このときは忙しい現場の掛け持ちだった。
朝からは民族学校金剛学園の「民俗の日」でソルナル(旧正月)の取材だった。
これは11時半ごろ終わった。一緒だった在日韓国人の他社の新聞記者、若い人で勤務して1年になるが彼とは1度も昼食をしたことがなかった。
私もかつては年輩の人に昼食のご相伴になった。
今は若い人との食事は私が御馳走するようにしている。
そういえば彼とはしたことがなかった。今日は誘っても断らないような雰囲気だったので思い切って誘った。
そしてコーヒーをのんでたわいもない世間話をしたがこれも若い在日韓国人の記者は何かの励みになればと願いまた私も若い人のエネルギーをもらった。
地下鉄で難波から新大阪まででて新幹線で京都に出た。ソルナルのことを忘れていて21日の日程をとったことでしかたなく掛け持ちで新幹線の利用になった。
京都精華大学につくと彼は玄関前で待っていた。
「これから行きます」とタクシーの中から携帯で電話連絡、地下鉄京都駅から国際会館までけっこう時間がかかった。タクシーに乗ったのが2時、京都精華大学で2時なのに少し遅れた。
韓国の青年は礼儀正しい。
私のタクシーが玄関に近づくとさっとベンチの荷物を片付けて私がタクシーを降りるのを待った。
日本の若者と何も変わらないのに仕草は韓国の青年である。年をとった私をいたわるようにする。
喫茶店はなくて校舎のサロンのようなところで話しをした。2時間近くになると体が底冷えしてきた。それでも彼は何も言わないで私のインタビューに答えてくれた。
このところは現代の日本の若者とは何もかわらない。
日本に来て日本語で苦労した話しをするが流暢な日本語は小説や漫画で勉強したとという。しかし何気なしに話す韓国語はソウルの言葉である。
そして改めて彼が韓国人だということを認識した。
彼の言葉に実感がこもっていた。
28歳まで兵役につかなければならない。今22歳だから後何年もないのです。
兵役を済ませないと将来は自分の漫画を世に送り出したいが日本なのか韓国なのか、兵役を終えてから考えることにする。それまで僕は時間がない。無駄なことができないので日本で漫画をたくさん学んで韓国に帰国して兵役に尽きたい」と言う。
この言葉に韓国の若者たちの現実を見せつけられた。
日本にいる在日韓国人は韓国の現地で生まれていない。その子どもが日本にきた出世すると在日韓国人になるというので兵役がない。しかしこれもいろいろあった。在日韓国人の母親から生まれて在日韓国人としてのなんらかの手続きをして韓国の学校を卒業する。しかしここからいろいろあると見えて日本の大学に留学させて日本の企業に就職している子弟も多くいる。
しかし両親が韓国生まれで子どもたちも日本の大学に留学しても兵役義務はある。
彼はこのことの記事に躊躇した。日本は社会では敏感になると懸念した。しかし私はこれが現実と考えてありのまま彼がいったことを記事にもりこんだ。
読者は在日韓国人がほとんどだが日本の公的機関や主要な機関にも配布されている。韓半島(朝鮮半島)が分断国家であることを知ってほしかったので記事の中に彼の言葉をありのままに盛り込んだ。
取材が終わって大学の玄関に来るとスクールバスが停まっていた。すぐバスの運転手にかけよって「もうすぐバスにのりますから待って下さい」と言っていた。日本も気がきく若者たちはこんなことを自然なふるまいでしてくれるが彼もきちんと対応してくれた。韓国の青年たち、加齢の人に対する思いやりが自然なのである。
写真の顔はとてもハンサムである。
笑った顔もハンサムである。
編集局のスタッフは「すごいいい顔」と褒めていた。
タウンジャケットを脱いだほうが顔ははっきりすると思って寒いのに上着を脱いでもらった。悪いなあと思ったがやはりそれがよかった。
緊張した中にもいい顔に撮れた。
漫画修行は人と話すことが大切だという。つい私はおせっかいばあさんになりでジャーナリスト・ネットの会合のあることを教えてK氏に私の携帯で電話をして会話をしてもらった。いつかはお役にたつと信じている。
無理に誘うのもなにかな---と思うので気が向いたときに顔を出してほしいと思っている。
また気が向けば連絡がはいれば来て下さいとも言えるが自分からそう気持ちになればいいと思っている。
いくら儒教の韓国の青年でもおせっかいアジュモニに迷惑をかけてはいけないと思っている。
とにかく好青年だった。
好青年も何年か後に韓国に帰国して兵役につく。さらにたくましくなるだろう。その後どんな漫画を描いてくれるのかは楽しみである。帰国すると兵役があるという。あどけない童顔の彼に私は複雑に気持ちになった。
分断国家という現実は韓国の若者たちには避けては通れないところである。
日本の若者と違うところがここにある。と、分断国家の現実の厳しさを見る思いだった。
朝からは民族学校金剛学園の「民俗の日」でソルナル(旧正月)の取材だった。
これは11時半ごろ終わった。一緒だった在日韓国人の他社の新聞記者、若い人で勤務して1年になるが彼とは1度も昼食をしたことがなかった。
私もかつては年輩の人に昼食のご相伴になった。
今は若い人との食事は私が御馳走するようにしている。
そういえば彼とはしたことがなかった。今日は誘っても断らないような雰囲気だったので思い切って誘った。
そしてコーヒーをのんでたわいもない世間話をしたがこれも若い在日韓国人の記者は何かの励みになればと願いまた私も若い人のエネルギーをもらった。
地下鉄で難波から新大阪まででて新幹線で京都に出た。ソルナルのことを忘れていて21日の日程をとったことでしかたなく掛け持ちで新幹線の利用になった。
京都精華大学につくと彼は玄関前で待っていた。
「これから行きます」とタクシーの中から携帯で電話連絡、地下鉄京都駅から国際会館までけっこう時間がかかった。タクシーに乗ったのが2時、京都精華大学で2時なのに少し遅れた。
韓国の青年は礼儀正しい。
私のタクシーが玄関に近づくとさっとベンチの荷物を片付けて私がタクシーを降りるのを待った。
日本の若者と何も変わらないのに仕草は韓国の青年である。年をとった私をいたわるようにする。
喫茶店はなくて校舎のサロンのようなところで話しをした。2時間近くになると体が底冷えしてきた。それでも彼は何も言わないで私のインタビューに答えてくれた。
このところは現代の日本の若者とは何もかわらない。
日本に来て日本語で苦労した話しをするが流暢な日本語は小説や漫画で勉強したとという。しかし何気なしに話す韓国語はソウルの言葉である。
そして改めて彼が韓国人だということを認識した。
彼の言葉に実感がこもっていた。
28歳まで兵役につかなければならない。今22歳だから後何年もないのです。
兵役を済ませないと将来は自分の漫画を世に送り出したいが日本なのか韓国なのか、兵役を終えてから考えることにする。それまで僕は時間がない。無駄なことができないので日本で漫画をたくさん学んで韓国に帰国して兵役に尽きたい」と言う。
この言葉に韓国の若者たちの現実を見せつけられた。
日本にいる在日韓国人は韓国の現地で生まれていない。その子どもが日本にきた出世すると在日韓国人になるというので兵役がない。しかしこれもいろいろあった。在日韓国人の母親から生まれて在日韓国人としてのなんらかの手続きをして韓国の学校を卒業する。しかしここからいろいろあると見えて日本の大学に留学させて日本の企業に就職している子弟も多くいる。
しかし両親が韓国生まれで子どもたちも日本の大学に留学しても兵役義務はある。
彼はこのことの記事に躊躇した。日本は社会では敏感になると懸念した。しかし私はこれが現実と考えてありのまま彼がいったことを記事にもりこんだ。
読者は在日韓国人がほとんどだが日本の公的機関や主要な機関にも配布されている。韓半島(朝鮮半島)が分断国家であることを知ってほしかったので記事の中に彼の言葉をありのままに盛り込んだ。
取材が終わって大学の玄関に来るとスクールバスが停まっていた。すぐバスの運転手にかけよって「もうすぐバスにのりますから待って下さい」と言っていた。日本も気がきく若者たちはこんなことを自然なふるまいでしてくれるが彼もきちんと対応してくれた。韓国の青年たち、加齢の人に対する思いやりが自然なのである。
写真の顔はとてもハンサムである。
笑った顔もハンサムである。
編集局のスタッフは「すごいいい顔」と褒めていた。
タウンジャケットを脱いだほうが顔ははっきりすると思って寒いのに上着を脱いでもらった。悪いなあと思ったがやはりそれがよかった。
緊張した中にもいい顔に撮れた。
漫画修行は人と話すことが大切だという。つい私はおせっかいばあさんになりでジャーナリスト・ネットの会合のあることを教えてK氏に私の携帯で電話をして会話をしてもらった。いつかはお役にたつと信じている。
無理に誘うのもなにかな---と思うので気が向いたときに顔を出してほしいと思っている。
また気が向けば連絡がはいれば来て下さいとも言えるが自分からそう気持ちになればいいと思っている。
いくら儒教の韓国の青年でもおせっかいアジュモニに迷惑をかけてはいけないと思っている。
とにかく好青年だった。
好青年も何年か後に韓国に帰国して兵役につく。さらにたくましくなるだろう。その後どんな漫画を描いてくれるのかは楽しみである。帰国すると兵役があるという。あどけない童顔の彼に私は複雑に気持ちになった。
分断国家という現実は韓国の若者たちには避けては通れないところである。
日本の若者と違うところがここにある。と、分断国家の現実の厳しさを見る思いだった。
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