今年からはエアコンを入れて電気ストーブをつけないと風邪をひきそうなのである。エアコンの暖房は落ち着かないので嫌いだが電気ストーブだけにしていると風邪の引き始めになって頭がいたい。このことを知人に話すと風邪の引き始めと教えてくれたのでモアッとしたぬくもりが嫌いで落ち着かないがエアコンの暖房を入れている。これで頭痛が治まった。
若いときは電気ストーブ1つで部屋の暖房は事たりていたのに老いは少しずつきている。
あれこれと雑用をするのがあるのにパソコンの前で座っている。
明日は現場の取材、月曜日も朝早くから現場にいかないといけない。
暖かくなりだすと人々は動き出すのでまた現場は増えるだろう。
昨日は美容院に行った帰りまた行きつけの喫茶店に寄った。新聞を半分しか読んでいなかったのでまた立寄った。
2時15分と言うのに昨日は店内は空いていた。
冷たい風でみんな家の中に引っ込んでいてでてこないようだ。
私の同年齢程度の人が多く本や新聞を持ってやってくる。家にいると定年退職した夫が家にいて新聞も本も読めない。買物のついでに寄っているのだろう。この間家にいる夫は鬼のいない間に好きなテレビ見たりしている。夫も息抜きしている。夫婦であってもどこかで距離を置かないと持たない。
自分ひとりの時間を作らないといけない。そう思ってやってきていると私は考えている。けっこう文庫本や単庫本を持ってきて読んでいる人も多い。気候がよくなると3・4人連れがやってきておしゃべりに夢中になっている人も多く見かける。中には大きい声で話す人がいて静かに本や新聞を読んでいる人ははた迷惑である。若い20代の人なら「静かにして」と注意するがさすが私より年輩の人にいえなくてはた迷惑を辛抱している。
先日、伊丹の現場でこのジャーナリスト・ネットの原稿寄稿者の朴明子さんにあった。私より3歳年上なのに顔が童顔なのかどうしても下に見えてしまう。そして私は後で反省している。
年上なのにため口になっていたのではないのかとまた自己嫌悪になっている。とにかく私より3歳年上ですが可愛い童顔はまた若かしく綺麗になっておられた。病気と言っておられたが元気にしておられた。次の原稿を楽しみにしている。
そしてもう1人、ウトロ問題で活動する役員の奥さんにもあった。この人も童顔でそして美人で可愛い顔をしておられる。神戸出身だが六甲の水は童顔に作るのだろうかと私はそんなことを考えて見ていた。
フイルドワークをしてあまりにも寒くて帰る電車が気になって朴明子さんに挨拶もしないで急いでタクシーにのって伊丹駅に戻ってきた。
挨拶もそこそこに皆に失礼してきた。
いつもこんなことである。奈良までかえるとなるといつも急いですっ飛んで会場から出てくる。
外は寒いのだろうか。
今日は1日家にいて家の掃除もしないといけない。しかし冬の空気は冷たい。
こんな冬の空気が好きだったのだろうか。作家の立原正秋はよく冬を舞台にして小説を書いていた。小説だからどんなふうにも虚像が書くことができただろう。しかし私は立原正秋のドキュメントを1冊でもいいから読みたかった。
立原正秋の日本植民地支配から朝鮮半島の人々の暮らしそして日本での暮らし、自分とあわせて自分の口から書いてほしかった。
ずっと出自を隠し通すことは辛かったと思うが出自を明かすより隠し通すほうがこの日本では生き易かったのだろうかと思ったりする。
しかし隠し通せるものではない。必ずどこかでその人の成りを知って話す人がいるはずである。こんなことを考えると出自の隠し通しはもっと辛かったはずだと思っている。辛かった分、日本の庭園にこだわり日本の能にこだわったのだろか。この意識が私は今も理解できない。
必ずどこかで民族の血が騒いでいたはずだったとおもう。そんなありのままの立原正秋の文章を読みたかったと今もそう思う。
奈良の底冷えのする冬の空気に韓国で少年時代を過ごしたお寺のことを書かれた小説に立原正秋を置き換えてそう思ってしまう。
そんな張り詰めた今日の奈良の空気の冷たさである。
若いときは電気ストーブ1つで部屋の暖房は事たりていたのに老いは少しずつきている。
あれこれと雑用をするのがあるのにパソコンの前で座っている。
明日は現場の取材、月曜日も朝早くから現場にいかないといけない。
暖かくなりだすと人々は動き出すのでまた現場は増えるだろう。
昨日は美容院に行った帰りまた行きつけの喫茶店に寄った。新聞を半分しか読んでいなかったのでまた立寄った。
2時15分と言うのに昨日は店内は空いていた。
冷たい風でみんな家の中に引っ込んでいてでてこないようだ。
私の同年齢程度の人が多く本や新聞を持ってやってくる。家にいると定年退職した夫が家にいて新聞も本も読めない。買物のついでに寄っているのだろう。この間家にいる夫は鬼のいない間に好きなテレビ見たりしている。夫も息抜きしている。夫婦であってもどこかで距離を置かないと持たない。
自分ひとりの時間を作らないといけない。そう思ってやってきていると私は考えている。けっこう文庫本や単庫本を持ってきて読んでいる人も多い。気候がよくなると3・4人連れがやってきておしゃべりに夢中になっている人も多く見かける。中には大きい声で話す人がいて静かに本や新聞を読んでいる人ははた迷惑である。若い20代の人なら「静かにして」と注意するがさすが私より年輩の人にいえなくてはた迷惑を辛抱している。
先日、伊丹の現場でこのジャーナリスト・ネットの原稿寄稿者の朴明子さんにあった。私より3歳年上なのに顔が童顔なのかどうしても下に見えてしまう。そして私は後で反省している。
年上なのにため口になっていたのではないのかとまた自己嫌悪になっている。とにかく私より3歳年上ですが可愛い童顔はまた若かしく綺麗になっておられた。病気と言っておられたが元気にしておられた。次の原稿を楽しみにしている。
そしてもう1人、ウトロ問題で活動する役員の奥さんにもあった。この人も童顔でそして美人で可愛い顔をしておられる。神戸出身だが六甲の水は童顔に作るのだろうかと私はそんなことを考えて見ていた。
フイルドワークをしてあまりにも寒くて帰る電車が気になって朴明子さんに挨拶もしないで急いでタクシーにのって伊丹駅に戻ってきた。
挨拶もそこそこに皆に失礼してきた。
いつもこんなことである。奈良までかえるとなるといつも急いですっ飛んで会場から出てくる。
外は寒いのだろうか。
今日は1日家にいて家の掃除もしないといけない。しかし冬の空気は冷たい。
こんな冬の空気が好きだったのだろうか。作家の立原正秋はよく冬を舞台にして小説を書いていた。小説だからどんなふうにも虚像が書くことができただろう。しかし私は立原正秋のドキュメントを1冊でもいいから読みたかった。
立原正秋の日本植民地支配から朝鮮半島の人々の暮らしそして日本での暮らし、自分とあわせて自分の口から書いてほしかった。
ずっと出自を隠し通すことは辛かったと思うが出自を明かすより隠し通すほうがこの日本では生き易かったのだろうかと思ったりする。
しかし隠し通せるものではない。必ずどこかでその人の成りを知って話す人がいるはずである。こんなことを考えると出自の隠し通しはもっと辛かったはずだと思っている。辛かった分、日本の庭園にこだわり日本の能にこだわったのだろか。この意識が私は今も理解できない。
必ずどこかで民族の血が騒いでいたはずだったとおもう。そんなありのままの立原正秋の文章を読みたかったと今もそう思う。
奈良の底冷えのする冬の空気に韓国で少年時代を過ごしたお寺のことを書かれた小説に立原正秋を置き換えてそう思ってしまう。
そんな張り詰めた今日の奈良の空気の冷たさである。
まいったなぁ…(;><)
彼氏にバレたらヤバいよね…(・ ・;))。 http://dykoon.net/s/760