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鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

現場はいろいろと事情がかわってしまった。

2008-01-29 23:07:12 | 直言!
午後からの現場に無理を言って今日は2カ所の現場を終えた。
雨でバスが遅れてしまう。
いきつけの喫茶店でかなりはしょって新聞を読んだ。
大阪の中崎町に11時に着かないといけない。
9時30分過ぎの電車に乗って上本町にでて中崎町に向かう。大阪韓国人会館での現場を済ませて近くで昼食をとって1時前に布施に向かった。近鉄大阪線が近いが大通りにあって道に迷いないがらそれでもいつも間違うのでタクシーに乗った。インターネットで引っ張り出した地図を持って布施からタクシーに乗った。歩くと20分ほどかかる。
デイ・サービスの現場に入るとまた涙でうるるんとなってしまう。
1世のハルモニたちの世話をしているのは2世そして3世もいる。みんな笑顔で世話をしている。そしてハルモニたちも楽しそうにしている。
写真を撮ったりしているとハルモニが声をかける。
「日本人ですか」と私に聞く。
「私は違います。在日韓国人の2世です」というが最初は「疑い」の目でみられるがしばらくするとハルモニたちにも雰囲気で在日韓国人と分かると「イルムムォッシミニンカ コヒャン オデイヨ(名前は何と言うのですか。故郷はどこですか)―ハルモニたちの聞く故郷は1世の親の出身地である―」と言う。私は「チョンヨンンスンミダというがチヨンの発音が日本語の「ん」になっている。喉のあたりで発音をしないといけないGの発音なの日本語の「ん」はNの発音である。お腹で発音をするが日本語を言語にしているのでGの発音がNになっている。ハルモニは字で書いて下さいという。1世は文字が読めないと思い込んではいけない。ハルモニたちは夜間中学で学んでいるので識字教育を受けている。私が「鄭」と書くとハルモニは上手に「チヨン」の発音をしてくれる。これでもうハルモニたちと仲よくなっていく。
ハルモニたちの顔は優しくなっている。孫みたいな同胞のスタッフが髪をといたりしている。私は心の中で涙がでそうになっている。
そして取材をしてその内容に感動し胸を打たれて今度は本当に涙がでてきた。
ハルモニたちとスタッフ、熱い友情がそこにあった。友情は積み重ねた心の通いがあった。仕事でなかったら声を出して泣きたいくらいだった。
また私は1世から教えられて熱い心をもらってきた。
熱い心の恩返しはスタッフが活き活きする記事を書かなければならない。頑張れる記事を書かなければなにらない。そんな思いに浸っているともう4時10分。
鶴橋から5時の特急に乗りたいからと挨拶もそこそこに外に飛び出していた。なかなかタクシーがつかまらなかったが10分ほど歩くとやっと乗ることができた。鶴橋に着くと4時40分、5時の特急にまにあった。最初は布施から準急をのる予定だったが東花園から各駅になる。そのたびに電車の扉が開くので寒い。風邪をひきそうだ。鶴橋に行った。快速急行はもう乗客でいっぱい。座れない。特急券買ってよかった。お茶と夕刊紙をもって電車にのった。
今日は夫が家にいる。夕食はたらの芽とふきのとうのてんぷらをする予定だったができない。近鉄奈良駅の寿司店で寿司を買って自宅にもどった。夫は夕方から歯医者に行った。その間家事をして風呂に入ると夫が戻ってきた。
今日は2カ所の現場であわただしく過ぎていった。
けれど1世のハルモニたちと久しぶりにあって前にお会いしたときよりまた穏やかになってスタッフたちを見守っているその優しい目にふれた。
記事にプレッシャーがかかる。
かかるけれどハルモニたちにも喜んでもらえるものを書かないといけない。
1世の話を聞くことが2世、3世、4世の宝物である。1人でも多く1世の人の話しを聞きとめなければならない。
そうなるとスタッフの熱い心も5年10年立ったときにものすごい財産になっている。スタッフが積み重ねの歴史を作っていることを痛感した。
明日から3日間自宅、がんばって記事をしあげなければならない。

そうそう私の父親は1998年4月の連休に入ったときになくなった。76歳でなくなった。亡くなってもう9年もたってしまった。早い。父親は女の子が嫌いと言っていたので父親の思い出はいいことはないのに影響をものすごくうけたとこのごろ年をとってきてそう思う。
それこそ父親のほうが日本語を話しても訛りがなかった。顔も品のある顔で韓国語を話さなかったら誰も韓国人と思わなかっただろう。父親だけでなく父親の弟たちもみんな品のあるいい顔していた。みんな男前の叔父である。男前というと連れ合いの嫁さん、叔母たちに男前で食べていけないと言われそうだ。祖母も父の姉も品格のある人だった。祖父は私の高校1年のときに亡くなっているが威厳のある怖い人ということしか残っていない。
しかし若いときはそれなりにまわりに女の人がいて祖母は相当苦労した。若いときはそれなりにハンサムだったのだろうか。
今も実家に行くと祖父、祖母、父親、母親の写真が並んでいるが母親を除いて皆似ている。祖父と父親は年をとったときの顔の写真、そっくりである。血が流れていることわかる。
ふと今日は1世を見て親のことを思い出した。


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