朝方は太陽が出ていて春のような日差しに見えた。
けれど外に出ると寒いです。
9時過ぎに市内循環バス、奈良公園周りに乗って近鉄奈良駅に出ると9時20分です。下車してコンビニに寄って郵便物の重さを量ってもらって2通の郵便物の切手を購入してコンビニの前にあるポストに投函した。
それから行きつけの喫茶店に行くともう9時半です。
喫茶店、今日は空いている。
寒いから空いているのか----。
先日、土曜日9時半の京都行き特急に乗るので違う喫茶店にいった。
行きつけの喫茶店、土曜日は9時にしか開店しないので斜め向かいの喫茶店に行ったがここには私がいっている行きつけの喫茶店に来ていた人が多く利用しておられた。
朝、8時半から喫茶店を利用したい人はこの喫茶店を利用しているがまた他の理由もあることが分かったが間接的に聞いていることなのでここには書かないことにしよう。
この頃、いつもの常連が斜め向かいの喫茶店に行く理由が分かってきた。
私が直接に耳に聞いているのでその理由の1つはここに書いておこう。
以前からこの喫茶店の常連の何人から聞いていたが自分が直接に聞いたわけではないのでそんな話は聞き流していた。
噂は本当だった。
だから喫茶店を変える人もいるという。
奈良市の東向き通りの商店街で飲食店の創業者が毎日この私の行きつけの喫茶店を利用している。今は息子たちに任せているので毎日、暇な時間をもてあましている80歳はとうに越えた高齢者の婦人、私は最初は雑誌記者時代、営業の人が広告でお世話になっていたので話はしていたが、話し出すととまらない。私は何時の電車に乗るといって新聞を読みかけても話してこられる。何度かこんなことがあって辟易したので店内の両端に座って誰も話しかけられないように少し予防の距離をとった。
いつもしらん顔して新聞を読んでいる。
挨拶だけはして話はしないようにしている。
そのうち常連客の何人から私に苦情をいいかけた。
私の思っていることと同じで話し出すととまらない。
コーヒー飲んでぼんやり過したい人もいるのに話しかけてきてとまらないという。そんなことは自分で予防線をはってその側に座らないようにすればいい。
私は最近、その高齢者婦人の耳障りの会話が気になってきた。
かならず人を面接するみたいにその人の出身を聞いている。
観光でこられている人にもしている。
知らん顔して新聞を読んでいる私の耳に入ってくる。
「どこから来られたのですか」
「仕事は何をしていますか」
「結婚していますか」
尋ねられていた40代前後の女性、最初は、ええ、まあと言葉を選びながらも答えていたが3つ目の質問あたりから嫌になったのか、コーヒーを急いで飲んで、旅行カバンを引いてすぐに出て行かれた。
今日はまた70歳前後の女性と隣合わせに座ることになった高齢者婦人。
新聞を読んでいた私は知り合いかなと思ったら違っていたようだ。
また高齢者の婦人がその隣に座っている女性に話しかけた。
「どこからこられたのですか」
「奈良の言葉ではないのでどこの出身ですか」と聞くと
「東北です」と答えた。
「やっぱり、東北弁がでていますね。私も東北にいましたから」
「東北のどちらにいましたか」
「いえ。少しだけですが東北にいました」
と、いって自分のことは話さない。
そして高齢者の婦人は聞く。
「東北にはいかれるのでしょう」
「いいえ、行きません。もう 誰もいませんから」
「それはいけませんね。東北には親戚やらたくさんおられるのに行かないといけないでしょう」といっている。
ここまで来ると余計なおせっかいをする高齢者の婦人になっていて嫌悪感になってしまう。
聞かれていた女性は口をつぐんで黙ってしまった。
私は新聞を読みながらも耳に入ってくる言葉に私自身も嫌悪感になった。
なるほど常連客から聞く言葉、「自分は何様と思ってえらそうな口の聞き方をしている。あれが気にくわないので私は挨拶もしない」と話していた意味がようやくやっとわかった。
戦前、戦中、戦後と生きてこられた年代なのにどうしてその人の空気がめないのだろう。喫茶店は面接会場ではない。
面接に対応したら採用して交通費でもくれるのだろうか。見ているとそんな気配はまったくない。面接好きなおばあちゃん。喫茶店で隣に座った人に必ずしているようだ。
10年前はまだこんなにひどいと思わなかったのにここ2・3年、酷いらしい。
親しくする人は限られてきているようだ。私を含めて多くの人は高齢者婦人とそのかかわりの人たち数人から離れて座るようにしている。側にはめったに行かない。
高齢者の婦人を含めて数人が孤立している。
それでもこの中のアホは「ここでいっぱい友だちを作っている」と私に聞こえるうに話している。この人も問題の婦人でこの人にも嫌悪感を持っていて離れて座っているのに----。私も1度だけ話したが1度、話しただけで好きになれない人と判断して挨拶はしても絶対に話さなくなった。距離が近くなると怖い人と直感でそう思った。
自分たちは店の常連客で主と思っていると思うが周りから見ているものはそれこそ喫茶店の害虫のようで公害の1つにもなっていることに気がついていない。高齢者の婦人、わが道を行くのはいいが初めてこられたお客。隣に座ってこられてもあれこれと出身や家族構成を聞いているがこれが街の害虫で公害です。
たいてい2・3度は受け答えしているがそれからは急いでコーヒーを飲んで出ていかれる。たぶん斜め向かいの喫茶店に行ってまたコーヒーを飲んでおられるのだろう。
経営者や店の人たちもこんな現実を知っているのだろうか。
午後からはサークルなどの帰りの婦人たちが多く利用されるので経営は成り立っているだろう。しかし長いことこの店に行きつけていて顧客の不満を充満していることにも気がついてもらいたいものだ。
不満があるなら利用してもらわなくてもいいと思われるだろう。
しかし自分と相性の会う喫茶店があるので端っこに座って雑音を入れないようにして新聞を読んでいるが、たまにモロに聞こえてくる高齢者の婦人の質問攻めに辟易している。自分に聞かれていないが他所の人に聞いているのを耳に入ってくると「またはじまった。この人の癖、癖はなおらない」と思って聞いているが、聞いているほうも何度か聞いていると気分がうっとおしいくなっていく。
大阪のおばちゃんの方が明るい。
奈良のおばちゃんの底意地の悪さを見るようで私は心の中で「やめて」と叫んでいて胃痛になっている。
なんとかなりませんかね。奈良のおばちゃん。
奈良のおばちゃん、いい人もたくさんいるのにこの高齢者の婦人のために奈良のイメージが悪くなっているような気がしているのは私だけだろうか。
けれど外に出ると寒いです。
9時過ぎに市内循環バス、奈良公園周りに乗って近鉄奈良駅に出ると9時20分です。下車してコンビニに寄って郵便物の重さを量ってもらって2通の郵便物の切手を購入してコンビニの前にあるポストに投函した。
それから行きつけの喫茶店に行くともう9時半です。
喫茶店、今日は空いている。
寒いから空いているのか----。
先日、土曜日9時半の京都行き特急に乗るので違う喫茶店にいった。
行きつけの喫茶店、土曜日は9時にしか開店しないので斜め向かいの喫茶店に行ったがここには私がいっている行きつけの喫茶店に来ていた人が多く利用しておられた。
朝、8時半から喫茶店を利用したい人はこの喫茶店を利用しているがまた他の理由もあることが分かったが間接的に聞いていることなのでここには書かないことにしよう。
この頃、いつもの常連が斜め向かいの喫茶店に行く理由が分かってきた。
私が直接に耳に聞いているのでその理由の1つはここに書いておこう。
以前からこの喫茶店の常連の何人から聞いていたが自分が直接に聞いたわけではないのでそんな話は聞き流していた。
噂は本当だった。
だから喫茶店を変える人もいるという。
奈良市の東向き通りの商店街で飲食店の創業者が毎日この私の行きつけの喫茶店を利用している。今は息子たちに任せているので毎日、暇な時間をもてあましている80歳はとうに越えた高齢者の婦人、私は最初は雑誌記者時代、営業の人が広告でお世話になっていたので話はしていたが、話し出すととまらない。私は何時の電車に乗るといって新聞を読みかけても話してこられる。何度かこんなことがあって辟易したので店内の両端に座って誰も話しかけられないように少し予防の距離をとった。
いつもしらん顔して新聞を読んでいる。
挨拶だけはして話はしないようにしている。
そのうち常連客の何人から私に苦情をいいかけた。
私の思っていることと同じで話し出すととまらない。
コーヒー飲んでぼんやり過したい人もいるのに話しかけてきてとまらないという。そんなことは自分で予防線をはってその側に座らないようにすればいい。
私は最近、その高齢者婦人の耳障りの会話が気になってきた。
かならず人を面接するみたいにその人の出身を聞いている。
観光でこられている人にもしている。
知らん顔して新聞を読んでいる私の耳に入ってくる。
「どこから来られたのですか」
「仕事は何をしていますか」
「結婚していますか」
尋ねられていた40代前後の女性、最初は、ええ、まあと言葉を選びながらも答えていたが3つ目の質問あたりから嫌になったのか、コーヒーを急いで飲んで、旅行カバンを引いてすぐに出て行かれた。
今日はまた70歳前後の女性と隣合わせに座ることになった高齢者婦人。
新聞を読んでいた私は知り合いかなと思ったら違っていたようだ。
また高齢者の婦人がその隣に座っている女性に話しかけた。
「どこからこられたのですか」
「奈良の言葉ではないのでどこの出身ですか」と聞くと
「東北です」と答えた。
「やっぱり、東北弁がでていますね。私も東北にいましたから」
「東北のどちらにいましたか」
「いえ。少しだけですが東北にいました」
と、いって自分のことは話さない。
そして高齢者の婦人は聞く。
「東北にはいかれるのでしょう」
「いいえ、行きません。もう 誰もいませんから」
「それはいけませんね。東北には親戚やらたくさんおられるのに行かないといけないでしょう」といっている。
ここまで来ると余計なおせっかいをする高齢者の婦人になっていて嫌悪感になってしまう。
聞かれていた女性は口をつぐんで黙ってしまった。
私は新聞を読みながらも耳に入ってくる言葉に私自身も嫌悪感になった。
なるほど常連客から聞く言葉、「自分は何様と思ってえらそうな口の聞き方をしている。あれが気にくわないので私は挨拶もしない」と話していた意味がようやくやっとわかった。
戦前、戦中、戦後と生きてこられた年代なのにどうしてその人の空気がめないのだろう。喫茶店は面接会場ではない。
面接に対応したら採用して交通費でもくれるのだろうか。見ているとそんな気配はまったくない。面接好きなおばあちゃん。喫茶店で隣に座った人に必ずしているようだ。
10年前はまだこんなにひどいと思わなかったのにここ2・3年、酷いらしい。
親しくする人は限られてきているようだ。私を含めて多くの人は高齢者婦人とそのかかわりの人たち数人から離れて座るようにしている。側にはめったに行かない。
高齢者の婦人を含めて数人が孤立している。
それでもこの中のアホは「ここでいっぱい友だちを作っている」と私に聞こえるうに話している。この人も問題の婦人でこの人にも嫌悪感を持っていて離れて座っているのに----。私も1度だけ話したが1度、話しただけで好きになれない人と判断して挨拶はしても絶対に話さなくなった。距離が近くなると怖い人と直感でそう思った。
自分たちは店の常連客で主と思っていると思うが周りから見ているものはそれこそ喫茶店の害虫のようで公害の1つにもなっていることに気がついていない。高齢者の婦人、わが道を行くのはいいが初めてこられたお客。隣に座ってこられてもあれこれと出身や家族構成を聞いているがこれが街の害虫で公害です。
たいてい2・3度は受け答えしているがそれからは急いでコーヒーを飲んで出ていかれる。たぶん斜め向かいの喫茶店に行ってまたコーヒーを飲んでおられるのだろう。
経営者や店の人たちもこんな現実を知っているのだろうか。
午後からはサークルなどの帰りの婦人たちが多く利用されるので経営は成り立っているだろう。しかし長いことこの店に行きつけていて顧客の不満を充満していることにも気がついてもらいたいものだ。
不満があるなら利用してもらわなくてもいいと思われるだろう。
しかし自分と相性の会う喫茶店があるので端っこに座って雑音を入れないようにして新聞を読んでいるが、たまにモロに聞こえてくる高齢者の婦人の質問攻めに辟易している。自分に聞かれていないが他所の人に聞いているのを耳に入ってくると「またはじまった。この人の癖、癖はなおらない」と思って聞いているが、聞いているほうも何度か聞いていると気分がうっとおしいくなっていく。
大阪のおばちゃんの方が明るい。
奈良のおばちゃんの底意地の悪さを見るようで私は心の中で「やめて」と叫んでいて胃痛になっている。
なんとかなりませんかね。奈良のおばちゃん。
奈良のおばちゃん、いい人もたくさんいるのにこの高齢者の婦人のために奈良のイメージが悪くなっているような気がしているのは私だけだろうか。
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