今日は病院行きでした。
病院には9時過ぎについて2番の受付だったので診察が9時20分に終わった。
薬局によって薬を貰って市内循環バス乗り場に行く。
バス乗り場に行くと中循環バスがタイミングよく来た。
近鉄奈良駅に着くと9時45分、昨日、玄関の鍵を新しく取り替えた。
また物入りになって私の財布も心細い。少し何がしを引き出していつもの喫茶店に行くと10時過ぎです。
今日、病院で以前、喫茶店でよくお会いしていた高齢者の男性にあった。
1年ほどお会いしていなかったらどこでみたのか忘れている。
高齢者の男性は「喫茶店や」というので思い出した。
「元気かなと思っていたが元気でよかった」と話した。
「今も毎日、喫茶店にいっているが近鉄奈良駅の角の○○の喫茶店にいってる」と話す。私の行きつけの喫茶店からほんそばの店です。
1年ほど前から私のいきつけの喫茶店からここの喫茶店に多くの顧客が流れていった。ほんの何日間、私のいきつけの喫茶店のコーヒー代が値上げされて少しでも安い喫茶店と流れていった。
そして私のいきつけの喫茶店もまた元のコーヒー代に戻された。
それでも顧客は流れたままになった。
そしてもう1つの理由もある。
喧しい会話をする人は決まっている。いつも3・4人で我が物の喫茶店のようにして話している顧客、昔からこの近くで食べ物の商いをしている人だがこの地域のボス的な存在の女性、誰とも話している。
話した内容を他の人に話している。そんな光景を見てしまった人は角の喫茶店に流れていった。
私の行く喫茶店の経営者もこのボス的に高齢者の女性とは昔からの隣近所の付き合いなので普通に顧客として迎え入れている。けれど利用する顧客はだんだんそれが分かってきて4・5人だけこの人と話している。私も含めて他の人のほとんどは挨拶をしても他のことは話さないようにしている。
しゃべりだしたら話がとまらない。
私は時間のない生活をしているのでそんなことに時間を使うことができない。
その空気を読んでもらえなくて私が「何時にここを出ます」といっているのに隣に座られるとのべつ無く話していて新聞を読むことができなくて喫茶店を出たことがある。
それからこの高齢者の女性の近くには座らないようにしている。
私はいつも忙しくしていて新聞を読むことが楽しみでコーヒー飲んで自分の至福の時間を楽しんでいる。
私がおしゃべりをするのは私の知人や女友達と決まった人だけである。
それがこの高齢者の婦人はだれかれにと話している。
観光で来られた人にも話している。
そしていつも利用している顧客の1人が昨日は大変だったと----。
私の側によってきて座られた。
「もう昨日は喧しくてはた迷惑でした。声のトーンは大きい。高齢者3人が一緒に話すのでもう喧しくて大変でした」と----。
3人が一緒になってはなしているのでもうやかましい。やかましい。
それで知らん顔してコーヒーを飲んですぐに喫茶店を出たという。
彼女はまた話す。
「みんな寂しくてだれかれと話しかけてストレス解消しているのはいいがその場の空気を読んで喫茶店も大衆の公共の場所と知ってもらいたいものです」と。
彼女は昨日の様子を私に話して「すっとした」と話していた。
私は昨日、夫が家にいて鍵を取り替える人が来たのでバタバタしていたと話した。「昨日の光景を見てほしかった」と話していたがそれほどひどかったのかと---。
12時半に喫茶店を出てコンタクトレンズセンターに寄って洗浄液の購入をしてパン屋に行きパンを買ってバス乗り場に行く。
停まっていた市内循環バスを乗るとバスはいっぱい。正倉院展の開催されているのでここを見学した人たちです。
JR奈良駅で大勢が下車した。大阪方面に帰られるのだろう。
10月27日~11月12日まで開催されている。
雑誌記者時代は奈良県のことを取材していて当時は独立採算的な経営でなく編集局にも何枚か招待券を頂くことができて私も当時は何度か見学していた。
またプレスで事前に見学もできてそんな混んでいない中で見学していた。
そして職場が変わって自分で入場券を購入して1度、会場に入ったが人の頭、頭、押せ押せの見学でいくつか見てまわって疲労感がでてきた。
その後はゆっくりと見学しないで足早に展示会場を出た。
それから正倉院展の開催が大嫌いになった。
あんな大勢の人たち、ろくにもゆっくりと見られない。
人の頭と遠くから文物をみて出て行く。
何のための展示会、1年に1回、たいそうに開催される正倉院展に地元の者は不満を抱えているが一時の辛抱と思って我慢している。
夫はいう。
「正倉院展のよさも何も歴史を知らないで旅行会社のツアーで参加して、人の頭を見て正倉院展に行って来たと家に帰って自慢している」と----。
こんな現実にうんざりする正倉院展のあり方に不満を持っている地元の者です。
地元の人はよほど関心がないとほとんどの人はまたこんどいつか見られると思って行かないのと、混雑する会場にうんざりして行かない。私は混雑する会場に辟易して行かないのです。
正倉院展示を見て渡来人がもたらして宝物と分かれば日本に住んでいる在日コリアンにも理解を示してもらいたいものだ。
正倉院展を見ても在日コリアンにまったく理解を示さない人もいる。
こんな有様に日本の学校教育のあり方にも課題が多いと正倉院展の開催のたびに思ってしまう。
自宅に戻ると1時過ぎです。
今日は膝に注射しているので風呂に入れない。
顔を洗って足を拭いていく。
他の雑用していると2時過ぎです。
明日も外出です。今日はこのへんで。
病院には9時過ぎについて2番の受付だったので診察が9時20分に終わった。
薬局によって薬を貰って市内循環バス乗り場に行く。
バス乗り場に行くと中循環バスがタイミングよく来た。
近鉄奈良駅に着くと9時45分、昨日、玄関の鍵を新しく取り替えた。
また物入りになって私の財布も心細い。少し何がしを引き出していつもの喫茶店に行くと10時過ぎです。
今日、病院で以前、喫茶店でよくお会いしていた高齢者の男性にあった。
1年ほどお会いしていなかったらどこでみたのか忘れている。
高齢者の男性は「喫茶店や」というので思い出した。
「元気かなと思っていたが元気でよかった」と話した。
「今も毎日、喫茶店にいっているが近鉄奈良駅の角の○○の喫茶店にいってる」と話す。私の行きつけの喫茶店からほんそばの店です。
1年ほど前から私のいきつけの喫茶店からここの喫茶店に多くの顧客が流れていった。ほんの何日間、私のいきつけの喫茶店のコーヒー代が値上げされて少しでも安い喫茶店と流れていった。
そして私のいきつけの喫茶店もまた元のコーヒー代に戻された。
それでも顧客は流れたままになった。
そしてもう1つの理由もある。
喧しい会話をする人は決まっている。いつも3・4人で我が物の喫茶店のようにして話している顧客、昔からこの近くで食べ物の商いをしている人だがこの地域のボス的な存在の女性、誰とも話している。
話した内容を他の人に話している。そんな光景を見てしまった人は角の喫茶店に流れていった。
私の行く喫茶店の経営者もこのボス的に高齢者の女性とは昔からの隣近所の付き合いなので普通に顧客として迎え入れている。けれど利用する顧客はだんだんそれが分かってきて4・5人だけこの人と話している。私も含めて他の人のほとんどは挨拶をしても他のことは話さないようにしている。
しゃべりだしたら話がとまらない。
私は時間のない生活をしているのでそんなことに時間を使うことができない。
その空気を読んでもらえなくて私が「何時にここを出ます」といっているのに隣に座られるとのべつ無く話していて新聞を読むことができなくて喫茶店を出たことがある。
それからこの高齢者の女性の近くには座らないようにしている。
私はいつも忙しくしていて新聞を読むことが楽しみでコーヒー飲んで自分の至福の時間を楽しんでいる。
私がおしゃべりをするのは私の知人や女友達と決まった人だけである。
それがこの高齢者の婦人はだれかれにと話している。
観光で来られた人にも話している。
そしていつも利用している顧客の1人が昨日は大変だったと----。
私の側によってきて座られた。
「もう昨日は喧しくてはた迷惑でした。声のトーンは大きい。高齢者3人が一緒に話すのでもう喧しくて大変でした」と----。
3人が一緒になってはなしているのでもうやかましい。やかましい。
それで知らん顔してコーヒーを飲んですぐに喫茶店を出たという。
彼女はまた話す。
「みんな寂しくてだれかれと話しかけてストレス解消しているのはいいがその場の空気を読んで喫茶店も大衆の公共の場所と知ってもらいたいものです」と。
彼女は昨日の様子を私に話して「すっとした」と話していた。
私は昨日、夫が家にいて鍵を取り替える人が来たのでバタバタしていたと話した。「昨日の光景を見てほしかった」と話していたがそれほどひどかったのかと---。
12時半に喫茶店を出てコンタクトレンズセンターに寄って洗浄液の購入をしてパン屋に行きパンを買ってバス乗り場に行く。
停まっていた市内循環バスを乗るとバスはいっぱい。正倉院展の開催されているのでここを見学した人たちです。
JR奈良駅で大勢が下車した。大阪方面に帰られるのだろう。
10月27日~11月12日まで開催されている。
雑誌記者時代は奈良県のことを取材していて当時は独立採算的な経営でなく編集局にも何枚か招待券を頂くことができて私も当時は何度か見学していた。
またプレスで事前に見学もできてそんな混んでいない中で見学していた。
そして職場が変わって自分で入場券を購入して1度、会場に入ったが人の頭、頭、押せ押せの見学でいくつか見てまわって疲労感がでてきた。
その後はゆっくりと見学しないで足早に展示会場を出た。
それから正倉院展の開催が大嫌いになった。
あんな大勢の人たち、ろくにもゆっくりと見られない。
人の頭と遠くから文物をみて出て行く。
何のための展示会、1年に1回、たいそうに開催される正倉院展に地元の者は不満を抱えているが一時の辛抱と思って我慢している。
夫はいう。
「正倉院展のよさも何も歴史を知らないで旅行会社のツアーで参加して、人の頭を見て正倉院展に行って来たと家に帰って自慢している」と----。
こんな現実にうんざりする正倉院展のあり方に不満を持っている地元の者です。
地元の人はよほど関心がないとほとんどの人はまたこんどいつか見られると思って行かないのと、混雑する会場にうんざりして行かない。私は混雑する会場に辟易して行かないのです。
正倉院展示を見て渡来人がもたらして宝物と分かれば日本に住んでいる在日コリアンにも理解を示してもらいたいものだ。
正倉院展を見ても在日コリアンにまったく理解を示さない人もいる。
こんな有様に日本の学校教育のあり方にも課題が多いと正倉院展の開催のたびに思ってしまう。
自宅に戻ると1時過ぎです。
今日は膝に注射しているので風呂に入れない。
顔を洗って足を拭いていく。
他の雑用していると2時過ぎです。
明日も外出です。今日はこのへんで。
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