演を果たす同作は、バートンらしいゴシック調の世界観を舞台に、ミステリーの要素が加味されたエンターテインメント大作として、批評的にも興行的にも大成功を収める。
2001年には、往年の名作SF「猿の惑星」のリメイク版『PLANET OF THE APES/猿の惑星』が公開される。ヒットを記録するものの、バートン独特のイマジネーションが薄まった印象を残す作品となる。同作に出演したヘレナ・ボナム=カーターと恋愛関係に。長年連れ添ったミューズ(女神)、リサ・マリーとの破局がファンの間では大きな話題となった。
2003年、ベストセラー小説を映画化した『ビッグ・フィッシュ』を発表。久々に批評家から絶賛を集める。父子の確執と和解を通して展開する、現実と幻想の交錯は、まさにバートン節。「第二期ティム・バートンの集大成」となる傑作だ。最新作は、同名作品のリメイク版である『チャーリーとチョコレート工場』。ジョニー・デップを主演に迎え、2005年夏の公開が控えている。/2005年5月執筆