今日は大阪にいく所用がある。
今日済ませておかないと落ち着かない。
そんなわけで今日は出かけるが雲行きは雨のようである。
昨日は京都の現場また遅くなった。
夕方4時半から始まったイベント、1時間ほどの総会が終わったら退席しょうと思っていた。懇親会より早く奈良に戻りたい。しかしそうはいかなかった。
プログラムを見ると最後の閉会式、締めの挨拶の人の言葉を記事にしないといけない。最後まで残った。
最後まで残ると7時半過ぎ、京都ホテルオークラから京都駅にタクシーを飛ばした。8時の行き特急に乗れた。奈良に着くと8時40分、バス停でバスを大分待った。家に帰ると9時過ぎだった。
京都ホテルオークラは行きしなは特急にのって丹波橋で降りた。ここから各駅停車に乗り換えて竹田にでて竹田から地下鉄国際会館行きにのって烏丸御池で下車して東西線に乗り換えて京都市役所前でおりた。ホテルオークラと地下鉄と直結しているがこの烏丸御池の乗り換えが本当に不便、東西線が出来るまだはもっと不便だったが帰りはタクシーで京都駅にでた。この乗換えで時間がかかる。
昨日はペヨンジュンのフアンたちは大阪の京セラドームに駆けつけたのだろうか。いつもの女性たちがいなかった。
なるほど。
昨日は3万5000人が京セラドームに集まったという。
甲子園の観客並である。
在日の報道もそちらに行った人もいるらしい。
私は入れたら入ったらいいし入れなかったらそれでいいと思っていた。たぶん若い記者が入っただろう。
私は京都に来ていた。仕事がなかったら日曜日なのでゆっくりしたいのが本音である。何もこなかったらペヨンジュンでも行かなかっただろう。仕事だったら入っているかもしれないがわざわざ1万円支払ってまで行く気はない。
昔のペヨンジュンは良かったが、今は気にいらん。
あの髪の毛なんとかしてほしい。あれが気に入らん。
そして「家族」と言う言葉も気に入らなくなってきた。
「家族は家族」であってフアンと言葉の意味が違う。
これも鼻についてきて気に入らん。
言葉のセンスを磨いてほしい。
感性豊かなペヨンジュン、言葉の感性を磨いてほしい。
「家族」という言葉にうさんくささがにおってきて嫌になってきた。
家族は家族、祖父母であり親であり子どもであり親戚でもある。
フアンは家族でない。日本の家族といってフアンをひきつける言葉として使っているだろうが、もうそろそろ家族と言う言葉を卒業してもらいたい。
私はペヨンジュンの会場に入れなかったからと言っているのではない。
前から「家族」という言葉が嫌だった。
韓国ではこの言葉がよく使われるが私は内心気分はよくない。
家族は家族、他人は他人、家族ぐるみということば好きだが家族といことば好きではない。
周りがそうさせているのか知らないが-------。
もっと違う言葉を探して使ってもらいたい。
なんであんなに騒ぐのか分からない。
これだけ大衆の娯楽が増えているのに日本人がそれこそ「家族」という言葉に飢えているのだろうか。そうなれば日本の家族関係はいかに希薄になっているかという証である。
ペヨンジュン、髪の毛を切ってさっぱりしてもらいたい。
首からしたに見える肌はセクシーで男らしい。筋肉質である。これだけでフアンは虜になるだろう。しかし昔人間はあの髪が気に入らん。
私も一時はペヨンジュンのフアンになったがあの髪の毛のだらしなさにうんざりしてフアンという熱がさめてしまった。
そして同胞たちの間でイベントをするときペヨンジュンの写真を掲げると肖像権がとられるということも聞いた。
在日同胞は別に甘えているわけではない。
韓国の国力のつくまでそしてついた今も寄与し続けている。
在日同胞の渡日史を知ればそんなことで区別して割り切っている心情にペヨンジュンの内面はいかにと考えてしまう。回りの取り巻きの考えなのだろうか。
一時は素敵だったペヨンジュンだった。
韓国に行ってもペヨンジュンの広告版を見ると私は喜んだ。しかし韓国人の知人は知らん顔していた。私の喜ぶ姿に怪訝な顔をしていた。
「家族」、日本にいるフアンのことを「家族」と言えばフアンは魅了するだろうが、私が一時いいと思っていた時にもこの言葉に抵抗感があった。
そして肖像権の問題、だったら在日同胞はもっと深いつながりのある家族になる。だったらもっと気持を配慮してもいいだろう。
ビジネスと割り切る必要があることも私は分かっている。
しかしなにか心にひっかかる。
昨日は京セラドームに3万5000人の人が集まった。マスコミの発表で本当の数字は分からない。
全国からフアンが押し寄せた。
おばさんフアンが駆けつけた。日本社会で何かが飢えているのだろう。渇水した日本の文化に潤いを持たせた韓流だが在日韓国人の私として冷めた眼でこの光景を見ている。
私の心は複雑である。
この3万5000人が地方参政権獲得のために動いておれば日本の国会議員の心情も変えることになるだろう。
異常な日本の渇水した空気そして砂漠のような日本人の心にペヨンジュンの出現で心を潤している。何かがおかしい。日本社会の家族、文化、生活のあり方がおかしい。日本の国の舵取りをしてきた政治家たちの渇水した心が見え隠れしている。浮き足だった心が政治家の腐敗であり社会保険にもつながる。使い込んだお金、在日コリアンの高齢者の無年金補償、経過措置に当てるほどの金額はあるはずだ。こんなことに振り向かないで何をしてきたのか。
今日の社会現象を生んだ日本国家にも1つの責任があるように思えてならない。
乾ききった日本社会、ますます温暖化に比例して日本社会は乾いていく。日本社会の文化に見向きもしないで韓流スターに心を奪われている。
韓流と源氏物語千年とあわせてイベントするという感性の持ち主がいないのだろうか。
韓国も朝鮮王朝の時代、李氏王朝ともいうが貴族社会があった。貴族文化を通して比較文化ができるはずだ。私は韓国語が読解できれば調査したい課題だが私の語学力は韓国語初級程度なのでこの課題調査ができないのが残念である。
ペヨンジュンに心を奪われても日本帝国時代と韓国の朝鮮王朝時代、日本植民地に入っていく韓国そして日本の徳川幕府も開国に向けての争いがある。開国と鎖国、双方の国に何があったのかこれからでも顕彰していく必要もある。
昔調査した時代と時代の流れが変わっている。
もう1度ふりかえってみる必要があるのでは-----。
そろそろ外出の支度をしなければならない。
ペヨンジュンと家族と日本人のあり方に辛口を書いた。
今日済ませておかないと落ち着かない。
そんなわけで今日は出かけるが雲行きは雨のようである。
昨日は京都の現場また遅くなった。
夕方4時半から始まったイベント、1時間ほどの総会が終わったら退席しょうと思っていた。懇親会より早く奈良に戻りたい。しかしそうはいかなかった。
プログラムを見ると最後の閉会式、締めの挨拶の人の言葉を記事にしないといけない。最後まで残った。
最後まで残ると7時半過ぎ、京都ホテルオークラから京都駅にタクシーを飛ばした。8時の行き特急に乗れた。奈良に着くと8時40分、バス停でバスを大分待った。家に帰ると9時過ぎだった。
京都ホテルオークラは行きしなは特急にのって丹波橋で降りた。ここから各駅停車に乗り換えて竹田にでて竹田から地下鉄国際会館行きにのって烏丸御池で下車して東西線に乗り換えて京都市役所前でおりた。ホテルオークラと地下鉄と直結しているがこの烏丸御池の乗り換えが本当に不便、東西線が出来るまだはもっと不便だったが帰りはタクシーで京都駅にでた。この乗換えで時間がかかる。
昨日はペヨンジュンのフアンたちは大阪の京セラドームに駆けつけたのだろうか。いつもの女性たちがいなかった。
なるほど。
昨日は3万5000人が京セラドームに集まったという。
甲子園の観客並である。
在日の報道もそちらに行った人もいるらしい。
私は入れたら入ったらいいし入れなかったらそれでいいと思っていた。たぶん若い記者が入っただろう。
私は京都に来ていた。仕事がなかったら日曜日なのでゆっくりしたいのが本音である。何もこなかったらペヨンジュンでも行かなかっただろう。仕事だったら入っているかもしれないがわざわざ1万円支払ってまで行く気はない。
昔のペヨンジュンは良かったが、今は気にいらん。
あの髪の毛なんとかしてほしい。あれが気に入らん。
そして「家族」と言う言葉も気に入らなくなってきた。
「家族は家族」であってフアンと言葉の意味が違う。
これも鼻についてきて気に入らん。
言葉のセンスを磨いてほしい。
感性豊かなペヨンジュン、言葉の感性を磨いてほしい。
「家族」という言葉にうさんくささがにおってきて嫌になってきた。
家族は家族、祖父母であり親であり子どもであり親戚でもある。
フアンは家族でない。日本の家族といってフアンをひきつける言葉として使っているだろうが、もうそろそろ家族と言う言葉を卒業してもらいたい。
私はペヨンジュンの会場に入れなかったからと言っているのではない。
前から「家族」という言葉が嫌だった。
韓国ではこの言葉がよく使われるが私は内心気分はよくない。
家族は家族、他人は他人、家族ぐるみということば好きだが家族といことば好きではない。
周りがそうさせているのか知らないが-------。
もっと違う言葉を探して使ってもらいたい。
なんであんなに騒ぐのか分からない。
これだけ大衆の娯楽が増えているのに日本人がそれこそ「家族」という言葉に飢えているのだろうか。そうなれば日本の家族関係はいかに希薄になっているかという証である。
ペヨンジュン、髪の毛を切ってさっぱりしてもらいたい。
首からしたに見える肌はセクシーで男らしい。筋肉質である。これだけでフアンは虜になるだろう。しかし昔人間はあの髪が気に入らん。
私も一時はペヨンジュンのフアンになったがあの髪の毛のだらしなさにうんざりしてフアンという熱がさめてしまった。
そして同胞たちの間でイベントをするときペヨンジュンの写真を掲げると肖像権がとられるということも聞いた。
在日同胞は別に甘えているわけではない。
韓国の国力のつくまでそしてついた今も寄与し続けている。
在日同胞の渡日史を知ればそんなことで区別して割り切っている心情にペヨンジュンの内面はいかにと考えてしまう。回りの取り巻きの考えなのだろうか。
一時は素敵だったペヨンジュンだった。
韓国に行ってもペヨンジュンの広告版を見ると私は喜んだ。しかし韓国人の知人は知らん顔していた。私の喜ぶ姿に怪訝な顔をしていた。
「家族」、日本にいるフアンのことを「家族」と言えばフアンは魅了するだろうが、私が一時いいと思っていた時にもこの言葉に抵抗感があった。
そして肖像権の問題、だったら在日同胞はもっと深いつながりのある家族になる。だったらもっと気持を配慮してもいいだろう。
ビジネスと割り切る必要があることも私は分かっている。
しかしなにか心にひっかかる。
昨日は京セラドームに3万5000人の人が集まった。マスコミの発表で本当の数字は分からない。
全国からフアンが押し寄せた。
おばさんフアンが駆けつけた。日本社会で何かが飢えているのだろう。渇水した日本の文化に潤いを持たせた韓流だが在日韓国人の私として冷めた眼でこの光景を見ている。
私の心は複雑である。
この3万5000人が地方参政権獲得のために動いておれば日本の国会議員の心情も変えることになるだろう。
異常な日本の渇水した空気そして砂漠のような日本人の心にペヨンジュンの出現で心を潤している。何かがおかしい。日本社会の家族、文化、生活のあり方がおかしい。日本の国の舵取りをしてきた政治家たちの渇水した心が見え隠れしている。浮き足だった心が政治家の腐敗であり社会保険にもつながる。使い込んだお金、在日コリアンの高齢者の無年金補償、経過措置に当てるほどの金額はあるはずだ。こんなことに振り向かないで何をしてきたのか。
今日の社会現象を生んだ日本国家にも1つの責任があるように思えてならない。
乾ききった日本社会、ますます温暖化に比例して日本社会は乾いていく。日本社会の文化に見向きもしないで韓流スターに心を奪われている。
韓流と源氏物語千年とあわせてイベントするという感性の持ち主がいないのだろうか。
韓国も朝鮮王朝の時代、李氏王朝ともいうが貴族社会があった。貴族文化を通して比較文化ができるはずだ。私は韓国語が読解できれば調査したい課題だが私の語学力は韓国語初級程度なのでこの課題調査ができないのが残念である。
ペヨンジュンに心を奪われても日本帝国時代と韓国の朝鮮王朝時代、日本植民地に入っていく韓国そして日本の徳川幕府も開国に向けての争いがある。開国と鎖国、双方の国に何があったのかこれからでも顕彰していく必要もある。
昔調査した時代と時代の流れが変わっている。
もう1度ふりかえってみる必要があるのでは-----。
そろそろ外出の支度をしなければならない。
ペヨンジュンと家族と日本人のあり方に辛口を書いた。
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