1つは生野区のオリニ(子ども)クリスマス、生野区内や今夏、ソウルオリニジャンボリーに参加した子どもたち130人そして保護者や間無形者らが集まると民団生野西支部会館は熱気にあふれ子どもたちの伸び伸びとしたイキイキとして元気な声が飛び交っていた。子どもたちは同胞ということでこんなに安心して盛り上るのかとまた改めて知らされた。
ソウルオリニジャンリーのスナップ写真も張り出され1枚10円で民団大阪本部が提供、スナップ写真のカタログを手にとって申し込む保護者たち、子ども2人になると「100枚も写っていた」と記入用紙にいれる母親は日本人である。父親は在日韓国人、日本人の母親は「夏の思い出として1冊のアルバムができそうでうれしい」と話す。中学時代の同級生結婚である。
生野区では4人に1人が在日コリアン、こうして在日コリアンと日本人との同級生結婚もたくさん生まれているのだろう
私の時代から考えると考えられない。
まさに国際結婚の始まりは生野区だったかもしれない。
1時から3時すぎまでこの会場にいた。
そしてタクシーで鶴橋駅に戻り韓国歌曲のミニコンサートの会場にかけつけた。おおかたプログラムは始まっていた。
取材ではいったものの「チケット代」といわれたが他の人がフオローしてくれたのでチケット代は払わなかったがこの会場は30分ほどででようと考えていた。
長くいることはない。写真を4・5枚撮って出ようと考えていた。
しかしやたらに緊張した。40人ほど入れば一杯の喫茶店、まだ席はあいているが座れない。(チケット代払っていないから座るのにも気を使う。払えば取材経費で落ちるが払うと最後までおらないといけない。最後までおる必要もない現場である)
喫茶店のオーナーには「私には気をつかわないでお客さんに気を使って下さい」と言っているのにコーヒーを入れてくれた。
悪いと思ってコーヒーを頂くがここで私はコーヒー代金を払うのか迷ってしまうがこんなところで払ったらあかん。
ママのおごりにしてもらうことにした。それでも奈良行き特急の時間に合わせて席をたたなければならないがやけに緊張している自分にコーヒーを半分残して外にでた。
外気にふれて緊張の心がとけていくようだった。
駅に着くと電車に乗るまでの時間が早い。韓国市場をのぞきたいと思ったがやめた。快速急行にのればいいが座れないとしんどい。運がよければ鶴橋からでも座れるときがあるがけっこう電車の中は混んでいる。
韓国市場を見るとまた夫の食材を購入してしんどいのに重たい荷物はかなわんな。と考えて駅の本屋さんで時間をつぶした。
自宅に帰るとほっとした安心感なのだろうか。
睡魔がくる。
けれどすることをしてからでないと床につけない。
洗濯を取ってたたみ、明日の米も研がなければならない。風呂の湯もいれなければならない。
まだ夫はテレビを見ながら好きな「なまこ」でビールを飲んでいる。
湯につかると気持ちがいい。風呂から上がるとパソコンを開いて確認だけして寝ようとおもったら隣のリビングでほざいている。
「俺の食べた物、片づけてくれ」と言っている。
私は「もうあかん。眠くてしんどくてあかん」といったら「俺はかたづけへん」とまだグチグチ言っていたが知らん顔して寝た。
ウトウトとしはじめるころ夫は台所で洗いものしていた。
洗いものといっても小鉢1つと酢漬けかぶらの入った小鉢とビールグラスと箸だけである。こんなことでグチグチで言っているが夫でもできると思って知らん顔した。
朝、起きるとふきんで拭いた小鉢は水屋のぜんぜん違うところに入れてあるがこれも仕方がないと思ってふとんの中でウトウトし始めた。
何度か夜中に目が覚めるがぐっと朝6時まで寝てしまった。
夫は「前の晩、遅かったから眠たいのや」と言っていたがそれもあるがやはり現場で緊張したストレスは一気にふきでたように思う。
たぶんミニコンサートのところでほとんど知らない人ばかり。それも静かに音楽会をしているところは声がけも気をつかわなければならない。
休憩に入って主な内容をきいたが--------。
韓国歌曲にこだわる日本人の音楽家がいてこうした活動が各地で在日同胞と日本人のコンサートが開かれている。
このコンサートを企画したTさん。
「韓流」を背景にしながらも在日同胞と日本人の交流コンサートの意味は大きい。こうしたことにもっと日本人が気づいてほしい。
そして1世たちが歌った民謡をふんだんに取り入れたコンサートだった。
「韓流」の火付け役になった「冬のソナタ」はピアノ演奏で聞かした。
このアイデアでいいと思った。
1世が日本社会で苦難の生活の中で歌った歌を伝える在日同胞の架け橋をするTさんに心から拍手を送りたい。
もっと1世が歌っていた歌を発掘して3・4・5世にも伝えてもらいたい。
ほとんど知らない同胞たちと日本人の会場で緊張したがまた違う意味で大事なコンサート活動だと認識することになった。
そんなことで今日は、栄養剤のドリンクを飲んで今日1日、休養することにしよう。
クリスマス会ではあんなにイキイキした在日同胞の子どもたち、もりあがる会場に関係者の挨拶も気を使うほどだった。この子どもたちの世話をするのは民団青年会生野支部の青年会の会員たち、1世もこうして子どもたちに次世代に韓国の文化や遊びを教えて世話をする青年たちまで引き継いでくれた。
伝承の大切さをまた認識した。
日本文化の伝承、地方都市ではおこなわれているかも知れないが地域文化がなくなっていることは確かである。こうした地域の繋がりが次世代の育成につながっていくことも認識した。
大半が団地やマンションという地域文化、近くに必ず神社仏閣があるはずだ。
こうした所を利用して1ヶ月に1度でも日本の遊び、世界の遊びや紙芝居の語り部もしていく方法がある。
もちろん塾、塾とあおりたてる親もいるだろうがみんなが全体、日本社会が置き忘れたものをみつめなさなければならない。
そんな気がした。
3時間近く、会場で立ったままだったがオリニたちのはちきれそうな笑顔に
私の顔もほころびた。国際結婚をしても韓国の文化が地味だが受け継がれていると確認した。
わが民族、なかなか倒れません。
日本国籍をもても現代は公に言える子どもも増えています。本名を名のる人も増えている。
日本社会でこのまま力強く根付いていくと私は予感した。
大阪の韓国系民族学校の小学生20数人が「サムルノリ」でまた盛り上げた。
力強い子どもたちの「楽器演奏」、日本で生き残るたくましさが肌に伝わってきた。
やはり子どもたちには夢がある。夢はたくましさを育てるとまた実感した。
ソウルオリニジャンリーのスナップ写真も張り出され1枚10円で民団大阪本部が提供、スナップ写真のカタログを手にとって申し込む保護者たち、子ども2人になると「100枚も写っていた」と記入用紙にいれる母親は日本人である。父親は在日韓国人、日本人の母親は「夏の思い出として1冊のアルバムができそうでうれしい」と話す。中学時代の同級生結婚である。
生野区では4人に1人が在日コリアン、こうして在日コリアンと日本人との同級生結婚もたくさん生まれているのだろう
私の時代から考えると考えられない。
まさに国際結婚の始まりは生野区だったかもしれない。
1時から3時すぎまでこの会場にいた。
そしてタクシーで鶴橋駅に戻り韓国歌曲のミニコンサートの会場にかけつけた。おおかたプログラムは始まっていた。
取材ではいったものの「チケット代」といわれたが他の人がフオローしてくれたのでチケット代は払わなかったがこの会場は30分ほどででようと考えていた。
長くいることはない。写真を4・5枚撮って出ようと考えていた。
しかしやたらに緊張した。40人ほど入れば一杯の喫茶店、まだ席はあいているが座れない。(チケット代払っていないから座るのにも気を使う。払えば取材経費で落ちるが払うと最後までおらないといけない。最後までおる必要もない現場である)
喫茶店のオーナーには「私には気をつかわないでお客さんに気を使って下さい」と言っているのにコーヒーを入れてくれた。
悪いと思ってコーヒーを頂くがここで私はコーヒー代金を払うのか迷ってしまうがこんなところで払ったらあかん。
ママのおごりにしてもらうことにした。それでも奈良行き特急の時間に合わせて席をたたなければならないがやけに緊張している自分にコーヒーを半分残して外にでた。
外気にふれて緊張の心がとけていくようだった。
駅に着くと電車に乗るまでの時間が早い。韓国市場をのぞきたいと思ったがやめた。快速急行にのればいいが座れないとしんどい。運がよければ鶴橋からでも座れるときがあるがけっこう電車の中は混んでいる。
韓国市場を見るとまた夫の食材を購入してしんどいのに重たい荷物はかなわんな。と考えて駅の本屋さんで時間をつぶした。
自宅に帰るとほっとした安心感なのだろうか。
睡魔がくる。
けれどすることをしてからでないと床につけない。
洗濯を取ってたたみ、明日の米も研がなければならない。風呂の湯もいれなければならない。
まだ夫はテレビを見ながら好きな「なまこ」でビールを飲んでいる。
湯につかると気持ちがいい。風呂から上がるとパソコンを開いて確認だけして寝ようとおもったら隣のリビングでほざいている。
「俺の食べた物、片づけてくれ」と言っている。
私は「もうあかん。眠くてしんどくてあかん」といったら「俺はかたづけへん」とまだグチグチ言っていたが知らん顔して寝た。
ウトウトとしはじめるころ夫は台所で洗いものしていた。
洗いものといっても小鉢1つと酢漬けかぶらの入った小鉢とビールグラスと箸だけである。こんなことでグチグチで言っているが夫でもできると思って知らん顔した。
朝、起きるとふきんで拭いた小鉢は水屋のぜんぜん違うところに入れてあるがこれも仕方がないと思ってふとんの中でウトウトし始めた。
何度か夜中に目が覚めるがぐっと朝6時まで寝てしまった。
夫は「前の晩、遅かったから眠たいのや」と言っていたがそれもあるがやはり現場で緊張したストレスは一気にふきでたように思う。
たぶんミニコンサートのところでほとんど知らない人ばかり。それも静かに音楽会をしているところは声がけも気をつかわなければならない。
休憩に入って主な内容をきいたが--------。
韓国歌曲にこだわる日本人の音楽家がいてこうした活動が各地で在日同胞と日本人のコンサートが開かれている。
このコンサートを企画したTさん。
「韓流」を背景にしながらも在日同胞と日本人の交流コンサートの意味は大きい。こうしたことにもっと日本人が気づいてほしい。
そして1世たちが歌った民謡をふんだんに取り入れたコンサートだった。
「韓流」の火付け役になった「冬のソナタ」はピアノ演奏で聞かした。
このアイデアでいいと思った。
1世が日本社会で苦難の生活の中で歌った歌を伝える在日同胞の架け橋をするTさんに心から拍手を送りたい。
もっと1世が歌っていた歌を発掘して3・4・5世にも伝えてもらいたい。
ほとんど知らない同胞たちと日本人の会場で緊張したがまた違う意味で大事なコンサート活動だと認識することになった。
そんなことで今日は、栄養剤のドリンクを飲んで今日1日、休養することにしよう。
クリスマス会ではあんなにイキイキした在日同胞の子どもたち、もりあがる会場に関係者の挨拶も気を使うほどだった。この子どもたちの世話をするのは民団青年会生野支部の青年会の会員たち、1世もこうして子どもたちに次世代に韓国の文化や遊びを教えて世話をする青年たちまで引き継いでくれた。
伝承の大切さをまた認識した。
日本文化の伝承、地方都市ではおこなわれているかも知れないが地域文化がなくなっていることは確かである。こうした地域の繋がりが次世代の育成につながっていくことも認識した。
大半が団地やマンションという地域文化、近くに必ず神社仏閣があるはずだ。
こうした所を利用して1ヶ月に1度でも日本の遊び、世界の遊びや紙芝居の語り部もしていく方法がある。
もちろん塾、塾とあおりたてる親もいるだろうがみんなが全体、日本社会が置き忘れたものをみつめなさなければならない。
そんな気がした。
3時間近く、会場で立ったままだったがオリニたちのはちきれそうな笑顔に
私の顔もほころびた。国際結婚をしても韓国の文化が地味だが受け継がれていると確認した。
わが民族、なかなか倒れません。
日本国籍をもても現代は公に言える子どもも増えています。本名を名のる人も増えている。
日本社会でこのまま力強く根付いていくと私は予感した。
大阪の韓国系民族学校の小学生20数人が「サムルノリ」でまた盛り上げた。
力強い子どもたちの「楽器演奏」、日本で生き残るたくましさが肌に伝わってきた。
やはり子どもたちには夢がある。夢はたくましさを育てるとまた実感した。
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