今日は京都の祇園祭、大勢の人が訪れるだろう。
天気になってまた人出が多いだろう。
祇園祭のときはいつも暑い。
成人するまで京都で過ごした夫、同級生は京都に住んでいる人が多い。
先日の11日、京都市立○○小学校の同窓会が京都駅近くで開かれた。
そして話題に出たのが小学6年の時に北朝鮮に帰った同級生、女の子の消息だった。
夫が在日韓国人と知っている同級生たちが帰国した同級生のことを聞いていたという。夫は「もう死んでいるだろう」と北朝鮮の独裁国家の体質と帰国者がそう長生きできない貧しい国の現実を話していた。
この同窓会に朝鮮総連で活動する同級生も参加していた。
弁のたつこの同級生の話に10年前は聞き入っていたというが今は彼の話を誰も聞かない。
同級生たちは「やっと北朝鮮の現実が分かってきたようだった」と、夫は話していた。
京都はかつて革新系の知事の時代が長かった。
共産党の支持者が多かったので北朝鮮の「地上の楽園」を信じていた人が多かった。
かつて京都に住んでいた夫の家族たちに朝鮮総連の人たちが帰国を勧めにきたことがあった。
しかし長兄はきっぱりと断った。
「私の家の故郷は韓国にあります。北朝鮮に帰っても何も意味がありません」と言って帰国運動には反対だったようだった。
夫の次兄が長い年月を立ってこんな話を私にしてくれた。
次兄は「長兄の考えと判断は正解だった」と言っていた。
どうして日本は韓国に故郷を持っていた人まで帰国を勧めたのだろうか。一世の大半、韓国が故郷である。朝鮮総連もよく日本政府の意向にのって帰国を進めたと思っている。北朝鮮の現状を知っていたはずだ。
夫はテレビで放映される北朝鮮の状況を見ていつも言う。
同級生のことをいつも思うのか「アイツは北朝鮮に帰ったがあの国で今は生きているはずがない」と言って目頭を潤ませてテレビを見ている。
同級生が帰国してもちっとも幸せになっていない国の現実に北朝鮮の現況をもっとも嫌っている夫である。
夫は寡黙な人でめったに人前では自分の心の中を話さない人だが今回の同窓会では北朝鮮の現実を話してきたようだ。
今日は祇園祭、北朝鮮に帰国した人たちは京都にいたときは祇園祭も見ただろう。夫の先日の同窓会の話を聞いて祇園祭を見て北朝鮮に帰国した人たち、どんな思いで7月17日を思っているだろうかと思った。
昨日は1時に鶴橋の現場、自宅を出たのが10時前、近鉄奈良駅に着いたのが10時15分、行きつけの喫茶店に行って新聞2紙を読んで11時過ぎに近鉄奈良駅から電車に乗った。
鶴橋に着くと12時、近くの銀行に寄って通帳記入をして鶴橋駅前にある回転寿司の店で昼食、12時45分に駅の前にある喫茶店に行った。
喫茶店の個室を予約しておいた。
民族教育ではこの人の前に出る人がいないほど貢献された年輩の男性に1時間半のインタビューをした。
初めて聞く話、そして思いが入った話し、情熱的に語る年輩の1世の男性の話しに日本社会で生きてきたその苦労、しかし苦労にめげないで道を切り開いてこられた人生、また育てた人材の多さに感動していた。
元気でまだ活動しておられる。
隠居して晴耕雨読の生活ができる人だが周りが放っておかない。
1世の積み重ねた人生の歩みに後輩たちは放っておかない。
インタビユーは2時20分に終った。
そのまま私は近鉄鶴橋駅に向かった。
4時台まで奈良行特急はない。
2時38分の快速急行に乗った。
私がホームの1番前で並んでいるのに年輩の男性が後ろからせり出してきた。
私は優先座席に座ろうと思って並んでいるのに年輩の男性がせり出してきた。
電車が来ると優先座席は1つしか空いていなかった。
私は1つの座席をこの男性に譲った。
座るところがなければ生駒まで立つしかないと思ったが車輌の後方に行くと何席かあいていたので座れた。
年輩の男性も私も思うことは同じ、1番後ろの車輌ならなんとか座れると思っている。
生駒の手前あたりから雷がなって雨が激しく降りだした。
西大寺に来ると雨が降っていない。
雷がなっている。
奈良に着くと雨が降り出している。
通り雨に私は行きつけの喫茶店に入った。
3時過ぎである。取材ノートの整理をした。
雨がやんだようだ。
3時半に喫茶店を出て文房具屋さんに寄って大量の資料をコピーする。
終えて外にでると4時、スーパーに寄って食材の買出し、4時40分、バス乗り場に行くと中循環バスが5つほど向こうを走っている。もうすぐ来る。遅れているバスがもうすぐ来るのでこのバスを待った。
家に帰ると5時、風呂に湯を入れながら家事をして湯が入ると私は風呂に入った。風呂から上がっての夕食の支度、支度を終えてバソコンを開けて10分もすると夫が帰ってきた。
夕食を済ますと疲れているのか夜、パソコンを開ける気にならない。
早く横になりたい。9時には床についていた。
それで昨日の夜はブログを書いていない。
今日はマンションの排水の清掃で来られる。もうすぐ来られる。
9時半には外出の支度をしないといけない。
今日は大阪2時の現場です。
帰りは夕方になります。
天気になってまた人出が多いだろう。
祇園祭のときはいつも暑い。
成人するまで京都で過ごした夫、同級生は京都に住んでいる人が多い。
先日の11日、京都市立○○小学校の同窓会が京都駅近くで開かれた。
そして話題に出たのが小学6年の時に北朝鮮に帰った同級生、女の子の消息だった。
夫が在日韓国人と知っている同級生たちが帰国した同級生のことを聞いていたという。夫は「もう死んでいるだろう」と北朝鮮の独裁国家の体質と帰国者がそう長生きできない貧しい国の現実を話していた。
この同窓会に朝鮮総連で活動する同級生も参加していた。
弁のたつこの同級生の話に10年前は聞き入っていたというが今は彼の話を誰も聞かない。
同級生たちは「やっと北朝鮮の現実が分かってきたようだった」と、夫は話していた。
京都はかつて革新系の知事の時代が長かった。
共産党の支持者が多かったので北朝鮮の「地上の楽園」を信じていた人が多かった。
かつて京都に住んでいた夫の家族たちに朝鮮総連の人たちが帰国を勧めにきたことがあった。
しかし長兄はきっぱりと断った。
「私の家の故郷は韓国にあります。北朝鮮に帰っても何も意味がありません」と言って帰国運動には反対だったようだった。
夫の次兄が長い年月を立ってこんな話を私にしてくれた。
次兄は「長兄の考えと判断は正解だった」と言っていた。
どうして日本は韓国に故郷を持っていた人まで帰国を勧めたのだろうか。一世の大半、韓国が故郷である。朝鮮総連もよく日本政府の意向にのって帰国を進めたと思っている。北朝鮮の現状を知っていたはずだ。
夫はテレビで放映される北朝鮮の状況を見ていつも言う。
同級生のことをいつも思うのか「アイツは北朝鮮に帰ったがあの国で今は生きているはずがない」と言って目頭を潤ませてテレビを見ている。
同級生が帰国してもちっとも幸せになっていない国の現実に北朝鮮の現況をもっとも嫌っている夫である。
夫は寡黙な人でめったに人前では自分の心の中を話さない人だが今回の同窓会では北朝鮮の現実を話してきたようだ。
今日は祇園祭、北朝鮮に帰国した人たちは京都にいたときは祇園祭も見ただろう。夫の先日の同窓会の話を聞いて祇園祭を見て北朝鮮に帰国した人たち、どんな思いで7月17日を思っているだろうかと思った。
昨日は1時に鶴橋の現場、自宅を出たのが10時前、近鉄奈良駅に着いたのが10時15分、行きつけの喫茶店に行って新聞2紙を読んで11時過ぎに近鉄奈良駅から電車に乗った。
鶴橋に着くと12時、近くの銀行に寄って通帳記入をして鶴橋駅前にある回転寿司の店で昼食、12時45分に駅の前にある喫茶店に行った。
喫茶店の個室を予約しておいた。
民族教育ではこの人の前に出る人がいないほど貢献された年輩の男性に1時間半のインタビューをした。
初めて聞く話、そして思いが入った話し、情熱的に語る年輩の1世の男性の話しに日本社会で生きてきたその苦労、しかし苦労にめげないで道を切り開いてこられた人生、また育てた人材の多さに感動していた。
元気でまだ活動しておられる。
隠居して晴耕雨読の生活ができる人だが周りが放っておかない。
1世の積み重ねた人生の歩みに後輩たちは放っておかない。
インタビユーは2時20分に終った。
そのまま私は近鉄鶴橋駅に向かった。
4時台まで奈良行特急はない。
2時38分の快速急行に乗った。
私がホームの1番前で並んでいるのに年輩の男性が後ろからせり出してきた。
私は優先座席に座ろうと思って並んでいるのに年輩の男性がせり出してきた。
電車が来ると優先座席は1つしか空いていなかった。
私は1つの座席をこの男性に譲った。
座るところがなければ生駒まで立つしかないと思ったが車輌の後方に行くと何席かあいていたので座れた。
年輩の男性も私も思うことは同じ、1番後ろの車輌ならなんとか座れると思っている。
生駒の手前あたりから雷がなって雨が激しく降りだした。
西大寺に来ると雨が降っていない。
雷がなっている。
奈良に着くと雨が降り出している。
通り雨に私は行きつけの喫茶店に入った。
3時過ぎである。取材ノートの整理をした。
雨がやんだようだ。
3時半に喫茶店を出て文房具屋さんに寄って大量の資料をコピーする。
終えて外にでると4時、スーパーに寄って食材の買出し、4時40分、バス乗り場に行くと中循環バスが5つほど向こうを走っている。もうすぐ来る。遅れているバスがもうすぐ来るのでこのバスを待った。
家に帰ると5時、風呂に湯を入れながら家事をして湯が入ると私は風呂に入った。風呂から上がっての夕食の支度、支度を終えてバソコンを開けて10分もすると夫が帰ってきた。
夕食を済ますと疲れているのか夜、パソコンを開ける気にならない。
早く横になりたい。9時には床についていた。
それで昨日の夜はブログを書いていない。
今日はマンションの排水の清掃で来られる。もうすぐ来られる。
9時半には外出の支度をしないといけない。
今日は大阪2時の現場です。
帰りは夕方になります。
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