進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

〈良い行いも動機が肝心〉 ヤコブ2:14

2018年12月15日 | デボーションシェリング 2016年から

〈良い行いも動機が肝心〉

ヤコブ2:14
「私の兄弟たち!誰かが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるのでしょうか」

観察
進藤の大好きなヤコブ書
実践的な教え
信仰義認は行いによる救いではない。

しかし、信仰を持ったものは自ずと行いに現れることを教えている。

良い行いいうのは、自尊心を高める。達成感もある。
しかし大切なのは、何のためにやったのか?

もちろん、その人を助けるためだよね?

それは愛の発動だよね。立派です。しかし、

「信仰がなければ神に喜ばれることはありません」ヘブル11:6

と、明確に書いてある。
自分の命、刑罰の代わりになってくれた命の恩人のキリストのために、キリストを愛するがゆえに、天におられるキリストの代わりとして、良いことを行うことが神に喜ばれることなのだ。

自尊心を高めるためだったり、褒められるためだったり、誰かと張り合ってのことだったり、なんでも良いが、良いことは、世の中にあって動機はなんでも良い。良いことをするのなら。

しかし、
個人の永遠の救いのためには信仰で、

キリストによる救いを喜ぶ動機が唯一の条件である。

適用
キリストのために、キリストの代わりとして良い行いを、自らキリストの救いを喜ぶがゆえに行いたい!

祈り
今晩のDSも聖霊充満でお願いします。油注ぎに感謝します。あなたの血潮でおおってください。

 

賛美@罪友教会(2018/11/25)


〈主はあわれみ深い〉 ヘブル6:10

2018年12月15日 | デボーションシェリング 2016年から

 〈主はあわれみ深い〉

ヘブル6:10
「神は正しい方であって、あなた方の行いを忘れず、あなた方がこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のためにあの愛をお忘れにならないのです。」

観察
ヘブル書の祭儀律法と福音の対比
大祭司と生贄に関する説明

適用
間違いや失敗、罪を犯すにしろ何にしろ、悔い改めて(悔い改めることができることこそ聖霊の働き)やり直す時、神はその罪を思い出さない。

思い出して、根に持つのは人間だ。

そして神が私を見るときに、主イエスを通して、完璧な私を見てくださる。だから、私のしてきた良い点だけをみてくれるのだ。

1ペテロ2:24
「そして自分から十字架の上で私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪から離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷の故に、あなた方は癒されたのです。」

罪から離れて、義のために生きるためには、心が癒されなければならない。

祈り
どうぞ良き一日になりますように。ベトナムからのお客様を迎えることができますように。新会堂の祈り会を臨在に溢れさせてください。アーメン

 

「父の学校の証し」ケイタ@罪友教会(2018/11/25)


〈過去を赦し将来を励ます!〉

2018年12月15日 | 刑務所伝道

〈過去を赦し将来を励ます!〉

礼拝にはいろんな方々がやってくる。罪友の多くは嘘でしょ!?というような問題、

バイ問題、自分の罪の問題、様々である。
また、
刑務所から何も持たずにくる人、
ヤクザの事務所から逃げてくる人、
いろんな人がいる!それも本当かどうかもわからない。
ただ言えることは、ホームレス状態であるということ。

新約聖書には獄中で使徒パウロによってクリスチャンになった、逃亡奴隷のオネシモがいる。
奴隷が逃亡するというのは大罪である。
神の摂理と恵みにより、この逃亡奴隷オネシモは獄中でパウロに出会う。
それだけではない!
そのオネシモも主人(奴隷の持ち主)のピレモンはパウロの弟子であった!それでパウロがピレモンにオネシモへの執り成しをするのがこの手紙である。

ピレモンへの手紙11-12節
「彼は、前にはあなたにとって役に立たないものでしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています。そのオネシモをあなたのところに送り返します。彼は私の心そのものです。」

適用
パウロ自身がオネシモの釈放のためにお金を払ったかもしれない。
私たちは愛する時、犠牲を払う。
行為だけではなく、この世の富をも使う時がある。そのためにも蓄えは必要である。

また、私たちは過去でその人をはかるものでなく、将来を見て励ますものである!

同じようなケースとして、バルナバの従兄弟のマルコがいる。彼は宣教旅行について行くことができず、そのことでパウロとバルナバが激しい半目になった!と、あるが、その後、2テモテの手紙4:11では

「マルコを伴って一緒に来てください。彼は私の務めに役に立つからです。」

と、あるように、辛抱強くその人を見て行かなければならない。

パウロはバルナバとの和解もあったであろうし、マルコも悔い改めて頑張ったろうし、パウロもマルコの頑張りを認めたろう。人を見る土台が「愛」ならば、すぐに嫌いになったりしないはずだ。

祈り
愛する妻と来年の導き、これからのことが分かち合えるように。またもっと愛することを増す加えてください。私たちの群れに注ぎの油をお願いします。アーメン

現在の住み込み「父の学校の証し」ヒロキ@罪友教会(2018/11/25)