グー版・迷子の古事記

古事記の世界をあっちへふらふらこっちへふらふら
気になったことだけ勝手に想像して勝手に納得しています

タケミカヅチ②

2013年09月14日 | 古事記
前回、武甕槌の(甕)から酒の神様ではないか?と推測してみましたが、今現在は武甕槌に酒の神様としての性格を見つけられそうにありません。
そうなると、酒の神様と言うより雷神・剣神として考えたほうが今のところ妥当かもしれません。古代において、ミカ(甕)は雷または剣と関連付けられる事柄があったのかもしれませんが、知識の乏しい私には知る由もありません。
ミカという発音に輝くと言う様な意味があると言う事を、以前何かで見たような気がします。そう言えば、アマツミカボシ(天津甕星)は星の神様です。

現時点で建御雷之男神と武甕槌を別神として考える方法が私には無いので、しばらくは、一つの神様であると仮定してタケミカヅチについて考えてみたいと思います。
そうなると問題になってくるのが、タケミカヅチの二つの経歴です。
建御雷之男神と武甕槌を一つの神様として考えるとすると、経歴も一つの経歴として考える必要があります

  《タケミカヅチの経歴》

①(ホノカグツチ)→イツノオハバリ(イザナギの十拳剣)→タケミカヅチ
②オオモノヌシ→クシミガタ→イイガタスミ→タケミカヅチ→オオタタネコ

①の経歴のホノカグツチは経歴に入れる必要は無いかもしれません。
①はアマツカミ、②はクニツカミと考えられますが、①②を同じ系図と考えるとアマツカミとクニツカミで分類するよりも別の方法で分類する必要がありそうです。

  《タケミカヅチの逸話》

実はこの逸話に二つの経歴を繋ぐ糸がありそうな気がします。

①の逸話(国譲り)
タケミカヅチはオオクニヌシ(大国主)に国譲りをせまる。

②の逸話(崇神天皇記)
ここでは系図でだけ登場し、オオモノヌシ(大物主)の曾孫として登場、オオタタネコの父。

古事記において、オオモノヌシ(大物主)はオオクニヌシ(大国主)の和魂・幸魂とされています。
そうです、この二つの系図を繋ぐ糸はオオクニヌシ(大国主)とオオモノヌシ(大物主)です。
オオクニヌシ(大国主)は出雲の大神。
オオモノヌシ(大物主)は大和の大神。
この二柱の神様が元々別の神様であったことは、用意に想像がつきます。
そしてこの二柱の神様を同一の神様として集合された時期には、政治的または軍事的な思惑が働いていた事も想像に固くありません。
この時の事情は、以前当ブログで考察してみました。
当ブログ オオモノヌシとオオクニヌシ 参照下さい

この様に考えてくると、タケミカヅチの二つの系図は、アマツカミとクニツカミとしてではなく、出雲の神と大和の神として考察していったほうが良さそうです。

①と②の系図を一つのものと考え、オオクニヌシ(大国主)とオオモノヌシ(大物主)を別の勢力と考え、①の逸話(国譲り)を見てみると次のような構図が浮かび上がります。

・オオクニヌシ(出雲)に国譲りを促したオオモノヌシ(大和)の曾孫タケミカヅチ
・出雲により大和は一時併合されるも、力を付けた大和は政権を回復する。

タケミカヅチには二つの系図がありますが、この様に考えてみると一つにまとめても問題ないように見えます。
では何故系図は二つあるのか?或いは二つあるように見えるのか?
②の系図のオオモノヌシ(大物主)に問題があるのだろうか?
大和の歴史と古事記編纂当時の有力氏族・藤原氏の存在が二つの系図の原因だろうか?

・古代大和は出雲により併合される
・タケミカヅチ(大和)は天孫の力をかり出雲勢力を駆逐する
・新生大和は天孫が権力を持つ

藤原氏はタケミカヅチを祖神として祭りますが、決してタケミカヅチの系図ではありません。

現在のところ、うまい説明が思い浮かびませんが上であげた疑問にその答えが隠されていそうな気がします

そういえば、タケミカヅチを祖とする氏族っているのだろうか?中臣氏と藤原氏は祖神として祭っていますが、中臣・藤原氏の祖ではありません。
大和の大功労者であるタケミカヅチを祖とする氏族がいないとすれば…
と言うかいないわけ無い気がするのですが…
ここに問題解決のヒントがあるのか?
もしタケミカヅチを祖とする氏族がいなければ、タケミカヅチこそが古代史を解く鍵になるかもしれません

そうだ②の系図のオオタタネコがそれにあたるのかも…
つづくかも…

タケミカヅチ①

2013年09月13日 | 古事記
ここまでのブログで、古事記の気になることを調べ想像し、その時気になったことを調べまた想像し…
いつの間にかアラハバキの正体を探る事が目的の様になってました。
アラハバキに関しては、自分としては満足の行く結果が出たので問題ないですが、途中気になる神様をほったらかしにしてたので、その神様について少し考えてみました

  《タケミカヅチ》

タケミカヅチ(建御雷之男神・武甕槌)
古事記の中で二つの経歴を持つ神様です。

・建御雷之男神
国譲り神話でイザナギの剣であるトツカツルギ(十拳剣)、神名イツノオハバリの子として登場。剣の神。アマツカミ

・武甕槌
崇神天皇記でオオタタネコの父として登場。オオモノヌシの曾孫。クニツカミ

別の神様では無いか?と言われる事もあるのですが、同一神かどうかは謎なのです
片方はアマツカミもう片方はクニツカミ、別の神様なのだろうか?
神社では、建御雷之男神・武甕槌ともに剣の神様として祭られ、同一神とされているようです。
中臣・藤原氏が祖神として祭る鹿島神社では武甕槌と表記して祭られています。
何か臭うような…臭わないような…

藤原氏と言えば古事記編纂当時、朝廷で力を持っていた氏族です。
藤原氏の祖・中臣鎌足は鹿島の出身ですが、歴史への登場の仕方が不自然な事から百済の王子では無いか?とささやかれています。

権力を持ち出自に疑問を持たれる氏族と、その氏族が祭る二つの経歴を持つ神様…
黒では無いけど限りなく黒に近いグレーと言う雰囲気が漂っています

今のところ、その神名しか手がかりが無いのでまずは神名を分解してみましょう。

・建御雷之男神 = (健御)(雷之男)(神)
明らかに雷神で、剣神です。

・武甕槌 = (武)(甕)(槌)
(武) … 猛々しい
(槌) … ~の神霊

問題は(甕)です。
(甕)は訓読みで「ミカ」と読ませます。音読みでは無く訓読みなので、(甕)の字義が神様の性質を表します。
当ブログ アラハバキの社① 参照下さい

ミカ(甕) … 酒や穀物を入れておくかめ

かめ(甕)の神様と言うよりも、酒の神様、穀物の神様ではないだろうか?
そう言えば、古事記に酒の神様っていたっけ?

明らかに酒の神様というのはいなかったような…
と探していたら一柱おられました。
スクナヒコナです。
神功皇后が歌われた歌の中で酒の神として出てきます。

この御酒(みき)は 吾が御酒ならず
酒の神 常世にいます
石(いは)立たす 少名(すくな)御神の  
神祷ぎ 寿ぎ狂ほし
豊寿ぎ 寿ぎ廻し
献(まつ)り来し 御酒ぞ
乾(あ)さずをせ ささ

武甕槌が何の神様か、探ってみたくなってきました。
そこで一句

続くのか? 続けばいいな 続くかも

アラハバキの社②

2013年09月12日 | 古事記
前回の続きです

  《オオナムチと蛇》

オオナムチは大己貴と書かれますが、大巳貴と書かれる事もあります。
どちらも当て字です。
何を言ってるの?
と思うかも方もいるかもしれませんが、日本には元々漢字は無かったのです。
オオナムチという音を持つ神様に後付けで漢字を当て字しています。

古事記はその序文にもある通り、当て字で全て書かれたものです
当て字の種類

・音を重視した当て字…中国の読み。
・訓を重視した当て字…字義を重視した読み、古代日本語の読み。 
・音と訓を混ぜた当て字

ではオオナムチはどのように当て字されたでしょう?

オオナムチ(大己貴、大巳貴)

大(オオ)…訓読み 和語

貴(ムチ、又はチ)…「貴」には現在、「ムチ」「チ」共にどちらの読みもありません。あえて言えば、「貴」に「キ」と言う発音がありますが、貴い神様を示す神名なのでここは素直に訓読みととり和語だと解釈したほうが妥当そうです。

己、巳(ナ、又はナム)…どちらの漢字にも「ナ」「ナム」という読みはありません。と言う事は訓読みで読まれたと推測できます。訓で読まれたと言う事はその漢字の字義で書かれたと言う事です。

己の意義…おのれ、つちのと。
巳の意義…へび、み。

オオナムチ(大己貴、大巳貴)の真ん中の文字「己、巳」が字義を重視して当て字されてあるため、「己」と「巳」のどちらの字義が適当かは自ずから明らかです。

大巳貴 … 字義で訳すと「貴き大蛇神」

オオナムチは大己貴と書かれる事が多いですが、大巳貴のほうが字義の上では正しいと私は思います

日本に漢字が輸入され文字文化が花開き万葉仮名が使われ始めた黎明期に、「巳」を「己」と間違えた、或いは、原文を書写する際に文字を取り違えた。
また或いは、「己」「巳」どちらの意味も充分承知した上で、敢えて「己」を使用した。そこには、オオナムチを蛇神だと公に出来ない事情がありつつも古事記編纂に関わった人物の使命感のようなものにより、後の世において「巳」を推測できる「己」を使ったと言う事情がもしかしたらあったかもしれません。

いづれにしても、オオナムチを「大巳貴」と記したほうが字義として的を得ている事は紛れもない事実です

  《大蛇神》

オオナムチは大蛇神でほぼ間違いないと思われますが、もし先ほど述べたようにオオナムチを蛇神だと公に出来ない事情があるとすれば、それは何だったのでしょうか?

関連付けられては困る大蛇神が他にいるのでは無いか?と言う事がまず考えられます。またそうでなければ、大蛇神と公言しても全く問題ないように感じます

そこで古事記に登場する大蛇神は?と言うと、ヤマタノオロチとオオモノヌシです。

・ヤマタノオロチ…越(北陸)の大蛇神。スサノヲに退治される。
・オオモノヌシ…三輪山の神。オオクニヌシの和魂。大和朝廷に度々祟る神。

ヤマタノオロチは越(北陸)の大蛇神、オオナムチとの関係は?と言えば、オオナムチの別名オオクニヌシの祖スサノヲが退治したと言う事です。ヤマタノオロチとオオナムチを関連付けても問題ないように思われます。

オオモノヌシ(大物主)はオオクニヌシ(大国主)の和魂、度々大和朝廷に祟ります。朝廷が度々祟られたと思ったと言う事は、それなりの事をオオモノヌシに対して行ったと言う事のあらわれだと言えるかもしれません。
オオナムチを大蛇神と公言できない様な口に出来ない事情があるとすれば、オオモノヌシ(大物主)とオオナムチの関係に秘密があるように見えます。
しかし、オオナムチは別名オオクニヌシ(大国主)とされているため、オオモノヌシ(大物主)はオオナムチの和魂ともとれ、一見問題ないように見えます。
少し整理しましょう

・オオクニヌシ(大国主)…出雲の大神。
当ブログでは、一時期太陽神、月神を習合された統一神となったと考えています。
当ブログ オオモノヌシとオオクニヌシ 参照下さい

・オオモノヌシ(大物主)…大和の三輪山の大蛇神
当ブログでは、出雲の大和併合時にオオクニヌシ(大国主)と習合されたと考えています。
当ブログ オオモノヌシとオオクニヌシ 参照下さい

・オオナムチ…オオクニヌシ(大国主)の別名。大蛇神

オオクニヌシ(大国主)は一時期、太陽と月を統べる神様でありながら、出雲の衰退後、出雲の大神、クニツカミを統べる神と格下げされてしまいます。
オオモノヌシ(大物主)は太陽神でありながら、出雲の大和併合によりオオクニヌシ(大国主)の和魂となっていまします。
オオクニヌシ(大国主)、オオモノヌシ(大物主)ともに、出雲の大和併合時にその名前が付けられたのではないか?と今のところ推測しています。
当ブログ オオモノヌシとオオクニヌシ参照下さい

そして、オオモノヌシの元々の名前がオオナムチではないか?と思うのです。
そう考えると、オオナムチが大蛇神として公言できなかった事情と言うのも説明できそうです。

古代大和における太陽神、オオナムチは、出雲の大和併合によりオオクニヌシ(大国主)と習合され、オオクニヌシ(大国主)は太陽と月を統べる神となり、三界(アマツクニ、ナカツクニ、ネノクニ)を治める神となる。
この時、オオナムチはオオクニヌシ(大国主)の別名となり、オオクニヌシ(大国主)はその名前(三界を治める神の名前)を与えられる。
三輪山の神は、三界(アマツクニ、ナカツクニ、ネノクニ)を統べるオオクニヌシ(大国主)の和玉として、三界の神霊の主という意味のオオモノヌシ(大物主)の名前を与えられた。
その後、渡来系による大和勢力の復活により、オオクニヌシ(大国主)はクニツカミを統べる神へ格下げされる。
オオナムチがオオモノヌシ(大物主)であった事を明らかにする事は、オオナムチは出雲の神ではなく古代大和の神となり、オオクニヌシ(大国主)、オオモノヌシ(大物主)、オオナムチの三柱の神の関係性を壊す事となり、また過去にオオナムチが太陽神であった事を想起させる事ともなり、アマテラスを太陽神と掲げる新生した大和にとっては極めて都合の悪い事であった。


  《火切り》

オオクニヌシ(大国主)に太陽神としての性格があった事を示唆するような逸話が古事記にはあります。
最後にそれを紹介します

国譲りすることを決めたオオクニヌシ(大国主)は「立派な宮殿を造って私を祭ってくれ」と言い残しこの世をさります。
そこで水戸神(ミナトノカミ)の孫である櫛八玉神(クシヤタマノカミ)がオオクニヌシに火切りの神事を施し祝詞を上奏します。
「ここに私の切る火は…(中略)…御饗を差し上げましょう。」

「火を切る」、これはオオクニヌシ(大国主)のひのかみ(日神、太陽神)としての性格を切るというまじないにも取れるかもしれません
この時、オオナムチ、オオモノヌシ(大物主)ともに、オオクニヌシ(大国主)に習合されてしまっていたため、三柱の神は太陽神としての性格を永遠に奪われたのかもしれません。

アラハバキの社①

2013年09月11日 | 古事記
伊勢神宮の線からアラハバキを考えるのが難しそうなので、別の線から迫ってみました

  《砥鹿神社》

砥鹿神社(とがじんじゃ) 三河国一之宮
古代は奥宮のみ存在したが、文武天皇の時代(大宝年間)に里宮を建立したという。
(ウィキペディア)

◎里宮 祭神 大己貴命(オオナムチ)

◎奥宮 祭神 大己貴命(オオナムチ)
本宮山(豊川市・岡崎市・新城市の境、海抜789m)の山頂に奥宮(豊川市上長山町)がある。(ウィキペディア)


◎末社
・八幡宮
・守見殿神社(モリミデン神社)
 祭神 大己貴命の和魂(ニギタマ)
    迦久神(かくのかみ)
     倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
・八束穂神社(ヤツカホ神社)
 祭神 天穂日命(あめのほひのみこと)
・荒羽々気神社(アラハバキ神社)
 祭神 大己貴命の荒魂(あらみたま)

里宮以前からある奥宮は本宮山の山頂にあるため、元々は本宮山そのものを御神体としていたと思われます。またこの山は三角形の山です。三角形の山というのは古代信仰の対象となりやすく、蛇神様が祭られることが多くあります。

また砥鹿神社の祭神には興味深い所があります。
里宮、奥宮の祭神オオナムチはオオクニヌシ(大国主)の別名とされています。
八幡宮に関しては、中世以降武門の神として全国各地の武家により祭られ、神社の中でもお稲荷さんに次いで多い神社なのでここでは問題としません。

守見殿神社にはオオナムチの和魂(ニギミタマ)が祭られています。
八束穂神社の祭神アメノホヒは出雲国造の祖神。
アラハバキ神社の祭神はオオナムチの荒魂(アラミタマ)

なんとアラハバキの正体はここに書いてあるでは無いですか…
アラハバキはオオナムチの荒魂(アラミタマ)

  《オオナムチ》

ではオオナムチとは何でしょう?
一般的にはオオクニヌシ(大国主)の別名とされています。
一般的というよりもはや定説?とまで言ってもいいかも知れませんが、本当にそうなの?
大国主には沢山の名前があって、沢山名前があるから大名持(オオナムチ)という説明がされる事もあります。
でも素人は思うんです。沢山名前ありすぎじゃね~

◎オオクニヌシ(大国主)の名前
オオナムチ、アシハラシコヲ、ヤチホコ、ウツシクニタマ、オオモノヌシ…etc.
有名なところでこんな所です。まだまだあるようです。

こんだけあると一つくらいは別の神様じゃね~
素人は思いました。

オオナムチがオオクニヌシ(大国主)として記紀以降呼ばれているのは事実、
オオナムチ = オオクニヌシ と言ってもあながち間違いでは無いでしょう。
しかし、古代においてオオクニヌシとオオナムチが習合されたかもしれない、と言う事を古事記から読み取る事ができます。

古事記においてオオナムチは、オオクニヌシ別名オオナムチ、と言う感じで最初に登場します。(因幡の白兎)
その後、オオクニヌシはスサノヲのいる根の国の冒険をし、最後にはスサノヲに認められて名前を賜ります。
古事記によると…

スサノヲはアシハラシコヲ(オオモノヌシ)別名オオナムチを大声で呼びとめ、
「……お前は、オオクニヌシ、ウツシクニタマと名乗って出雲を治めよ……」

ここで読み取れること
・元の名前はアシハラシコヲ
・オオクニヌシはスサノヲにもらった名前で元々の名前ではない
・オオナムチの名前の由来は語られていない
この3点でしょうか。
そして古事記において、オオクニヌシ別名オオナムチ、アシハラシコヲ別名オオナムチと書いてある所から察すると、「現在オオナムチといわれる神様は…」という意味合いが含まれているように感じられます。
オオクニヌシ別名オオナムチ、アシハラシコヲ別名オオナムチ、わざわざオオクニヌシとアシハラシコヲにオオナムチを関連づけないと古事記が書かれた当時勘違いする人でもいたのでしょうか?しかも、オオクニヌシ、アシハラシコヲの二つの名前を使ってまで…

ここにおいて前々回 オオモノヌシとオオクニヌシ で書いた可能性が生きてきそうです。

結論から言うと、オオナムチは古代大和における三輪山に祭られた太陽神オオモノヌシの元々の名前ではなかろうか?

ちなみに、オオモノヌシを祭る三輪山とオオナムチを祭る本宮山の形はよく似ています。(どちらも三角形の山)

オオモノヌシの名前が元々あった名前を改め新しく付けられた名前である可能性があることは前々回少し触れました。
オオクニヌシとオオモノヌシの習合により、どちらの名前も元々ある名前から新しく付けられた名前である可能性があると思います。
当ブログ オオモノヌシとオオクニヌシ 参照下さい

オオモノヌシ = (オオ)(モノ)(ヌシ)
全ての神霊の主という意味に取れます。

オオクニヌシ = (オオ)(クニ)(ヌシ)
アマツクニ(高天原)、ネノカタスクニ(黄泉)、ナカツクニ(日本)の全てを治めた主という意味にも取れそうです。

オオモノヌシ(大物主)とオオクニヌシ(大国主)が習合されたことにより、オオモノヌシ(大物主)の元々の名前であるオオナムチがオオクニヌシ(大国主)として認識された可能性はどうやらありそうです

オオモノヌシとオオクニヌシという名前のネーミングは非常に良く似ています。
一方は出雲神、また一方は大和神、名前の付け方から見ても名前の成立時期と場所が同じであった可能性は高そうです。

アラハバキの社②へつづく…

今気になっている神様

2013年09月10日 | 古事記
今日は何ら面白いアイデアが思い浮かばない
気になることはあるんだけどまだまだ足りない感じ…

自分は神様の原型の様なものを見つけたい…
みたいな感じで調べているように感じます。
より古い神様であればあるほど心躍り、
より新しい神様であればあるほど気持ちが萎えてしまいます。
家にある古事記も前半ばかり読んで後半は読むのがしんどいです

そうそう、今気になっているのがアラハバキです。
太陽神としての可能性がありそうなのは以前説明しました。
当ブログ アラハバキ勝手に考察 参照下さい

太陽神としての可能性があるならば、どこの太陽神だったのだろ?
前回の流れからオオモノヌシの元々の名前だったのではないか?
当ブログ オオモノヌシとオオクニヌシ 参照下さい

そうなると伊勢神宮との関係も見えてくるのではないか?

ある程度ストーリのようなものは出来上がっているのですが、
それを証明する資料がまだまだ足りない感じです

伊勢神宮を少し調べて分かったのですが、現在の伊勢神宮から古代の伊勢神宮を想像するのはかなり困難を極めそうです。
伊勢神宮の祭神というのが、どうやら天武天皇の時に大々的にいじくり回されているようなのです

現在の天皇家の祖が古代、祭り始めた頃は単なるアマテラスだったようですが、天武天皇の頃どうやら外国の神と習合した様なのです。
現在の伊勢神宮の神様は、アマテラスはアマテラスなのですが、一筋縄ではいかない性格を持っていそうなアマテラスみたいです。
習合した神様というのが曲者で、太一神っていう神様なんですが…
宇宙の根源の神様で…
この宇宙の根源から陰と陽が生じ…

アマテラスは太陽ですから、もちろん陽なのです。
そうなると陰の性格も付加しなければ、太一神になれないような気が個人的にします。
もしかすると、また別の理屈でアマテラスは太一神になれるかもしれません。

アマテラスを陽とすると、相対する陰はツクヨミです。
伊勢神宮外宮は現在豊受神(女神)が祭られていますが、外宮の建築方法から古代男神が祭られていた事は明らかです。これを理由に外宮の元々の祭神はツクヨミという説もあった気がします。
仮に元来の祭神がツクヨミだとしても、その痕跡は外宮の建築方法以外には消されてそうです。

これだけでもグチャグチャなのに、天武天皇が古事記編纂、伊勢神宮祭祀と深く関わっているため、もうグチャグチャのグチャグチャです

何か面白いネタないかな…