自宅を出たのは10時35分、中循環バスは行った後だった。
10時50分に市内循環バスを乗って近鉄奈良駅に出た。
朝からずっと雨がふっている。
昨日が1日、こんな雨だったら大変だった。大阪城公園でのイベント、午前中は激しい雨の中で開会式を行い韓国伝統芸能文化が披露されている。
そう思うと今日は私1人、天理市の現場に向かう。
行きつけの喫茶店で12時30分までいた。
近鉄奈良駅から天理駅前行きのバスに乗る。
雨の中をバスは走る。
天理駅に着くと1時20分、自宅を出るときご飯1膳をあるものでかき込んで来た。天理駅のところには何も食べるところがない。
かつて賑わった天理ステーション街は数えるほどの店である。
食事処はラーメン屋さんだけ。私は食事処のラーメンが受け付けない。なぜか食べられない。油ギトギトのスープが苦手である。
それで肉屋さんでコロッケとウインナーのあげたもの。やや小さい。それを店内のベンチに腰掛けて食べて昼食の変わりにした。
1時40分、駅前からタクシーに乗って天理大学に向かう。
4時まで仕事してタクシーで天理駅に戻ってくると4時25分、JR奈良行きのバスが入ってきた。乗る人が多い。それでもタクシーを降りて走った。
間に合った。
近鉄奈良駅に着くと5時過ぎている。
急いでスーパーに買い物、野菜も魚も肉類も切れかけている。ある程度の食材を買い込んで雨の中を傘さしてスーパーの買い物袋2つと鞄をもってバス乗場に急ぐ。県庁前を市内循環が走行している。
少し待ってバスに乗った。
自宅に帰ると5時半、急いでシャワーを浴びて荷解きをしていく。
家事をして夕食を1品作ってパソコンの前に座った。
明日のライフワークの原稿を直した。見直しをすると直していくところが多い。夫が帰ってくると夕食でパソコンを閉じた。
夕食を終えてまたライフワークの原稿を見直していく。
それでももう画面の予約をしないといけない。
明日はライフワークのための取材で富雄に出かけることになっている。
朝からしていると間に合わないので今、画面の予約をした。
明日は私の原稿が2本、掲載されることになっている。
昨日はすごい中で仕事した。
近鉄奈良駅まで夫の車で送ってもらったが自宅を出るときに雨が降り出した。
これでは大阪城公園のイベントはどうなるのか。
関係者の携帯電話の番号を知っているのはトップだけ。まさかこんな日にトップに電話をするのは失礼になる。そして関係者の職員はすでに大阪城公園にかけつけて準備をしている。皆6時に集合しているらしい。
仕方がない。若い記者は関係者の携帯番号を知っているだろうと考えて若い記者に電話すると留守電、留守電にメッセージを入れた。
若い記者はメーセッジを聞いたのかしばらくして電話が入った。
「雨天でも決行です」という。それで私は「わかりました。それではこれから現場に向かいます」といった。
行きつけの喫茶店は日曜日で9時からしか開かない。
新聞は1紙、もってきただけ、特急電車の中で読むことにした。
8時43分の難波行き特急の特急券座席指定を買ってまた地上に出てコンビニに行って振込みを済ませた。
そしてまた近鉄奈良駅に向かって改札口に入った。
しばらく待つと特急電車が入ってくる。
特急電車に乗って鶴橋に向かう。
鶴橋で降りてトイレを済ませてまたホームに戻って今度は大阪環状線京橋方面のホームに向かう。
大阪城公園で降りてすぐ側に太陽の広場がある。
関係者が案内している。
まず本部席に行って関係者に挨拶をしないといけない。
「本部席はどこですか」とボランテイアに聞いていると後ろから若い記者が声をかけた。
そして簡単に打ち合わせをする。
全体の取材は若い記者の担当で私は会場参加者のコメント取りと撮影、そして若い記者に言う。「コメント取っていて取る人が重なっても使うのは編集局に任せること。写真は双方とっても使用する写真も編集局に任せることとした。
若い記者は舞台の前まで行って写真を撮っていたが私は今回はやめた。
若い人に任せたのでそうした。
そして激しい雨の中、若い記者が撮影しているのに加齢の私が走り回るのも見苦しいと考えて若い記者に任せた。もう雨は土砂降り。とうとうカッパを貸してもらったがもう上着もぼとぼと、ズボンもぼとぼと、お尻ももうほぼ雨が浸透している。靴の中も水が入っている。
鞄も雨でぼとぼと----。中も雨がとおっている。とにかくカメラをぬらしてはいけないと考えて鞄の底に入れて上に物を被せたので雨でぬらすことはなかった。
しかし取材ノートはもうぼとぼと、ぬれたページをめくってのメモ書きである。
こんなことは30年近く記者をしていて初めてのことである。
心の中は仕事をほうりなげて帰りたいぐらいだがそうはいかない。
我慢しないといけない。
11時半ごろになって雨が小降りになってきた。
関係者は弁当を広げていく。天気がよかったら私はたいてい模擬店に行って何かを買って食べるがこの雨ではどこにもいけない。
私は関係者に弁当が来ることを聞くと関係者の人のおかげで若い記者の弁当も頂くことができた。若い記者にも弁当を渡して関係者の役員の座るところで私は厚かましく弁当を頂いた。若い記者もそうしていたので安心した。
人の目があるので年を重ねた私が気配りをしないといけない。笑われるのは年を重ねている私になると思っている。
40代の頃の私は昼食で気を使うのが嫌で皆、弁当食べているのに私はそっと抜けていつも食堂で1人食べていた。このことで韓国の日本駐在職員は胸が痛むらしい。食事は皆と食べるものとなっている。
それから韓国の日本駐在の職員は関係者に必ず私の分も配慮するようにとした。その気持ちにとても切なくもそしてうれしさもあったが気をつかった。それほど40代半ばの私はまだまだ同胞社会になれていなかった。
今は奈良にしても京都にしても周りが気配りがされるのでいつもありがたく思っている。大阪も同じである。
しかし昨日は雨の中を世話する関係者になかなか自分の口からいえなくて若い記者もそれなりに気を使っているのが見えているので私が気を利かせるようにした。それで関係者にそっと言ったのである。
午後、雨がやんだ。韓国の歌手の出演に会場に参加した若い日本人女性の黄色い声の声援があちらこちらで飛んでいる。そして民団中央本部の関係者も土砂降りの雨でどこかに退避していたが戻ってこられたのでカメラに長けてはこの人という人がきた。大きい望遠レンズを下げてきたので私は「もう写真撮りませんよ」と言って彼に任せた。
午後から適当に歩いてコメントをとった。
韓国の若手歌手にはものすごい声援が飛ぶ。
そして韓国のベテラン歌手、ソルウンドの歌が始まると踊りだすのはニューカマーの韓国人に在日韓国人の男女たち、その光景はとてもユニーク、日本に住んでいる在日韓国人の年よりは「あれみているだけで面白くて楽しい」と私に話す。なるほど。ほんと。そうだ。
最後のフィナーレは出演者全員が並んで観客に挨拶。そうすると若い女性たちはもう舞台前にかけつけてワアーと熱い声援を送る。
これが日本人女性の大方である。
ふと私は日本人歌手の存在が希薄になってきているということを認識してしまった。麩のようにあってもいい。なくてもいいという存在。ぶよぶよにだらしなくなった日本人男性の光景が浮かぶ、韓国の若手は歌手であっても2年と少しの軍隊生活を体験する。成長して精悍な成人になっていく過程が日本人男性と違うのである。
びつくりした。歌手が韓国語で話しかけると韓国語で「ネー(はい)」と答えている。どこかで韓国語を勉強しているのだ。
もう私の韓国語では手に負えなくなってきている日本の昨今である。皆さんがどんどん上手くなっていく。
4時20分に終わった。
打ち上げがあるだろうが私は参加しない。とにかく早く帰りたいだけ。
4時40分の特急には乗れないが5時の特急に乗りたい。
急いでJR大阪城公園駅に向かうが帰る人でごった返している。イベントの参加者は2万人を越えた。晴れていれば3万人近くなった。無料ということで大勢の人がかけつけた。
東京から名古屋からと------。山口県からも-----と。私が聞いただけで-----。
5時の特急に乗って奈良に戻った。
近鉄奈良駅に着くと5時35分、近鉄奈良駅構内の寿司屋さんで握寿司を買って自宅に戻ると6時過ぎている。シャワーを浴びて家事をしてインスタント味噌汁を作ってこれで夕食した。7時にパソコンの前に座って取材したコメントをパソコン入力していく。取った人は18人、1組は韓国の歌手、KINOにも貰ったのでパソコン入力をした。
9時前にパソコンを閉めて韓国ドラマ「ジャイアント」を見た。
見終わると10時、もう眠い。寝ることにした。
今朝、またコメントの原稿を見直し写真26枚を送信してパソコンを閉じて現場にむかった。朝は気が急いたが慎重にゆっくりゆっくりと言い聞かせて仕事をした。
ああしんど。明日は富雄にいきます。時計は11時46分になった。
もう寝ます。
見直したので12時6分になりました。
10時50分に市内循環バスを乗って近鉄奈良駅に出た。
朝からずっと雨がふっている。
昨日が1日、こんな雨だったら大変だった。大阪城公園でのイベント、午前中は激しい雨の中で開会式を行い韓国伝統芸能文化が披露されている。
そう思うと今日は私1人、天理市の現場に向かう。
行きつけの喫茶店で12時30分までいた。
近鉄奈良駅から天理駅前行きのバスに乗る。
雨の中をバスは走る。
天理駅に着くと1時20分、自宅を出るときご飯1膳をあるものでかき込んで来た。天理駅のところには何も食べるところがない。
かつて賑わった天理ステーション街は数えるほどの店である。
食事処はラーメン屋さんだけ。私は食事処のラーメンが受け付けない。なぜか食べられない。油ギトギトのスープが苦手である。
それで肉屋さんでコロッケとウインナーのあげたもの。やや小さい。それを店内のベンチに腰掛けて食べて昼食の変わりにした。
1時40分、駅前からタクシーに乗って天理大学に向かう。
4時まで仕事してタクシーで天理駅に戻ってくると4時25分、JR奈良行きのバスが入ってきた。乗る人が多い。それでもタクシーを降りて走った。
間に合った。
近鉄奈良駅に着くと5時過ぎている。
急いでスーパーに買い物、野菜も魚も肉類も切れかけている。ある程度の食材を買い込んで雨の中を傘さしてスーパーの買い物袋2つと鞄をもってバス乗場に急ぐ。県庁前を市内循環が走行している。
少し待ってバスに乗った。
自宅に帰ると5時半、急いでシャワーを浴びて荷解きをしていく。
家事をして夕食を1品作ってパソコンの前に座った。
明日のライフワークの原稿を直した。見直しをすると直していくところが多い。夫が帰ってくると夕食でパソコンを閉じた。
夕食を終えてまたライフワークの原稿を見直していく。
それでももう画面の予約をしないといけない。
明日はライフワークのための取材で富雄に出かけることになっている。
朝からしていると間に合わないので今、画面の予約をした。
明日は私の原稿が2本、掲載されることになっている。
昨日はすごい中で仕事した。
近鉄奈良駅まで夫の車で送ってもらったが自宅を出るときに雨が降り出した。
これでは大阪城公園のイベントはどうなるのか。
関係者の携帯電話の番号を知っているのはトップだけ。まさかこんな日にトップに電話をするのは失礼になる。そして関係者の職員はすでに大阪城公園にかけつけて準備をしている。皆6時に集合しているらしい。
仕方がない。若い記者は関係者の携帯番号を知っているだろうと考えて若い記者に電話すると留守電、留守電にメッセージを入れた。
若い記者はメーセッジを聞いたのかしばらくして電話が入った。
「雨天でも決行です」という。それで私は「わかりました。それではこれから現場に向かいます」といった。
行きつけの喫茶店は日曜日で9時からしか開かない。
新聞は1紙、もってきただけ、特急電車の中で読むことにした。
8時43分の難波行き特急の特急券座席指定を買ってまた地上に出てコンビニに行って振込みを済ませた。
そしてまた近鉄奈良駅に向かって改札口に入った。
しばらく待つと特急電車が入ってくる。
特急電車に乗って鶴橋に向かう。
鶴橋で降りてトイレを済ませてまたホームに戻って今度は大阪環状線京橋方面のホームに向かう。
大阪城公園で降りてすぐ側に太陽の広場がある。
関係者が案内している。
まず本部席に行って関係者に挨拶をしないといけない。
「本部席はどこですか」とボランテイアに聞いていると後ろから若い記者が声をかけた。
そして簡単に打ち合わせをする。
全体の取材は若い記者の担当で私は会場参加者のコメント取りと撮影、そして若い記者に言う。「コメント取っていて取る人が重なっても使うのは編集局に任せること。写真は双方とっても使用する写真も編集局に任せることとした。
若い記者は舞台の前まで行って写真を撮っていたが私は今回はやめた。
若い人に任せたのでそうした。
そして激しい雨の中、若い記者が撮影しているのに加齢の私が走り回るのも見苦しいと考えて若い記者に任せた。もう雨は土砂降り。とうとうカッパを貸してもらったがもう上着もぼとぼと、ズボンもぼとぼと、お尻ももうほぼ雨が浸透している。靴の中も水が入っている。
鞄も雨でぼとぼと----。中も雨がとおっている。とにかくカメラをぬらしてはいけないと考えて鞄の底に入れて上に物を被せたので雨でぬらすことはなかった。
しかし取材ノートはもうぼとぼと、ぬれたページをめくってのメモ書きである。
こんなことは30年近く記者をしていて初めてのことである。
心の中は仕事をほうりなげて帰りたいぐらいだがそうはいかない。
我慢しないといけない。
11時半ごろになって雨が小降りになってきた。
関係者は弁当を広げていく。天気がよかったら私はたいてい模擬店に行って何かを買って食べるがこの雨ではどこにもいけない。
私は関係者に弁当が来ることを聞くと関係者の人のおかげで若い記者の弁当も頂くことができた。若い記者にも弁当を渡して関係者の役員の座るところで私は厚かましく弁当を頂いた。若い記者もそうしていたので安心した。
人の目があるので年を重ねた私が気配りをしないといけない。笑われるのは年を重ねている私になると思っている。
40代の頃の私は昼食で気を使うのが嫌で皆、弁当食べているのに私はそっと抜けていつも食堂で1人食べていた。このことで韓国の日本駐在職員は胸が痛むらしい。食事は皆と食べるものとなっている。
それから韓国の日本駐在の職員は関係者に必ず私の分も配慮するようにとした。その気持ちにとても切なくもそしてうれしさもあったが気をつかった。それほど40代半ばの私はまだまだ同胞社会になれていなかった。
今は奈良にしても京都にしても周りが気配りがされるのでいつもありがたく思っている。大阪も同じである。
しかし昨日は雨の中を世話する関係者になかなか自分の口からいえなくて若い記者もそれなりに気を使っているのが見えているので私が気を利かせるようにした。それで関係者にそっと言ったのである。
午後、雨がやんだ。韓国の歌手の出演に会場に参加した若い日本人女性の黄色い声の声援があちらこちらで飛んでいる。そして民団中央本部の関係者も土砂降りの雨でどこかに退避していたが戻ってこられたのでカメラに長けてはこの人という人がきた。大きい望遠レンズを下げてきたので私は「もう写真撮りませんよ」と言って彼に任せた。
午後から適当に歩いてコメントをとった。
韓国の若手歌手にはものすごい声援が飛ぶ。
そして韓国のベテラン歌手、ソルウンドの歌が始まると踊りだすのはニューカマーの韓国人に在日韓国人の男女たち、その光景はとてもユニーク、日本に住んでいる在日韓国人の年よりは「あれみているだけで面白くて楽しい」と私に話す。なるほど。ほんと。そうだ。
最後のフィナーレは出演者全員が並んで観客に挨拶。そうすると若い女性たちはもう舞台前にかけつけてワアーと熱い声援を送る。
これが日本人女性の大方である。
ふと私は日本人歌手の存在が希薄になってきているということを認識してしまった。麩のようにあってもいい。なくてもいいという存在。ぶよぶよにだらしなくなった日本人男性の光景が浮かぶ、韓国の若手は歌手であっても2年と少しの軍隊生活を体験する。成長して精悍な成人になっていく過程が日本人男性と違うのである。
びつくりした。歌手が韓国語で話しかけると韓国語で「ネー(はい)」と答えている。どこかで韓国語を勉強しているのだ。
もう私の韓国語では手に負えなくなってきている日本の昨今である。皆さんがどんどん上手くなっていく。
4時20分に終わった。
打ち上げがあるだろうが私は参加しない。とにかく早く帰りたいだけ。
4時40分の特急には乗れないが5時の特急に乗りたい。
急いでJR大阪城公園駅に向かうが帰る人でごった返している。イベントの参加者は2万人を越えた。晴れていれば3万人近くなった。無料ということで大勢の人がかけつけた。
東京から名古屋からと------。山口県からも-----と。私が聞いただけで-----。
5時の特急に乗って奈良に戻った。
近鉄奈良駅に着くと5時35分、近鉄奈良駅構内の寿司屋さんで握寿司を買って自宅に戻ると6時過ぎている。シャワーを浴びて家事をしてインスタント味噌汁を作ってこれで夕食した。7時にパソコンの前に座って取材したコメントをパソコン入力していく。取った人は18人、1組は韓国の歌手、KINOにも貰ったのでパソコン入力をした。
9時前にパソコンを閉めて韓国ドラマ「ジャイアント」を見た。
見終わると10時、もう眠い。寝ることにした。
今朝、またコメントの原稿を見直し写真26枚を送信してパソコンを閉じて現場にむかった。朝は気が急いたが慎重にゆっくりゆっくりと言い聞かせて仕事をした。
ああしんど。明日は富雄にいきます。時計は11時46分になった。
もう寝ます。
見直したので12時6分になりました。
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