〈良い行いも動機が肝心〉
ヤコブ2:14
「私の兄弟たち!誰かが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるのでしょうか」
観察
進藤の大好きなヤコブ書
実践的な教え
信仰義認は行いによる救いではない。
しかし、信仰を持ったものは自ずと行いに現れることを教えている。
良い行いいうのは、自尊心を高める。達成感もある。
しかし大切なのは、何のためにやったのか?
もちろん、その人を助けるためだよね?
それは愛の発動だよね。立派です。しかし、
「信仰がなければ神に喜ばれることはありません」ヘブル11:6
と、明確に書いてある。
自分の命、刑罰の代わりになってくれた命の恩人のキリストのために、キリストを愛するがゆえに、天におられるキリストの代わりとして、良いことを行うことが神に喜ばれることなのだ。
自尊心を高めるためだったり、褒められるためだったり、誰かと張り合ってのことだったり、なんでも良いが、良いことは、世の中にあって動機はなんでも良い。良いことをするのなら。
しかし、
個人の永遠の救いのためには信仰で、
キリストによる救いを喜ぶ動機が唯一の条件である。
適用
キリストのために、キリストの代わりとして良い行いを、自らキリストの救いを喜ぶがゆえに行いたい!
祈り
今晩のDSも聖霊充満でお願いします。油注ぎに感謝します。あなたの血潮でおおってください。
賛美@罪友教会(2018/11/25)