その間にパンを焼いてりんごとヨーグルトと黄粉牛乳を飲んだ。
その後は9時半、テレビ番組の建物探訪が大好きで30分間テレビを見てパソコンの前に座った。
今日は8時まで寝てしまった。
昨日は遅くなった。昨日1日で3本の原稿を作った。後はソウルで取材した在日韓国人本国会の30年の歩を取材したのでこれは今後の資料にもなるのでメモを全部パソコン入力にすることにした。それが1本まだ残っている。
3本を片付けるのに夕べ夜中の2時近くまでかかった。今日は夫が家にいるので朝は寝坊ができると考えて目も冴えていた。集中力の持久力のある間にしてしまうと夜中にパソコンを打った。
編集局は待っている。土曜日まで仕上げれば土・日のどちらかに出勤して原稿整理して月曜日にレイアウトの作業に入れるだろう。そして私も気が楽になる。
それで少しほっとしてブログがかける。
今日は外が暑そうだ。いよいよ夏の到来なのだろうか。
しかし早い。もう2008年も半年が過ぎた。
この間まで寒いと言っていて桜がさいて春らんまんからすぐに若葉にかわって5月といういい季節は短くて暑い夏が長い。
あと1本の取材メモが出来れば7月のカレンダーの書き込みにネットの会計ノートの整理そして韓国日記を上げていかなければならない。
韓国日記でまた少しでも韓国のことを分かってもらうと嬉しい。
毎回のこと珍道中である。しかし宿泊するホテルはソウル市庁近くのニュー国際ホテルでこのへんの地図は少し分かってきたので宿泊ホテルは変える気はない。交通至便である。そしてホテルの人たちも日本語を使える人も多いので気が楽である。書き物をするのに隣のスターバックスのコーヒーさん屋にいけばいい。ホテルはもう古い。韓日国交正常化してから在日韓国人の1世は故郷と日本と往来した。お金のある人は韓国で事業をした。その1つの事業、ニュー国際ホテルである。1世が築いた経済構築を2世が引継いで事業している。そして韓国で暮らしている。そんな人たちが多い。建物は古いが地下鉄の駅がそばにあり知人が訪ねてくるのも交通に便利である。ホテルの人たちとも少し親しくなってきたので安心している。ただ1つだけ変わった。朝食のバイキングのメニューがかなり少なくなっていた。もう少し研究をして日本食を何品か並べてほしい。低価格の食材だったらヒジキの煮物、千切り大根の煮物、高野豆腐の煮物、しいたけの煮物、鯵の開きや鮭の焼物を置いて下さればいい。在日韓国人が経営者、日本の食材で乾物物なら多少買い込んでも日持ちがする。あとの中の具は韓国で調達すればいいとバイキングで食べるものがない私はそんなことを思った。
韓国に住む在日韓国人の質も変わってきたと先日、ソウルで取材したときに歴代の会長が話してくれた。これはまた本職の新聞で紹介してから韓国日記で書いていくことにしよう。
韓国で暮らしている人たちの話はずいぶんとたくさんの話しを聞くことができた。彼の言った言葉が印象に残っている。
在日韓国人と韓国の本国人とはけっして同じになれない。
絶対に違う同胞であると言った。
それはそうだろうと理解できる。
韓国は分断国家の中で暮らした生活感そして気候、その間の政治から生まれる思考は歴史を積み重ねていく。自分の考えが発言できる自分の国である。
在日韓国人は日本と言う外国、1世らすれは仮の住まいだった。その中で祖国に帰るのか、いや日本に留まるという苦悩の生活史だった。
2世は1世の背中を見て育ち苦悩を見てきた背中は帰化することに1歩踏み出しても2歩後退していた。しかしそこは日本である。外国人と言う法的の枠の中でしか生きられなかった。行動できる範囲で生計を立て子孫を5世、6世まで繋いできた。子どもたちは1部を除いて日本の学校教育を受けて日本社会に歩調を合わして生きてきた。
このへんの違いは韓国人と在日韓国人とは根本的に違う。
また訪韓したときには彼に会って話しをききたい。
わずか2時間ほどの話に韓国で暮らした体験が全部詰まっているとは思えない。
本職の新聞に紹介してから「韓国で暮らして」の男性の暮らした体験を少し書いてみたい。日本に住んでいると知らないことばかりだった。様々な事柄にぶつかりながら生きてこられた半世紀の少しでも紹介してみたい。
そろそろ取材メモを作成しよう。
その後は9時半、テレビ番組の建物探訪が大好きで30分間テレビを見てパソコンの前に座った。
今日は8時まで寝てしまった。
昨日は遅くなった。昨日1日で3本の原稿を作った。後はソウルで取材した在日韓国人本国会の30年の歩を取材したのでこれは今後の資料にもなるのでメモを全部パソコン入力にすることにした。それが1本まだ残っている。
3本を片付けるのに夕べ夜中の2時近くまでかかった。今日は夫が家にいるので朝は寝坊ができると考えて目も冴えていた。集中力の持久力のある間にしてしまうと夜中にパソコンを打った。
編集局は待っている。土曜日まで仕上げれば土・日のどちらかに出勤して原稿整理して月曜日にレイアウトの作業に入れるだろう。そして私も気が楽になる。
それで少しほっとしてブログがかける。
今日は外が暑そうだ。いよいよ夏の到来なのだろうか。
しかし早い。もう2008年も半年が過ぎた。
この間まで寒いと言っていて桜がさいて春らんまんからすぐに若葉にかわって5月といういい季節は短くて暑い夏が長い。
あと1本の取材メモが出来れば7月のカレンダーの書き込みにネットの会計ノートの整理そして韓国日記を上げていかなければならない。
韓国日記でまた少しでも韓国のことを分かってもらうと嬉しい。
毎回のこと珍道中である。しかし宿泊するホテルはソウル市庁近くのニュー国際ホテルでこのへんの地図は少し分かってきたので宿泊ホテルは変える気はない。交通至便である。そしてホテルの人たちも日本語を使える人も多いので気が楽である。書き物をするのに隣のスターバックスのコーヒーさん屋にいけばいい。ホテルはもう古い。韓日国交正常化してから在日韓国人の1世は故郷と日本と往来した。お金のある人は韓国で事業をした。その1つの事業、ニュー国際ホテルである。1世が築いた経済構築を2世が引継いで事業している。そして韓国で暮らしている。そんな人たちが多い。建物は古いが地下鉄の駅がそばにあり知人が訪ねてくるのも交通に便利である。ホテルの人たちとも少し親しくなってきたので安心している。ただ1つだけ変わった。朝食のバイキングのメニューがかなり少なくなっていた。もう少し研究をして日本食を何品か並べてほしい。低価格の食材だったらヒジキの煮物、千切り大根の煮物、高野豆腐の煮物、しいたけの煮物、鯵の開きや鮭の焼物を置いて下さればいい。在日韓国人が経営者、日本の食材で乾物物なら多少買い込んでも日持ちがする。あとの中の具は韓国で調達すればいいとバイキングで食べるものがない私はそんなことを思った。
韓国に住む在日韓国人の質も変わってきたと先日、ソウルで取材したときに歴代の会長が話してくれた。これはまた本職の新聞で紹介してから韓国日記で書いていくことにしよう。
韓国で暮らしている人たちの話はずいぶんとたくさんの話しを聞くことができた。彼の言った言葉が印象に残っている。
在日韓国人と韓国の本国人とはけっして同じになれない。
絶対に違う同胞であると言った。
それはそうだろうと理解できる。
韓国は分断国家の中で暮らした生活感そして気候、その間の政治から生まれる思考は歴史を積み重ねていく。自分の考えが発言できる自分の国である。
在日韓国人は日本と言う外国、1世らすれは仮の住まいだった。その中で祖国に帰るのか、いや日本に留まるという苦悩の生活史だった。
2世は1世の背中を見て育ち苦悩を見てきた背中は帰化することに1歩踏み出しても2歩後退していた。しかしそこは日本である。外国人と言う法的の枠の中でしか生きられなかった。行動できる範囲で生計を立て子孫を5世、6世まで繋いできた。子どもたちは1部を除いて日本の学校教育を受けて日本社会に歩調を合わして生きてきた。
このへんの違いは韓国人と在日韓国人とは根本的に違う。
また訪韓したときには彼に会って話しをききたい。
わずか2時間ほどの話に韓国で暮らした体験が全部詰まっているとは思えない。
本職の新聞に紹介してから「韓国で暮らして」の男性の暮らした体験を少し書いてみたい。日本に住んでいると知らないことばかりだった。様々な事柄にぶつかりながら生きてこられた半世紀の少しでも紹介してみたい。
そろそろ取材メモを作成しよう。
ええこっちゃ。
つれあいがいっていました。巨人がおいあげてくるかもしれないと---。それでも阪神の選手、気を緩めないで勝つために日々練習に精進をお願いします。フアンはあつくもえている。