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鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

あわただしく今日は過ぎていく。

2008-03-07 22:10:02 | 直言!
ゆっくりできない。今日は兵庫県神戸の県庁のすぐ近くまでいくが地下鉄でいくとまた道を間違いそうだ。
阪神電車で三宮にでてタクシーに乗った。
目的地がいくつもあって分からないというので地図を見せた。
地図はシンポジウムのホームページで出したものである。
雑談しながらタクシーに乗っている。
「どこから来たのですか」と聞く。「奈良からです」というとびっくりしている。「帰りも奈良まで送りますよ」という。「それはあきませんわ」とやんわり断った。
そして「私の嫁さんの実家は香芝市です」という。
「仕事は何ですか」と聞くが「対したことしていませんと」と言っているが向こうからちょっと嫁さんの話しをされて奈良のことを話された。
それで私は地方紙の名前を言った。そしたらよく知っておられた。それで私はその「関連企業の雑誌記者していました。私は在日韓国人2世ですので思うことがあってやめて今は機関紙の記者です」といったら「そんなところどうして就職できましたんや」と聞く。「そんなところどうして就職できましたんや」とおりる寸前に聞かれた。意味がすぐにのみ込めなかったので「私、新聞の投稿間だったのです。好きとやる気で引っ張ってもらったのです」と言っておりようとしたら運転手は韓国語で「カムサハムニダ。私も在日韓国人の2世です」と話された。
知らない人でも同胞と分かるとお互いルーツを名乗っている。これもうれしい。
タクシーから降りて気がついた。地図が入っていたシンポジウムのパンフレット、多文化共生は在日韓国人の本名が記述されていた。それで奈良のどこですかと何度も聞いて私の存在を探っておられた。
そして在日韓国人が日本の雑誌記者になったことが「そんなどうして就職できましたんや」の疑問の言葉になった。それでそうなのだ。在日韓国人が出版社で仕事することは当時はめずらしかった。今はそれなりに仕事している人もいるが1982年という時代には珍しかった。
私は本当に自分の力でもない。ただまわりに感謝している。
私はいつも思うことは私背後で見えない先祖さんがどこで私を見守っていてそんな道を引いてくれたとおもっている。
まわりの人や先人たちの熱いものが私を活用させてそうしたものと思っている。
最初、就職するまえに編集局長と面接する。当時は朝鮮籍だったので「私は朝鮮籍です」と言ったら「そんなの関係がない。仕事をしてくれればいい」と言った。このとき編集局長は在日コリアンが嫌いだったらそこで採用は断っただろう。人生の出会いとは不思議なものである。編集局長はかつて若い頃は東京で芸能人を撮影しておられたカメラマンだった。芸能人の多くが在日コリアンである。その事情をよく知っておられたのだろう。奈良でまた在日コリアンの女性を面接している。
もしこの人が謙韓だったら今の私はここにいなかった。
人生のめぐりあわせはふしぎなものである。
ただ人生の縁と出会いに深い意味があると後々にしっていくことになる。
けれどもう今日はねむい。ねよう。
明日は朝から1日滋賀県である。びわこのほとりにいく。
またしょうもない人のことを思い出してしまう。びわこの産湯を浸かった地方紙の役員、もとは報道カメラマンだった。
役員にはむいていなかったと思っている。だからストレスで命を縮めてしまった。もし今生きていたらと、思うこともある。けれど私は斜めから構えて彼をみていただろう。欠点も知っているので冷ややかな目でみていると思う。
けれどあの時は病院にいったほうがよかった。と、後悔している。
行かなかったことが今、やっと悔やむ気持がでてきた。先日、彼に似ている俳優がテレビに出ていた。よく似ている。この顔、この顔と心の中で呟いていた。
春まじかのびわ湖のほとりに明日はでむいていく。琵琶湖のほとりで何か聞こえるとうれしいが、憎らしいと思っている私には何も聞こえないだろう。明日琵琶湖近くの現場でまた思い出した。
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