
焼き茄子を作ろうかな。明日は大阪の現場がある。
早く寝たいので明日の連載は予告でセットアップした。もう1つの画面は予告しないで公開されているがもうそれでいいと思っている。
朝から横になって昨日買ったばかりの単子本を読んだ。
以前は鞄の中に入れて電車の中で読んでいたが重くなって負担になるので鞄の中に入れておく本は文庫本に変えた。
昨日、本屋さんに寄って取り置きをしてもらおうとしたらもう本は入荷されていた。24日発売だが昨日に入荷していた。
拉致被害者の1人、日本に戻ることができた蓮池薫さんの韓国紀行のエッセイ集である。新潮社から「半島へ、ふたたび」の著書である。
朝から横になってこの本を半分ほど読んだ。夕べ少し読んだが今日は一気に読んだ。面白い。なるほど。北朝鮮で暮らした体験を盛り込みながら韓国で訪れたところをそのままの感想の旅日記を書いておられた。
旅の中の名所は私もほとんど行っている。
「戦争記念館」「景福宮」など。地下鉄も体験されている。
私も地下鉄に乗ると商品を売る人にも何度もあっているが知らん顔している。
韓国の知人はガム売りが来るとガムを買っていた。
近年はもうタクシーを利用しているので地下鉄の利用をほとんどしなくなった。
あの深い階段が怖くて利用できなくなった。
2002年だったのか03年だったのか。再開発地域の1つ二村洞に行った。韓国で暮らす在日韓国人の女性たちとの食事会で二村洞の地下鉄駅の改札口で待ち合わせをした。時間があったので地上にあがってその家のあるところを少しだけ歩いた。
高層マンションが大通りを隔てた向こう側に林立しているのにここは再開発に入って住む人がまばらだった。1993年か94年にもここで待ち合わせをしたときはまだ人が住んでいたが在日韓国人の女性たちは「あそこはいずれ立ちのきになるから」といった。そんなにたくさん写真がとれなくて2枚、この家の近辺を写真におさめたことを思い出していた。
蓮池さんの著書にでてくる「タルトンネ(月の村)」は行ったことがない。たいていタクシーや車の中から見たような記憶がある。
ソウルで1番大きい「教保文庫」も蓮池さんの著書にでている。
私は何度も訪問している。
宿泊していたホテルがソウル市庁近くのニュー国際ホテルだったので歩いて散策がてら教保文庫をのぞき、孫の玩具、教材になる玩具をよく買った。
当時はまだ清渓川は完成していなかったので鉄板の道をよく歩いた。
「教保文庫」は教保生命ビルの地下にあるがこの1回には「アベニユー」という新羅ホテル系のレストランがある。コーヒーも美味しいがシーフードスパゲテイがすこぶる美味しい。辛い物が食べられる間はここによってスバゲテイーほ食べていたが辛い物が食べられなくて近年はロッテ百貨店の地下街、または新世界百貨店の上階にある日本でも見られる回転寿しを食べに言っている。
そんなことも思い出していた。
蓮池さんも軍事境界線38度線近くに行くのに自由路をとおっている文書があった。今は自由路というのだろうか。それとも違う道なのだろうか。
私は汶山(ムンサン)から統一路に入って軍事境界線近くの板門店を行ったこと思い出していた。
著書はまだ半分しか読んでいない。韓国の韓屋村、私はまだ行っていない。水原(スオン)にある韓国民俗村は行っている。
読みながらかつて韓国を訪問した40代、50代の私と重ね合わせていた。
日本に戻ってこられて言葉「韓国語」を自分の生きる糧にして頑張っておられる様子にほっと安堵していた。
日本に帰国されても自分の言葉で話されることがなかった。諸事情があって話されなかったのだろう。帰国して7年目に韓国に訪れて韓国の作家とも会われて翻訳した人たちとお会いしてまた人間関係を作っておられた。
韓国語ができるからこんなことができる。うらやましいなと思って読んでいたが拉致された24年間の代償にすれば蓮池さんにするとこんなことはちっぽけなものかもしれない。こんなことではすまない人生があるだろう。
いったん起きて昼食をしてまた新聞を読んだ。しばらくしてウトウトと居眠りについた。起きると2時半、3時前にパソコンの前に座って明日連載をセットアップした。
そして今日のブログ2本目を書いている。
もう4時半、夕食の支度をしないといけない。
【写真説明】92年か93年かの写真撮影、地下鉄二村洞駅から地上にでると写真のような韓屋が建ち並んでいたが朽ちかけた家々に林立する高層ビルの間にソウル市内の一角にこんなところがあるのかと驚いた。そこは再開発地域に入っていると聞いて納得した。
早く寝たいので明日の連載は予告でセットアップした。もう1つの画面は予告しないで公開されているがもうそれでいいと思っている。
朝から横になって昨日買ったばかりの単子本を読んだ。
以前は鞄の中に入れて電車の中で読んでいたが重くなって負担になるので鞄の中に入れておく本は文庫本に変えた。
昨日、本屋さんに寄って取り置きをしてもらおうとしたらもう本は入荷されていた。24日発売だが昨日に入荷していた。
拉致被害者の1人、日本に戻ることができた蓮池薫さんの韓国紀行のエッセイ集である。新潮社から「半島へ、ふたたび」の著書である。
朝から横になってこの本を半分ほど読んだ。夕べ少し読んだが今日は一気に読んだ。面白い。なるほど。北朝鮮で暮らした体験を盛り込みながら韓国で訪れたところをそのままの感想の旅日記を書いておられた。
旅の中の名所は私もほとんど行っている。
「戦争記念館」「景福宮」など。地下鉄も体験されている。
私も地下鉄に乗ると商品を売る人にも何度もあっているが知らん顔している。
韓国の知人はガム売りが来るとガムを買っていた。
近年はもうタクシーを利用しているので地下鉄の利用をほとんどしなくなった。
あの深い階段が怖くて利用できなくなった。
2002年だったのか03年だったのか。再開発地域の1つ二村洞に行った。韓国で暮らす在日韓国人の女性たちとの食事会で二村洞の地下鉄駅の改札口で待ち合わせをした。時間があったので地上にあがってその家のあるところを少しだけ歩いた。
高層マンションが大通りを隔てた向こう側に林立しているのにここは再開発に入って住む人がまばらだった。1993年か94年にもここで待ち合わせをしたときはまだ人が住んでいたが在日韓国人の女性たちは「あそこはいずれ立ちのきになるから」といった。そんなにたくさん写真がとれなくて2枚、この家の近辺を写真におさめたことを思い出していた。
蓮池さんの著書にでてくる「タルトンネ(月の村)」は行ったことがない。たいていタクシーや車の中から見たような記憶がある。
ソウルで1番大きい「教保文庫」も蓮池さんの著書にでている。
私は何度も訪問している。
宿泊していたホテルがソウル市庁近くのニュー国際ホテルだったので歩いて散策がてら教保文庫をのぞき、孫の玩具、教材になる玩具をよく買った。
当時はまだ清渓川は完成していなかったので鉄板の道をよく歩いた。
「教保文庫」は教保生命ビルの地下にあるがこの1回には「アベニユー」という新羅ホテル系のレストランがある。コーヒーも美味しいがシーフードスパゲテイがすこぶる美味しい。辛い物が食べられる間はここによってスバゲテイーほ食べていたが辛い物が食べられなくて近年はロッテ百貨店の地下街、または新世界百貨店の上階にある日本でも見られる回転寿しを食べに言っている。
そんなことも思い出していた。
蓮池さんも軍事境界線38度線近くに行くのに自由路をとおっている文書があった。今は自由路というのだろうか。それとも違う道なのだろうか。
私は汶山(ムンサン)から統一路に入って軍事境界線近くの板門店を行ったこと思い出していた。
著書はまだ半分しか読んでいない。韓国の韓屋村、私はまだ行っていない。水原(スオン)にある韓国民俗村は行っている。
読みながらかつて韓国を訪問した40代、50代の私と重ね合わせていた。
日本に戻ってこられて言葉「韓国語」を自分の生きる糧にして頑張っておられる様子にほっと安堵していた。
日本に帰国されても自分の言葉で話されることがなかった。諸事情があって話されなかったのだろう。帰国して7年目に韓国に訪れて韓国の作家とも会われて翻訳した人たちとお会いしてまた人間関係を作っておられた。
韓国語ができるからこんなことができる。うらやましいなと思って読んでいたが拉致された24年間の代償にすれば蓮池さんにするとこんなことはちっぽけなものかもしれない。こんなことではすまない人生があるだろう。
いったん起きて昼食をしてまた新聞を読んだ。しばらくしてウトウトと居眠りについた。起きると2時半、3時前にパソコンの前に座って明日連載をセットアップした。
そして今日のブログ2本目を書いている。
もう4時半、夕食の支度をしないといけない。
【写真説明】92年か93年かの写真撮影、地下鉄二村洞駅から地上にでると写真のような韓屋が建ち並んでいたが朽ちかけた家々に林立する高層ビルの間にソウル市内の一角にこんなところがあるのかと驚いた。そこは再開発地域に入っていると聞いて納得した。
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