グー版・迷子の古事記

古事記の世界をあっちへふらふらこっちへふらふら
気になったことだけ勝手に想像して勝手に納得しています

タケミカヅチ④

2013年09月19日 | 古事記
タケミカヅチには剣神と雷神の二つの性格があります
何故、剣神で雷神なのか?
今回はそんな話です

  《タケミカヅチの名前》

タケミカヅチの名前には大きく分けて2種類あります。

①武甕槌 … 剣神 雷神
②武御雷 … 雷神

名前の表記だけで選別すると上で示したようになります。

タケミカヅチは剣神で雷神って…
「なんのこっちゃ?」

ミカ(甕)には「映し出す。輝き。」のような意味があります。
当ブログ かめ 参照下さい
ミカヅチを分解すると、

ミカヅチ = (ミカ)(ツ)(チ)

となり、ミカ(甕)の神霊という意味になります。
①の神様は「映し出す神霊」。剣はその刀身に姿(霊)を映し出します。その事から剣神となります。
①②の神様は「輝く神霊」から雷神になったと思います。

  《国譲りの演出》

古代人のタケミカヅチ感というのか、タケミカヅチをどのような神様だとイメージしていたのか、うかがえるような記述が古事記にあります。
国譲りでオオクニヌシの前にタケミカヅチが現れる場面です。

腰に帯びた十掬剣(トツカツルギ)を引き抜くと、剣をさかさまに柄のほうを下にして刺し立て、その剣の切っ先の上に足を組んで座った。

剣を逆さまに突き立ててその上にあぐらをかくって…
初めて古事記を読んだとき、そんな事して何か意味でもあるの?
って思ってました。

剣にのる神もタケミカヅチなら、下にある剣もタケミカヅチなんですよね。
敢えて言うなら、上に座ってる神が雷神、下にある剣が剣神。
タケミカヅチは二位一体の神様だったのです。
雷神・剣神と分けるのでなくて、雷神剣・来々軒…
いや雷剣神とでも言うのでしょうか。

ところで、剣の上にあぐらをかいたタケミカヅチって、実際の雷の姿にも通じる物を感じませんか?
雲の上で太鼓を叩く鬼と、地面を突き刺す剣の様な稲光。
実際には自分の尻に剣刺してるんですけど…
そこがお茶目なタケミカヅチ君です

雲を拠り所とする雷神タケミカヅチが、八雲立ち雲いずる国・出雲でオオクニヌシに禅譲を迫る…
深いですね~
何か神話の作者の演出が感じられます
もしかすると、もう少し深い意味もあるのかもしれません。

九九

2013年09月18日 | 落書き帖
小学校2年生の時、算数の時間に九九を習った。

担任は池田先生という若い女の先生。
大学を出たばかりの先生だったのかな?
授業の合間の休み時間にはその都度校庭に出て一緒にドッジボールしてくれてたっけ。
昼休みだけでなく、他の10分間休憩とかも…
今考えるとパワフルだなーって思います
とにかく真剣に接してくれる先生でした。

算数で九九の授業があった日の放課後のこと…
池田先生は生徒達が楽しんで九九を覚えてくれるようにと、九九を早口言葉のように早く言う遊びのような物を考えてくれました。
ストップウォッチ片手に九九を何秒で言えるか…

放課後この遊びに残った生徒は10人。
10人はみんなこの遊びにすっかりはまってしまった。
一人ずつ先生の前にいくと、早口で九九を言ってタイムを計ってもらう。
みんな少しずつうまくなって記録は1分を切りそうな勢い。

一つだけ池田先生には誤算があったと思う。
小学校2年生は面白いことがあると疲れないのだ

どれだけ時間が経っただろう…
一人の脱落者も無く延々と九九を早口で言っては列に並びなおす生徒…
そしてただストップウォッチを押すだけの池田先生…

タイムアタックは1分を切りそうでなかなか誰も1分を切れない。
生徒は誰が1分を切るかで盛り上がっていた。
時間の経過とともに、生徒のテンションは上がる一方、先生は目に目に疲れていった。

その時奇跡はおきた。
一人の女の子が、立て板に水とでも言うように流れるように九九を言ってのけたのだ。
生徒達の目がストップウォッチに集まった。
「先生今の何秒?」
みんな叫んでいた。
「54秒よ」
池田先生の喜びとも安堵ともつかぬ笑顔がそこにはあった。

ところが生徒達は今度は自分がその記録を抜くぞ!
と言わんばかりに、よりテンションが上がってしまったのです。
優しい池田先生は「あとひと回りだけよ」と言って、みんなに記録更新のチャンスをくれたのでした。

みんなで校庭に出ると陽も暮れんばかりでした

ミカ(甕)…古代語に詳しい人に意見頂きたいかも…

2013年09月17日 | 古事記
前回導き出した答え

ミカ(甕) … 映し出す。輝き。

これが正しければ、物凄い広がりで周辺の事情が理解できる事に気付きました
当ブログ かめ 参照下さい

  《ミカ(甕)》

下記にあるのは前回示した甕のつく神様です。

①武甕槌(タケミカツチ) … 雷神 剣神
②甕早日(ミカハヤヒ) … 剣神
③天津甕星(アマツミカボシ) … 星神
④天照國照彦天火明櫛甕玉饒速日(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシミカタマニギハヤヒ) … ニギハヤヒ
⑤倭大物主櫛甕魂(ヤマトオオモノヌシクシミカタマ) … 大物主

①②③の神様は ミカ(甕)=映し出す。輝き。
の意味で説明できます。

では④⑤の神様は?
「甕」の文字の一つ前の文字に注目してください、「櫛」と言う文字が使われています。
そして「甕」と前後の3文字は「櫛甕玉、櫛甕魂」。

櫛甕玉・櫛甕魂 = クシミカタマ

これはクシミタマ(櫛魂)の事のではないか?
甕の水面に映った神霊を、「神聖な物・貴い物」という意味に取ると、
ミカタマ(甕玉)で「神聖な魂・貴い魂」と言うことになる。

ここで少し前回のおさらいと補足説明です。

鏡を神霊の依り代、化身と考えた民族は、青銅器文化以前鏡の作られなかった時代、水鏡に映る神(太陽・月)の魂(神霊)に神聖な物を感じ、その神霊を閉じ込めるミカ(甕)に霊力を感じていたと思われる。
水面に映る神の姿は手ですくい取ることも出来ないので、物体としてではなく、霊体として捉えられていただろう事は、容易に想像がつく。
また鏡を太陽神の化身とした民族は、甕に閉じ込められた太陽の神霊を貴い魂と考えていただろう事も想像に難くない。

そしてこのように考えてくると…
ミカ(甕)は「映し出す。輝き。」と言う意味だけでなく、「神聖な、貴い」と言う意味も表していたのだろうと思われるのです。

ミカタマ(甕玉)で「貴い魂」即ち、

ミカタマ(甕玉) = ミタマ(御玉)
∴ ミカ(甕) = ミ(御)

ミカ(甕)の意味の派生過程から考えても、ミカ(甕)の「カ」が欠落してミ(御)となったのではないでしょうか。
また、ミカ(甕)の転訛としてイカ(厳)となったとも考えられそうです。
ここに関連ありそうな言葉を上げておきます。

イカ(厳)…いかめしい、厳しい、おごそか。
イ(斎・忌)…清浄、神聖。
ミ(御)…貴い。

私は専門家ではないのですが、従来「イカ(厳)」は「イ(斎・忌)」の派生語として捉えられているように思います。
ところが私の考えた通りだとすると、イカ(厳)イ(斎・忌)ミ(御)は全てミカ(甕)の派生語だと考えられます

そして今まで述べた事が正しければ、ミカタマ(甕玉)はミタマ(御玉)より古い表現と言うことになり、
④⑤の神様の名前のクシミカタマ(櫛甕玉)の部分は、かなり古い表現と言えそうなのです。
④⑤の神様の神名は長いので後付で色々付けられたかもしれませんが、クシミカタマ(櫛甕玉)の部分はかなり古く、神名の原始的核心部分である可能性が高いかもしれません
私にとっては神様の本質が知りたいので、この最後の部分がとても重要となるのです

かめ

2013年09月16日 | 古事記
かめと言っても亀ではありません甕です
タケミカヅチの周辺を調べていると甕という文字に度々出会います。
そして私の妖怪アンテナは何か感じ取りました。
「おい鬼太郎、甕がキーワードなんじゃ!」

  《ミカ(甕)》

甕を現在は「カメ」と呼びますが、古代には「ミカ」と呼んでいました。
神名に付くときは「ミカ」は「イカ(厳)」の転訛のように取られ、「いかめしい、厳しい、おごそか」などの意味ととられる事が良くあるようです。
でもなんか違うのです。神様フリークの自分には何か納得出来ないモヤモヤがありました。
とりあえず、ミカ(甕)のつく神様を見ていただきます。

①武甕槌(タケミカツチ) … 雷神 剣神
②甕早日(ミカハヤヒ) … 剣神
③天津甕星(アマツミカボシ) … 星神
④天照國照彦天火明櫛甕玉饒速日(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシミカタマニギハヤヒ) … ニギハヤヒ
⑤倭大物主櫛甕魂(ヤマトオオモノヌシクシミカタマ) … 大物主

①②③は剣神、雷神、星神、どのような神様かイメージが沸きやすいと思います。
④⑤はニギハヤヒ、オオモノヌシ、この二柱の神様は太陽と関連付けされる事があります。

共通のミカ(甕)を持つこの神様達。どうでしょう?どのようなイメージを感じられるでしょうか?
私は輝きのようなイメージを感じました。
そこでミカ(甕)についてもう一歩踏み込んで想像してみます

ミカ(甕)に「輝き」を表すような意味があるならば、どう言った理由でそうなったのだろう?
ミカ(甕)は現在の甕(かめ)です。
酒や水を中に入れておく甕(かめ)です。

「なるほど…」
もうお分かりの方もいると思います。
酒や水を満面にたたえた甕。
それは水面に外の世界を映し出す鏡そのものなのです。

屋外に置いた甕の水面は、昼には太陽を、夜には月を、鏡のようにその神霊を閉じ込めます。
八咫鏡(ヤタノカガミ)が、アマテラスそのものとして古来大切にされていた事は周知の事実です。現存する神社では、鏡を御神体とされているところが数多くあります。
どれだけ鏡が神聖視されていたかは想像に難くありません。

それでは、まだ青銅器さえなく鏡が作れなかった頃ならどうでしょう?
後に鏡を神聖視する民族は、甕の水面を鏡として神聖視していたことでしょう。
そして後に鏡を太陽神の化身として崇め祭った民族は、甕の水面を太陽神の化身として崇め祭ったかもしれません。

そう考えてくると、

ミカ(甕) … 映し出す。輝き。

と言うような意味がありそうです。
「いかめしい、厳しい、おごそか」と言う意味でとらえるよりも的を得ていそうです。
①②③の神様のイメージとしてもピッタリって感じですね

タケミカヅチ③

2013年09月15日 | 古事記
国譲りで大和の大功労者となったタケミカヅチに子孫がいない、タケミカヅチを祖とする氏族がいない…
なんて非常事態なんだ
中臣・藤原氏は祖神として祭っているけども、中臣・藤原氏の祖ではない。
前回おろおろしかけた所で、タケミカヅチの二つの系図を見て、「もしかしてそうなのか?」と二つ目の系図に目がとまりました。

タケミカヅチの二つの系図

①(ホノカグツチ)→イツノオハバリ(イザナギの十拳剣)→タケミカヅチ
(国譲りの系図)
②オオモノヌシ→クシミガタ→イイガタスミ→タケミカヅチ→オオタタネコ
(崇神天皇紀の系図)

系図①のタケミカヅチは国譲りの功労者であるけれども子孫がいない。
しかし、全く別神かもしれない系図②のタケミカヅチには子孫がいる。
やはり、この二つの系図は一つのものなのかもしれない…
そうなると、大和の大功労者であるタケミカヅチの血脈はオオタタネコに受け継がれているのか…

  《オオタタネコ》

第10代崇神天皇の御世疫病が流行して人々が次々と死んでいました。
天皇は嘆き悲しみ神殿で祈願し、そのままそこで眠っていると夢にオオモノヌシが現れました。
「今流行っている病は自分のしわざである。オオタタネコに命じて自分を祭らせるなら、祟りは収まるだろう」

このオオタタネコこそが、系図②のタケミカヅチの子です。
何かおぼろげながら真実が見えてきそうな気がします

・タケミカヅチは神話の時代国譲りの功労者
・その子オオタタネコは崇神天皇時代の人

あまりにも時代が違いすぎます。
そしてもう一つ非常に重要な事柄があります。
系図②は古事記に書かれている系図なのですが、実は系図②はもう一つあるのです。
それが日本書紀の系図です。

③オオモノヌシ→オオタタネコ
(日本書紀・崇神天皇紀の系図)

系図②と③を比べてみてください。③ではタケミカヅチを含む3代の系図が削除されているのです。

古事記と日本書紀の編纂は、古事記のほうが少し早いのですが、ほぼ同時期に編纂されています。記紀どちらも、ほぼ同じ事物を編纂の素材として使用したのは確実です。
日本書紀は正式な歴史書として当初から公となりました。
しかし古事記は奈良時代の正史「続日本紀」にひと言も触れられず、平安時代の間は宮中の奥深くに隠され見てはならないものと言われていたとか…

オオタタネコの父は、系図②ではタケミカヅチ、系図③ではオオモノヌシ。
タケミカヅチ、オオモノヌシ共に神様で、崇神天皇の時代に神話の時代の神様が父として登場する事は、当時の感覚では可笑しくは無いのかもしれません。

では何故、系図③でタケミカヅチは消されたのでしょうか?

・タケミカヅチの存在が崇神天皇の時代に実際にいた人物を想起させる事により、神話と歴史の整合性が失われ記紀の正当性が失われるから?
・タケミカヅチとオオモノヌシを関連付けられたら困るから?
・タケミカヅチとオオタタネコを関連付けられたら困るから?

タケミカヅチが系図から消された理由があるとすれば上記3点でしょうか。

崇神天皇の時代に国譲り神話を彷彿とさせる大和と出雲の権力闘争があったらしい形跡が古事記から読み取れます。
当ブログ ネコ(根子) 参照下さい

国譲り神話を崇神天皇即位当時の出来事だと考えれば、系図①②を一つの系図と考える事も容易な気がします。
国譲りの功労者タケミカヅチの子・オオタタネコに三輪山でオオモノヌシを祭らせると言う事は、
オオタタネコは三輪山周辺の管理者となりその土地で取れる収穫米の恩恵を受けると言う事です。
功労者の子息に対する充分な褒章と受け止める事も出来そうです。

タケミカヅチが系図から削除された理由があるとすれば、祟りなしたオオモノヌシの系図にタケミカヅチが載る事が都合悪かったからだろうか?
タケミカヅチを祖神とする中臣・藤原氏は、記紀編纂当時最有力氏族であったため、天皇に祟りなす神と関係付けされたくなく、オオモノヌシの系図からタケミカヅチを排除したと考える事も出来るかもしれません

タケミカヅチとオオタタネコの関連付けについては、もう少し面白そうなものが見つかりそうな…そうでも無さそうな…

今回はこれでおしまい…
国譲りは崇神天皇の時代だった…
信じるも信じないもあなた次第です…