chuo1976

心のたねを言の葉として

『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2013/12/23

2013-12-23 01:25:14 | 文学
『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2013/12/23


ⅩⅠ  ターナー展を見る、聴く、
  ターナーの、光りに撃たれて、魅せられて、丁度読んでいた、ハーディの「テス」に思いが巡って、さらには、この展覧会の出口に夏目漱石のタナー島の記事の新聞があったからか、フィルムセンターでの「虞美人草」の映画を見たばかりだったからか、中川信夫のこの作品が見事だったからから、霧島のぼるの美しさ、彼女を捕らえるカメラの蠢きの素晴らしさに填っていたからか、夏目の小説にまでも、心が揺れて、久しぶりに「虞美人草」を読み出すと、面白くて止まらない、19世紀から20世紀への展開の中に、これらの作家が、作品が、在るのだが、この数ヶ月の間、惹かれて止まない、今一人の人物が、ギャスターブ・モローなのだ、今までも、知らなかったわけでもないが、なぜに、今、急に、惹かれて、やまないのか、己でも判らないままに、タナーの彼方、崇高、そして、晩年の、彼方を破壊すべく現れた、色彩の反乱、形も定かならぬ叫び、こんな混沌の中から、モローの絵画が迫ってくる、物語、伝説、宗教、祈り、多様なまでの細部の存在、ドラマの解釈で、解決出来るだろうか、出来はしない、そんな、今、現在、が、突きつけられる、秘密保護法、原発、小泉さんの反原発の言葉に、引きづられ、猪瀬と徳洲会の話題に、引きづられ、マスコミは逃げ腰で、おろかしい米英の戦略に乗る、いや、中国の戦術に乗る、私たち、やはり、しっかり、今、モローを見ること、徹底して、解釈を拒まれて、己のおろかしい現実に佇まされること、タナーの前にひれ伏すこと、この覚悟、それが、「テス」なのだが、「虞美人草」なのだが、確かに、未だ、「虞美人草」はあっさり片づけすぎているが、さて、さて、さて、大きな、世界戦争の、前夜の、彼らの作品に出会うとは、再会するとは、さて、さて、さて、原発という、今日の世界戦争としっかり出会うこと、ターナーの光りの前で、
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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf