この間からある女性からよく携帯電話に入る。
今日は間違ってかけたという。
深く考えないことにしよう。
今日は外出の支度が少し遅くなった。あわてて身支度して家を出たのが10時50分、近鉄奈良駅に着いた。
行きつけの喫茶店で新聞はざっと読んだ。30分のつもりが隣の人が話してきた。
それでも急ぐふりをして「そうですね」と言っていた。
たまたま携帯についているストラップが同じだった。
私は神戸元町で韓国レストランをしているママからもらった。
声をかけてきた人は誰にもらったか忘れたけれどついていると話した。
そしてまた話をしてきた。
「私○○病ですねん」という。心の中ではびっくりして引いてしまったが逃げるわけにはいかない。話を聞いた。
顔を見ていると在日コリアンの感じがする。
だいたい直感で近年は見抜いてしまう。
そして私は「在日の2世です」と言えばどう反応するのかと思って言ってみた。案の定、顔の表情が少し変わった。
そして私は言った。
「友だちに在日の人がおられたら話して下さい。在日は日本の歴史が作ったものですから決して国籍を隠さないで卑下しないで生きて下さい。私は父親に子どものころからそう言われて育ちました」と言ったら「そうですね」とはっきりと言った口調で同調された。
そして私はもう1度言った。
「日本人ですか」
彼女は一瞬黙ったが「首を横に振った」そして私はもう1度「在日ですか」と聞くと「首を縦に振った」そして近くににじり寄ってきて「実はずっと隠してきました。そして帰化しました」と言って身の上話を少しされた。
彼女は話す。
「私は日本人の家で育ちました。母親も父親も在日でしたが私は母親の顔はしりません。父親は南(韓国)の人ですが北に帰りました。父親は亡くなりましたが父親の葬式のことは何もしりません。私は何かも今も隠しています。琴と三味線を教えています。日本人と結婚しましたが離婚しましたので子どもはいません」
それで11時40分に喫茶店からでるつもりが50分になった。
近鉄奈良駅から電車を乗ったのが12時過ぎだった。
中ノ島には1時に着かない。1時半になると考えて待ち合わせをしていた人に先に行ってもらった。
なんとか1時20分に着いた。
しかし会場の雰囲気を見てすぐにでようと出ようと考えていた。
一緒に来た人も挨拶が終わって少しだけ立食の料理をかき込むと「帰ろう」と言ってくれたのでよかった。
天満橋に出て喫茶店でコーヒー飲んで地下鉄天満橋駅で分かれた。
谷町9丁目にでて千日前線で難波にでた。4時である。まず4時35分の特急券を買って地上にあがって銀行の用事を済ませた。
難波駅の改札に入ってトイレに入ると並んでいる。4時13分である。しようがない。地下鉄四ツ橋線近くのトイレに行って構内の本屋に入って本を見た。また2冊買ってしまった。
1冊は今さらジローではないが今さら文章作成本を買った。
なんか心に染みることがあったので手にとって買っていた。
もう1冊は11月の初めに発刊された著書を1冊買った。
それでもまだ時計は4時20分、しばらくベンチに座って4時27分にホームに降りた。
特急に乗って鶴橋に来るとあたりはもう真っ暗、時計はまだ4時40分なのに夜遅くなったような気がする。
買物も何もしないでバス停に行くと中循環バスが来ていた。駆け込んで乗った。自宅に戻ると5時20分、風呂に湯をはりながら洗濯を取り入れて急いで風呂に入った。湯を入れながらの入浴、出ると夕食の支度をしてパソコンを開けたのが6時10分、慌しい1日が過ぎていく。
今日、見ず知らずの人が在日コリアンと話した人がいたと話したら夫から言われた。「あんまり相手にしたらあかん。詐欺師かもしれへんから気をつけや」と言う。
そうかな。そうかもしれないな。
いや違うかな。しかし在日コリアンに見えたのは私の何か直感の意味があったのだろうか。
今日はマカ不思議な人にあった。
今日は間違ってかけたという。
深く考えないことにしよう。
今日は外出の支度が少し遅くなった。あわてて身支度して家を出たのが10時50分、近鉄奈良駅に着いた。
行きつけの喫茶店で新聞はざっと読んだ。30分のつもりが隣の人が話してきた。
それでも急ぐふりをして「そうですね」と言っていた。
たまたま携帯についているストラップが同じだった。
私は神戸元町で韓国レストランをしているママからもらった。
声をかけてきた人は誰にもらったか忘れたけれどついていると話した。
そしてまた話をしてきた。
「私○○病ですねん」という。心の中ではびっくりして引いてしまったが逃げるわけにはいかない。話を聞いた。
顔を見ていると在日コリアンの感じがする。
だいたい直感で近年は見抜いてしまう。
そして私は「在日の2世です」と言えばどう反応するのかと思って言ってみた。案の定、顔の表情が少し変わった。
そして私は言った。
「友だちに在日の人がおられたら話して下さい。在日は日本の歴史が作ったものですから決して国籍を隠さないで卑下しないで生きて下さい。私は父親に子どものころからそう言われて育ちました」と言ったら「そうですね」とはっきりと言った口調で同調された。
そして私はもう1度言った。
「日本人ですか」
彼女は一瞬黙ったが「首を横に振った」そして私はもう1度「在日ですか」と聞くと「首を縦に振った」そして近くににじり寄ってきて「実はずっと隠してきました。そして帰化しました」と言って身の上話を少しされた。
彼女は話す。
「私は日本人の家で育ちました。母親も父親も在日でしたが私は母親の顔はしりません。父親は南(韓国)の人ですが北に帰りました。父親は亡くなりましたが父親の葬式のことは何もしりません。私は何かも今も隠しています。琴と三味線を教えています。日本人と結婚しましたが離婚しましたので子どもはいません」
それで11時40分に喫茶店からでるつもりが50分になった。
近鉄奈良駅から電車を乗ったのが12時過ぎだった。
中ノ島には1時に着かない。1時半になると考えて待ち合わせをしていた人に先に行ってもらった。
なんとか1時20分に着いた。
しかし会場の雰囲気を見てすぐにでようと出ようと考えていた。
一緒に来た人も挨拶が終わって少しだけ立食の料理をかき込むと「帰ろう」と言ってくれたのでよかった。
天満橋に出て喫茶店でコーヒー飲んで地下鉄天満橋駅で分かれた。
谷町9丁目にでて千日前線で難波にでた。4時である。まず4時35分の特急券を買って地上にあがって銀行の用事を済ませた。
難波駅の改札に入ってトイレに入ると並んでいる。4時13分である。しようがない。地下鉄四ツ橋線近くのトイレに行って構内の本屋に入って本を見た。また2冊買ってしまった。
1冊は今さらジローではないが今さら文章作成本を買った。
なんか心に染みることがあったので手にとって買っていた。
もう1冊は11月の初めに発刊された著書を1冊買った。
それでもまだ時計は4時20分、しばらくベンチに座って4時27分にホームに降りた。
特急に乗って鶴橋に来るとあたりはもう真っ暗、時計はまだ4時40分なのに夜遅くなったような気がする。
買物も何もしないでバス停に行くと中循環バスが来ていた。駆け込んで乗った。自宅に戻ると5時20分、風呂に湯をはりながら洗濯を取り入れて急いで風呂に入った。湯を入れながらの入浴、出ると夕食の支度をしてパソコンを開けたのが6時10分、慌しい1日が過ぎていく。
今日、見ず知らずの人が在日コリアンと話した人がいたと話したら夫から言われた。「あんまり相手にしたらあかん。詐欺師かもしれへんから気をつけや」と言う。
そうかな。そうかもしれないな。
いや違うかな。しかし在日コリアンに見えたのは私の何か直感の意味があったのだろうか。
今日はマカ不思議な人にあった。
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