それからが急いで家事をしていく。
洗濯を干して夫と私の朝食の準備をしていく。
時計は8時半過ぎた。
後片付けをして急いで洗面所に入っての身支度、それから化粧をしていく。
時計は9時40分、夫の車で今日の「雑記帳の集い」の30周年の会場、春日野荘に向かった。
着くと9時47分、10時からだがもう受け付けは始まっていた。
久しぶりに多くの人と会った。
37人の出席。
総会と記念講演会は午前中、午後からは食事を囲みながら自己紹介をしていく。
私は「30周年おめでとうございます。皆さんの努力で30年を迎えて感謝しています」と言って終るつもりだったがつい余計なことを言ってしまった。
「雑記帳30周年はおめでとうございます。奈良新聞のバックがあってここまで会は続けることができました。最初の5年間はカネサダの通名でしたが縁があって韓国系の新聞社に行き本名、鄭容順(チョンヨンスン)を使っています。時には本名で疲れることもあります。
月刊奈良にいた時に清水公照さんに会いました(東大寺の長老、『雑記帳の集い』の文字を書いてもらって表装にして総会に飾っている)。通名の名刺に清水公照さんは『韓国人みたいな苗字やな』と言われて私は『はい。そうです』と言いました。そして巻頭絵や原稿を書いてもらうのに頼みに行きました。月刊奈良はお金がなかったので原稿料はなくただで書いてもらうことでした。そしたら清水公照さんは『広芝(当時の奈良新聞の社長)が先か、わしが先か、よっしゃ。わかった』と言う言葉を言われたことを掛け軸の文字を見ながら思い出していました。30年、皆さんの努力に感謝をしています」と話した。
自分のことは何もいわないつもりだったがつい話してしまった。
3時5分前に会合は終った。
昔は私が役員をしていて後片付けもして最後まで残ったがもうそんなことする必要がない。
私が会長をしていたときに集いに入会して下さった人たちとおわかれの挨拶をした。会場を出ようとしたときに声をかけて下さったのが初めてお会いする人だったが雑記帳の投稿にこの方は在日同胞と思っていた。そしたら会社名の入った封筒を出された。代表の名前にやはり在日とは思ったが在日ですかというのも最初は遠慮してしまう。もし日本国籍に変えておられたらと思う。
日本国籍に切り替えると国籍を隠してきた人はルーツを隠して「日本人です」という人もいる。そんなことにも何度も出会ってきた。
今日お会いして遠慮がちに「日本人ですか」と声をかけると「在日です」とはっきりと言って下さった。思わず話が弾む。初めてお会いしたのに話が弾む。
また手紙を書きますと言った。
そして私は会場を出た。目の前のバス乗り場で座って待った。バスは3時9分、7分ほど待つとバスが来た。
集いに参加していた3人も一緒にバスに乗った。
近鉄奈良駅で皆と分かれた。
私は行きつけの喫茶店に行って新聞2紙を急いで読んだ。
喫茶店を出たのは4時10分過ぎ、バス乗り場に行くと中循環バスが運良く来た。自宅に戻ると4時25分。
夫は私を春日野荘に送ってから大河原にセリを取りに行ったらしい。
セリがあっ自宅近くのスーパーで刺身を買ってくるように頼んだ。
シャワーを浴びてセリをさっと湯がいた。
これを絞って切って皿に盛りつけた。
夫は天然物のハマチの刺身を買ってきた。
これを切って皿に盛りつけた。
夫はこれを韓国風の酢味噌で食べる。
鯉の洗いの食べ方、韓国や在日コリアンの食べ方である。
私は韓国風の酢味噌を食べるとまた胃腸を壊すのでセリはポン酢をつけて食べて刺身はわさび醤油で食べた。
卵4個でオムレツを作った。
ちりめんじゃこと獅子唐を炒めたものがある。これで夕食にした。
今日も1日が過ぎていく。
7時半から見たいテレビがあるので今日はこのへんで。
写真は春日野荘のレデイスコースの食べ物、4000円です。最初、テーブルに並べられたものを撮影した。(5月30日、午後12時半ごろ撮影)
春日野荘のホームページに掲載されていました。
ホームページと一緒にみてまた参考にして下さい。
洗濯を干して夫と私の朝食の準備をしていく。
時計は8時半過ぎた。
後片付けをして急いで洗面所に入っての身支度、それから化粧をしていく。
時計は9時40分、夫の車で今日の「雑記帳の集い」の30周年の会場、春日野荘に向かった。
着くと9時47分、10時からだがもう受け付けは始まっていた。
久しぶりに多くの人と会った。
37人の出席。
総会と記念講演会は午前中、午後からは食事を囲みながら自己紹介をしていく。
私は「30周年おめでとうございます。皆さんの努力で30年を迎えて感謝しています」と言って終るつもりだったがつい余計なことを言ってしまった。
「雑記帳30周年はおめでとうございます。奈良新聞のバックがあってここまで会は続けることができました。最初の5年間はカネサダの通名でしたが縁があって韓国系の新聞社に行き本名、鄭容順(チョンヨンスン)を使っています。時には本名で疲れることもあります。
月刊奈良にいた時に清水公照さんに会いました(東大寺の長老、『雑記帳の集い』の文字を書いてもらって表装にして総会に飾っている)。通名の名刺に清水公照さんは『韓国人みたいな苗字やな』と言われて私は『はい。そうです』と言いました。そして巻頭絵や原稿を書いてもらうのに頼みに行きました。月刊奈良はお金がなかったので原稿料はなくただで書いてもらうことでした。そしたら清水公照さんは『広芝(当時の奈良新聞の社長)が先か、わしが先か、よっしゃ。わかった』と言う言葉を言われたことを掛け軸の文字を見ながら思い出していました。30年、皆さんの努力に感謝をしています」と話した。
自分のことは何もいわないつもりだったがつい話してしまった。
3時5分前に会合は終った。
昔は私が役員をしていて後片付けもして最後まで残ったがもうそんなことする必要がない。
私が会長をしていたときに集いに入会して下さった人たちとおわかれの挨拶をした。会場を出ようとしたときに声をかけて下さったのが初めてお会いする人だったが雑記帳の投稿にこの方は在日同胞と思っていた。そしたら会社名の入った封筒を出された。代表の名前にやはり在日とは思ったが在日ですかというのも最初は遠慮してしまう。もし日本国籍に変えておられたらと思う。
日本国籍に切り替えると国籍を隠してきた人はルーツを隠して「日本人です」という人もいる。そんなことにも何度も出会ってきた。
今日お会いして遠慮がちに「日本人ですか」と声をかけると「在日です」とはっきりと言って下さった。思わず話が弾む。初めてお会いしたのに話が弾む。
また手紙を書きますと言った。
そして私は会場を出た。目の前のバス乗り場で座って待った。バスは3時9分、7分ほど待つとバスが来た。
集いに参加していた3人も一緒にバスに乗った。
近鉄奈良駅で皆と分かれた。
私は行きつけの喫茶店に行って新聞2紙を急いで読んだ。
喫茶店を出たのは4時10分過ぎ、バス乗り場に行くと中循環バスが運良く来た。自宅に戻ると4時25分。
夫は私を春日野荘に送ってから大河原にセリを取りに行ったらしい。
セリがあっ自宅近くのスーパーで刺身を買ってくるように頼んだ。
シャワーを浴びてセリをさっと湯がいた。
これを絞って切って皿に盛りつけた。
夫は天然物のハマチの刺身を買ってきた。
これを切って皿に盛りつけた。
夫はこれを韓国風の酢味噌で食べる。
鯉の洗いの食べ方、韓国や在日コリアンの食べ方である。
私は韓国風の酢味噌を食べるとまた胃腸を壊すのでセリはポン酢をつけて食べて刺身はわさび醤油で食べた。
卵4個でオムレツを作った。
ちりめんじゃこと獅子唐を炒めたものがある。これで夕食にした。
今日も1日が過ぎていく。
7時半から見たいテレビがあるので今日はこのへんで。
写真は春日野荘のレデイスコースの食べ物、4000円です。最初、テーブルに並べられたものを撮影した。(5月30日、午後12時半ごろ撮影)
春日野荘のホームページに掲載されていました。
ホームページと一緒にみてまた参考にして下さい。
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