鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

8月18日、いつものように朝6時に起きた。

2008-08-18 09:06:38 | 直言!
うれしい。ふと生きた心地がする。
暑かった夏、1ミリ、1センチと遠ざかり1ミリ、1センチと秋が近づいてくる。
また急いで衣替えをしないといけない。
空は太陽が出ていないので少し涼しい。
太陽がぎらぎらと昇りだすと暑いが今日はまだ昇っていない。
曇り空である。ひょっとしたら雨が降るのかな。
今日は大阪の現場に行かないといけない。
9時半になれば身支度をしないといけない。
また今日も電車の中でいろんな人をみるだろうな。
世の中、いいこともあるがそれが珍しくなった世の中がおかしい。
先日は市内循環のバスの中で60歳半ばの小奇麗にしている女性が1番後ろの座席でおにぎりを食べていた。
注意してもやめなかった。
こんなことってあるのかしらと私は注意しながらも悲しかった。
周りは皆見て見ぬふりをしている。
注意をする私がバカなのかと考えてしまう。
いい大人がバスの中で飲食をしている光景が日本社会である。

これに対してしょうもない反論のコメントをする人がいる。
これにまた嘆かわしい日本社会にうんざりしてしまう。
こんな社会に誰がしたのか。私もその1人なのだろうか。

昨日のテレビでは亡くなった阿久悠さんを偲んで作詞された歌が4時間にわたって放映された。私は早く寝ようと考えて8時から篤姫をみた。そして何気なしにチャンネルをまわすと阿久悠の歌の番組をしていた。
作詞を通して何を感じたのか。
「詩」を通してその時の時代を写す言葉を引っ張りだしていた。
「あいまい」「グローバーリ」などいくつかあげていたが記憶しているのはこれだけ。インベーダーゲームというコンピューターゲームが町に出始めた。
そして原稿を書く作業もワープロに変わっていく。パソコンが出始めたがまだ使っている人は一握りだった。
インスタントカメラがでただけでも画期的だった。
時代はやがて日本国内から世界に向けていく。企業は世界に発信して出て行った。パソコンで原稿をつくりバソコンで写真を送信する時代になった。
コンピューターは世界と繋いでいる。
これが「世界規模化」と言われている。
国境のない時代、グローバル化と声高く叫び始めた。
1990年代に入るとその声はいっそう強くなった。
社会主義計画経済より資本主義自由経済が経済構築に成功した。
この中心となっているのがアメリカ、日本のどの町に行ってもマクノナルドやスターバックスなどアメリカ資本の飲食業界がお見かけするようになった。
そして地域の市場や地域の住民構築が破壊されていった。アイデンテイテイのない町、そしてこの時代から多文化・多民族共生という言葉も使われだした。
要するにアイデンテイテイがなくなった。これをグローバル社会と言った。
しかし在日コリアンにとってはそう対して改善されたわけでもなかった。
日本政府は外国資本の企業は受け入れた。そして国際化と提唱した。
そして日本人の間から「内なる国際化」といわれるようになったが在日コリアンの諸問題は何も解決されないまま20世紀から21世紀に入った。
未だに高齢者の無年金訴訟をしている。
年金加入ができなくて掛け金の出来なかった在日コリアンの無年金。沖縄返還時にされた年金がかけられなかった時期の沖縄県民、空年金を国が補償して「経過措置」をとって救済した。しかるに中国残留孤児そして北朝鮮から帰国した拉致被害者らも「経過措置」で救済した。
掛け金をかけられなかったのは日本政府の責任、国籍条項をしたのは日本政府の責任、在日コリアンを切り捨てていく根底の日本政府のおぞましい策略が見え隠れする。在日コリアンの障害者に対してもそうである。
そして日本政府の統計、生活保護受給者の第1位に在日コリアンを上げている。
高齢者の無年金という実態をしらない日本人はまた在日コリアンを蔑視の目で見る材料の1つにしている。
日本はグローバル化といいながら国内の在日コリアンの問題は放置したままである。地方参政権問題でも声高く上げて反対する人がいる。
一生懸命にがんばって地方参政権付与の運動を展開しても目の前に来ていた地方参政権付与も自民党が廃案にしてしまった。
自民党の中にも理解を示す人もいるが戦前、内閣府で勤務した自民党の一部国会議員の反対はもう暴力的で暴言を吐いてまで反対した。
これでよく「内なる国際化」というのだろうか。
参政権付与に日本人は日本人帰化を要求するが帰化の問題と地方賛成付与とまた違う見解の問題である。日本が朝鮮半島を支配した歴史の裏幕を知っている人が反対しているように思えてならない。
そしてもう1つは朝鮮半島を日本植民地化した歴史を知らない人も反対をしている。日本はそのときそのときご都合主義の国づくりをしてきた施策が見え隠れする。
そんな思いが走った昨日の阿久悠さんの歌に込められた言葉からそんなことを考えていた。

そしてあいまいで何も見えない。地域社会の柱も人間も見えない。思い思いに生きはじめた日本人の生活が現在行われている電車の中の化粧や飲食につながっているのだろう。自己中心に世界をまわっているとカン違いしている年輩者が多くなった。

このころ私は雑誌記者をして在日韓国人の記者をしていた。40代、私の1番輝いていた。このときは周りの知人から「目がキラキラして輝いている」とよく言われた。私にも「顔に華があった」対した化粧しなくてもイキイキと輝いていた。スタイルもよかったし1番輝いていた時代だった。
こんなことも懐かしく思い出していた。
しかし年は毎年確実に重ねていく。
人に対する気持が優しくなっていくことに比例して私の顔は少しずつキラキラした「華」がなくなっていった。しかしこれは年相応の顔になったと思っている。
今40代みたいな顔をしているとわがまま丸出しの自己中心でまわりから嫌われているだろう。
しかし50歳を過ぎると、ます家族の健康に留意し仕事仲間の若い人たちに気配りをしていく積み重ねで私の顔は穏やかなかぼちゃの花になった。
もう亡くなられたが、韓国の元文部長官は私に言った。
男みたいに仕事をしていた私に「女だったのか。花だったのか。まあ。かぼちとゃの花でも花」と冗談で私に話したことはあった。
不細工な器量に例えて私に言ったのだろう。それこそ今は冗談でなくかぼちゃの花である。
穏やかに生きている私の人生である。
華の顔、水泳競技で金メダルを取った北島選手の顔、輝いている。華の顔である。レスリングも親子でほえていた女子選手、しかし北京オリンピックで銅メダルを取った浜口選手の顔が前のオリンピックと違っていい顔になっていた。
顔が華になって輝いていた。このことを「華」という。
どの選手たちも一回りも二回りも大きく成長して周りの人に気配りをしている言葉に顔が華になっていた。
マラソンの野口選手の顔に華がないのがこんなことを思ってしまう。回りの人たちは私に言いたいことがあるだろうが私は見たまま感じたまま話している。
若い時代のエネルギーと思いやりがその人の人格を作っていく。
そしてほとばしる美顔を作っている。

阿久悠さんは今生きておられたらどんな歌を作っただろうか。
北京オリンピックで活躍する選手たちの顔に重なった。

「あいまい」な日本、言葉だけの「グローバール」形だけの見せ掛けだけの国際化した日本が今日も明けて行く。
やっと太陽が雲の間から見え出した。
昼間は暑くなるかもしれないな。




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