前回、武甕槌の(甕)から酒の神様ではないか?と推測してみましたが、今現在は武甕槌に酒の神様としての性格を見つけられそうにありません。
そうなると、酒の神様と言うより雷神・剣神として考えたほうが今のところ妥当かもしれません。古代において、ミカ(甕)は雷または剣と関連付けられる事柄があったのかもしれませんが、知識の乏しい私には知る由もありません。
ミカという発音に輝くと言う様な意味があると言う事を、以前何かで見たような気がします。そう言えば、アマツミカボシ(天津甕星)は星の神様です。
現時点で建御雷之男神と武甕槌を別神として考える方法が私には無いので、しばらくは、一つの神様であると仮定してタケミカヅチについて考えてみたいと思います。
そうなると問題になってくるのが、タケミカヅチの二つの経歴です。
建御雷之男神と武甕槌を一つの神様として考えるとすると、経歴も一つの経歴として考える必要があります
《タケミカヅチの経歴》
①(ホノカグツチ)→イツノオハバリ(イザナギの十拳剣)→タケミカヅチ
②オオモノヌシ→クシミガタ→イイガタスミ→タケミカヅチ→オオタタネコ
①の経歴のホノカグツチは経歴に入れる必要は無いかもしれません。
①はアマツカミ、②はクニツカミと考えられますが、①②を同じ系図と考えるとアマツカミとクニツカミで分類するよりも別の方法で分類する必要がありそうです。
《タケミカヅチの逸話》
実はこの逸話に二つの経歴を繋ぐ糸がありそうな気がします。
①の逸話(国譲り)
タケミカヅチはオオクニヌシ(大国主)に国譲りをせまる。
②の逸話(崇神天皇記)
ここでは系図でだけ登場し、オオモノヌシ(大物主)の曾孫として登場、オオタタネコの父。
古事記において、オオモノヌシ(大物主)はオオクニヌシ(大国主)の和魂・幸魂とされています。
そうです、この二つの系図を繋ぐ糸はオオクニヌシ(大国主)とオオモノヌシ(大物主)です。
オオクニヌシ(大国主)は出雲の大神。
オオモノヌシ(大物主)は大和の大神。
この二柱の神様が元々別の神様であったことは、用意に想像がつきます。
そしてこの二柱の神様を同一の神様として集合された時期には、政治的または軍事的な思惑が働いていた事も想像に固くありません。
この時の事情は、以前当ブログで考察してみました。
当ブログ オオモノヌシとオオクニヌシ 参照下さい
この様に考えてくると、タケミカヅチの二つの系図は、アマツカミとクニツカミとしてではなく、出雲の神と大和の神として考察していったほうが良さそうです。
①と②の系図を一つのものと考え、オオクニヌシ(大国主)とオオモノヌシ(大物主)を別の勢力と考え、①の逸話(国譲り)を見てみると次のような構図が浮かび上がります。
・オオクニヌシ(出雲)に国譲りを促したオオモノヌシ(大和)の曾孫タケミカヅチ
・出雲により大和は一時併合されるも、力を付けた大和は政権を回復する。
タケミカヅチには二つの系図がありますが、この様に考えてみると一つにまとめても問題ないように見えます。
では何故系図は二つあるのか?或いは二つあるように見えるのか?
②の系図のオオモノヌシ(大物主)に問題があるのだろうか?
大和の歴史と古事記編纂当時の有力氏族・藤原氏の存在が二つの系図の原因だろうか?
・古代大和は出雲により併合される
・タケミカヅチ(大和)は天孫の力をかり出雲勢力を駆逐する
・新生大和は天孫が権力を持つ
藤原氏はタケミカヅチを祖神として祭りますが、決してタケミカヅチの系図ではありません。
現在のところ、うまい説明が思い浮かびませんが上であげた疑問にその答えが隠されていそうな気がします
そういえば、タケミカヅチを祖とする氏族っているのだろうか?中臣氏と藤原氏は祖神として祭っていますが、中臣・藤原氏の祖ではありません。
大和の大功労者であるタケミカヅチを祖とする氏族がいないとすれば…
と言うかいないわけ無い気がするのですが…
ここに問題解決のヒントがあるのか?
もしタケミカヅチを祖とする氏族がいなければ、タケミカヅチこそが古代史を解く鍵になるかもしれません
そうだ②の系図のオオタタネコがそれにあたるのかも…
つづくかも…
そうなると、酒の神様と言うより雷神・剣神として考えたほうが今のところ妥当かもしれません。古代において、ミカ(甕)は雷または剣と関連付けられる事柄があったのかもしれませんが、知識の乏しい私には知る由もありません。
ミカという発音に輝くと言う様な意味があると言う事を、以前何かで見たような気がします。そう言えば、アマツミカボシ(天津甕星)は星の神様です。
現時点で建御雷之男神と武甕槌を別神として考える方法が私には無いので、しばらくは、一つの神様であると仮定してタケミカヅチについて考えてみたいと思います。
そうなると問題になってくるのが、タケミカヅチの二つの経歴です。
建御雷之男神と武甕槌を一つの神様として考えるとすると、経歴も一つの経歴として考える必要があります
《タケミカヅチの経歴》
①(ホノカグツチ)→イツノオハバリ(イザナギの十拳剣)→タケミカヅチ
②オオモノヌシ→クシミガタ→イイガタスミ→タケミカヅチ→オオタタネコ
①の経歴のホノカグツチは経歴に入れる必要は無いかもしれません。
①はアマツカミ、②はクニツカミと考えられますが、①②を同じ系図と考えるとアマツカミとクニツカミで分類するよりも別の方法で分類する必要がありそうです。
《タケミカヅチの逸話》
実はこの逸話に二つの経歴を繋ぐ糸がありそうな気がします。
①の逸話(国譲り)
タケミカヅチはオオクニヌシ(大国主)に国譲りをせまる。
②の逸話(崇神天皇記)
ここでは系図でだけ登場し、オオモノヌシ(大物主)の曾孫として登場、オオタタネコの父。
古事記において、オオモノヌシ(大物主)はオオクニヌシ(大国主)の和魂・幸魂とされています。
そうです、この二つの系図を繋ぐ糸はオオクニヌシ(大国主)とオオモノヌシ(大物主)です。
オオクニヌシ(大国主)は出雲の大神。
オオモノヌシ(大物主)は大和の大神。
この二柱の神様が元々別の神様であったことは、用意に想像がつきます。
そしてこの二柱の神様を同一の神様として集合された時期には、政治的または軍事的な思惑が働いていた事も想像に固くありません。
この時の事情は、以前当ブログで考察してみました。
当ブログ オオモノヌシとオオクニヌシ 参照下さい
この様に考えてくると、タケミカヅチの二つの系図は、アマツカミとクニツカミとしてではなく、出雲の神と大和の神として考察していったほうが良さそうです。
①と②の系図を一つのものと考え、オオクニヌシ(大国主)とオオモノヌシ(大物主)を別の勢力と考え、①の逸話(国譲り)を見てみると次のような構図が浮かび上がります。
・オオクニヌシ(出雲)に国譲りを促したオオモノヌシ(大和)の曾孫タケミカヅチ
・出雲により大和は一時併合されるも、力を付けた大和は政権を回復する。
タケミカヅチには二つの系図がありますが、この様に考えてみると一つにまとめても問題ないように見えます。
では何故系図は二つあるのか?或いは二つあるように見えるのか?
②の系図のオオモノヌシ(大物主)に問題があるのだろうか?
大和の歴史と古事記編纂当時の有力氏族・藤原氏の存在が二つの系図の原因だろうか?
・古代大和は出雲により併合される
・タケミカヅチ(大和)は天孫の力をかり出雲勢力を駆逐する
・新生大和は天孫が権力を持つ
藤原氏はタケミカヅチを祖神として祭りますが、決してタケミカヅチの系図ではありません。
現在のところ、うまい説明が思い浮かびませんが上であげた疑問にその答えが隠されていそうな気がします
そういえば、タケミカヅチを祖とする氏族っているのだろうか?中臣氏と藤原氏は祖神として祭っていますが、中臣・藤原氏の祖ではありません。
大和の大功労者であるタケミカヅチを祖とする氏族がいないとすれば…
と言うかいないわけ無い気がするのですが…
ここに問題解決のヒントがあるのか?
もしタケミカヅチを祖とする氏族がいなければ、タケミカヅチこそが古代史を解く鍵になるかもしれません
そうだ②の系図のオオタタネコがそれにあたるのかも…
つづくかも…