進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

〈シロアム キリスト教会で洗礼〉ヨハネ9:6−7

2018年12月25日 | デボーションシェリング 2016年から

〈シロアム キリスト教会で洗礼〉

「イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、 「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭9:6-7‬ ‭口語訳‬‬

観察
物乞いの盲人の目を癒す場面。

当時、病気や天災、事故や怪我は因果応報的な考えに支配されていた。

なので、弟子たちは主イエスに質問する。
「イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭9:1-2‬ ‭口語訳‬‬

その答えが本文テキスト9:6-7

このシロアムの池から取られた教会が私の母教会の名前である。

こには川口隊長と福田兄が居た。富山県高岡市で立派に子育てしている英治もいた。私が刑務所から出てすぐに住み込みをさせてもらった教会は、シロアムといい、遣わされたもの、つまりキリストご自身のことである。

私はこのシロアムキリスト教会で洗礼を授かった。

当時は東船橋駅から徒歩五分のところ。遣

わされたキリストのもとで目を洗い「今は見えるのです!」と証したこの盲人のように。そして盲人が追放されても主イエスは探し出す神なのである。

適用
多くの癒しの証を聞いてきた。その中には、え!なんでというような、この本文テキスト的な、全く関係ないじゃん!そんなことして!と、いうような、へんてこりんなものが多い。そんなことして癒されなかったら笑いもんだよね!みたいな、、、
だけど、その癒しが必要な場面で、祈り手が聖霊の声を聞いて、恥ずかしさを覚えながらも、また、なぜ?という問いがあろうとも、素直に従うときに癒しが起こっている。今日も昨日も、2000年前も、今後も主イエスさまの働きは変わらないのだ。

祈り
私たちは永遠の救いと癒しを信じています。通り良き管になり癒しを流す群とさせてください。また、愚直に主イエスさまのワザを信じ、行えますように!油注ぎを求めます。それにふさわしい謙遜さ、神に対するへりくだりと降参を求めます。あなたは弱いときに強いからです。アーメン


罪人の友 主イエス キリスト教会 進藤龍也

 

「父の学校の証し」こばちゃん@罪友教会(2018/11/25)


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